*な・ま・い・きピグマリオン〜プレ・ステージ2*
「ああ〜疲れたぁ〜。」
掠れた声を絞り出し、カヲルはふらふらと地べたに崩折れる。
「立て。あと5キロは走らないと今日のノルマは達成できんぞ。」
「・・・・・・・・・・自分は優雅に自転車に乗ってるくせして何言ってるのさ。僕、もうへとへとだよぉ〜(><)。」
白いママチャリに跨るゲンドウを恨めしげに見上げながら、なおも弱音を吐くカヲル。確かに初夏には似つかわしくない熱放射のような日差しに加えて、湿気も多く、ランニングには辛い気候だ。せめて風でも吹いていればまだ救われたのだが、朝からずうっと無風状態が続いていた。
「いつも言ってるように我々には時間がないのだ。6月が終わる頃までに、最低あと20キロは体重を落とさんと話にならんぞ。」
「ええ〜っ!?50日で20キロも〜?ムチャクチャだよう。」
「そんなことは分かってる。でも、今はそのムチャクチャなことをやらなければどうしようもない事態なのだ。」
カヲルがダイエットを開始してから早10日余りの日数が経過したが、今のところは順調に予定を消化していた。顔のニキビも速やかな治療が功を奏し、徐々に回復の兆しを見せている。けれども、あまりにハードなスケジュールにカヲルの不満は爆発寸前だった。
「あ〜あ。なんか僕に最初話してたことと全然違うじゃないかあ。オジさんについて行けば、労せずしてキレイに変身を遂げて、あっという間に人気アイドルになれるようなことを言ってたのに〜。」
「・・・・・・・・・・サギでもなければ、そんな上手い話があるわけなかろう(ーー;;)。」
「んじゃ、僕にあれこれ語った内容は全部ウソっぱちだったんだね。ヒドイやあ〜、純真な中学生を騙すなんてぇ〜(><)。」
ぶーたれ顔になると、ただでも張り出したほっぺたがますます膨張してきて、まさに子豚状態。
(20キロじゃまだ甘いかもしれん・・・・・・・・・・。)
さらなるダイエットの必要性を痛感せずにはいられないゲンドウだったが、こればっかりは本人がやる気になってくれない限り、どうしようもない。カヲルに首を縦に振らせるため、様々な甘言を囁いたことは紛れもない事実だったが、結局、現状を選択したのは他でもないカヲル自身ではないか。
「お前をスカウトするために私はちょっと・・・・・いやかなり誇張して説明したかもしれんが、最後に決断したのはお前の方だぞ。それを騙したなどと・・・・・・・・。」
「大人のくせに人のせいにするんだ。世の中を知らない子供なんて欺くのは何でもないことだもんね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(メ-_-)。」
竹下通りで口説いたときや、事務所で冬月に紹介したときの印象では、カヲルのことを何事にも自信なさげで、他人とまともに話もできないような少年だと思い込んでいたのだが、どうやらそうでもないらしい。生意気盛りらしく、結構口が達者ではないか。むしろゲンドウは少し安心した。これからのことを考えれば、そういったしたたかな部分も大いに必要だ。デビュー後には大人しくて素直なだけでは到底乗り切れないような出来事も、次々と襲いかかってくるに違いないのだから。
「仕方がないヤツだ。10分だけだぞ。」
駄々をこねるカヲルに根負けして、ゲンドウは渋々休憩の許可を出した。先にカヲルを最寄りの公園の古びた木のベンチに座らせ、自分は自転車を公園の脇に止めてから、彼の隣に腰掛ける。いつもなら元気に飛びまわる子供の群れや、若い母親たちの談笑する姿も見受けられるのだが、この暑さのせいかせっかくの日曜にもかかわらず、公園には誰もいなかった。
「のど渇いちゃったよ。ジュース飲みたいなあ。」
「ダメだ。こんなところで余計な水分を取ってたら、せっかくの運動がなんにもならんではないか。」
「もう、ずうっと腹ペコ状態でウンザリだよ。僕、家に帰ろうかな。」
カヲルはデビューに備えて、というか、綿密に組み立てられたダイエット&エステメニューをきっちり消化するために、現在ゲンドウのマンションに居候している。このプランを申し出た時に、もっと家族に反対されるとばかり思っていたのだが、拍子抜けするくらいあっさりと両親はカヲルを差し出した。どうやら両親にも疎まれているらしい。ほんの一時ではあったが、彼らとの些細なやり取りで、ゲンドウは敏感にこのことを察した。
