*大物*



目覚めと共に強めの不規則な雨音が耳に飛び込んでくる。降り始めからしばらくはしとしとと緩やかなリズムを刻んでいたはずなのに、一晩経って雨足は激しさを増しているようだ。
(ううむ。)
まだ、はっきりしない頭を持て余すゲンドウだったが、傍らから聞こえる微かな寝息に少しづつ意識を取り戻してきた。むき出しの肩先に触れる柔らかな白金の髪の感触。首を傾けて見れば、自分に寄り添うようにしてぐっすりと眠っている少年のあどけない横顔がはっきりと浮かび上がる。
(カヲル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ーー;;;;;)
ゲンドウの顔からそれとわかるくらいに急激に血の気が引いていく。隣で眠るカヲルの細い首筋や薄い胸元に残る昨夜の名残の御印。そう、お察しの通り、ゲンドウはまたもや商品に手を出してしまったのだ。その上、今度のお相手は自分の息子とほとんど変わらない年頃の少年で、もし、このことが発覚したら、芸能界はもちろんのこと、社会的にも抹殺されかねない暴挙だった。
(まさかこんなことになるとは・・・・・・・・・・。)
確かに色好みのゲンドウではあるが、今まで情を通じたのは女性だけだった。自分には男色の趣味は皆無だと思っていたし、現に酔狂な知り合いからその手の店に誘われても、一度たりとも誘いに乗ったことはなかったのだ。
(なのに・・・・・・・・・・・・。)
最初はゲンドウの以前のスキャンダルを知って、激昂して問い詰めてきたカヲルをなだめているはずだった。握り拳で力任せにここかしこを叩いてくる両手の動きを封じるために、その折れそうな肢体をぎゅっと抱きすくめた。なおも悪口雑言を喚き立てる口を黙らせるために、そのキュートな薄い唇を自らのそれでそっと塞いだ。ところが、カヲルの紅い瞳が妖しく潤んでいるのが目に止まると、不覚にも気持ちが高揚して来てしまい、そのあとはなだれ込むようにベッドまで一直線。もし途中でカヲルが少しでも抗ってくれたら、ゲンドウも我に返って、やろうとしていることの愚かさ、無謀さに気付いたかもしれない。しかし、カヲルは恐らく初めてだったろうに、これっぽちも抵抗することはなかった。そもそもゲンドウのことを慕っていればこそ、過去のゴシップにあそこまで取り乱し、全身で抗議を示したのだし、たとえ若いカヲルがその場の勢いで積極的に自分を受け容れようとしても、冷静に諌めるのが年長者としての役目であろう。それを怠ったのみならず、最後の一線まで越えてしまったのだから、ゲンドウはどう罵られても仕方がない。
(やれやれ・・・・・・・・・・。)
ため息をつきながら、愛くるしい寝顔に目を奪われるゲンドウ。しばらくカヲルの仕草を観察し続ける。
「う・・・・・・・・・ん・・・・・・・・・・。」
そんなとき、カヲルの瞼がピクピクと動いた。そろそろ目覚めるのかもしれない。ゲンドウはちょっと不安になってきた。昨日はいいムードのままえっちになだれ込んだふたりだったが、かつて子役上がりのアイドルに手を出したとき、翌日起きたとたんに、手のひらを返したように騙されたやら無理矢理奪われたやら騒がれ、こっぴどい目にあった経験が苦く思い出される。
(まさかとは思うが・・・・・・・・・・・・・ーー;;。)
そんなわけで、一転してゲンドウは落ち着かない気持ちでカヲルの起床を待ちうける羽目に陥るのであった。



