◆5
オレはGT−Rが嫌いだ。
嫌うには色々理由がある。一番大きい理由が、オレが、ロータリーエンジン搭載車であるRX−7FD3sに乗っているからだ。
車の歴史的に言っても、特性的に言っても、セブンとGT−Rは因縁のライバル同士。セブンに乗るからには、決してGT−Rに負けたくないという反発心があった。
高校から二輪をかっ飛ばしていたオレは、アニキの影響で四輪に衝撃的な興味を持つことになり、アニキの影響で、アニキの愛車と同じ車種の新型に乗ることを選んだ。
そしてアニキに教えられるまま、オレはFDを乗りこなすまでに成長し、峠で走り屋として数々のバトルに勝利する日々を重ねて今日に至っている。
成長したオレは、だから今なら少し素直に言える。
GT−Rを嫌っていたのは、けっこうヒガみが入っていたなと。
多分、アニキの影響で車を好きになったのでなかったら、オレ自身が最初から車を選ぶとしたら、もしかしたらGT−Rを選んでいたかも知れないなと、少しは認められる。
性能は最高に良いが欠点も多く、峠には向かない部分も多いと今だから分かるGT−R。
だけどそいつは、どれだけ欠点が多かろうと、この国の車の王様なのだ。
他にどれだけ優れた車が出ていても、GT−Rという冠は、GT−Rだけがかぶることを許されていると思う。
それだけ存在感のある車だ。魅力的だと思う。だから、アニキの孤高のこだわりに感化されなけりゃ、イチバンの好きなオレの性格から言って、一番という冠を持つGT−Rを選んでいたように思うのだ。
けれどオレはセブンに乗っている。ピュアスポーツならではの旋回性能、孤高とアニキが絶賛する世界唯一のロータリーエンジンシステム。こいつを乗りこなすに至るまでに、実は高速なんかで調子にのった素人GT−Rに抜かれたりすると、腹が立ってムキになって追いかけまわしたりしたものなのだ。今はそんなことはしねえんだけど。
あの王様と言える車は、テクの無い野郎が乗ってもそれなりの性能を発揮できるように造られている。車の性能に乗せられているだけのヤツらにいい気になられることが、走り屋として我慢ならなかったのだ。
けど、あいつは違った。
中里毅。R32GT−Rに乗ってる、妙義の走り屋。
あのフロントヘビーなGT−Rでハチロクと下り勝負して、見事に負けていた。
けど、スゲー根性のある走りだと正直感心した。アニキのFCのナビから観戦させてもらったわけだけど、アニキも中里の走りは誉めていたし、追走途中からアニキが話さなくなるほどレベルの高いバトルだった。
中里は、タイヤのタレをコントロールしきれずにRをガードレールにヒットさせて負けていた。
あのときは、突然峠に現れたモンスターと評されてた藤原に負けたモン同士、同じ景色を見た相手っていう仲間意識みたいなもんが、オレの中に少し生まれた。
けど、その後秋名山でたまたまアイツと軽く上りで競いあった後話しかけてみたら、まったく中里はヒドいヤツだった。
こっちは一応普通に話しかけたつもりなのに、いきなりオレ様のFDが下品だとか、アニキにべったりのオレには分からない話だとか、さらにうっとりと藤原の走りだけをベタ誉めしやがった。
オレなんか眼中にないって態度で、ムカついてムカついて仕方なかった。
そのムカつきをバネに、オレはアニキから課せられたメニューを短期間でこなしまくって、中里とのバトルまでに自分でも驚くほどに成長することができたりした。アニキとしては、中里とのバトルに勝利することが、オレの走り屋としての群馬での卒業試験みたいな位置だったらしい。
群馬の走り屋の中でも特に目立っていたGT−R乗りの中里は、妙義山をホームコースとして、ナイトキッズの頭を張っていた。ナイトキッズってチームは走り屋集団の中でも特にガラが悪いと評判で、その頭を張る中里は、オールバックにした髪にくっきりした眉と強い目が印象的なヤツだった。
最初の会話の印象が最悪だったから、こっちも半分ケンカ越しでの挨拶。
けど、バトルが始まってみて、GT−Rを追いながら
中里がどんなヤツか、コーナーを抜ける度にオレの中に沁みこんできた。
特性の違う車同士でのバトルで、先行のプレッシャーに耐えながら、中里はギリギリの走りをしていた。走りに真っ直ぐな走りバカだ。真っ正直さが沁みた。
ちょっと前の自分に似ていると思った。
あいつはあいつでもがいている。オレの前で足掻いている。
