*バースディケーキ〜前編*



「ねえねえ、オジさん。僕たちの班に入らない?」
こう言って屈託のない笑顔を浮かべる少女。頭に付けた大きなリボンよりも鮮やかな深紅の瞳がひときわ煌めいて、眼前の冴えないオヤジの姿を映し出す。紅い瞳は人型の使徒の印だ。”使徒”と人間達が名付けた彼らの正体については未だに謎に包まれている。99.89%人間と同じ遺伝子を有しているにもかかわらず、現代科学ですら解明できない不思議な力を持つが故に、これまで興味本位の研究材料にされたり、異質のモノとして厳しい迫害を受けて来た。そのため、昔は集落が出来るくらいの数を保っていたのに、今では使徒自体殆ど見かけることが無くなってしまった。その中でも人型の使徒というのは非常に希で、普通に暮らしていたらまずお目にかかれない存在だった。
「ちょっとぉ。カヲル、まだアタシたちはいいなんて言ってないわよ。」
「だってこのオジさん、ゲンにそっくりなんだもん。なんか親しみ感じちゃうよ。」
「・・・・・・・確かに似てるかもね・・・・・・・・。」
リボンの娘に声をかけた少女が、オヤジの風体を上から下まで値踏みするかのように眺めた。腰まで流れるたおやかな金髪が窓から差し込む日差しで光彩を増している。
「まあ、いいじゃない。私たちが入れてあげなくちゃ、オジさん孤立しちゃいそうなんだもん。」
更に栗色のショートカットの快活そうな少女が会話に加わって来た。確かに眼前で繰り広げられる光景はかなり異彩を放っている。エプロン姿の少女達に遠巻きに囲まれて、思いっ切り場違いのヒゲの中年男がひとり。
「・・・・・・仕方ないわねえ。じゃあ、いいわよ。でも、アタシの邪魔にならないようにしなさいよ。」
「だって。早くおいでよ。」
カヲルと呼ばれた使徒の少女は自分の1.5倍はありそうな男の手をぎゅむっと握り締め、後列左側の調理台まで引っ張って来た。さして抗いもせず為すがままにされるオヤジ。
「僕はカヲル、こっちの髪の長い娘がアスカ、ショートの方がマナだよ。」
(・・・・・・・・最近の女性は男言葉を平気で使うというが・・・・・それにしてもあれだけ可愛いのに一人称が”僕”か。いくら使徒とは言え、嘆かわしいことだ。)
せっかく声をかけてもらった恩も忘れて、男は現代婦女子の日本語の乱れを憂いていた。もっとも、自分だってある種の人々には”男子厨房に入らずという言葉もあるのに男が料理教室だなんてみっともない”と言われかねない行動を取っているのだから、50歩100歩である。
「僕の隣に座りなよ(^o^)。」
「うむ。」
ここはネルフタウンの駅近くにあるマギ料理学校。駅ビルには高名なT料理学園のネルフ校が入っているのだが、その割にはなかなかの盛況だ。といっても、教室の大きさは学校の調理実習室程度。そこに4台の調理台が置かれていて、各台5〜6人ずつで実習を行う。曜日によって基本科・普通科などそれぞれのコースが決められており、今日土曜日は洋菓子科の日だった。ところが、これまで若い女の子しかいなかった教室内に突如ヒゲにグラサンのヤクザテイストぷんぷんの中年男が現れたのだ。ちょっと穿った見方をすれば、女の園に入り込んだ変質者という気がしないでもない。その証拠にカヲル達以外の生徒の視線は露骨に冷たく、”オジさんはとっとと消えろ”という空気を醸し出すに留まらず、嫌悪感を隠さない表情で彼を指さして何やらひそひそ囁き合っている。あからさまな拒絶反応に完全に居場所を無くしていた彼に救いの手をさしのべたのがカヲル・アスカ・マナの3人だったのだ。
「はい、静かにして。」
