Moon bow+T


見てしまえば我慢できなかった。


この吸血欲求が落ち着くまで秋名に拓海を見に行くのは止めておこうと毅は考えていた。
しかしこの間行かなかった時に拓海に心配させてしまったことを思い出して考えは揺れた。
なにか連絡手段があればいいが、なにもない。
拓海の家を探して手紙をポストに入れておこうか…
ちょっと大変だが秋名山周辺を探せば拓海の家は見つかるだろう。
あーでもさすがに今日は間に合わない。
きっと拓海はもう車中だ。
見るだけ見るだけ、と念じながら毅は秋名に移動した。
配達を終わらせた拓海が下ってくるのを感じながら、明日からしばらく来れないと今言ったほうが良いだろうかと悩む。
拓海が止まってくれたらここで伝えて、止まらなかったら手紙にしようと決めた。
決めたのは良いが、たぶん会ったらヤバいなあという思いがあったので拓海が通り過ぎてくれるのを願った。
だけれども、拓海は毅の前に車を止めて降りてきてしまった。
拓海の存在は全てが美味しそうで毅は自分を止められないことがはっきりと分かった。
拓海を逃がさないように、それでも拓海が本当に嫌なら逃げられるように、拓海の意識の中にまで入り込まずにこっちにおいでと誘う。
差し伸べた手に乗せられた拓海の手を掴む。
引き寄せて手首に唇を触れさせる。
透けて見える静脈の下に真っ赤な血が流れていることを感じる。
通常よりも速い脈動に拓海の緊張を感じて、可愛いなと思った。
鋭く伸びた牙でそっと噛み付く。
僅かに強張った筋肉に痛かったのだろうかと考えたが止まることは出来ずに深く牙を刺す。
口の中に溢れ出る血は温かで濃厚でほんのり甘くて美味しかった。
これほど美味い血を飲んだことはない。
一口飲むだけで自分がクリアになっていくのが分かる。
男なら400ccくらい大丈夫、人間が保証してるから。と然が言っていたが初めてだから少ない量で飲むのをやめる。
もっと飲みたかったけど、十分満たされていた。
牙を抜く。
手首に開いてしまった牙の痕が再生するように力を使う。
再生が間に合わずに伝う血はもったいないから舐めとった。
穴は綺麗に塞がり跡形もない。
「気分悪くなったりしてないか?」
拓海を見上げて確認する。
「え?」
何が起こったのか分かっていない拓海は不思議そうだ。
血を飲まれたことは拓海の記憶に残っていない。
思い出そうとしても空白の記憶が出てくるだけだ。
ただし記憶は消してもその時の感情までは消していないから、もし拓海が恐怖を味わったのなら次は差し伸べた手から逃げるだろう。
もったいないけど、拓海が嫌なら無理強いはしたくないと考えている。
慎吾に言ったら馬鹿にされるだろうけど。
今のところ拓海の顔色は悪くないので、まあ、大丈夫かと毅は安心する。
「あの、手…」
「ああ、ごめんな!」
掴んだままだった手を見て拓海が戸惑っているので慌てて手を離した、
「いえっ離さなくてもっ」
「えっえっ?」
ら逆に掴まれて毅は驚く。
「いやですか?」
「いやじゃないけど」
俯き気味の拓海を覗き込むようにして見つめる。
「どうしたんだ?」
「もうちょっとこのままでいたいというか」
「そうか。」
拓海も自分と仲良くしたいのだろうかと嬉しくなる。
捕まえられている手を少し動かして拓海とちゃんと手を繋ぐ。
「そうか、じゃあ、なんか喋ろうぜ。藤原について色々聞いていいか?」
「どうぞ。普通だと思いますけど。」
「藤原のことなら何でも良いんだ。」
力を使えば簡単に、拓海をコピーするように全てを知ることは可能だが、毅は拓海から教えて欲しかった。
笑う毅に拓海が照れる。
「まずは、えーと好きなものは何ですか?」
「好きなもの……」
一つ目の質問からいきなり沈黙になって毅は困った。
「ないのか?好きな食べ物とかでも良いぞ。」
「好きな食べ物……」
「ないのか!?」
「ぱっと出てこない…好き嫌いないですし…あ、ハンバーグとか好きです。家で滅多に出ないからハンバーグはご馳走って気がします。」
やっと答えの出た拓海に毅はほっとした。
「毅さんは?」
「オレか?オレは…」
まさか拓海と答えるわけにはいかないので毅も黙る。
人間の食べ物もいくつか食べたことはあるし、味も美味いと感じるが血に比べれば砂を噛むようなものである。
それでもここで答えるべきはそういった人間の食べ物だ。
む〜と悩んで料理ではないが人が食べるもので毅たちも時々食べるものを思い出す。
「果物が好きかな。桃とか樹に生るやつ。」
樹に生る果物は次生へのエネルギーを溜め込んでいるから食べると少しだけ血の代わりになる。
「なんか意外…」
「そうか?」
「もっとこう、…思いつきませんけどなんか意外です。」
「なんだよそれ」
あはははっと可笑しくて毅が笑うと拓海も笑った。
「次の質問いいか?」
「どうぞ。」
どこに住んでるとか休みは何してるとかバイトは大変かとか色々毅は拓海に聞いた。
拓海の答えはどこかぼんやりしているけど楽しくて時間は早く過ぎていく。
ふと時計を確認した拓海はいい加減家に帰って支度をしなければ学校に遅刻する時間であることに気付いた。
「毅さん、オレ学校に行かないと。」
「もうそんな時間か?」
楽しかったなと言って手を離した毅に拓海は知らず溜息がこぼれる。
「学校頑張れ!」
「はあ。」
学校に行きたくなくて溜息を吐いていると思った毅は拓海を励ました。
拓海は溜息混じりの返事をする。
車に乗り込んで毅を見れば手を振っていた。
それに手を振り返せば毅の笑顔が深くなる。
そういえばこの顔を見たいと思っていたんだったと拓海は思い出した。
明日もまた話せると良いな。
車を走らせながら拓海は繋いだ手の温かさを思い出してへらりとしてはっとした。
今日、毅のところで止まったのはあの慎吾との関係を聞くためだった。
その為に車から降りたのに何故か記憶は手を掴まれていたところに飛んでしまう。
何かがあったはずなのに何も出てこなくて、ただ甘い思いだけが浮き上がる。
この気持ちはなんだろうかと拓海は首を捻りながら明日こそ忘れずに質問しなければと強く思った。


 /





←topへ