◆2

観戦当日。

夕方も近くなってからメンバーのワゴンに同乗させてもらい、プロDのバトルがあるという峠へと向かった。
結局観戦希望のメンバーが多かったので、ワゴン2台にむさ苦しい野郎共がぎゅうぎゅ
う詰めである。
ガソリン代と高速代は割り勘だ。
最近何かと一緒に行動することが多くなっていた庄司慎吾は、今週はバイトが遅番ばか
りだということで来ていない。同乗していたらきっといつも通りに口の悪さを披露し続けただろうから、来られなくて静かで良いとも言えるのだが、何となく物足りなさも感じるのだった。

それでもワゴンの中ではくだらない話題が尽きることはなく、同じ関東の茨城県まではさほど時間はかからなかった。

「バトル開始まではまだ時間ありますけど、先にコース見て、観戦ポイント決めてから、どっかで晩飯にしませんか?」
「そうだな」

地図を見比べて、ようやく目的の峠の入り口近くまで辿りついた時は日もすっかり暮れてしまっていたが、バトルが始まるまでにはまだ時間があった。
麓には食事ができるような店も見当たらなかったから、大分前に通ったコンビニまで戻
って食料を調達することになりそうだ。

そしてバトルのコースとなる峠の入り口に入った時、ワゴンの中にオオというどよめきが満ちた。

「おお!いますよプロジェクトD!! FDとハチロクっすね!」
「あのミニバン、プロジェクトDのロゴ入ってるっスよ!」

峠の入り口の駐車場には、プロDの戦闘マシンが2台、メカニックたちによって調整されていた。
Project.Dとロゴの入った白いミニバンには照明が取り付けられて、明るくF
Dとハチロクを照らし出している。
ドライバー達の姿は見えなかったが、日が暮れても暑いこの時期、まだバトルまでは時
間はあるのでどこかで休んでいるのかも知れない。

薄いスモークの貼られた窓からそんな光景を眺めていると、ワゴンは今日のコースとなる峠へと入っていく。

峠は、Rの大きめなカーブが連続する、かなりの高速コースだった。特徴が少ない分、コーナーの連続を一つのリズムでクリアできなければ、大きくタイムを落としかねない難しいコースとも言えた。

丁度要となりそうな地点に、いくつかのコーナーを見渡せる開けた場所があり、低いコンクリート壁の上には既にかなりの観戦者が集まっていた。

「うわー、もう良いポイントには人がいっぱいっすね」
「まだ増えるだろうし、もう降りて場所取りしてバトル開始までここで待ってた方が良
いかも知れねえなあ」
「やっぱプロDの人気は凄いっすね!」

興奮するメンバー達と相談して、ドライバー以外の同乗者は、この一番観戦するには良さそうなポイントで降ろしてもらい、バトルまでの時間を待つことにした。

「俺たちばかり済まないな」
「いえ、麓の駐車場に停めたら、ここまでは来られないですけど、少し上まで上ってみ
ようと思いますんで、毅さん達はここで時間までゆっくりしてください。一応さっきコンビニで買った食糧とか少しですけど置いてきますんで」

運転手役の二人は駐車場へと戻り、俺たちはコンクリート壁を登って、既に大勢いる他の観戦者たちを避けて空きスペースを探し、草むらを均して観戦場所を確保した。
人数も多いし木の枝は視界に大分かかるが、観戦には十分だ。

プロDは前日の夜から走りこみをして、当日に微調整してからバトルするのが通例らしい。

だらだらとメンバーと喋って時間をつぶすうち…

ウォン…と麓からロータリーサウンドがこだました。


心臓がドクリと鼓動した。

鮮やかな黄色い車体が滑らかなラインを描いて駆け上ってくる。


最終調整中なのだろう、踏み込んでいないのが分かるが、それでも立ち上るオーラには
圧倒的な迫力があった。
単走ならベストと言えるライン取りで、最小限の減速からコーナーを立ち上がってゆく
走りは力強く美しさもあり、思わずゾクリとさせられた。