マギ料理学校の講師、赤木ナオコ先生が娘のリツコ先生と一緒に入ってきた。二人とも料理教室の先生というイメージからはかなりかけ離れた理知的な美人だ。仮に大学の講師と偽っても誰も疑う者はいないに違いない。ここでの一日は、まず今日作る料理の手順とコツについて詳しい説明があり、次にそれを踏まえて班ごとに実習。最後に今日の努力の成果を試食しておしまい、といった流れだ。実習中にはナオコ先生とリツコ先生が各2台ずつ受け持って、生徒達にきめ細かい指導をしてくれる。大きな学校にはないアットホームな雰囲気もこの学園が地味ながら確実な人気を保っている理由だろう。
「今日から新しい生徒さんが増えました。このコースには初めての男性の方ですよ。碇ゲンドウさんです。」
ナオコ先生にフルネームで紹介されて、ゲンドウは顔を上げられないまま、ペコッと頭を下げる。しかし、全般的に教室の反応は冷ややかだ。
「今日はフルーツタルトを作ります。まずは作り方を説明しますから、ちゃんとノートを取っておいて下さいね。」



「え〜とぉ、これをタルト型に敷くんだよねえ。」
カヲルはぎこちない手つきで冷凍パイシートをのばしている。
「下手ねえ。全然厚さが違うじゃないの。」
「うるさいなあ。結構テクニックが要るんだよ。」
ぶーたれながらなおもパイシートと格闘するカヲルの手からゲンドウがそっと麺棒を取って、無言で転がし始めた。手つきが違う。力の入れ方も相当手慣れた様子だ。
「オジさん、やるじゃない。じゃあ、ちょこっとこっちの方も手伝ってよ。」
チーズフィリング用の生クリームを作るための泡立てをゲンドウに頼むアスカ。それを見てマナもすかさず果物を切るのを彼に任せることにした。
「これも切っといてよ。」
ちゃっかりを通り越して図々しい娘たちの頼みを、文句も言わずにゲンドウは黙々とこなす。どの技能を取っても趣味の域を超えている。
「すっごーい!オジさん、プロの職人さんみたい。」
「人は見かけによらないって言葉を今更ながら再認識しちゃうわね。」
「ま、アタシほどじゃないけどなかなかやるじゃない。」
口々にゲンドウの技能を褒めちぎる3人。しかし、このようなズルがいつまでもまかり通るはずがない。
「こらっ、あなたたち。何もかも碇さんに押しつけちゃダメでしょ。」
「あ、リツコ先生。」
「えへへ、見られちゃった?」
受け持ちの二班の実習の状況を見ていたリツコ先生にあっさり見つかって、お目玉をくらってしまった。だが、さして反省する様子もなく、ペロリと舌を出しながら各自の受け持ちに戻っていく3人。一方ゲンドウは再び無言でシートの形を整え始める。
「碇さん、本当にお見事ね。うちの教室なんかに入る必要ないくらい。さすがに菓子職人を目指しているだけのことはあるわ。」
「・・・・・・いや・・・・・・・。」
新入生に対するお愛想でも何でもないリツコ先生の心からの誉め言葉に、ゲンドウは照れ気味でぼそっと呟いた。カヲル達もゲンドウの洗練された手さばきを息を呑んで見つめている。
「見とれる気持ちは分かるけど、あなたたちも早く自分の仕事をしないと仕上がらないわよ。」
「は〜い。」
よほどゲンドウの技術に度肝を抜かれたのだろう。負けず嫌いで理屈っぽいアスカまでが日頃に似合わず恐ろしく素直に返事をした。
「先生、チーズフィリングのベースはどれくらい混ぜたらいいんですか?」
「そうね、全体的に白っぽくなるくらいかしら。こんな感じで・・・・・・。」
マナの持っている泡立て器に手を添えて、リツコ先生がお手本を示す。それに習ってマナがすり混ぜるのを見届けてから、リツコ先生はもうひとつの受け持ちの台へと移って行った。




「美味し〜い♪」
「こんなに美味しくできたの初めて!」
「ほ〜ら、僕の言ったとおりにオジさんに入ってもらって良かったでしょ( ̄^ ̄)。」
