*再会*
「ほら、さっさと行け。」
どんと背中を押されて、カヲルはつっかえ棒をはずされたようにぐらりとよろけてしまった。それは多分本人に前進する気持ちが著しく欠如しているせいなのだろう。
「早くしないと初日から遅刻だぞ。」
いままで通っていた公立校のそれとは大違いの優雅で華やいだ造りの校門。御影石にくっきりと刻まれた”ゼーレ学園”の5文字が眩しい。今日からカヲルもここの生徒なのだ。ゼーレ学園は普通部と芸能部から成っており、後者はさらにアーティスト科、タレント科、ジャーナリスト科の3つに分かれている。カヲルが通うことになったのはタレント科で、主に歌手・俳優の卵が入学するコースだ。芸能部門を設けている学校は他にもあるが、ゼーレ学園ほど木目細かいコース分けをしているところは皆無。それもそのはずで、この学園の理事長キール・ローレンツは老舗の最大手芸能プロ、ゼーレプロダクションの会長でもある。最近、台頭目覚しいオフィス・マギの前にやや影が薄くなっているきらいはあるが、それでもまだまだ芸能界で一番有名な事務所の地位は揺るがない。
「ねえねえ、碇さんも教室まで一緒にいってくれないかな。」
落ち着かない表情でゲンドウを見上げ、その右腕にきゅっとしがみつくカヲル。ここ最近の小生意気そうな態度はどこへやら、すっかり以前のオドオド体質に戻ってしまっている。恐らく、今までの学校生活でさんざんいじめられたという事実が重く圧し掛かってきて、それが大きなトラウマとなっているのだろう。だけど、ここでのこのこカヲルの後をついていくわけにはいかない。この苦い過去をカヲル自身が克服して、きっぱりと訣別しないかぎり、真の意味で生まれ変わることなど出来はしないし、それこそ恰好のいじめのネタをこしらえるようなものではないか。
「馬鹿言うな。幼稚園の遠足じゃないんだぞ。ここからはお前ひとりで行くんだ。」
「・・・・・・・・・・どうしてもダメなのかい?」
「当たり前だ。今の自分を変えるためにうちの事務所にはいったのだろう。なのに、外見は変わっても中身は以前のままか?えっ。大人にふてぶてしい口を叩くだけが能じゃなかろう。」
カヲルにはっぱをかけるために、ゲンドウは敢えて少々厳しい物言いをした。
「う・・・・・・・・・・わかったよ。」
ようやくカヲルも納得して、おずおずと歩を進め始めた。しかし、まだ気持ちの整理がつかないのか、何度も未練がましくゲンドウの方を振り返っている。
「あ・・・・・・・・ああ・・・・・・・・碇さん、いっちゃったぁ。ヒドイなあ、もう。せめて校舎に入るまでは見守っていて欲しかったのに。」
あっけなく踵を反して視界から消え去ってしまったゲンドウの面影を追いつつ、後ろ歩きでとことこと校舎に入ろうとしたカヲルだったが、いきなり背中に強烈な衝撃を受けて、その場に倒れ伏してしまった。なんとか両の手をついたものの、右膝をしたたかに打ち付けて、カヲルは思わず身を固くした。
(・・・・・・・・・・・・痛ぅぅ(;;)・・・・・・・・・。でも以前の僕だったら、間違いなくまともに顔からこけてたよなあ。そう思うとやっぱ痩せて良かったかなあ。)
まあ、こんなことを考える余裕があるあたり、そこまで大したことはないのだろう。
「あ、ゴメン。大丈夫か?」
後ろから声をかけられて、カヲルは慌てて上半身を起こし、振りかえった。ラフに着崩した夏服のカッターシャツの裾が目の前で揺れている。視線を上げると、そこには大きめの丸眼鏡をかけ、ややオタクっぽい雰囲気を纏った中肉中背の少年が立っていた。その親しみさえ感じさせる屈託のない笑顔がカヲルの警戒しきっていた心を解きほぐして行く。
「いや、僕がちゃんと前を見ていなかったのが悪いんだ。」
はっきり言って、その通りである。いつまでも思い切れずにゲンドウの背中を追っていたから、こんな羽目に陥ったのだ。
「・・・・・・・・・君、見慣れない顔だなあ。もしかして転校生?」
「そうだけど・・・・・。」
「やっぱり。じゃあ、お詫びに僕が教室まで案内するよ。その様子だとタレント科かな?」
思いがけない申し出にカヲルは目を見開いて、少年を見詰める。まだ転入生として紹介もされていない段階で、こんな親切な心遣いを受けるなんて、ゼーレ学園、結構捨てたものではない。もしかしたら、今度こそ普通の楽しい学校生活が送れるかも、と期待が徐々に膨れ上がってくる。
