*誤算*



「カヲルのデビューは延期だ。」
スタジオから慌ただしく戻って来た冬月が沈痛な面持ちでうめくように漏らした一言を、ゲンドウはまるで他人事のように冷静に聞いていた。というより、あまりに唐突な展開にいったい何が起こったのか分からなかった。青葉シゲルに依頼したデビュー曲はとっくの昔に完成していたし、ジャケット写真もグラビアカメラマンの第一人者加持リョウジに撮影してもらうことになっていた。加えて、デビュー前後のキャンペーンの手筈もすっかり整っており、あとはレコーディングを待つばかりだったはずだ。なのに突如デビューを延ばすなどど、どこからそんなセリフが出てくるのか。だいたい彼らに残された時間を思えば、ここでカヲルを温存する余裕など皆無だ。
「冬月、季節外れのエイプリルフールにしてはいささか趣味が悪過ぎるぞ。」
さすがに苛立ち混じりの口調でゲンドウが返した。その強張った表情は正視できないほどの迫力すら感じさせる。そんなゲンドウの様子をカヲルは冬月の後ろから半分顔を覗かせながら、身動ぎもせずに、見詰めていた。
「残念ながら冗談でも何でもない。不測の事態が勃発したんだ。」
「不測の事態だって?」
このときゲンドウが真っ先に思い浮かべたのは、日頃から手段を選ばぬ取り立てで有名なローン会社の社長のいかにも強欲そうな顔だった。もちろん冬月もゲンドウも悪名高いこの金融会社からの融資など一銭たりとも受けたくなかった。けれども、銀行が金を貸してくれないのだから仕方がない。下げたくもない頭をぺこぺこ下げて、やっとのことで融資してもらい、さらに返済期限も延ばしに延ばしてもらっていたのだが、ついに業を煮やして返済を迫ってきたのかもしれない。
(あの男ならやりかねん。)
これまでの悪行の数々を見知っているだけに、ゲンドウは一気に暗い気持ちになった。せっかく最後の可能性に賭けようと2人、いやカヲルも含めて3人で出来うる限りの努力をして来たのに、この肝心なときに全てが水泡と帰してしまうのか・・・・・。
「冬月、まさか・・・・・・・・・・ジオ金融から全額返済の要請が来たんじゃないだろうな。」
恐る恐る内心の懸念を口にしたゲンドウだが、ほんの数秒後に自分の推測が根底から誤っていたことを思い知らされるのであった。
「碇、まるっきりピント外れだぞ。」
先程とは別の要素を含んだ険しさ溢れる顔付きと声音で冬月が冷たく言い放つ。
「違うのか。」
ほっと一息つくゲンドウだったが、次の瞬間盟友からの容赦ない非難が待っていた。
「お前はスカウトマン失格だ。」
「へ?」
いきなりなじられてあっけに取られるゲンドウ。どうして冬月がこんなにいきり立っているのかわからない。そもそもカヲルのデビュー延期の理由さえまだ知らされていないのだ。
「あの子に歌などムリだ。」
「はあ?」
「あんな音痴な子はこれまで見たことがない。」
歌手としては致命的な欠陥を指摘され、呆然とその場に立ち尽くすゲンドウの瞳にカヲルが無邪気にペロリと舌を出す様子がはっきりくっきり映っていた。




