*第三新東京モナムール〜10*




あれから何十回受話器を取ったことだろう。この数時間で一年分の会話をさせられたような気がする。しかも、内容は皆、判で押したように同じ。仕事関係の絶縁の告知である。この世界では安定した人気を誇っていたはずのゲンドウが、瞬く間に失業者同様の境遇に身を置くことになってしまった。
「いったい、何があったんだよ?ネルフ書院は言うに及ばず、他の会社だって父さんと長年親しくしてきたところばかりなのに。」
とっつきが悪い上に仕事を選ぶゲンドウだが、一旦引き受けさえすれば、どんな些細なコラムでも手を抜くことなく、常に読みごたえのある原稿を書いてくれるので、関わりを持ったどの出版社からも依頼は絶えることがなかった。
「・・・・・・・まさかキールがここまで思いきった手を打ってくるとはね。」
薄い唇をぎゅっと噛んで、日頃に似合わぬ低い声でカヲルが呟く。
「ええっ!!じゃあ、これは何もかも・・・・・・・。」
「そお。キールの碇先生への報復。しっかし、早いよねえ。日付も変わらないうちと来たもんだ。」
苦笑混じりでカヲルが続けた内容に衝撃を受けずにはいられないゲンドウとシンジ。要するにカヲルを返すことを拒んだばかりにゲンドウは業界から干されてしまったというわけだ。
「父さん、どうするの?原稿依頼、ゼロになっちゃったよ。理由が理由だけにこれから新規で来るなんてありえないし。」
「・・・・・・・・・・・・・ううむ・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
さすがのゲンドウも答えあぐねている。若いころから作家を志し、まともな会社勤めをしたことがない彼に、今さら一般の仕事が出来るかといえば、残念ながら疑問符を付けざるを得ない。ここ数年続く不景気で失業率は過去最高。20代・30代ですらリストラの対象となっているのだ。そんな厳しい状況の中で、特別な技能もない中年オヤジにすんなり就職の道が与えられるほど、世の中甘くはなかろう。
「やっぱ、帰るよ、僕。」
沈黙が続く碇父子を見かねたのか、言い終わらないうちにカヲルはすっくと立ちあがった。
「こういう形で君たちに迷惑をかけるのは本意じゃないからね。僕もちょっと先走り過ぎたみたいだし、体勢を整えてからまた来るよ。」
もちろんその申し出をありがたく受け容れるようなゲンドウとシンジではない。
「つまらん気を遣うな。座ってろ。」
「父さんのいうとおりさ。だいたいこんな外堀を埋めるような方法でカヲル君を奪還しようだなんて、やり口が汚過ぎるよ。」
けれども、カヲルはふたりに一瞬微笑みかけただけで、腰を降ろそうとはしなかった。
「きれいごとだけで世界の経済界を牛耳るほどの巨大コンツェルンを築くのは到底不可能さ。この程度の報復なんてカワイイもんじゃないか。」
「でも、君は体勢を整えてなんて言ってるけど、戻ったら最後、もうニ度と外出なんてさせてもらえないんじゃないのかい?カヲル君のためにここまでするんだったら、連れ戻した後のことも当然考えてると思うけど。」
「ふふふふふ・・・・・・ホント、馬鹿なオヤジだよねえ。シンジ君もみっともないと思うだろ?」
「え・・・・・・・・ま、まあ・・・・・・・・そりゃあ・・・・・・・。」
予測もしなかった内容の話をいきなり振られてしまい、口篭もるシンジだったが、そのくせしっかり肯定している。カヲルはわが意を得たりとばかりに含み笑いをした。
「僕はこんなのイヤだな。相手を振りまわしても振りまわされるなんてまっぴらゴメンさ。カッコ悪いったらありゃしない。」
このセリフを耳にした瞬間、ゲンドウの中でカヲルの一連の行動にある種の答えが出たような気がした。あれだけ執拗なアタックを受け続けたにもかかわらず、なぜカヲルの自分に対する気持ちに”本気”が伝わってこなかったのか。
(カヲルは本当の意味での恋愛を知らんのだ・・・・・・・・。)
ゲンドウに向かってどんなに甘い言葉を囁こうと、積極的な行動に出ようと、カヲルはいつも冷静だった。まるでゲームでも攻略するかのごとく、次の一手を組み立て、それに従ってシナリオを進行させていく。そこには本来の恋愛にもれなく着いてくるであろう、傍から見るとしらけるほどの思い込みや無様な暴走、さらには抑えきれない感情のほとばしりというものがまるっきり存在しなかった。もっとも、時々うっかり”素”の部分を覗かせてしまうあたり、まだまだ幼く、微笑ましさすら感じさせたが。