無事、課題を作り終えて、試食タイムに入ったとたん、タルトのあまりの出来映えにカヲルたちは口々に感嘆の叫び声をあげた。しかし最大の功労者たるゲンドウはその輪には入らず、出来上がったタルトを規則正しいリズムで口に運び続けている。ある水準以上の作品を完成させたことですっかり満足し切っている娘達とは違い、彼は真剣そのもの表情でなおも何かを追求するかのようだ。けれども、姦しいお年頃の3人がゲンドウをそっとしておいてくれるわけがない。
「ねえねえ、さっきリツコ先生が言ってたけど、オジさんホントに菓子職人志望なの〜?」
「この年で方向転換なんて勇気あるわね。」
次々に遠慮会釈なく話しかけられて、ゲンドウはすっかりたじたじだったが、これまでこの話をした大部分の人間から、呆れられたり馬鹿にされたりしたことを振り返れば、暖かい眼差しを送ってくれる彼女達には心が和むものを感じていた。
「でも、オジさん、会社はどうするの?」
「・・・・・・・今は行っておらん。」
「ええっ?じゃあ、会社を辞めてこの道に賭けてるのね。かっこいい〜。」
正確には辞めたのではなく、リストラで辞めさせられたのだが状況としては似たようなものだ。今では良いきっかけになったとさえ思っている。このまま好きでもない仕事をしていても、日々抜け殻のように虚ろな時を過ごすだけだっただろう。すべきことが無くなって、初めて本当にやりたかったことが見えてきたのだ。もっとも気楽な独り身だからこそ選べた選択肢だとも言える。かつては妻と一人息子と共に平凡ながら暖かい家庭生活を営んでいた時期もあったが、愛妻に死に別れてからは幼い息子をリリスタウンの友人に預けて、現在は寂しくも自由な独身生活である。時々こっそり息子の様子を見に行ったりはするのだが、正式に会ったのはもう何年前のことだろう。このように家庭人としても職業人としてもイマイチどころかイマサンくらいの自分だが、それでも最後のあがきとして、昔からの密かな夢だった菓子職人に挑戦してみることに決めたのだ。
「頑張ってね、オジさん。アタシ達も応援するわ。」
「とか何とか言っちゃって、ホントは店を開いた暁には知り合いのよしみでおまけしてもらおうなんて思ってるんじゃないの〜?」
「うっ(@@;;;;;)。」
心の中の野心をそのまま指摘されて、一瞬固まるアスカ。
「でもさ〜、僕たち立場上やばくない?一応”アダム”の関係者なんだから。」
「何、”アダム”だって?」
これまで何を話しかけられても、照れもあり反応が鈍かったゲンドウが初めて身を乗り出して聞き返した。”アダム”は駅からちょっと坂を下った商店街にある洋菓子店で、ネルフタウンでも一、二を争う人気のお店だった。はるばる隣のリリスタウンから買いに来る客も少なくない。ゲンドウも何度か食べたことがあるが、口にした瞬間、幸せさえ実感できるほどの美味しさで、自分もいつかこれだけの菓子が作れたら・・・・・と密かに目標にしている店だったのだ。
「そうよ、アタシ達、そこで放課後バイトしてるの。アタシが火・木でこっちのマナが月・水・金よ。」
「んで、僕は”アダム”の居候なんだ。」
「居候?」
「うん、一人前の使徒になる修行のためにこの街に来たものの、行くとこなくて途方に暮れていた僕を加持さんとミサトさんが拾ってくれたんだよ。」



美味しいお菓子をお腹一杯食べて、充足感に満たされて帰路に就く一同。教室には量が多すぎた時のための持ち帰り用小皿も用意されているのだが、彼女達には無用の長物だったようだ。
「オジさんもこっちの方向なの?」
「せっかくだから途中まで一緒に行きましょうよ。」
「そうしようよ。ねっ。」
