Moon bow-2


成体になった毅は毎日が楽しかった。
今まで使いこなせなかった力で何でも出来るようになったし、見ているだけだった人ごみの中に紛れて人間を観察するのも物珍しくて楽しい。
そもそも様々なエネルギーに満ちている『外』にいるだけで楽しかった。
まだ美味しそうな血に巡り会えていないが、腹が減っていないので焦っていなかった。
やっぱり一番最初に飲むなら飛び切り美味しい血が良い。
できれば可愛い女の子の。
然の血も慎吾の血も不味くはないが気分の問題だ。
同じ美味さなら女の子の血を選ぶに決まってる。
毅は美味しそうな女の子はいないかな、と毎夜楽しみながら出歩いていた。
そして夜が明ける前の時間になると毅は毎日ある山に行く。
前に慎吾から話を聞いて以来気になって一度見てみたいと思っていた藤原拓海を見るために。

毅より早く成体になった慎吾は『外』での生活をたまに毅に話した。
飽き性らしく『外』での嵌り事はころころ変わるが最近はほとんど車の話だ。
「力を抑えて人間と変わらない状態にしてよ、そんで人なら簡単に死ぬスピード出して走んだよ。この意味のねえスリルがたまんねーんだ。」
そう語る慎吾の気持ちは分からないが、話している慎吾は楽しそうだった。
そして一度だけ慎吾が人間を褒めた。
それが藤原拓海だ。
誰かを褒めるなんてありえない慎吾が、たぶん意識していないだろうが褒めた拓海に毅は興味を持った。
山の名前しか聞いていなかったので初日はずっと山全体を見ていて、意外に車を走らせる人間が多いことに毅は驚いた。
だが車に乗っている人間はいるがどれも拓海とは思えず、そのうち誰も居なくなってしまったので自分も帰ろうかどうしようか悩んでいるところで一台の車がやってきた。
明らかに今までの車と雰囲気が違った。
見ていると山を上って行った車はしばらくすると戻ってきた。
下っていく車を毅は見つめていた。
慎吾が褒める車のことは自分には全く分からない。
だけど自分を惹きつけるオーラがあった。
それ以来、毅は毎日拓海を見に来ていた。
最初は完全に俯瞰で全てを見ていたが、より近く車の一瞬のスピードを感じられる方が楽しいことに気付いて今はガードレールにもたれ掛って拓海が通り過ぎる一瞬を見ることにしていた。

今日はこの辺で見ようと毅はガードレールにもたれた格好で姿を現した。
既に毅の聴覚は上ってくる拓海の車を正確に捕らえていて心の中でカウントしながら目の前を通り過ぎるのを待つ。
1…0…来た。
車は立っている毅の前をあっという間に横切り見えなくなった。
毅はそれに満足しながら、今度は拓海が下ってくるのを待つ。
上りより下りの方が毅は惹きつけられる。
わくわくしながら待ち拓海が下りに入ったのを感じてまたカウントしながら現れる方を見つめていると、1を数えたところでおや?と首をかしげた。
0より少し遅れて現れた車はスピードを落として毅の前で止まる。
今までにない展開に毅が驚いていると運転席から拓海が降りてきた。
いつも車の中に居る拓海しか見ていないので立っている姿になんとなく毅は感動する。
「あの、毎日いますよね。何してるんですか?」
「えっ?藤原を見に来てるだけだけど。」
「オレの名前…走り屋なんですか?」
どこか険を含ませた藤原の物言いに毅は戸惑いながら答えた。
「走り屋ってこうやって車に乗ってる人間のことか?それなら違うぞ、オレは車に乗らない。」
「…じゃあ、なんで見に来てるんですか?」
「藤原を見るのが好きだから。」
予想外の毅の答えに藤原は黙ってしまう。
「知り合いからちょっと聞いてて、『外』に一人で出れるようになったら絶対見に来ようと思ってたんだ。お前凄いな!」
「いや、そんな、全然すごくないと思いますけど…」
真っ直ぐに見つめられ笑顔で褒められた藤原はなんと答えたらいいのか分からずしどろもどろになってしまう。
「えっと、走り屋じゃないならいいんです。突然すいませんでした。」
小さく頭を下げて藤原は車に戻った。
笑いながら見ている毅の視線を意識しながら拓海は車を発進させる。
車が見えなくなると毅は目をつぶって拓海の車を感じる。
そうやって拓海が完全に下りきってしまうまで目を閉じ、そのまま姿を消した。