「平気さ、僕は。それより碇家のほうがよっぽどピンチじゃないか。これからの生計はどう立てていくつもりなんだい。」
根幹に触れる質問をされ、シンジは一時黙り込む。が、すぐに顔を上げ、カヲルを元気づけるように明るく切り出した。
「非常時だし、僕も新聞配達でもして家計の足しにするよ。父さんだって仕事を選ばなければ、いくら何でもパートくらいみつかるさ。いざとなれば貯金だってあるし、暫くはこれでしのげると思うよ。」
だが、カヲルはふふんと冷笑しただけだった。
「な、何がおかしいんだよ。」
「甘いよ。高校生でさえ学校でうるさく言われるのに、中学生の君にバイトなんて出来るものか。第一、碇先生が勤め人としてやっていけると本気で思ってるのかい?パソコンに手も触れたことのない機械音痴じゃオフィス系の仕事は絶対無理だし、この愛想のなさじゃ接客業も不可能。不器用だから手先を活かす職業もダメだし、気が短いから地道な単純作業も向かないよ。そうなると、あとは肉体労働だけど、先生散歩くらいしか運動してないみたいなんだもん。」
ゲンドウの現状を完璧に把握した非の打ちどころのないコメントにシンジも我知らずうなずいてしまった。
「う〜ん、カヲル君の言うとおりだ。父さん、作家の肩書きがなかったら、世の中で全く潰しのきかない人間だったんだな。」
「少なくとも職業人としてはね。」
カヲルはともかく、息子からも優しさのかけらもない評価を下され、内心激しく落ち込むゲンドウ。
(・・・・・・・・・シンジ・・・・・・少しくらいフォローしたらどうなんだ・・・・・・ーー;;。)
しかし、完全に収入の道を閉ざされてしまった今、ゲンドウに出来る選択は二つに一つ。すなわち、このまま兵糧攻めに耐えぬくか、はたまたおとなしくカヲルをキールの元に返すか。ごく普通に考えれば、カヲルを差し出せば済むことだ。元々半ば押しかけで強引に碇家に住みついたのだし、ゲンドウに対する感情も、とても恋などという言葉に相応しいものではない。
(しかし・・・・・・・・ここでカヲルを返すことは出来ん。)
たとえカヲルが遊び半分で自分に近づいたのだとしても、いや、だからこそ一刻も早く今の境遇から解放してやりたかった。最低、キールとの関係だけでも断ち切らせなければならない。このままでは彼が本来持っている年相応の可愛らしさや瑞々しい気持ちさえ、枯渇してしまうような気がしたのだ。
「お前の知ったことではない。・・・・・・・その気になればどんなことでも出来るものだ。」
状況を打破する具体的な対策が閃いたわけではなかったが、ことさらに力強く言い放つゲンドウ。当然、カヲルの容赦ない反論が待っていた。
「先生、精神論じゃ何一つ解決しないんだよ。気合だけでワープロ入力が上達するかい?いきなり細かい手作業がこなせるようになるのかい?」
鋭い突っ込みに一言もない。元来、口下手のゲンドウが、口から先に生まれてきたようなカヲルを言い負かそうなんて、どだいムリな相談だったのだ。ゲンドウに残された唯一の手段は、小細工無しで誠心誠意自分の考えを話して、カヲルにわかってもらうこと。それしかなかった。




「シンジ。」
「何だい、父さん。」
「お前はちょっと部屋に戻ってろ。」
「えっ・・・・・・・・。」
「一対一で話してみる。」
いつもなら、こんな扱いをされたら不平不満爆発のシンジだが、今の切羽詰った状況を十分理解しているだけに、素直にゲンドウの言うことに従った。
「わかったよ。でも父さん、ちゃんとカヲル君を説得してよ。丸め込まれたりしたら承知しないからね。」
それでも去り際にひとこと釘をさしてから退場。ことしゃべりに関してはとことん信用されていないゲンドウである。
「ちょうど良かったよ。僕も碇先生と二人きりでお話したかったんだ。」
艶然と微笑むカヲルだったが、さっきとは違い、目は笑っていなかった。
「先生、本気でこのままの状態を続けるつもりなのかい?」
「無論だ。」
「どうしてそこまで突っ張るのさ。はっきり言って先生たちがどう抵抗しようと事態が改善されることはありえないよ。」
口調も態度も落ち着き払っており、とても当事者とは思えない。
「お前はそれでいいのか。あれほど帰りたくないといっていたではないか。」
「仕方ないよ。元はといえば、僕が事前の根回しを怠ったのが原因だし。先生こそ、こんなことでせっかくの人気作家の座を捨ててしまってもいいのかい?それとも僕のためだったらそんなもの惜しくない?」
ゲンドウの目をじっと見つめながら、囁くカヲル。小波のように揺らぐ瞳は何ごとかを期待しているかのごとく、鮮やかに煌く。だが、ふとため息混じりに視線を逸らした。
「でもダメだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「先生は自分の一存では物事を決定できない立場のひとだもの。」
「どういうことだ?」
カヲルの横顔がやや淋しげに見える。ゲンドウは理由を尋ねずにはいられなかった。
「だって、先生が執筆不能になって困るのは、あなたとシンジ君だけじゃないんだよ。先生の作品を看板にしてるネルフ書院の編集部員や他の雑誌社のスタッフ、さらには印刷などで出版に携わる人々はもちろん、先生の作品を愛読してるファンだってきっとガッカリするよ。そんな人たちのことを踏みにじってまで、まだ意地を張りとおすつもりなのかい?」
「!?」
この指摘はゲンドウの考えていたカヲル像を良い意味で大幅修正してくれた。今までだってカヲルのことを根っからの性悪と認識していたわけではない。しかし、キール・ローレンツの元で贅沢三昧、何不自由ない生活を送ってきたというイメージは拭いされなかったし、少なくともこれまでの言動は自己中の極みとしか認められないものばかりだった。
(・・・・・・・・案外、苦労してきたのかもしれんな・・・・・・・・・。)
そうでなければ、このような極限状態で、他人の立場や痛みに思いを馳せられるものではない。ただでもまだ14歳の少年なのだ。
(・・・・・・・キールに引き取られたのが8年前だといってたな・・・・・・・。)
よくよく考えてみれば、いかにキール会長が財産家でも、まともな家庭に育っていれば、養子という話自体出てくるはずがなかった。フルーツパーラーで初めてカヲルと話をしたとき、”両親なんていない”と嘯いていた様子がはっきりと頭に浮かぶ。しかも”パパならいる”とも付け加えていたではないか。今思えば、どうやらあの発言は何もかもが真実だったらしい。