断る余地を与えない強引な3人の誘いに、ゲンドウは黙って付き従うしかなかった。彼女たちのおかげで不安だった初日を無事乗り切ることが出来たのだし、この様子だと来週以降も付き合ってくれそうである。一大決心をして料理教室に通い始めたはいいが、正直未知の世界に戸惑い一杯だったゲンドウにとっては渡りに船といったところだった。
「来週はチョコレートケーキだって。楽しみだな〜♪」
「またオジさんに頑張ってもらわないとね。」
ゲンドウの右側にアスカ、左側にマナ、そして落ち着き無く3人の周りをひらひら飛び回っているのがカヲルだった。カヲルの動きに呼応して閃く紫がかった黒のワンピースの裾から白いものがほの見える。見てはいけないと思いつつ、ゲンドウはついつい吸い寄せられるように目線で追ってしまった。
(・・・・・今の子に似合わずやたらクラシックな下着を付けてるな。)
それはちょうちんブルマ型のいわゆるかぼちゃパンツというものだった。
(しかし、使徒も人型ともなると普通の人間とまるっきり変わらないのだな。)
はしゃぐカヲルの仕草を眺めながら、ゲンドウはぼんやりとそんなことを考えていた。これなら日常生活にも十分適応していけるだろう。とはいうものの、使徒に対する政策は彼らが絶滅の危機に瀕している現在でさえ各自治体ごとに全く異なっており、そういう意味ではこのネルフタウンの長はリベラルな考え方の持ち主なのだろう。
「ん?」
そんなことを考えながら歩いていたら、不意に両隣の二人が立ち止まったため、ゲンドウはちょっとつんのめってしまった。慌てて顔を上げるとそこには彼女達と同年代の少年二人が立ちはだかっていた。一人は年の割にはかなり長身で、まだ残暑厳しい時期なのに紫色のジャージを着用しており、もう一人は中肉中背で、強いて言えばそばかすと丸い大きめの眼鏡が特徴だった。
「何か用、あんた達?」
「な、何か用とはよう言ったもんやで!!この腐れアマが!!」
「ちょっとぉ、腐れアマなんて聞き捨てならないわねえ。」
「けっ、言われて当然じゃい。よくもワイらをおちょくってくれたな!!可愛い顔して腹ん中は真っ黒やのう。」
「アタシ達、あんたをおちょくった覚えなんかないわよ。」
「とぼけるのもええ加減にせいよ!こいつ、男だっていう話やないか。」
いきり立ったジャージの少年が突然カヲルを指さしたので、ゲンドウは口から心臓が飛び出すくらいびっくりした。
(な、な、何だって??)
確かに、年頃の女の子の割には体に全く丸みがなく、手足がひょろ長い針金のような体型なのだが、アスカやマナと比べても遙かに小柄なカヲルは単に発育が遅れているのだとばかり思っていた。
(・・・・・・・お、男の子だったのか・・・・・・・。)
それならば、一人称”僕”でも納得だ。しかし、衝撃の事実を知った今、改めて見ても大きなリボンとひらひらしたワンピースが誂えたように似合っている。
「ワイらを騙しやがって、とんでもない女たちや。」
「いつアタシ達があんたを騙したのよ。」
「い、いつやて!?どこまで根性悪なんや!!」
「だって、君たち彼が男だなんて一言も教えてくれなかったじゃないか。」
これまでジャージの少年の横に置物のように立っていただけだった眼鏡の彼が始めて口を開く。だが、それに対する返答はあまりにもそっけないものだった。
「・・・・・・・・当たり前じゃない。聞かれなかったんだから。」
「うっ(ーー;;)。」
「相田くんたちがちゃんとカヲルの性別について尋ねてくれたら、きちんと教えてあげたわよねえ。」
「そうよ。アタシ達親切なんだから。」
「こ、コイツら・・・・・・・真から底から性根腐ってやがるで・・・・・・。」
どう罵られようがアスカとマナはこれっぽちも怯む様子はない。
「勝手に勘違いしておいて、その責任を罪もない美少女二人になすりつけようだなんてふざけるんじゃないわよ!!」