工場でのバイトをやめて、遅れ馳せながらボイストレーニングを開始したものの、カヲルの歌唱力があまり芳しくないことはゲンドウも聞かされていた。しかし、全くのど素人なのだから満足に歌えないのは当たり前。レッスンを積んで行けば徐々にモノになって行くだろうし、今はミキシングの技術も著しく進歩しているのだから、今回に限っては録音のときに誤魔化せばなんとかなるだろうと高を括っていたのだ。ところが、カヲルの歌の拙さはそんな生易しいものではなかったらしい。一刻も早くデビューさせなければと呪文のように繰り返していた冬月からまさかこのような敗北宣言が飛び出すとは想像もしていなかった。
(しまった。一度くらいカヲルのレッスンを見に行くんだった・・・・・・・。)
今更ながら臍を噛むゲンドウだったが、後悔先に立たず。ゲンドウが同行させて貰えなかったのは、もちろん不用意な行動をしてカヲルとの愛人関係が発覚するのを懸念したからである。一歩外に出たら、ゲンドウとは単なるタレントとマネージャーの関係に過ぎないのだと、カヲルには事あるごとに噛んで含めるように言い聞かせているのだが、根が天真爛漫なだけにどうも心配でならない。デビュー前でもあるし、危険の種は遠ざけるに限る。でも、結局はこの心遣いが裏目に出てしまったようだ。
「お前がスカウトの時にきちんと確認しておかないから土壇場でこんなことになるんだ。」
日頃に似合わぬ乱暴な口調で怒鳴り付ける冬月だったが、ゲンドウの方にも言い分はある。ゲンドウと違い、冬月は実際にカヲルが歌う現場を何度も見て(聴いて)いたにもかかわらず、カヲルのデビューを焦るあまり、ゲンドウにすら真実を隠し通して、強引に諸々の段取りを進めていたのだ。
「冬月、貴様こそカヲルの歌は徐々に上達しているようなことを報告していたではないか。端から包み隠さず事実を話してくれれば、別の打つ手もあったかもしれんのに。」
カヲルからレッスンに関するコメントが一度もなかったのも頷ける。きっとゲンドウに心配かけないようにとか巧みに説得して、冬月が口止めしていたに違いない。ゲンドウが絡むととたんに素直になるカヲルなのだ。
「貴様、自分の不手際を棚に上げて・・・・・・・・・・。」
いっぺんに険悪な雰囲気に陥るゲンドウと冬月。これまで寝る間も惜しんで積み上げてきたことが根底から崩壊しようとしているのだから無理もない。カヲルがデビュー出来なければ、最後の希望の灯火もあっさりと消え失せる。万事休す。この事に対する絶望と落胆がふたりの言動を一層投げやりなものにしていた。けれども、本当はわかっているのだ。結果はどうあれ、互いに出来る限りのことをしてきたということは。が、現在の荒んだ心理状態に引き摺られて、ついつい相手の傷を抉るような心ない単語の羅列を吐き出してしまうのだった。



「碇さんも社長もそんなに殺気立ってどうしたのさ〜。」
いままで気のない素振りでオヤジ二人の責任の擦り付け合いを眺めていたカヲルが初めて口を開いた。内心の葛藤に苛まれていたゲンドウたちを一気に脱力させるような能天気そのものの問いかけに彼らは呆れかえった。まるっきり事の重大性を理解していない。もっとも仮にネルフプロが潰れようがカヲル自身は痛くもかゆくもなかろう。ずんぐりむっくりの新弟子からキュートな美少年に変身させてもらっただけでもお釣りが来るというものだ。
「カヲル、ネルフプロにはお前以外にタレントはいないんだぞ。そのお前が稼げなければ、うちはにっちもさっちもいかないんだ。」
「ふうん。」
「・・・・・・・・・・全然わかっとらんな・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
がっくりと肩を落としながら呟く冬月の背中がやけに小さく見える。心なしか鬢の白髪にも黄昏の彩りが濃い。
「いいか、お前の音痴ぶりが修復不可能なほど酷いから、予定通りにデビューできなくなったんだ。これで今年の新人賞は絶望だ。」
「だったら来年にすればいいじゃん。」
突き抜けた明るささえ醸し出して、けろっと言ってのけるカヲルに冬月の身体が小刻みに震え始める。
「そのころにはとうに借金の期限が過ぎて、このプロダクションは完全消滅しているわい。やれやれ・・・・・・・・・。」
ふうっと力なくため息をつきながら遠い目をする冬月。彼の胸の中のスクリーンには売れっ子を輩出したネルフプロ黄金時代の風景が、走馬灯のように次々と浮かび上がっているのかもしれない。
「社長、元気だしなよ。まだ諦めるのは早いよ。」
さすがに冬月の落ち込み振りを見かねたのか、カヲルは中腰の体勢で彼の顔を見上げながら、日頃に似合わぬ優しい言葉をかける。だが、冬月はそれには答えず、うなだれたままだった。
「カヲル・・・・・・・・・こんな結果になってしまって、お前にはどう詫びていいかわからん・・・・・。」
そっとカヲルの肩に手を置いて、沈痛な面持ちでゲンドウが囁く。せっかく苦労してダイエットして、親元も離れて、学校も変わって、しかも任意とはいえオヤジにカラダまで奪われてしまったのにデビューさえ出来ずにジ・エンドだなんてあまりにもカヲルが不憫ではないか。口には出さずとも多分冬月も同じ気持ちであろう。しかし、どす黒い澱みにどっぷり嵌り込んだように沈みきったオヤジ二人に対してカヲルはどこまでも楽天的だった。