「やる気がないのなら帰れ。」
ゲンドウはわざと突き放すように言い放つ。多少冷淡な物言いをしても、カヲルは今更あの家には戻らないという確信があった。
「・・・・・・・・・・・・・・・僕、別にアイドルなんかになりたいわけじゃないもん。テレビだってあんまり見ないから、芸能人の顔もよく知らないし。」
なんと、実のところカヲルは全く芸能界に興味がないみたいではないか。これまでは人並みの関心は抱いているかのように語っていたのに。騙されたのはこっちのほうだとゲンドウは軽く舌打ちした。
「だったら、どうしてついてきたんだ?」
「・・・・・・・・・・今の自分が変えられそうな気がしたんだ。」
カヲルも決して現状に満足はしていないのだろう。無理からぬことだ。
「変えたいのか。」
「うん。だって、僕、見かけもこんなだし、勉強も運動も全然出来ないから学校でもいつもバカにされてたんだ。0点のテストの答案をムリヤリ奪われて掲示板に貼られるし、体育の時間はいつだって笑い者だし、クラスメートにも道端の石ころ以下だって言われるし、僕が通学バスに乗っただけで、いっしょはイヤだって降りちゃうヤツさえいたんだよ。」
俗に言ういじめというヤツか、とゲンドウは思う。彼の時代にもそうした行為は皆無だったわけではないが、容姿や成績の良し悪しがいじめに直結するとは限らなかったし、やり口もそんなに陰湿ではなかった。しかも、必ずその場を収めるまとめ役の存在もあった。だが、今はもっとも弱いところ、あるいは異質なものに真っ先に攻撃が集中するようだ。仲間に入らないと自分に鉾先が向くからといって、いじめに加担するものも少なくないらしい。見かけも中身も冴えないカヲルは、皆の恰好の標的にされていたのだろう。
「僕がカッコ良くなってアイドルになれば、きっと誰にもいじめられなくなるもん。そしたら、お風呂の中で明日の心配をすることもないし、安心して登校できるよねえ。友達だってちょっとはできるかもしれないし・・・・・・・・・。」
かなり追い詰められた生活を送ってきたようだ。ここまで事情を飲み込むと、たとえ関心がないことであろうと、自分を一変させてくれるチャンスに賭けてみようとするカヲルの心情も十分理解できるゲンドウだった。
「そんな目にあっているのだったら、家族なり教師なりに訴えたらいいだろう。」
「誰も僕のいうことなんかまともに聞いてくれないよ。それに先生に告げ口したって知れたら、もっとヒドイ目に合わされるに決まってるし。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前の味方をしてくれる者は誰もいなかったのか。」
決してカヲルを懐柔するための演技などではなく、沈痛な面持ちになってゲンドウは呟いた。
「・・・・・・・・・昔、ひとりだけいたよ。でも、小学校を卒業してすぐ転校しちゃったんだ。」
「そうか・・・・・・・・・。」
「とっても気が強くて、言いたいことをいう娘だったけど、曲がったことや弱いものいじめは絶対しなかったよ。いつも僕のことをかばって、励ましてくれた。」
カヲルは思い出すように空の彼方を見やり、少し微笑んだ。出会ってから、初めて見せてくれた笑い顔に、ゲンドウはなぜか気持ちが揺さぶられるのを感じていた。なんて愛らしい表情をして笑うのだろう。顔の造作とは無関係に、カヲルのなにげない仕草には、時おり強烈に胸を打つものがあった。これまで培ってきたスカウトのノウハウを忘れ切って、思わずカヲルに声をかけてしまったのも、彼の内面に秘めた何かが、ゲンドウの心の琴線に触れたからに相違ない。
「住所くらい聞いておけば良かったなあ。」
「その娘のことが好きだったのか。」
ことさらにそっけない口調で尋ねるゲンドウ。
「・・・・・よく、わかんないけど、もう1度会いたいとは思うよ。」
「お前が有名になれば、会えるかもしれんぞ。」
「そうかあ、そうだね。んじゃやっぱり頑張らないと。」
カヲルの瞳に生き生きと光が宿って来た。どうやら、やる気を取り戻したらしい。ゲンドウもほっと胸を撫で下ろす。
「今は苦しいと思うかもしれんが、そのうちきっとこの苦労も笑い話になる。」
「だといいなあ。」
「それにデビュー後のことを考えて、お前を芸能コースのある学校へ転校させるつもりだから、これからの学校生活はお前の行動ひとつでどうにでもなるんだぞ。」
