*な・ま・い・きピグマリオン〜プレ・ステージ3*



ドアの隙間からちょこんと顔をのぞかせた少年の悪戯っぽい緋色の瞳に、冬月は確かに見覚えがあった。しかし、どうしても誰だか思い出せない。見たのはついこないだのような気もするのだが、さりとて、最近、このような魅力的な少年に出会った記憶はなかった。
(・・・・・・・・・・いったい何者なんだ?)
その素朴な疑問にあっさりと答えを出してくれたのは、少年の後ろから大げさに肩を揺すりつつ入ってきたゲンドウの得意満面の表情だった。
「・・・・・碇・・・・・まさか、これがあの新弟子なのか・・・・・?」
めったに感情の起伏を表わさない冬月が、目を見開き、唇を震わせて驚愕している。それほどカヲルの変身は劇的だった。分厚い肉に埋もれていた骨や関節が全て発掘され、露わになったしなやかな肢体。ニキビだらけで小汚かった皮膚も、つるつるすべすべの美肌に一変しており、ビン底メガネなどその存在自体が忘れ去られていた。顔がほっそりして小さくなった分、紅い瞳の占める比重が増え、透き通るほどの白さと相俟って、見た者に一層鮮烈な印象を与える。とにかく、カヲルは別人の如くキレイになった。
「久しぶりだね。」
にっこりと微笑むその表情の艶やかさは、長年この世界にいて、見目麗しい男女をさんざん見てきた冬月でさえ、惹き付けずにはいられなかった。



「どうだ、冬月。私の言った通りだっただろう。見ろ、この震いつきたくなるような愛らしさを。」
小鼻を膨らませながら、誇らしげに言い放つゲンドウ。
「カヲルこそ我が事務所の救世主なのだ。」
どう考えても、ゲンドウの主張を認めざるを得ない状況になっていたが、全面降服するのはやや癪だった冬月は最後の反撃に出た。
「確かに、このコはこの二ヶ月で見違えるように美しくなった。だが、少々口が大き過ぎるとは思わんか?」
そんな冬月の最後のあがきをもゲンドウは一笑に伏す。
「お前、何年この業界にいる?非の打ちどころのない美形は、どうしても面白みに欠け、冷たい印象を与えてしまうことの方が多いだろう。それよりはちょっと欠点のあるファニーフェイス系の方が、見た者にインパクトを与えるし、親しみやすくて人気も上がるというものだ。」
テレビというものが、皆の生活にこれだけ浸透した現在、以前のようにスターの神秘性を売り物にすることは殆ど不可能となっている。ただでも、バラエティ全盛で芸能人にも”素”の部分の面白さが大きく求められているのだ。歌手でも俳優でも本業だけに専念して生き残ることは、難しくなってきたし、逆にバラエティ番組で思わぬユニークな一面を見せた人物が突如として人気沸騰することも決して珍しくなかった。
「ううむ・・・・・・・・・・。」
結局、ゲンドウに言い負かされてしまい、冬月は無念のため息を漏らす。けれども、ネルフプロにとっては、こんなに喜ばしいことはなかった。このコだったら、崖っぷちに追い詰められた二人の男にも、逆転の一発が狙えるというものだ。
「それにしてもたった二ヶ月でこの変わりよう・・・・・・・・・・碇、お前いったいどんなマジックを使ったんだ?」
これだけは尋ねずにはいられない。そもそもあの脂肪の塊は、どこに消え失せてしまったのか。
「知りたいか( ̄^ ̄)?」
得意げに胸を反らせて、不敵に笑うゲンドウを横目で見ながら、こいつ完全にお調子に乗ってるな、と苦々しく思う冬月だったが、確かにそれだけの実績を上げたのだからやむを得ない。けれども、こういう状態のゲンドウこそ、もっとも不始末をしでかし易いというのも動かしようのない事実であった。ネルフプロを設立してから二十余年、冬月はいい気になったゲンドウのポカミスで、どんなに痛い目に遭わされてきたことか。
「とにかく痩せさせるのが急務だったからな。最初は食事制限と朝夕のランニングやダンベル体操とかを併用していたのだが、どうしても期限に間に合いそうもなかったので、非常手段を使わせてもらった。」
「非常手段?」
まさか整形外科で脂肪吸引の手術でもしたんじゃなかろうな、と冬月は少々不安になってくる。死者を出したこともある危険な手術。いくら会社存亡の危機とはいえ、まだ14歳の少年にそんなことをさせるなんてあまりにも無謀だ。第一、週刊誌にスッパ抜かれたらその時点で何もかもお終いではないか。
「碇、まさか・・・・・・・・・・。」
恐る恐る切り出した冬月に、ゲンドウは苦笑しながら返した。
「なんて顔をしてるんだ。別に姑息な手段を使ったわけではないぞ。目先のことに捕われて、ことの本質を見失うほどバカではないつもりだ。」
(だったら、あの数々の女絡みの不祥事は何だったんだ?)
そう突っ込みたくなるのをぐっと堪えて、冬月はゲンドウの次の言葉を待つ。
「運動だけでは限界があったんで、カヲルを知り合いのパッケージ工場で二ヶ月ほど働かせた。」
「何っ、パッケージ工場だと?」
予想もしなかったゲンドウの返答に、冬月の細い眼が我知らずかっと見開らかれた。