妙義を守ろうと、オレに打ち勝とうと、自分をギリギリまで追い込んでいる。
オレはそんなGT−Rを追っている。
赤く闇に浮かぶRのテールランプがヤケにエロかったのを覚えている。
獲物を追うハンターの気分だった。あいつは全力で逃げ、オレが全力で追い、捉え、食らう。
GT−R。
そしてそいつに相応しいと初めて認めることができる存在、中里毅。
勝ち負けとかじゃない。
認めるか、認めないか、だ。
オレが勝利したバトルの後も、中里はなかなかオレを認めようとしない態度だった。
オレには全部見えちまったってのに、お前には見えてないんだな。
中里の頑固なトコも、何故かその時点でオレには見えちまっていた。
「オレとお前の技術の差だ」
アニキの言っていたGT−Rの弱点。中里はこれから、そいつに向き合わなくちゃならなくなった。オレに負けたからだ。
だからオレはタイヤのタレを指摘した後、中里にこの言葉を残してやったのだ。
中里は、この一言で多分分かったんだと思った。
雨の中でオレの言葉に打ちひしがれているアイツの姿は、一瞬だけでも目に記憶に焼きつくには十分なくらいに無防備すぎるモンがあった。
できるだけその姿を、あいつがオレに晒さなくて済むように、オレは足早にアニキのところへと戻った。
それから、隣の県からランエボ軍団がアニキ目当てに群馬の峠を荒らしまわる事件が起きた。
妙義にも連中は遠征して、中里とバトルするらしいと、レッドサンズの情報通から緊急に連絡が入った。
そのことをアニキに連絡しながら、オレはでも中里は、負けちまうだろうな……と思っていた。
勝って欲しいとは思っていた。
けれど、あの雨の中、オレの言葉がアイツの中に残っていたなら、アイツは今、すっげえスランプになってるハズだからだ。
アイツがオレの言ったことを理解していたなら、走りを変えようと、一度スランプになるはずだ。
いつも通りの走りなら、あいつなら負けないと思う。
的確なアドバイスを与えてくれるアニキがいるオレと違って、アイツはずっと一人でもがきながら、GT−Rと付き合ってきてる。そんな走りをしていた。
だからこれからもそんな風にもがいたりしてるのが、アイツらしい。
そういうアイツが群馬にいるってのが、オレは気に入っていたんだと思う。
中里はランエボとのバトルに負けた。観戦してたヤツの報告じゃ、全然中里らしくない走りだったらしい。
オレのせいか。
オレのせいだよな。
けど何か不思議と気持ちイイ。何でだ。
レッドサンズとエンペラーのバトルの日が決まって、藤原のバイト先にはアニキが仇をとってやるからな、とか、暗にこっちの勝利宣言を吐きに行かれたんだが、中里のところには行くことはできなかった。
オレが何を言っても、アイツの痛みになるだけな気がした。
そのうちにウワサが流れてきた。箱根のチームで因縁のあるGT−Rに中里が勝って、同時に女にフラれたっていう、訳わかんねえモンだった。
多分また強気な顔で、妙義で好い気になってやがるんだろうな…と思った。
オレはオレで、アニキのプロジェクトのエースとして、鬼みたいな課題とかを毎日こなす日々に突入していた。車に乗れない日は、机に座らされて、走りのリロンなんかを叩き込まれていた。これがイチバン辛かった。
他県の遠征から帰ってくると、大体が深夜の時間帯になるんだけれど、途中で仮眠をとると丁度明け方くらいに群馬に着く。高速から一番最初に見えるのが秋名の特徴のある山の姿だ。赤城も堂々と聳えていて、帰って来たって気分に浸れる。
そして空気の澄んでる日には、少し遠くに妙義の一番特徴的な影が見える。
アイツのことを思い出す。
一番最後に見たのが、あの雨の中の姿だったから、一度くらいは調子取り戻した後のアイツを見たいと思っていた。またケンカ越しで話すことになるのか、それとも強気の態度で来るのか。
もしかしたら、昔、藤原の話をした時みたいに、うっとりした顔でオレの今の活躍を誉めてくれたりすんのかな。うわ、ありなのかソレ。想像できねえ。
ところで、実はアイツのことを考える度、オレは非常に複雑な気分にさせられる事態に陥いり続けていた。
深刻な問題だった。
元々の発端は、アニキの影響で車に乗ることに決めてからのことだ。
それまでヤンチャし過ぎて家族に迷惑かけまくっていたオレは、アニキの衝撃的な走りで目が覚めて、自分も走りに集中したいと考えた。
それで、それまで適当につまみ食いしていた女関係を、全部キレイさっぱり清算した。ピュアスポーツにスパルタンな精神で臨みたかったわけだ。オレなりのケジメだった。