確実に速くなっている。
そして強く成長している。

今の走りを見ただけで、高橋啓介の成長を実感する。

その走りに見惚れると同時に、心に熱く湧き上がってくる何かを感じた。


「やっぱ車って…良いもんだな…」

思わずそんな言葉がこぼれていた。


「そうっすねー 何か今の見ただけで、オレも走りたくなってきちまいましたよ。今夜
帰ったら、すぐ皆で妙義に集まることになりそうっすね」
「…そうだな」

隣にいたメンバーの返答が、自分が考えていたことと全く同じで、思わず笑いがこみあげてきた。


車は良い。
あの美しい走りを目にすることができて、自分も峠の走り屋であることに、熱い誇りの
ようなものを感じることができた。
走りたい。
高みへと上ることを止めない高橋啓介のように、自分も走ることで高みを目指してみた
い。

今は実力的にも水を開けられ、あの雨の妙義でのバトルも遠い過去とされてしまっていても、自分が高みを目指すことで、思い出させてやる機会もあるかも知れない。

いや、新しく記憶を刻みつけてやれば良いのだ。

新しく目指すべき頂を見つけ、新たな高揚感に包まれている自分がいた。

FDは下りでも素晴らしい走りを見せつけ、ついでハチロクが調整に入る。
相変わらず感心させられる走りで、やはり気分が高揚した。

相手チームも慣らしを始めているが、こちらはさほど強いオーラを感じることはできなかった。おそらくバトルはすぐに決着を見ることになるだろう。

近くにいた他のギャラリーが他の地点にいる仲間と無線で連絡をとっているのを横から聞いていると、間も無くスタートらしい。

下り担当のハチロクは、後追いスタートからあっさりと相手を抜き去り、それでも手を抜くことなく全開の走りでギャラリーを沸かせた。

次いで高橋啓介の上り。
こちらは先行スタートだったが、相手を置き去るパフォーマンスで、やはりあっさりと
決着はついたが、その全力の走りは見事としか言い様がなかった。
荒削りだった初期の走りから、こうも洗練されてくるものなのか。
指導に当っている高橋涼介の才能にも感心させられるばかりだ。

「やっぱスゲーなプロジェクトD!」
「良いバトルばっか見られて、プロDの追っかけしててホントよかったぜ」
「FDもハチロクもほんとにスゲードライバーだぜ!」

あっさりと終わってしまった感のあるバトルだったが、ギャラリー達からはそんな言葉が尽きない。

バトルの後は、ハチロクとFDのタイムアタックになる。
こちらも藤原拓海も高橋啓介も流石の走りで一本目でコースレコードをたたき出し、記
録更新の無線が伝わると、ギャラリーから賞賛の声が上がり続けた。
地元の応援に来ていた連中はがっかりもしているようだったが、それでもレベルの高い
走りを目の当たりにして、同じ走り屋として気分が高揚せざるを得ないようだ。
この後走りに行こうと、ギャラリーのあちこちから話が聞こえてくる。

全員で同じ熱い気持ちを感じていることを少しくすぐったく感じながら
「見に来られて良かったぜ 誘ってくれたヤツに感謝しねえとな」
後は仲間のワゴンが自分達を迎えに来てくれるのを待つだけとなる。

タイムアタックを終え、ロータリーサウンドを響かせながらFDが下ってくる姿が見えてきた。
「おっFDが戻ってきた!」
「すごかったぜ高橋啓介!」
ギャラリーたちがその勇姿に声援を送る。
自分もコンクリート壁の上からその曲線に飾られた車体をぼんやりと眺めていた。