「確か3年D組だったかな・・・・・・・・・。君も芸能部なのかい?」
「ああ、やっぱりタレント科か。僕はジャーナリスト科なんだ。すっかり自己紹介が遅れたけど、僕は3年E組の相田ケンスケ。グラビアカメラマン志望さ。」
「ふうん、グラビアカメラマンかあ。目標がはっきりしていて偉いなあ。」
これはカヲルの嘘偽りのない気持ちだった。カヲル自身は自分を変えたいというおぼろげな方向性はあるものの、実際どのようなタレントになりたいかという具体的なポリシーがあるわけではない。スタート時の心構えという点からして彼に何歩も遅れを取っていた。
「僕は渚カヲルっていうんだ。」
「渚か。これからヨロシクな。隣のクラスだから体育や技術・家庭のときは一緒に授業を受けることになると思うよ。ただでも君のD組は女子ばっかりだし。」
「えっ、そうなのかい?」
「うん。タレント科はC組とD組に分かれてるんだけど、C組がゼーレプロ所属の連中で、D組はそれ以外のプロダクションのコたちなんだ。」
さすが、ゼーレプロ傘下の学園だけあって、こんなところでもしっかり区別をしているらしい。かといって、決して両クラスの間の教育内容に差をつけているわけではなく、逆にD組でも飛び抜けた素質を感じさせる生徒には、ゼーレプロがあの手この手で移籍工作に出て、卒業までにいつのまにか所属とクラスが変わっているということも少なくないらしい。
下駄箱、渡り廊下、音楽室、実験室・・・・・・・・・・本来見慣れた場所のはずなのに、カヲルの瞳に飛び込んでくるのは到底学校とは思えないようなゴージャスな施設の数々。ゼーレプロダクション、よほど儲かっているのだろう。単に財力だけでなく、その権力もまた並々ならぬものがあった。その意向に逆らったタレントが干されるのはもちろんのこと、ジャーナリズムに対する情報管理も徹底していた。何しろ、どんな些細なゴシップでも無断で書いたら最後、もうそのメディアはゼーレプロ関係の情報は一切流してもらえないのだ。ゼーレプロ所属タレントに関して全く扱っていない番組や雑誌が売り物になるはずもなく、ゼーレプロの機嫌を損ねること=芸能界ではやっていけないことを意味していた。
「ほら、この突き当たりから二番目の教室がD組さ。ちなみに手前が僕たちのE組。」
「あ、そうなんだ。ありがとう、相田君。」
始業前なので、廊下にはちらほら生徒たちの姿が見える。
「あ、”リリス”の連中が来てる。珍しいなあ。これはあとでバッチリ撮っておかないとな。」
感嘆したように嬉しげな声を漏らすケンスケ。
「”リリス”って?」
「渚はタレント科のくせして”リリス”を知らないのか?」
「・・・・・・・・・・僕、そういうのに疎くて・・・・・。」
「今、もっとも勢いのある新興プロのオフィス・マギが鳴り物入りでデビューさせた女性アイドルグループさ。デビュー以来、出す曲は全てベストテン入りだし、CMにも続々と起用されてるし、グラビアに載れば発行部数は確実に3割増しという話だし。そうそう、今度写真集も出すんだよ。」
新人でも既にこれだけの実績を上げているグループが存在することを聞かされて、カヲルは少なからず気後れしていた。歌や踊りに何の素養もない自分が、果たしてそんな者たちの間に割り込めるのだろうか。
(でも、もし僕がモノにならなかったら、ネルフプロダクションは潰れてしまうんだ。碇さんのため、いや何よりも自分自身のため、前向きに頑張っていくしかないよね。)
今までは物事をあっさり諦めたり、中途半端で投げ出したりしていたカヲルだが、もう二度とそういう真似はしたくない。特に芸能活動については、単に自分一人の問題ではないのだ。
(それにしても新人なのにたいしたものだなあ。)
素直に感心しながら、D組の教室前で談笑している女生徒3人に視線を向けるカヲル。さすがに人気アイドルだけのことはあり、遠くからでも華やかなオーラが感じられる。一人は栗色の髪のショートの女のコ。初夏の青空を思わせる明るさと爽やかさに加えて、どことなく蠱惑的な雰囲気を持った少女だ。そして一人は神秘的な青い髪の色のシャギーの女のコ。落ち付いた雰囲気の中に可憐さと芯の強さとが仄見える少女だ。さらに、もう一人。その少女にカヲルは確かに見覚えがあった。
(あ、あのコは・・・・・・・・・!!)