プロジェクトをこなしている今も、平日の昼は大学に通って、講義が空いたり、夕方まで時間があったり、時間自体はあるし、女からの誘いはけっこうあるんだが、一度つけたケジメにこだわって女とヤることはなかった。
ただ、身体の欲求は当然あって、それで当然自分で抜いて済ましていたんだけれど、………問題が起きた。
アイツのことを考えることが多かったから、その事故が起きたのか。
最初はけっこう落ち込んだモンだった。何で肝心なトコで、アイツの顔が浮かんできちまったのか。
いくらなんでも無い。事故だ事故。
そうGT−Rってヤツはエロいとこあるし、ロータリーのことを考えると、GT−Rもくっついて思考に上がることは仕方なかったし、だからアイツが連想されちまったんだと。
けど、だんだんにアイツの部分が増えていって、オレはそれに慣れはじめていた。
あいつの顔が思い浮かぶ。
オレの下で悔しそうにしてる。足掻いているのに、結局オレに食い尽くされる。
悔しそうに向けていた視線が、あの雨の中のアイツみたいに逸らされて、ただ濡れるにまかされる。
猛烈にエロかった。
オレはホモになっちまったのか…とけっこう悩んで、ちょっと他の野郎を妄想に加えてみたが、そっちはゾっとしただけで終わった。
GT−R乗りのオッサンとのアホみたいな凄いバトルの後も、オッサンをオカズにしたいとは思わなかったんですごく安心した。
けどそのインパクトのあるオッサンに、若いウチは遊べ、と指導されちまった。
だから、それなりの成果が出てる上に、もう一人のエースの藤原が女に浮かれてる今、オレも禁欲は解禁するべき時期なんじゃないかと思いはじめた。
けど、いざ解禁と決めて、昔の女にでも連絡をとるべきか考えて、嫌な気分にしかならない自分に気がついた。
ここまで走りを究めようと精神も研ぎ澄ましてきている。
適当な相手は御免だと感じた。
欲しいヤツが欲しい。食いたいモンが食いたい。惚れた相手を抱きたい。熱くなれる相手が良い。
けど、いるのか、オレに今、そういうヤツが。
茨城での二戦目は、申し訳ないが相手としては不足だったが、気を抜かずにきっちりとバトルをこなした。コースレコードも更新した。
後は帰るだけ……というタイミングで
オレは見つけた。
多分アイツの取り巻きの放つ空気なんかも目立っていたからなんだろうが、夜に木の陰に立っていたアイツを、僅かな明かりだけでオレは見つけてしまった。
中里を連れ去るのは、オレの運命だった。
中里の取り巻き連中から中里を連れ去った。
狭い車内で二人きり。
考えてみれば、話したと言ったら2、3回だ。
しかもケンカ越しだったり、一方的だったり、短い時間だった。
もうあれから一年近く経つというのが現実だったのに。
気づくと中里のことを考えていた。
雨の中の中里が、あんまりに無防備だったからかも知れない。
少し小さく華奢にまで見えて、不安な気分もあった。
だから、もう一度会って、ちゃんと中里が元気にしているのを確認できたなら、今まで自分の中でこだわり過ぎていたものが解放されるかも知れないとも考えていた。
それはそれで、妙な不安が付きまとうような気がした。
不安定だ。はっきりしない。それが不満でもあり、それを解消するのもまた不安定な気分を生む。
車内はエンジン音だけが響いて、けれど確実にナビには中里が座っていて、オレは本当にヘンな気分だった。浮いているような焦るような、それでいて落ち着くような。
一緒にメシを食ってみた。ちょっとずつ話をしてみたら、考えていたよりずっとスムーズに話ができた。中里は少し警戒していたけれど、こっちがちゃんとした話をしようとすると、ピシっと視線を合わせて真剣に聞いてきた。
そして、こっちがドギマギしちまうような、真っ直ぐで、妙に温かい表情で温かくて深い返答をしてくれた。
全然だ。何だコレ、何なんだよ。
オレが中里の走りの方向を支配しちまったとか考えて、オレがあいつを走りで食っちまったこととか。
けど、全然だ。全然、中里の方が大人じゃねえか。
オレが慌てて話を変えると、中里は呆れたみたいな表情とか、困った顔とか、考えてる顔とか、いろんな表情を見せた。
記憶の中の中里みたいに強気な顔もあったけど、今はもっと近い感じだ。メシ食ってるとことか、手の動きとか、口の動きとか、話し方とか、箸の上げ下ろしまで、オレは中里の発する全てに内心反応しまくっていた。