「もう!全くオジさんは暗くていけないね。で、借金の期限ってあとどれくらいなの?」
「・・・・・・・・・・・3ヶ月余りだが・・・・・・・・・。」
「3ヶ月もあるのに今から諦めてどうするのさ。僕は最後の1日まで諦めないよ。」
「カヲル、お前。」
「ブサイクだった僕がこんなに短期間で人並みになれたんだもん。以前はどうせダメに決まってるって物事をやる前に投げ出してしまってたけど、今では頑張れば大抵のことはなんとかなるって思えるんだ。僕、歌は苦手だけど、いつかはきっとデビューできるようになってみせるよ。」
出会った時はあれほど自信なさげにオドオドしていたカヲルから、ここまで前向きな発言が聞けて、ゲンドウはもちろん、冬月もいたく感激していた。
「要するにCDデビューまで行けなくても、この3ヶ月間でそれなりに僕の顔が売れて、有望だってところを見せればいいんだよねえ。だいたいゼーレプロのタレントなんかバラエティやドラマである程度顔を売ってから音楽活動に入るケースが多いってアスカが言ってたよ。」
確かに即CDを発売しなくても、カヲルの存在が世間に知れ渡れば、少しは返済期限を延ばしてもらえるかもしれない。ただし、この作戦には唯一にして最大の問題点があった。つまり、CDを出さずにどうやって顔を売るか。人気番組にいくらでも自社のタレントを割り込ませることが可能なゼーレプロダクションとは訳が違う。昔ならともかく今の彼らには何の伝手もないし、番組のスタッフを接待する費用だってままならない。これでは海のものとも山のものともつかないカヲルを起用してもらうなんて夢のまた夢だった。
「ううむ・・・・・・・・・。」
カヲルが挫けることなく次の一手を示唆してくれたのに、たちまち暗礁に乗り上げてしまった。
「この時代、テレビや雑誌で顔を売らないことにはどうしようもないからな。」
CDなら地道なキャンペーンやラジオでの活動という手段も残されているが、存在自体を印象づけるのであれば、やはりテレビの影響力は抜群だ。
「あとは雑誌のグラビアという手もあるにはあるが・・・・・・・・・。」
しかし、男で実績ゼロの新人にそんなお声がかかるはずもない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
3人とも沈黙したまま、静かに時が流れていく。視線を合わすのが辛くて、彼らは思い思いの方向に向き直った。
(幸いカヲルの気力は充実しているが、現状で良い方針を導き出せるとは考えられん。)
薄汚れた窓のサッシをぼんやり見詰めながら、ゲンドウは心の中でこう呟く。むしろこれまでの年を忘れた頑張りがたたって、オヤジ達の方が先に力尽きてしまいそうだった。が、その時、静寂を破って、カヲルが元気に声を上げた。
「ねえねえ、これ見てよ。」
すっと差し出したスポーツ新聞の芸能欄。カヲルはその下の方の囲み記事を指差す。そこには小見出しでこう記されていた。
”人気ネットアイドル、写真集発売決定”