差し込む朝の光に煌くやや茶味を帯びた金髪。意志の強そうな青い瞳。そこにいるだけでぱあっと周りの空気まで輝くような天性の魅力を持ったコ。自信家で少々口は悪いけれど、決して弱いものいじめはしないし、理不尽なことに対しては徹底的に戦う強くて優しい娘。小太りの冴えない小学生だったカヲルをただ一人庇ってくれ、カヲルが誰よりも再会したかった少女。
「アスカ!!!!!」
カヲルがあまり大声で叫んだので、ケンスケはびっくりして思わず飛びのいた。もういても立ってもいられず、懐かしの幼馴染のもとへ全速力で駈け寄るカヲル。
「アスカ、会いたかった!!」
話し込む3人の少女の間に強引に割り込んで、カヲルは思いっきり声をかけた。しかし、当の彼女から発せられた言葉は・・・・・・・・・。
「あんた誰?」
「ひどいよ、アスカ。僕のこと忘れちゃったのかい。」
「忘れたもなにも、アタシはあんたなんか知らないわよ。」
目一杯冷たく返され、がっくりと肩を落とすカヲルだったが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「そ、そんなあ。僕、渚カヲルだよ。幼稚園からずうっと一緒だった。」
「・・・・・・・・・・冗談もいい加減にしなさいよ。カヲルは太っちょで瓶底メガネをかけていていつもオドオドした、いかにも鈍くさそうなコだったわ。あんたとは似ても似付かないわよ!!」
「僕、ダイエットして眼鏡はコンタクトに変えたんだよ。だいたい考えても見てよ、他の部分はともかくとして、この髪と瞳の色はそうそうお目にはかかれないと思うけど。」
「・・・・・・・・・・確かにそうねえ。それによくよく見てみれば、体形とかはまるっきり変わったけれど、どことなく面影はあるような・・・・・・・・・。」
改めてカヲルを上から下までまじまじと見詰めるアスカ。
「へえ、このコがアスカの幼馴染なの。かっわいい〜♪」
「マナは関係ないでしょ。引っ込んでなさいよ。」
好奇心たっぷりの様子でカヲルを覗き込む栗色の髪の少女に、アスカはぴしゃりと言い放った。
「そうはいかないわ。だって、この学園に来たってことは当然デビュー目指しているんでしょ。だったら私たちともライバルじゃない。ねえ、レイ。」
「・・・・・・・・・・ライバルね・・・・・・・・・・。」
シャギーの少女がイメージ通りのぼそぼそっとしたしゃべりで付け加える。
「へえええ、あんたがタレント志望なんて正直驚いたわね。でいったいどこの事務所なの?」
「ネルフプロダクションってとこだけど・・・・・・・・・。」
「ええっ!!!!!」
その名を聞いたとたんに今までにこやかだった三人の少女たちの顔つきが一様に険しくなった。
「突然走り出すからなんだと思ったら、お前、惣流の知り合いだったのか。」
ようやく合流したケンスケが会話に参加して来る。
「何でE組のあんたがここにいるのよ。」
「僕は校舎の入り口で偶然彼と会ったから教室まで案内してあげただけさ。」
「バッカねえ。転入生ならまず職員室に連れて行くんじゃないの?」
「あ、そうか。」
「ところで、あんた最近アタシたちの写真で商売してるんだって?」
「な、何でそのことを・・・・・・・・・・(^^;;)。」
隠し抜いていた悪事がいきなり露見して、焦りまくるケンスケ。もちろん、なおもアスカの追及は続く。
「はん、このアスカ様の情報網を甘く見てもらっては困るわ。だいたいいくらアタシが魅力的だからって無断で写真を撮って、しかもそれを学内で売りさばくなんて言語道断ね。あんた肖像権って言葉知らないの?アタシの写真を無料で撮っていいのは加持さんだけよ。」
「無料どころかお金払って撮ってもらうんだろ。今度の写真集のギャラ、かなりの高額だったってもっぱらの噂じゃ・・・・・・・・・・いてっ。」
アスカの力任せの鉄拳がケンスケの左頬に炸裂した。ヒット個所のあたりが見る見るうちに腫れ上がって熱を帯びてくる。男相手でも全然手加減しないあたりも変わっていないなあ、とカヲルはアスカにばれない程度に軽く口元をほころばせた。
「余計なこと言うと寿命が縮むわよ。・・・・・・・きっと加持さんの方はアスカの写真だったらギャラなんか要らないって言ったのに、うちの社長がどうしてもって謝礼としてあげたのよ。うん、そうに決まってるわ。」
「別にアスカ一人の写真集じゃないのに。」
「・・・・・・・・思い込みもここまで行くと立派ね・・・・・・・・・・。」
マナとレイにまで呆れ顔をされているアスカだが、本人は全く意に介していない。もっとも、ただ気付いていないだけかもしれないが。