カヲルが果たしてどんな反応を示すか固唾を飲んで見守っているゲンドウ。カヲルはしばらく眠そうな表情をして頭を左右に振っていたが、同衾しているゲンドウの存在を思い出したらしい。面を上げて、真っ直ぐにゲンドウを見据えると破顔一笑、いきなりぎゅむっとしがみついてきた。ごつごつとした骨の感触と吸い付くような肌の温もりが同時にゲンドウの感官に伝わってくる。助かった。取りあえず怒ってはいないようだ。これならカヲルから訴え出るという最悪の事態にはなるまい。ゲンドウの広い背中に腕を回したまま、その胸板に頬を擦り付けるカヲルの表情はあくまでも無邪気で嬉しげだ。
「えへへ、碇さんだ〜い好き♪」
身体一杯に喜びを表わすカヲルが愛おしい。先ほどまでの内心の葛藤も忘れて、ゲンドウはゆっくりとカヲルの肩を抱いてやり、ますます笑みこぼれるその口元に優しく口付けた。蜜月を思わせる二人。と、そのときだ。ガチャリと錠が外れる金属音。
(ま、まさか。)
ゲンドウ以外でここに堂々と入ってこられる人間はひとりしかいない。ネルフプロダクションの社長たる冬月コウゾウだ。どうも時間にルーズなところがあるゲンドウが肝心な場面で遅刻することがあってはならないと、日頃に似合わぬ強引さでこの部屋の合鍵を作成させ、常にそれを預かっているのだった。
(そう言えば、今日はレコーディングの打ち合わせの日だった・・・・・。)
このあとの修羅場が容易に想像できるだけに、ゲンドウはどうにかして隠蔽工作をしようと目論んだが、何をする間もなく寝室の扉は無情に開け放たれてしまった。
「!!!!!」
ベッドに横たわる裸のふたり。ゲンドウの胸の中で微笑む相手の満足そうな様子。これまで冬月が幾度も見せつけられた悪夢のような光景だった。だが、今度ばかりはこれまでとは訳が違う。
「お、お、お、お、お・・・・・・・・・・・・・・・・。」
あまりの驚愕に言おうとする言葉が形にならない。ただ、唇がワナワナと小刻みに動くばかり。
「社長、おはよう〜。・・・・・あ、おはようございますって言わなきゃいけなかったんだよねえ。」
まるっきり悪びれる風もなく、ゲンドウに問いかけるカヲルだったが、もちろんオヤジはそれどころではない。またもや性懲りもなく商品に、しかも年端もいかぬ少年に手をつけてしまったのだ。自ら格好のスキャンダルのネタを提供してしまったようなものだ。しかも、週刊誌やワイドショーをちょっと賑わせて終わりというような軽いネタではなく、ネルフプロダクション自体が二度と立ち上がれなくなるような致命的な不祥事だ。せっかく、最後の勝負をかけるべく、着々と準備を整えてきた冬月の努力を何もかも水泡に帰すような愚挙だった。
「ふ、冬月、これにはいろいろと事情が・・・・・・・・・・。」
「碇、お前には失望した。」
抑揚のない声で冷たく言い放つ冬月に、ゲンドウは今更ながら後悔の濁流に飲み込まれている。けれども、そんな緊迫した空気にはまるっきりお構いなしで、カヲルは相変わらずゲンドウの側を離れようとしなかった。
「うう〜ん、碇さん、好き好き〜♪」
「・・・・・・・・・・カ、カヲル、ちょっとその手をどけろ。」
「イヤだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
あっさり拒絶され、部屋の入り口に立ちはだかる冬月の方を横目でうかがうゲンドウ。もはや怒る気力も湧いてこないほど呆れ返っているに違いない。現に冬月は無言でゲンドウに哀れむような視線を向けただけだった。けれどもその眼光はあくまでも厳しく、どんな言い訳も許さないと威圧しているかのようにゲンドウには感じられた。