「御進物用の詰め合せを大量生産してるところでな、カヲルにはそこでビールセットの仕事を手伝わせた。」
「それはどんなことをするんだ?」
「なあに、箱に缶を詰めるオバちゃんたちに、ビールの缶を渡してやるだけのことだ。誰でも出来る仕事だよ。」
そんなはずはない。あのブヨブヨの新弟子をわずか二ヶ月足らずで、妖精のようなプロポーションに作り変えることは半端な運動では絶対に不可能だ。訝しく思った冬月は、なおもゲンドウを問い詰めて、ようやく詳しい作業内容を聞き出した。
「年端もいかない少年に、なんて無茶な・・・・・・・・・・。」
かいつまんで説明すると、やや傾斜しているジェットコースターのレールにも似た鉄製のラインに、流れ作業のリズムが乱れないよう、途切れなくビールの缶を転がしてやることがカヲルの役目なのだ。しかし、口で言うのは容易いが、具体的に行なう作業はハードそのものだった。1ダース以上もの缶ビールが入ったダンボール箱を次々とラインの前に移動させ、中の缶を出すために素手でダンボールの側面を剥いて、箱の上半分を取り除き、それからひとつひとつ流していく。しかも目標数を達成するため、作業のペースは凄まじく早いので、一時も休むヒマなどない。ひがな一日、激重のダンボールを運んで、その上部を剥いて、缶をラインに流して、その作業の繰りかえし。この初夏に工場には冷房もなく、まさに地獄だ。安直な気持ちで来たものの、指先の皮がベロベロにはがれて、たった一日で止めていく者も少なくないらしい。
「あの重労働で食事制限だからな。面白いように痩せたぞ。わっはっは。もっとも、あと2.3キロは落とさんと。なにしろテレビは実物より肥って映るからな。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・お前、鬼だな(ーー;)。」
これでカヲルの急激な変貌も納得できるというものだ。身体だけでなく、顔つきもどことなく引き締まった印象を与えるのは厳しい労働の賜物だろうか。
だが、よくよく考えて見ると、まだ中学生のカヲルを工場へ働きに出すという行為自体が明らかに法律違反だ。
「碇、そんなことをさせてまずくないか?」
「問題ない。何しろ相手から一銭も給料を受け取っておらん。金を貰うとアルバイトになってしまうが、無給で働く分にはただの手伝いだからな。まあ、紹介料としてビールの詰め合わせを一ダース貰ったが。なかなか美味かったぞ、あのビールは。まだ、残ってるから今度お前にも持ってきてやろう。」
「・・・・・・・・・・・(ーー;;;;;)。」