「それにしてもこないだのあんた達には笑えたわよね〜。カヲルのスカートの裾ばっか気にしちゃってさ。」
「どうやら鈴原君と相田君は最近怪しい趣味に走っていますって、学校で皆に教えてあげなくちゃねえ。」
「なっ・・・・・・・・・(@@;;)。」
この時点で少年達はようやく悟った。いくらあがいたところで、口ではとても彼女たちに敵わない。彼らは泣く泣く引き下がるしかなかった。そんな二人の去り際の捨て台詞が耳にはいると、ゲンドウは同じ男として同情を禁じ得なかった。
「くう〜、この前のワイらのドキドキはいったい何じゃったんじゃ〜!!」
「・・・・・・・僕たち男のパンチラを見て、胸をときめかせていたんだね・・・・・・(TT)。」




道中ちょっとしたアクシデントもあったものの、どうやら無事に”アダム”の前までたどりついた4人。店は相変わらず外まで列が続く盛況ぶりだ。
「じゃあ、僕はここで〜。」
「そうか、ここの居候だったな。」
「うん。」
「居候といってもカヲルはちゃんと食費だけは入れてるのよ。」
「え?」
「そだよ。僕、働いているんだもん。」
しかし、カヲルはどう見ても中学生くらいだ。バイトならともかく正式に就職できる年ではない。
「この年で雇ってくれるところがあるのか?」
「違う、違う。カヲルは立派な事業主なのよ。使徒の能力を生かして宅急便屋をしているの。」
「使徒の能力・・・・・・?」
「そうよ。カヲルは空が飛べるの。凄いでしょ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(??)。」
カヲルとて使徒の端くれである以上、何か特殊な能力を持っているはずだ。だが、唐突に空を飛べると言われても、なまじ外見が人間と変わらないだけににわかには信じがたかった。そんなゲンドウの疑いの眼をカヲルはすぐに察し、見る見るうちにほっぺたを膨張させた。
「オジさん、信じてないね。ちょっと待ってて。」
言うやいなやカヲルはお店の裏口から中に駆け込んでいった。5分もたたないうちに大きな古ぼけたほうきを持って戻って来る。黒っぽいワンピースといい、まるで魔女の子供のようだ。もっともこれでも男の子なのだからその呼び名はそぐわないような気もするが。
「形から入るタイプなのよ。別にほうきがあったってなくたって同じなんだけど。」
「でも、あの方が精神を集中しやすいらしいわよ。」
ふたりの説明を聞いてもゲンドウはまだ半信半疑だ。そんなオヤジの眼を覚ましてやろうと、カヲルは元気に注目を促す。
「見て見て〜♪」
カヲルはひょいとほうきに跨り、ちょっと瞑想するような表情になった。そのいつになく真剣な顔つきをゲンドウが確かめる間もなく・・・・・・・・ふわりとその華奢な身体が宙に浮いた。
「!!!!!」
やっぱり使徒だけのことはある。
「ねえねえ、驚いた〜?」
天真爛漫に明るく声をかけるカヲルだったが、己の服装に全く無防備なため、ひらひら舞うスカートの裾から例のかぼちゃパンツが丸見えになっている。いくら男だと説明されても目の前にいるカヲルは元気な少女の姿にしか見えない。ゆえにその光景はゲンドウの心をかき乱すには十分だった。
(先ほどの少年達のことをちっとも笑えんな・・・・・・・。)
だけどゲンドウの内心の葛藤にはちっとも気付かないまま、カヲルは手を振りながら大声で叫ぶ。
「何か届けて欲しいものがあったら気軽に頼んでね〜(^o^)。ぎゃっ(><)。」
たちまち大きくバランスを崩して街路樹に突っ込みそうになるカヲル。なんとか体勢を立て直すが、まだ軌道は不安定だ。はらはらしながら見守るゲンドウの傍らで、アスカとマナは世間話でもするような口調でこんな会話をしていた。
「ながら飛行は出来ないみたいだし、飛べるといってもまだまだ未熟者なのよね。」