その時

「あ?」

ギャギャッというタイヤの音。
少し先でFDが急にブレーキ音を響かせて減速し、ノーズをこちら側に反転させたのだ

「え?今何かあったんか?」
「???イタチでも出たんすかね」

目の前のFDの謎な動きに大勢いるギャラリーが注目を高める中、FDは上りへと加速することなく、ゆるゆると目の前で車体を停めた。

「???」

ギャラリー達にとっては全く謎なFDの行動だ。

更にそのFDのウィンドウが開き、ドライバーの高橋啓介が肩から先の姿を覗かせた。
その行動にも「おお」とどよめきが上がる。

「あれがFDのドライバーの高橋啓介か」
「うわっ めちゃくちゃイケメンじゃねーか」
「走りもスゲーし顔も良いとか何なんだよ」
「プロDは有名だけど、直接ドライバーの顔見たこと無いヤツもけっこういるんだなー

ざわざわと場がざわつく中で、高橋啓介の視線が定まって、驚愕が嫌な予感へと変った時、

「中里!」

FDのエンジン音にも紛れない、高橋啓介のよく通る声が響いた。

高橋啓介の視線の先にいる自分に、この観戦ポイントにいたギャラリー達の視線が一気に自分に集中するのを感じる。
木の陰になる場所に立っていたのに、何故気づいたんだ…と謎に突き当たっていると

「おい、中里だろ?」
高橋啓介の声に怪訝そうな色が加わる。

「……毅さん、高橋啓介に呼ばれてますよ……?」
反応しない自分にメンバーが声をかけてきた。
「あ、ああ っつーか何なんだ一体」
困惑しながらも、壁の先の方に歩を進めて姿を現してやる。

「やっぱ中里だったんだな。チラっと見えたから。観戦に来てたのかよ」

チラっと見えたから停まったのか!?

どんな動体視力してるんだと周囲のギャラリー達もどよめきながら、こちらのやり取りを興味深々で伺ってくる。
地元のギャラリー以外は群馬から観戦に来ているギャラリーも多く、『中里毅』の名は
走り屋としてはそれなりに有名で、
「中里って、ナイトキッズの中里か?」
「レッドサンズ時代の高橋啓介とのバトル、オレ見たぜ」
と、コソコソとした会話が漏れ聞こえてくる。

走り屋のチームリーダーとして自分も多くのギャラリーからバトルを観戦される立場であるから、大勢に注目されるのは慣れている方だが、今は一人の観戦者という立場である。
こういう注目のされ方は正直苦手ではあった。
だが、動揺する気持ちを表に出したくないとの意地で、背筋に力を入れると、高橋啓介

に返事を返すことにした。

「まあな、チームのメンバーに誘われたんでな」
「お前、車どこに停めてんだ? 黒のRは近くじゃ見てねえけど」

腕を窓にかけて顔を半分乗り出しながら、壁の上にいる自分に大きな声で問いかけてくるので会話が周囲に丸聞こえである。だが啓介はそれには頓着がないというか、他を全く視界に入れていない勢いで話しかけてくる。

啓介にはこちらの存在など忘れられているのだろうとすっかり思い込んでいたので、この展開にはどうにもついていけない。

「今日はRじゃねえ、メンバーの車で来たからよ」
「ふーん… まあいい、降りて来いよ」
「は?」
「話がし辛いだろ」

それはその通りである。
飛び降りるには今いる地点は少し高さがあるので、ギャラリー
の視線に晒されながら、壁が途切れる草地の斜面まで移動してアスファルトの道へと降りた。
啓介がバックでFDを寄せて来たかと思うと、
「乗れよ」
「あ?」
助手席側を指指された。

「あんまここに停めとく訳にもいかねーだろ、早く乗れよ」
「…ああ」

急き立てられて考える猶予もなく、FDの助手席側のドアを開いた。
一瞬ためらいもあったが、更に急き立てられ、乗り込んでドアを閉めればFDはすぐに
走り出す。スムーズにターンを決め、ポカンとするギャラリー達の前を再び通って峠を下り始めた。

「毅さん…連れてかれちまったけど……」
後に残されたメンバー達が呆然とする姿が、コーナーを抜けるとバックミラーから消え
た。





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