「冬月、私はこの通り約束を果たしたぞ。お前の方は抜かりなく事を運んでいるのだろうな。」
この問いかけに、ゲンドウのあまりにも破天荒な手立てに驚きっぱなしだった冬月もようやく我に返った。
「無論だ。デビュー曲の作詞作曲はすでに青葉くんに頼んだ。プロダクションや製作会社などの関係各位にも挨拶済みだし、宣伝の準備も順調に進んでいる。あとは本人をお披露目するだけだ。」
さすがにその辺に手落ちはない。
「そうか。いよいよ本格的に始動できそうだな。」
わが意を得たりという風にゲンドウはニヤリと笑う。冬月も静かにうなずいた。もはや後がない状態のネルフプロダクションではあるが、最後の大勝負に出る体勢は整った。人事を尽くして天命を待つ。この後の運命は神のみぞ知る・・・・・といったところだろうか。もちろん、これから先もやるべきことは山積みなのだが、今の彼らはそんな心境に浸っていた。満足げに互いの顔を見交わす二人のオヤジ。しかし、その雰囲気をぶち壊したのは、今までずっと沈黙を守ってきたカヲルの一言だった。
「ねえねえ、いつまで待たせるのさ。僕、もう飽きちゃったよ。」
あからさまに不服そうな口調と表情。あれ?と冬月は思った。二ヶ月前、この事務所で出会ったカヲルは、容姿こそ人並み以下だったが、いかにも擦れてなくて、好感の持てる少年だったはずだが。そう言えば、どことなく顔つきも生意気テイストが入っている。
「カヲル、もう少しの辛抱だ。終わったら映画に連れて行ってやるから我慢しろ。」
「ちぇっ、仕方ないなあ。全くオジさんたちの話は要領を得なくていけないよ。あの工場でさんざん辛い思いして頑張ったんだから、その分たくさんご褒美くれないと許さないからね。」
あの時の純朴なカヲルはどこに行ってしまったのか。どうやらカヲルが激変したのは、単に外見だけではないようだ。
「・・・・・・・・・・碇・・・・・・・・・・。」
「な、何だ?」
盟友の言わんとすることに察しがついたゲンドウは、平静を装ってはいるものの、やや顔が引きつっている。
「お前、確か原石から育てた方が、人格的に問題のない良質のタレントが育成できるというようなことをほざいてなかったか。でも、今ここにいるこのコは一体何なんだ。今どきの小生意気なガキに成り下がってないか?」
厳しい眼差しでにじり寄られて、ゲンドウの顔一面に焦りの色が浮かぶ。
「・・・・・・・・・・これだけはシナリオ通りに運ばなかったようだな。」
右手で眼鏡の位置を直しながら、これだけ返すのがやっとだ。
「小生意気なガキって何だよ。オジさん、僕がいないと困るんじゃないのかい?」
「カヲル、社長と言え。少しは口の聞き方に気をつけろ。」
「あ、そうだったっけ。んもう、面倒くさいなあ。でも、碇さんの言うことなら仕方ないね。」
以前の姿が思い出せないくらい華麗に変身したカヲルは、どこへ行っても人々の注目を集め、声をかけられるようになった。誰にでも親切にされるし、多少のワガママも笑って見逃してもらえる。他の事務所にスカウトされたのも一度や二度ではなかった。理由もなく皆にいじめられたこれまでとは打って変わった夢のような日々。カヲルは初めて自分自身に価値を見出すことができるようになった。だが、それが裏目に出て、今までの鬱憤晴らしという意味合いもあるのだろうが、他人の立場をまるっきり考えずに言いたいことを言い、したい放題に振る舞うようになってしまった。でも聖人君子でない限り、むしろ当然のような気もする。まだ14歳の少年が、自分の回りの世界が180度好転したら、浮かれて当たり前だ。ゲンドウとて、カヲルくらいの年齢のときにいきなり美形に変身してちやほやされたら、やっぱりいい気になって、カヲルよりももっともっと傍若無人な行動をしただろう。それに生意気になったかもしれないが、決して意地悪にはなっていないし、最初から自分の話を親身になって聞いてくれて、自分のためにいろいろ奔走してくれたゲンドウの言うことだけは無条件で聞くのだ。今は熱に浮かされているだけで、いずれきっと落ち着いて元の素直なカヲルに戻ってくれるに違いないとゲンドウは確信している。あの公園のベンチで見せたカヲルのこぼれるような笑顔が、未だに頭から離れないゲンドウなのだ。




「・・・・・・・・・・・・・・碇、本当に大丈夫なんだろうな。」
「問題ない。これくらいの気概がなければ、これから厳しい芸能界を渡ってはいけんぞ。」
巧みに論点をすり返るゲンドウに、目一杯疑わしそうな視線を向ける冬月。彼を納得させるため、ゲンドウは駄目押しでさらに続けた。
「それにこの私がマネージャーとして、付きっきりで面倒をみるのだから、心配は要らん。お前は余計なことを考えず、事務処理に専念してくれればいいんだ。」
この自信たっぷりのセリフに騙されて、何度煮え湯を飲まされたことか。けれども、カヲルは幸い男。これならゲンドウが今までのような不祥事をしでかす不安もなかろう、と冬月は安堵しかけたのだが・・・・・・。
「ねえ、早く行こうよ、碇さん(*^_^*)。」
「う、うむ(////)。」
先ほどとは似ても似つかぬ甘え声で、嬉しげな笑みをゲンドウに向け、その腕に自分のか細いそれを絡みつけるカヲル。ゲンドウの顔も途端にだらしなく緩んでくる。
「では、明日9時に。」
「じゃあね〜、社長☆」
そのまま、仲睦まじく肩を並べて事務所を去って行く二人を見送りながら、冬月は苦い顔で再び呟かずにはいられなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・碇、本っ当に大丈夫なんだろうな・・・・・・・・・・(ーー;;;;;)。」


TO BE CONTINUED


 

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