「ホント、一人前の使徒への道は遙か遠そうねえ。」


「カヲル君、一件注文が入っているわよ。」
カヲルに明るく声をかけるのは”アダム”の店長葛城ミサトである。店長といっても彼女は営業・広告や経理担当で、実際に売り物のお菓子をこしらえてるのは同棲している恋人の加持リョウジだ。ミサトはゴキブリも裸足で逃げ出すレベルのものしか作れない超が付く料理音痴。それでもなぜ彼女の方が店長かといえば、店の元手になる金をほぼ全額出資しているからだった。
「誰から?」
「3丁目の碇さんって家。これだけ買って来て欲しいって。」
ミサトから渡されたメモを読むと、そこにはこの前料理教室で実習したフルーツタルトの材料がそのまんま書いてあった。瞬時に依頼人が誰だか思い出すカヲル。
(ああ・・・・・あのゲンに生き写しのオジさんだあ。)
そう独白しながら肩先にちょこんと乗っかったオヤジ面の黒猫に目をやるカヲル。この猫こそ”ゲン”の正体だった。顎髭と見まごう顔の下を占める長い毛並み、猫のくせにグラサンまでしている不敵な面構えは数百年も生きている化け猫のようだが、実際に生まれたのはカヲルと同じ日だ。昔から人型の使徒にはこのような”使徒猫”がついており、お目付役としていろいろアドバイスをしてくれるのだ。もっともゲンは他の使徒猫と比べて気まぐれで無愛想でよっぽどのことがない限り、口を開いてはくれなかった。料理教室にはさすがに動物は連れていけないので、その間だけはミサトに預かってもらっているが、日頃はどこに行くのも一緒だ。そんな事情でただでも(一方的に)親しみを感じていたのに、出会ったばかりでさっそく配達を依頼してくれるなんてますます嬉しくなった。
「じゃあ、早速行って来るね。ミサトさん、帰りに何か買ってくるものとかない?」
「間に合ってるわ。気を付けてね。」
ミサトの笑顔に見送られながら、カヲルはいつものように大空に身を委ねた。悲しいけれど、使徒はこの世の中にもう数えるほどしか残っていない。異端の存在である彼らを誰もがすんなりと受け容れるわけではなかった。幸い、ネルフタウンの市長は好人物で、使徒であるカヲルを他の市民と分け隔てなく扱ってくれるが、せっかく落ち着こうとした町で厳しい迫害にあい、追われるように流浪の身に転落する仲間も少なくない。何といっても人型であるという点でカヲルは恵まれていた。こうして街中にいてもカヲルを使徒だと判断する決め手はその目の色以外にないのだから。もっとも、なぜか人型の使徒の方が希有な存在で、カヲルの知る限りではレイという女の子しかいなかった。彼女はリリスタウンで占いの店を開いており、月に1、2度は会って、近況報告や情報交換をし合う。彼女は空を飛ぶことは苦手だが、近い未来を予知する力を持っており、現在の仕事はぴったりだった。 使徒の能力はその個体によってまちまちで、いずれの使徒もそれを生かした仕事に就いているのだ。
「ええと、3丁目だとこの辺だよねえ。わっ(><)。」
ゲンドウの家を地図で確認しようと、ポケットからコピーを出したカヲルだったが、たちまちバランスを崩して一回転してしまった。さっそくゲンのお小言が飛ぶ。
「二つのことがいっぺんに出来る頭か。」
ゲンが口を開くのはこんな時ばっかりだ。
「な、なんだよう。」
でも、ここでゲンに応酬しようとして、またあさっての方向に飛んでいってしまってはたまらないので、カヲルは渋々飛行に集中する。その甲斐あって、以後は特に危ない場面もなく、無事碇家に到着することが出来た。


「こんにちわ〜(^o^)。」
呼び鈴要らずの大きな声が部屋の隅々まで響き渡る。30秒くらい経ってから、ちょっときしみ加減にドアが開いた。
「そこにおいといてくれ。」
「うん。」
(む?)