「ねえねえ、社長、どーしてそんなにコワイ顔をしてるのさ。」
張り詰めた空気をぱしゃんと破裂させるようなカヲルの問いかけに、いままで沈黙を守ってきた冬月もとうとう堪え切れなくなったようだ。
「カヲル、お前は自分のしたことがわかっているのか?」
「当たり前だよ。」
いけしゃあしゃあと胸を張って答えるカヲルに冬月の怒りは増幅するばかり。肩先が小刻みに震えている。
「デビューを控えた身でありながら、こんな恥さらしなことをしおって!万が一世間に知れたら、我々は芸能界追放どころか、一生後ろ指を差されて生きていかなければならんのだぞ。」
「どうして?」
緋色の瞳をくりんと転がしながら、全くピンと来ていない面持ちでカヲルは尋ねる。まだそのか細い腕はゲンドウの身体に回されたままだ。
「僕、碇さんのことが好きになっちゃったから、えっちしたんだよ。それがどうしていけないの?」
カヲルの眼差しは真剣そのもの。罪悪感のかけらもないようだ。
「・・・・・・・・・・お前はもういい。私が話したいのは碇の方だ。」
冬月は気を取り直すと、なんとかこれだけ言葉を絞り出した。そうだ。この場合、カヲルを責めるのはお門違いというものだ。この子はまだ何もわかっていない子供なのだ。美しく変身して、小生意気な態度が目立つようになったといっても、ほんの半年前まではむしろ晩生で純朴な少年だったではないか。今回の件で非難されるべきなのはゲンドウ一人だ。きっと、この海千山千のオヤジが、カヲルの可憐さに目が眩み、言葉巧みにだまくらかしてモノにしてしまったに違いない。なにしろ前科が山のようにあるのだから。
「碇、この責任はどう取るつもりだ?ええっ。あんなにでかいことをほざいていたくせになんてザマだ。」
さすがのゲンドウも反論する術を持たなかった。というより、ここでどんな言い逃れをしたところで、冬月の追及をかわせるとは到底考えられない。ただでさえどん底の心証をさらに悪化させるのが関の山だ。
「ちょっと、社長。碇さんを叱るのはやめてよ。僕たち愛し合ってるんだから、誰にも邪魔はさせないよ。」
まるで陳腐な三文恋愛小説のようなセリフと共にカヲルが乱入してきて、冬月は困惑した。どう贔屓目にみてもゲンドウがカヲルに本気で惚れたとは思えない。滞りなくコトに及ぶため、場の雰囲気に合わせて甘いセリフを囁いただけだろう。それにあっさり引っ掛かってしまったカヲルが、不憫でたまらなかった。ゲンドウは自業自得でどんな罰を受けようと一向にかまわないが、カヲルの心は傷つけたくない。でも、そのためにはカヲルにどんな返答をしたら良いものだろう?あれこれ悩んで冬月が答えあぐねているうちに、カヲルはさらにこう付け加えた。
「要するにバレなければ済むことじゃないか。」



確かにその通りだ。ゲンドウとカヲルがいかに不適切な関係を結んでいようと、他人にさえ知られなければ何の問題もない。
「僕だって会社の現状はわかっているもん。不利になるようなことなんか言わないよ。」
「聞いたか、冬月。なんともけなげな決意じゃないか。」
「お前は黙ってろ(ーー;;;;;)!!」
自分の立場を少しでも良くしようとムダな悪あがきをするゲンドウを一喝して、冬月はカヲルの方に向き直った。
「・・・・・・・・・・大人の勝手な言い草かもしれんが、お前がそうしてくれる他に、我々には生き残る道がないんだ。頼むからこのことは内密にしておいてくれないか。」
「いいよ。僕だって愛する碇さんの会社がこのまま潰れちゃうなんて困るもん。」
「そ、そうか。」
「その代わり、僕たちの仲を認めてくれなきゃダメだよ。ふふふふふ。」
「うっ・・・・・・・・・・。」
絶句する冬月だったが、もはやカヲルの言うとおりにするしかない。
「・・・・・・・・・・止むを得ん・・・・・・・・・。だが、絶対に気取られてはならんぞ、いいな。」
「やったあ、これで僕たち事務所公認だよ。ねっ、碇さん♪」
自分にしなだれかかって大はしゃぎのカヲルをぼんやりと眺めながら、ゲンドウはどうにか場が収まったことに安堵すると同時に、ある意味カヲルを頼もしく思うのだった。
(あの理屈屋の冬月をやり込めるなんて、こいつ、案外大物かもしれん・・・・・・・・・。)


TO BE CONTINUED


 

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