一緒に並んで歩くとオレより頭イッコ分低いトコに顔があって、だから見下ろすと、中里が気づいてオレを見上げてくる。そんなことで、最高にドキマギしてるって、どうなっているんだ。オカズにしたのが原因なのか、こいつの何かがオレに反応させているのか。はっきりさせたかった。はっきりしなくてもいいから、一緒にいてみたかった。
中里の部屋に無理矢理おしかけて、勝手にまったりしながら、相手が中里だと分からないようにして、オレの悩みを打ち明けてみた。
中里は大体呆れた反応を思いっきりしてくれたんだが
「だったらもう、今、お前自身が欲しいって思ってる相手ってのが、そのどうしようもなく欲しい相手だってことなんじゃねえのか? お前はもう分かってんだよ。欲しいって感じてる時点でさ。そうじゃなきゃ、お前が欲しいと思う訳ねえだろ。違うか?」
「……………オレは…もう分かってる…か……」
完敗だと思った。強い視線に負けた。真っ直ぐな声音に負けた。
中里は無駄に目力があるから、目線が合うと中里の色々なモンが、オレの中に勝手に流れ込んでくる。
オレの方も、中里の中に流れこんだりしてんのかな。
それは何だか非常にエロいな。
じっと見てると、困った顔をする中里が、ひたすらエロく見えて仕方ない。声もエロい、仕草もエロい。
ヤバい、エロにしか反応してねえな、ホント。禁欲のし過ぎか、反動ってヤツか。
早く禁欲を止めていれば、こんな危険なことになっていなかったはずだ。もう手遅れなのかも知れないけど。
でも、適当な女と中里とじゃ比べらんねえよな。男でも女でもいないタイプ。こんなヤツがゴロゴロいたら怖えーよ。何でオレは、こいつがこんなに欲しいって思ってるんだ。欲しい? そうだ、オレはもう、分かってる………らしい。頭がついていっていないだけで、身体の方が分かっちまってるってことか。
けど、根本的な問題がもう一つ。
欲しいっつって、欲しがって、欲しいモンをもらえるのか? この場合。
つまりオレは中里の、とりあえず身体が欲しいってことなんだろうか。まあそういう話をしている訳なんだけど。
じっと見てるオレの視線に、自分の部屋だってのに居心地悪そうにしてる中里が、またどうにもエロく見える。
男の中でも男らしい部類だろうに、けど良く見ると男らしく作ってるだけで、むしろ地は可愛い部類なんじゃねえのかと思えてくる。あと眉が主張が強いからなのか。
けど、長いまつ毛の目がしぱしぱ瞬きして、オレは困ってるゾ、と主張してくる度にも、オレはゾクゾクと捕食本能を掻き立てられ続けている。
どうする、もう襲っちまうか。ヤンチャしてた頃、女の後ろでヤった経験あるし、そっちは男も女も同じだろ。
中里は体躯的にはオレより一回り小さいから、抵抗抑えられれば何とか。けど本気で反抗されたらどうかな。
っつーか、本気で嫌われたら、オレはけっこうヘコむかも知れない。
オレはこう見えて意外と繊細だからな。それはマズいな。走りに影響する。けど
「禁欲はもう無理だぜ」
「そんなら本気で相手に立ち向かうしかねえだろ」
「立ち向かうってどうやって」
「………そりゃ、まずは…告白から………か?」
「大体いきなり告白とかして、フラれたらどうすんだよ」
「フラれたら…… 諦めるか、諦めずに食い下がるかじゃねえのか?」
「諦めるのはねえし、食い下がるのはストーカーっぽいじゃねえか。普通は告白する前に、色々ご機嫌とったりするんじゃねえのか? そんでお互い気分が盛り上がってきたタイミングでっていう」
自分で言ってみて、いきなり襲うってのは、まあちょっとヤりすぎか、と反省してみた。
「何だよ、オレより分かってんじゃねえか。だったらそうすりゃいいだろ」
そうだな、そうさせていただきます。
こんなにもオレが、中里のことばっか考えて振り回されているんだ(勝手に)
こんなに中里のことばかり考えているんだから
中里がオレに何かしてくれてもイイはず。
よし、方針は決まった。オレの本気をじっくり見せ付けてやる。
ヤりたい本気ってのが微妙なんだが。まあいい。
オレはとりあえず方針が決まったので急に眠気が襲ってきて、シャワーをざっと借りると睡魔に負けていった。
呆れる中里の声が遠くに聞こえる気がする。
その声すら、何だか甘く感じていた。
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