タルトの材料が入ったスーパーの袋を玄関先に降ろすカヲルの肩先でふんぞり返っている異様な生き物にゲンドウは気付いた。一応猫科らしいが、妙に見慣れた風貌をしているではないか。
「なんだ?この猫は。」
「あ、こないだはいなかったよね。僕と同じ日に生まれた使徒猫のゲンだよ。人型の使徒にはみんなこういったお目付役の猫がついてるんだ。」
何と言うことだ。カヲルが自分に声をかけるきっかけとなった”ゲン”がまさかこんな仏頂面の猫だったなんて。ゲンドウは内心脱力していた。しかし、認めたくはないが、実のところ鏡に映った自分の顔を見ているようでもあった。
「ふふふふふ、こないだ言ったとおりオジさんにそっくりでしょ♪」
そう、眼前にいるふてぶてしい面構えの猫は自分にそっくりなのだ。サングラスの色あいまで同じではないか。無言で対峙し合うヒゲオヤジとオヤジ面の使徒猫。
「・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
「・・・・・・・・・・・・・・(○`ε´○)。」
「ふっ」と小馬鹿にしたように笑って、先に顔を逸らしたのはゲンの方だった。すっかり人間としての立場を失ってしまったゲンドウ。カヲルはそんなオヤジの呆気にとられた顔つきを、笑いをこらえながら上目遣いで見つめている。これ以上恥を晒したくないので、彼は内心のむかつきをこらえつつ、用意しておいたお金をカヲルに差し出した。
「さ、これが代金と謝礼だ。」
中身を確かめるカヲルだったが、謝礼は明らかに分不相応に多い。
「僕、こんなに貰えないよ。こっちは返すね。」
「いや、いいんだ。また頼む。」
「ダメだよ。使徒の宅急便屋はぼったくりって噂が立ったらイヤだもん。」
「そうか。」
「その代わりオジさんのこしらえたケーキが食べたいな〜。」
「悪いがそれは出来ん。」
「え〜、どうしてだよう。」
「家で作るのはあくまでも試作品だからな。人様に食べさせるようなものではない。」
予想だにしなかったゲンドウの厳しい答えに、カヲルは不満混じりの戸惑ったような表情を浮かべる。だけど、しばしの沈黙の後、こんな問いかけをしてきた。
「ねえねえ、オジさんはどうして菓子職人を目指す気になったの?」
「そんなこと聞きたいのか?」
「そだよ。だって全然柄じゃないんだもん。400%似合わないよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;;;;)。」
正直と言うよりは無神経な物言いに思わずゲンドウは絶句した。悪気がないだけにかえって始末に終えない。まあ、カヲルの年頃を考えれば不用意な発言のひとつやふたつは当たり前だ。ゲンドウより年かさだって相手の気持ちをこれっぽちも考えていない心ない言葉を投げつけて来る輩はいくらでもいる。
「・・・・・そうだな・・・・・上手くはいえんが、まあ子供の頃からの夢だったってとこか。」
己の口下手さを十分分かっていただけに、簡潔にしようとしたのがかえって裏目に出て、いつもはもっとも忌み嫌うようなクサい表現になってしまった。これから社会に出ようとする青年じゃあるまいし、”夢”だなんてなんとまあ青臭い単語を使ってしまったことか。すでに激しい後悔の荒波にどっぱーんと飲み込まれていたが、一旦口から出た台詞を今更デリートすることは不可能だ。これはきっと爆笑されるに決まってると恐る恐るカヲルの顔を覗き込んだゲンドウだったが、カヲルは嘲笑するどころか顔を上気させてその単語を繰り返した。
「夢・・・・・・・。」
「こ、こんな年で可笑しいか?」