「えっ!ホント?」
「うむ。」
「わーい。転校するんだね。やったあ\(^O^)/。」
よほど、今の学校でひどい目にあっているのだろう。うるさいほどはしゃぎ回るカヲルがむしろ不憫に感じられて、ゲンドウは正視することが出来なかった。
「なんだか希望が出てきたなあ。オジさんについて来てよかった。最初声をかけられた時はあまりにも胡散臭い髭面にどうしようとか悩んだんだけど。」
「をい・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
「でも、オジさんなら僕の気持ち分かってくれそうな気がしたし。」
確かに、自分の遥か昔の学生時代を振り返ってみても、他のことはともかく、容姿のことで快い思いをした記憶は皆無だ。その上、磨けば輝きそうなカヲルと違って、自分は抜本的な解決を図るしか方法はない。こんなゲンドウが現在、あろうことか芸能関係の仕事をしていて、しかも”アイドル”に固執してしまうのは、もしかしたらこの時期のコンプレックスの裏返しなのかもしれない。
「・・・・・・・・・・お前は今のままでも十分可愛いぞ。もっと自信を持て。」
「えっ。」
耳にしたこともない単語を投げかけられ、きょとんと目を見開くカヲル。
「特に笑い顔がいい。」
これは仕事を離れたゲンドウの本音だった。ゆえにちょっと照れ混じりのぶっきらぼうな口調になってしまっている。華やかな業界に身を投じて、長年やり手と言われてきたが、実生活ではむしろ口下手で不器用な男なのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
無言で頬を赤らめてはにかむカヲルの表情が愛おしい。このコは真に愛すべき人柄だとゲンドウは実感した。この年になれば、目に見えるものだけが全てではないと思い知らされているし、むしろ外見からは伝わってこない隠された魅力を見抜くことに密かな楽しみすら覚えていた。
「もう10分たっちゃったね・・・・・。いろいろ話を聞いてくれてありがとう。それに可愛いなんて形容されたの生まれて初めてだよ。嬉しかったな。オジさん、見かけとは正反対の優しいひとなんだね。」
カヲルはゲンドウの指示を待たずにすっくと立ちあがった。その前向きな眼差しを見るだけで、休憩前とは比較にならないくらい、気力が充実しているのが分かる。
「・・・・・”見かけとは正反対”は余計だ。それにオジさんというのはやめんか。これから私はお前のマネージャーとして共に行動することになるのだぞ。」
「えへへ、ゴメンね。ええっと、碇さん・・・・・だっけ。」
「そうだ。」
「じゃあ、改めてよろしくお願いしま〜す、碇さん。」
そう言ってカヲルはぺこんと頭を下げた。しなやかな銀色の髪が目に眩しい。単に自分の会社のためだけでなく、なんとかカヲルを一人前にしてやりたかった。さらに、その思い出の少女と再会するきっかけが出来ればなお良し・・・・・だ。
(どうも私は、少々あれに感情移入しすぎているようだ。まあ、会社の浮沈がかかっているのだから、このくらい気合を入れて臨んだほうが良いのだろうが。)
タレントに真に惚れ込まなければ、マネージャーとしていい仕事は出来ないというのがゲンドウの持論だったが、それが裏目に出て、過去、週刊誌の見出しを賑わすような数々の失敗もしでかしてきた。しかし、これまで公私混同のツケでさんざん痛い目に合い、十分学習してきているし、ましてやカヲルは自分の息子と殆ど変わらない年頃の少年ではないか。いくらなんでも、もう間違いはなかろう。
「うむ、では行くぞ、カヲル。」
「はーい。」
再びランニングを開始するカヲルを見守るように、自転車で併走するゲンドウ。ペダルをこぐだけで、後から後から汗が噴出してくる。前を行くカヲルのTシャツは水でもかぶったようにびっしょりと濡れて、幅広の背中にぴったりと貼り付いていた。
「ほら、目印のポストが見えて来たぞ。もう少しだ。」
「・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・・。」
ランニングのノルマはじき終わる。でも、彼らの長い長い二人三脚の道行きはまだ始まったばかり。
TO BE CONTINUED
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