豆腐の配達を終わらせた拓海は峠を下る。
毎日毎日繰り返しているから周りから狂ってると言われるような走りでも拓海にとっては眠気を覚ます刺激にもならない。
それなのに下りながら少しずつ自分がいつもとは違う、速さを意識した運転をしていることに拓海は気付いていなかった。
もうすぐ…
気になる場所がやってきて直ぐに後ろに遠ざかる。
いた。
最近毎日いる男。
その日その日で場所は違うが上る時も下る時もいる。
最初は、どれ程有名かは知らないがあの高橋兄弟に勝った所為で自分にいちゃもんをつけようとしてくる走り屋なんだろうかと思っていた。
豆腐の配達時間は早朝すぎて誰にも会わないが、夜中の秋名には時折見かけない走り屋が現れて拓海のことを聞いていくのを池谷先輩から聞いていた。
迷惑だと思う。
あの男もわざわざこんな時間にいるのだからそういった部類なんだろうと勝手に拓海は思っていた。
でも、違った。
昨日話してみた男は走り屋ではなく、単に拓海の走りを見に来ていただけだと言われて、周りの友人たちではない知らない人間に感嘆されるのはなにやら恥ずかしかった。
それでもあんな風に嬉しそうに言われて拓海は少し嬉しかったし、ちょっとだけ彼をがっかりさせたくないなとも思った。
その日、拓海が家を出た時から今にも降りだしそうな空模様だった。
峠を上っているとやはり彼がいるのを拓海は確認したがホテルに着く頃には雨が降り始めてしまったので、さすがに彼は帰っただろうと思っていたのに同じ場所に彼が傘も差さずにいるのが見えて拓海はブレーキを踏む。
「なにやってんですか、風邪引きますよ!乗ってください!」
助手席のドアを開けて叱るように言う拓海に毅は驚いたが、乗ってくださいと言われて直ぐに嬉しくなって乗り込んだ。
「なんだ?」
「なんだって、こんな雨の中なんで帰らないんですか?」
「えっだって拓海が下っていくのを見てないから」
「そんなもん、雨に濡れながら見るもんじゃないでしょう。」
邪魔にならないように車を道の端に寄せながら拓海は呆れた。
そして改めて見た毅が濡れていないことに気付いた。
「濡れてない…」
拓海の呟きに毅はしまった!と慌てる。
この雨の中、傘も差さずにいたのに濡れていないのは人間としておかしいとさすがの毅も知っていた。
「あ、えっと、さっきまでちゃんと濡れないところにいたんだ。」
「そうですか。」
木の下にでもいたのだろうかと拓海は考える。
それでも全く濡れていないのはおかしいが一応説明されればそんなもんかなと拓海は納得してしまう。
頷いた拓海に毅はほっとした。
「えーと…名前聞いていいですか?」
「毅だ。」
「毅さんはどうやって帰るんですか?見たところ車とかじゃないですよね。」
「帰り…は、たぶん誰かが、迎えに来てくれるんじゃないかな…」
帰りなんて自分の家まで一瞬で移動できるんだが、そんなこと言えないので物凄く曖昧な答えになってしまった。
「たぶんって確実じゃないんですか?アレ?そもそもどうやってここまで来てるんですか?」
「えっ!?えーあー…知り合いがここまで送ってくれるんだ…」
「そうですか、じゃあその人が迎えに来てくれるんですね。」
「ああ、うん…」
「どれくらいで迎えに来てくれるんですか?」
「直ぐ、だと思う…」
「じゃあ、迎えが来るまで車の中で待ってるといいですよ。」
「ええっ!?いや、ありがたいけど、大丈夫だから、その、藤原に迷惑掛けたくないし…」
「迷惑じゃないですよ。」
拓海の優しさをありがたいと思いつつ毅はどうやってこの状況を切り抜けようか一生懸命考える。
「あっ!あのさ、良かったらここで待つんじゃなくて、どこか屋根のあるところで降ろしてくれないか。そうしたら藤原はこんなところで時間つぶさなくていいだろ。」
「良いですけど、擦れ違いになりませんか?」
「大丈夫大丈夫。」
引きつっているが笑顔の毅に拓海は少しだけ本当に大丈夫だろうかと疑いを持ちながらも承諾した。
「分かりました。そうしましょう。」

翌日、上る時に毅がいることを確認した拓海は帰りにまた毅の前に止まった。
「昨日は大丈夫でしたか?」
「おお、ありがとな。」
「いえ、大したことじゃないんで。じゃあ」
軽く頭を下げて拓海は車を発進させる。
ミラーに確実に自分より年上の毅が大きく手を振っているのが映って思わず笑った。
次の日から拓海は毅の前を通り過ぎる前に少しだけ会釈するようになり、それを見て毅が手を振るのを見るのが楽しみになった。
毅の方も『外』に来て色んな人間を見てきが、直接関ることはしてこなかったので嬉しかった。



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