「ううん、そんなことない。年は関係ないよ。本気でやりたいことがある人っていいね。」
「そうか。」
「僕なんて飛べるからなんとなく宅急便屋をしているけど、どうしてもこの仕事をしたいかって聞かれたら即答できないもん。」
「お前は若いんだから当然だ。これからいくらでも可能性があるし。」
「オジさんだってまだまだいっぱい可能性あるじゃん。今は平均寿命80歳の時代だよ。それにあんなに上手なんだから、一所懸命修行すれば、きっと一廉の菓子職人になれるよ。」
「・・・・・・・いや、もっと早く思い切っていればな・・・・・・。」
「今からだって遅くないって。それに今思い切って良かったよ。定年になってから思い切ったんじゃさすがに大変かもしれないもん。」
オヤジの悲観的な発言にもカヲルはにこやかに前向きな励ましの言葉を返してくれる。ゲンドウは体中に力が漲ってくるのを感じていた。菓子職人になるという決断をして以来、こんな風に手放しで励まして貰えたのは初めてだった。


「じゃあ私もひとつ質問させてもらうぞ。」
「いいよ。なんでもどーぞ。」
ドンと来いとばかり胸を叩くカヲルに対し、ゲンドウは大きく何度も深呼吸をすると、ようやくこう切り出した。
「お前は男なのになぜこんな格好をしているんだ?」
「アハハ、おかしいかな〜?」
屈託無く大口を開けて笑われると、こっちの方がつまらないことにこだわっているような後ろめたい気がしてくるが、それでもずうっと疑問に感じていたことだったので、この機会に解明せずにはいられなかった。
「あのね、昔から人型の使徒の男の子は早死にするって言われてたから、キールおじいちゃんが僕に女の子の格好をさせて育てたんだ。」
「キールおじいちゃん?」
「僕を育ってくれたおじいちゃんだよ。怒ると怖いけど、いつもはとっても優しいんだ。今頃どうしてるかな〜?」
ちょっと昔の武士の世界にありそうな理由だ。でも、育ての親と言うからには本当の両親との縁は薄かったのだろう。いつも明るく振る舞ってはいても、カヲルのこれまでの人生は山あり谷ありだったに違いない。そう考えるといじらしくなってくる。
「ここまで元気に育ったのだったら、もう男の姿に戻っても良いんじゃないのか?」
「う〜ん、そうなんだけど・・・・・。女の子の服の方が可愛いんだもん(^o^)。」
目一杯能天気に答えるカヲルにゲンドウは返す言葉もなく、ただ苦笑するだけだ。きっとこれまで男女の差というものについて深く考えたことがないのだろう。
「そうか。」
ゲンドウもあえてそれ以上は追究しなかった。本人が言うとおり、大きなリボンもひらひらワンピも今のカヲルにとても似合っているのだから。以前のゲンドウだったらともかく、世間のレールから実際に外れてみて、様々な非難や偏見のシャワーを浴びて来た今では世の中の常識というものに拘泥することはなくなっていた。
「今日は良い話聞いちゃった。夢がある人ってステキだな。おじいちゃんへの手紙にも書かなくちゃ。」
あまりにもストレートに誉められて、かえってゲンドウの方が面食らっている。だけど、もちろん悪い気はしない。
「オジさんの夢が叶うように、僕も毎晩祈っててあげる。じゃあまたね〜。」
来たときと同様、スカートをはためかせながら、夕暮れの空に吸い込まれるように去っていくカヲルの後ろ姿がぐんぐん小さくなり、やがてすっかり消え失せてしまってもゲンドウはずうっとドアの外に佇み続けた。自分の胸の中で暖かな灯がポツポツと点るのを彼は確かに感じ取っていた。


TO BE CONTINUED


 

back