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チームのメンバーに、プロジェクトDの茨城戦観戦に誘われた。
中里毅は走り屋として、Dの活動には当然関心があった。
賞賛と共に伝わってくる彼らの活躍を耳にする度、自分の血が熱くなるのを感じることは度々だった。

だからDを一度は観戦してみたい…と思っていたのは本当だ。
彼らの今の走りをこの目に焼き付けたい。同じ群馬の走り屋の誇りとして、彼らにエールを送ってやりたい。
そう思っていた。

「それで、けっこう行きたいメンバーが多いんすけど、今回の峠は駐車スペースが少ないみたいなんで、ウチのワゴン出してそれで皆で行く方が面倒が無くて良いと思うんすけど」
まるで観戦ツアーだなと、メンバー達が笑う。
峠に行くのだから、当然走り屋なら愛車で自走していくものなのだが、Dの観戦ということで、多少の遠慮の気持ちが働いている。最近では事前の情報を手に入れることが困難になっているのだが、それでもDのバトルの観戦者は増えているらしい。それぞれがバラバラに行くよりも、一台でまとまって行った方が、迷惑をかける心配も少なくて済む。何せ地元の英雄を応援しに行くのだ。何か迷惑をかけるようなことがあっては、本末転倒である。

ワゴンでまとまって観戦に行く…という話を聞いて
毅は自分の気持ちが、少し軽くなったのを感じた。
そして、そう感じた気持ちに気が付いて、まるでそれでは自分が怖気づいているようではないか、と、内心自分に腹を立てた。
Dを観戦したい気持ちと、乗り気でない気持ちが自分の中には確かにあるようだ。
違和感のある感覚を抑えながら、その出所を、毅は自分に問うてみる。
怖気づいているのではない。
確かに彼らに敗北したあの頃は、走りが技術的にまだまだ究めきれていなかったが、今は走りこみを重ね、成長を自身で感じ取っている。

“オレとお前の技術の差だ”

あの雨の中、高橋啓介に告げられた言葉。

啓介の走りを初めて見たのは、彼がハチロクと対戦した時だった。

兄の涼介やハチロクと比べて、まだまだだと感じた。実力はあるが格下の相手だと、そう思っていた。

だが、ハチロク戦の後、高橋啓介は恐ろしいほどの勢いで成長を遂げていた。

振り切ろうとしても離れないFDのライト。
命の危険を感じるほどのレイトブレーキでも引き離すことは適わず、全身から嫌な汗が滲む。
深い谷と降り始めた雨の狭間の闇を疾走しながら、そのバトルに、自分は命を賭けたのだ。

だが。

あのギリギリと思われたバトルで、啓介は余裕を持った、タイヤに神経を注いだ走りをしていたのだと知った。
命など微塵も賭けてはいなかったらしい。
熱くなっていたのは、自分だけ。


決定的な敗北だった。


直ぐに立ち直ったつもりでいたのだが、ショックは思いの他大きかったらしいと気づいたのは、栃木から遠征して来た走り屋チーム、エンペラーとのバトルの後だった。
群馬の峠で連勝する彼らを止められるのは自分しかない、と、多少の自負はあった。
だが、結果は愛車を壁にヒットさせ、敗北するという情けないもの。
自分の走りを見失っていることに気づいた。

技術の差…

その言葉が高橋啓介の強く通る声で頭に響く。

…だが、それでふと気づいた。技術の差だと言ったのだ。才能の差…ではない。
自分に足りないのは、技術なのだ。何が足りていないかも、啓介は具体的に指摘してくれていたと気づいた。
タイヤを上手く使い切る技術。それを磨くことを自分に課して、走りこみをすることにした。
チームの庄司慎吾とのタイムの競い合いも手伝って、地道な走りこみは結果を出す。
GT−Rに乗り換える切欠の敗北を与えられた、島村栄吉とのバトルも、彼の地元で同じR32で勝利することが出来た。Dの活動が始まった今年からは、他の峠からの遠征がブームのように増え、妙義山でのバトルも増えたのだが、今のところ連戦連勝、チームのリーダーとしての面目も躍如している。
群馬の走り屋の一人として、陰ながら、Dの地元の群馬の峠を防衛しているという誇りも、心の何所かにありはした。

「あのバトルから…もう一年以上経っちまってるんだな…」

春に活動を始めたDの連戦連勝の話題に夢中になっている間に、季節は既に夏の盛りを迎え、
標高のある山頂で夜の木々に囲まれていても、夜風すら肌を汗ばませた。

雨に打たれたあの夜から、もう一年以上が経っている。

高橋啓介は、天才と謳われる兄涼介の指導の下、想像以上の成長を遂げている。
あの敗北のリベンジを諦めた訳ではないのだが
いつもそれを思うと、腹の底に沈むものがあることに気づかされる。

もはや同じ舞台にはいない。

実力を見極める力のある自分だからこそ、それが分かってしまう。
啓介の言葉を切欠にして、走りこみを続け、未だにリベンジに向けて奮闘している自分。一方高橋啓介は、新たな活動の舞台で関東のエースたる主役として、あまたの走り屋の憧れとして君臨している。
あのバトルの一勝は、Dでの激戦の勝利の心象に埋もれて、思い起こされることは…無いのだろうと思う。
高橋啓介にとって、振り返られることのない闘いなのだろうと……そう思う。

それでもやはり啓介へのリベンジを諦めることは無かったのだが、今のタイミングで、Rと共に啓介の前に現れるというのは違う気がした。
Rと共にある自分が、今の段階で啓介にリベンジを宣言できない事を、酷くもどかしく感じて仕方ないからだ。
一人の走り屋として、Dのエース達の活躍を応援することは吝かではない。
だが、かつて高橋啓介に敗北を喫した走り屋としては、複雑な心境を抱えざるを得なかった。
Dの連勝に賞賛の声を送るチームのメンバー達が、同じ話題として、自分と彼らのかつてのバトルを話題にし、自分にも賞賛の言葉をかける。それは矜持をくすぐりもしたが、現実を見つめれば言いようの無い掴みどころの無い気分に支配された。

…あいつは、オレのことなんざ、思い出しもしねぇんだろうな…

ふと、そんな思いが過ぎって、はっとさせられる。
悔しさも多少はあるだろうが、その思いには諦めも卑屈さも含んではいないはずだ。
それなのにチクリと胸を痛ませるこの何か。
その正体を掴むための物思いは、しかしメンバーからの問いかけに紛れた。

結局翌日の集合場所を確認して、後は走りこみに没頭した。
Rと共に気持ちを白に戻して、夏の夜空に響くエキゾーストに身を委ねたのだった。


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