「ネットアイドル?何だそれは。」
「碇さん、知らないの?自分のプライベートな写真や日記などを公開している女のコのホームページの中で、すんごく人気が出て1日何百アクセスも人が訪れるようなサイトがあるんだよ。」
「ホームページっていうとインターネットか。」
「そうそう。まあ、この言葉の詳しい定義は僕にもイマイチ分からないんだけど、そういうページの管理人が雑誌に紹介されたりしてちょっとしたタレント扱いを受けているみたいなんだ。」
「で、ついに写真集出版か。こういう売り出し方があるとはな。」
「本当にホームページ以外の活動はしとらんのか。」
「うん、経済的だよねえ。でも、この事務所だってパソコンあるし、ソフトさえ入手すればホームぺージは作成できるよ。ホームページだったら他の媒体と違って、お金をほとんどかけないで僕に関するいろいろな情報を提供できるし。」
「おお!!なるほど・・・・・・・・・・。」
これならたとえメディアに露出できなくても”渚カヲル”を皆に知ってもらうことが十分出来うる。客観的に見て、現在のカヲルには世間の注目を集めるだけの魅力があるとゲンドウは踏んでいる。サイトのアクセス数が増えて、超人気ページになり、巷の話題に登るようになればしめたもの。これがきっかけで番組制作者や出版社のお偉方の目に止まり、活動の幅が広がる可能性は極めて大きい。CDデビューはそれからだって遅くはない。つまり最少の予算で最大の効果が期待できるのだ。まあ、もはやこれくらいしか選択肢が残されていないというのが真相なのだが。
「どう転ぶかわからないけど、やってみる価値はあるよね。」
いつのまにかゲンドウの傍らに寄り添うように立ち、にっこりと微笑むカヲル。ゲンドウもつられるように口元が綻んでくる。
「そうだな。たとえ0.00001%でも可能性が残っている以上、諦めるわけにはいかん。」
「うん!それでこそ僕のだ〜い好きな碇さんだよ!!」
満面に笑みを湛えて言い放つとカヲルはきゅっとゲンドウにしがみついた。間髪を入れずに冬月の咳払いが響く。上目遣いで不満そうに社長を睨むカヲルだったが、両の腕はしっかとゲンドウの身体に巻き付いたままだ。
「誰も見てないんだからいいじゃん。ばれなきゃかまわないんでしょ。」
「しかしな・・・・・・・・・。」
「そんなことより今はこれからの計画を練らなきゃ。」
すっかりガキに仕切られているオヤジ二人。けれども、冬月もカヲルのアイディアは悪くないと感じていた。
「僕のホームページ、作ってみる?」
「お前の言う通りにしてみよう。冬月も異存はないな。」
「うむ、やってみるか。」
「よし、話は決まった。さっそく今日からでも作成に着手するんだな。」
カヲルの破壊的音痴のせいで、予想だにしなかった作戦を取ることになってしまったが、とにかく明日に希望を抱いて進んで行くしかない。ゲンドウもすっかり気を取り直して、カヲルに指示を出した。ところが・・・・・・・。
「えっ?作成って・・・・・まさか僕が作るの?」
カヲルから帰って来た反応は著しく鈍い上に完全な傍観者モードではないか。
「自分のホームペ−ジなんだから当たり前じゃないか。」
「だって僕そんなの興味ないし、HTMLもタグも全然わかんないもん。碇さんや社長が作ってくれるとばっかり思ってた。」
「どうして我々がお前のページをこしらえなければならんのだ。自分のことは自分でやれ。」
「自分のことって言うけど、結局は会社のことじゃないか。どうせもうヒマなくせに。」
カヲルのCDデビューがお釈迦になったからには、冬月にもゲンドウにも差し当たってやるべきことは殆どなかった。しかし、彼らがホームページ作成に逃げ腰なのは、単に知識や技術が欠如しているためである。一応パソコンは置いてあるものの、本格的に使用するときにはいつも派遣会社から人を呼んでやってもらうのだ。そう、大概のオヤジの例に漏れず、ゲンドウも冬月も最新マルチメディアにまるで疎かった。
「いや、それではお前の個性を出した人を惹き付けるページは出来んぞ。あくまでも我々は見守る立場でなくては。」
「・・・・・・・・・・ホントは出来ないんでしょ(ーー;;)?」
「な、な、な、何を言うか。そんなんじゃないぞ、なあ冬月。」
「い、碇の言う通りだぞ。我々はあくまでお前の瑞々しい感性に期待して・・・・・・・。」
二人の心なしか裏返った声、あたふたした身振り手振りが全てを物語っていた。


「あ〜あ、いい方法だと思ったのになあ。」
ちょっと膨れっ面をして、軽く息を吐きながらぼやくカヲル。直前まであれほど高揚していた場の空気も、今では日が経った風船のごとく萎れていた。
「代行作成サービスとかはないのか?」
「そんなのお金のムダだし、それこそ僕自身の持ち味の出たサイトなんて作れやしないよ。」
「・・・・・・・・・・せっかく打開策が見つかったのだが・・・・・・・・。」
冴えた手立てが閃くたびに新たな課題が次々と出てきてしまう。だが、カヲルはぴんと胸を張ったまま、こう結論づけた。
「出来ないなんて弱音を吐かずになんとかモノにするしかないね。易しいソフトも解説書もあるし、あんなに皆がホームページをこしらえてるんだから、僕たちに出来ないはずないさ。」
「・・・・・・・・・カヲル・・・・・・・・。」
「あのダイエット中の冷房もない工場生活に比べたら、こんなこと何でもないよ。碇さんも社長も気合入れて頑張ろう(^o^)。」
変身したカヲルは単にナマイキになっただけでなく、いい意味でのしたたかさもに身につけているようだ。めげない笑顔がなんと頼もしく見えることか。
「うむ、お前の言うとおりだ。私も本を買ってHTMLの勉強をするぞ。」
「これが笑い話になる日を信じてやるしかないな。」
ゲンドウも冬月もようやくやる気を取り戻したらしい。表情にもすっかり生気が蘇り、傍から見ていても活力が伝わって来る。これまで以上に辛い境遇に追い込まれたネルフプロダクションだが、逆に3人の結束はますます確かなものとなっていた。


TO BE CONTINUED


 

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