「そう言えば、あんた加持さんが目標なんだって?身の程知らずもいいとこね。そういう無謀かつ絶望的な目標は一刻も早く撤回しなさいよ。」
「惣流はそう言うけど、僕に限らずグラビア系のカメラマンを志すものは全て加持さんを目標にしてると思うけどなあ。」
「もう、どいつもこいつも図々しいわね〜。ま、勝手に夢見て目標にするのは自由だけど。」
「アスカは加持さんびいきだからねえ。今度の写真集だって加持さんに撮ってもらう事になって、もう朝から晩までウルサイくらいに大はしゃぎなのよ。」
「・・・・・・・・・・加持さんもいい迷惑・・・・・・・・・。」
「マ〜ナ、レ〜イ、あんた達も命が惜しくないと見えるわね〜。」
握りこぶしで仁王立ちのアスカの肩先がぶるぶると震えている。
「・・・・・・・・凶暴な猿は加持さんに相手にされない・・・・・・・・・。」
「くっ、イヤな突っ込みを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(メ-_-)。」
でも、まるっきり芸能界に疎いカヲルにはもうひとつ話が見えてこなかった。何しろ肝心の登場人物に対する基礎知識さえ欠落しているのだ。仕方なくカヲルは恥を忍んで尋ねてみた。
「あの・・・・・・・・・・加持さんって?」
「あんた、グラビアカメラマンの第一人者の加持リョウジを知らないの?あっきれた。よくそれで芸能界を目指そうなんて思ったわねえ。」
言われてみると、おぼろげに聞き覚えのある名前のような気がする。確かアイドルや美少女の写真集を撮らせたら、右に出るものはないと評判だった・・・・・・・・・・。
「な、名前くらい知ってるよ。何もそんな言い方しなくたっていいじゃないか。せっかく三年ぶりに再会したのに。」
「まさかあんた、このアタシに懐かしいとか会いたかったとか感涙に咽んでほしかったんじゃないでしょうね?甘ったれるのも大概にしたら。いい?もう、アタシとあんたはライバルなのよ。」
アスカの言葉を受け、マナが肩をそびやかしながらずいと進み出ると、さらにこう続けた。
「それだけじゃないわ。ネルフプロの副社長の碇ゲンドウはかつてウチの社長のみならず専務までもてあそんで捨てたのよ。もう、史上最低最悪の男なんだから。」
「そ、そんな、碇さんが・・・・・・・・・・・。」
まさに青天の霹靂。外見だけの第一印象こそ良くなかったものの、その後の自分に対する数々の心遣いや誠意溢れる行動で、カヲルはすっかりゲンドウに心惹かれていたのだ。確かにいくらあのご面相とは言え、もう五十近いゲンドウにこれまで浮いた話がひとつもないとは考えてなかった。しかし、頭の中だけでぼんやり想像しているのと、実際に事実を目の前に突きつけられるのとでは天と地の差だ。
「あんた、ホントに何にも知らないのね。この話、業界では結構有名なんだから。ま、アタシたちも人づてに聞いたんだけど。」
「碇ゲンドウは社長や専務のデビュー当時のマネージャーだったらしいわね。で、この業界ではタブーとされているいわゆる”商品に手を出す”という暴挙に出て、スキャンダルになった瞬間、あっさり捨てたらしいわ。」
「・・・・・・女の敵は許さない。新人賞を取るのは私たち”リリス”・・・・・・・。」
「よく言ったわ、レイ。その通りよ。碇ゲンドウがいかに凄腕だって、アタシたちは絶対に負けない。だいたい、”リリス”はデビュー以来、もう3曲もベストテン入りしてるのよ。これからデビューするあんたなんかより一歩もニ歩もリードしてるんだから。」
挑発するようなアスカのセリフにもカヲルは無抵抗だった。勝ち負けとか賞とかそんなことはこの際どうでもいい。現在知りたいのはただひとつ。ゲンドウとオフィス・マギの女社長及び専務との関係だけだった。一刻も早く戻ってゲンドウ自身の口からコトの真相を聞き出すのだ。アスカたちが嘘を言ってるとは思わないが、所詮はオフィス・マギサイドの人間。意識せずとも心の振り子が彼女らに傾くのは当然のことだ。だからこそ、もう一方の当事者のゲンドウに詳しい事情を教えて欲しかった。そうして、自らの気持ちを整理しなければ、どうしようもない状態にまで陥っていた。ゲンドウに好意を抱いている自分というのは、カヲルもはっきりと自覚していたつもりだが、昔の色事の一つや二つが発覚しただけで、こんなに頭が混乱してしまうなんて、予想だにしなかった激情にカヲルはただただ戸惑うばかり。せっかく心機一転して新たな学校生活の一歩を踏み出そうとしたにもかかわらず、今のカヲルはもうとっととゲンドウの元へ帰ることしか考えていなかった。
TO BE CONTINUED
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