「あなたにそんなことは出来ないよね。」
ゲンドウに問いつつ、自分に言い聞かせているようでもある。確かに、ゲンドウの今日があるのは、売れない純文学作家だった自分に、執筆の機会を与えてくれた親友冬月のおかげだ。思いも寄らぬ方向転換になってしまったものの、ゲンドウはこのことを悔やんでも恥じてもいない。この恩に報いようと彼はどんなに執筆依頼が重なっているときでも、常にネルフ書院の仕事を最優先してきた。ゆえにゲンドウが断筆に等しい状態になってしまうことは、特にネルフ書院にとっては死活問題だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
他の会社やファンの人々ももちろん大切だが、何よりネルフ書院の面々を自分の独断で窮地に追い込むわけにはいかない。カヲルの言うとおり、今のゲンドウは背負っているものが多過ぎた。
「・・・・・・・じゃ、僕帰り仕度をするよ。大きな荷物は後日取りに来てもらうから。」
口を真一文字に結んだまま、一言も発さないゲンドウを横目で眺めつつ、カヲルは事もなげに言う。
「別に僕、何とも思ってないから気にしないでよ。」
カヲルは気遣ったつもりなのかもしれないが、その言葉がゲンドウの心にぐさりと突き刺さった。しかも鋭利な刃物ではなく、割れたガラスのかけらのように抜こうとすればするほど、ますます深々と食いこんでいく。
(・・・・・・・・私はなんと無力なのだろう。)
結局、キール・ローレンツの権力の前にあえなく屈してしまった。どんなに綺麗ごとを並べ立てたところで、結果が伴わなければ、ただの大言壮語の口先男だ。キールの前では「この子を渡すわけにはいかん」などとさんざん大きな口を叩いたくせに、カヲルを今の境遇から救い出すどころか、自ら戻らざるを得ない状況に追い込んでしまっただけではないか。
「碇先生、元気出してよ。」
はっきりとわかるほどうなだれているゲンドウの肩に手をかけて、カヲルが励ますように明るく声をかける。ゲンドウは自分が一層情けなくなった。年齢的にはむしろカヲルを支えてやらなければならない立場だというのに。
「あなたの選択は正しいよ。だって、他人を踏みつけにして僕を助けようとするんだったら、キールのやってることと変わらないもの。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「先生がそういう道を選んだとしたら、僕はもうニ度とあなたに会おうとは思わないよ、きっと。」
そこでちょっと息をつき、カヲルはゲンドウの顔を真正面から見据えて続けた。
「でも、あなたのような人が僕のためにまわりの全てを犠牲にして、なりふり構わぬ暴挙に出るのもちょっと憧れるかな・・・・・・・・・・(#^.^#)。」
「・・・・・・・・・・・・・・こんなときに何を言っとるか(ーー;;)。」
そっけなくあしらおうとするゲンドウだったが、カヲルのうっとりした表情からなぜか目が離せない。
「そこまで僕を愛してくれたらいいのに・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(*ーー*)。」
これもカヲルの戦略に決まってると確信していながらも、恋愛経験値の大幅な不足から、ついつい動揺してしまうゲンドウ。焦りと照れから顔が引きつっていくのが自分でもはっきりとわかる。
「・・・・・・・ふふふふふ、冗談だよ。もお、碇先生ったらそんなマジな顔しちゃってえ。もしかして本気にしてたのかい?」
(・・・・・・・・・・・こいつは・・・・・・・・・・(メ-_-)。)
そんなゲンドウの有り様を笑い飛ばすカヲルの表情にはいささかの翳りもなく、今はそれだけがゲンドウにとっての救いだった。もちろん、このままキールの好き放題にさせておくわけにはいかない。決してあきらめることなく、自分に出来うる最善の手立てを探そうと心密かに決意するゲンドウであった。



部屋に入り、小荷物をまとめるカヲルの姿を目にして、シンジは事の顛末を察した。やや肩を落とし気味のゲンドウに激しく詰め寄る。
「父さんがカヲル君に諭されてどうするんだよ。全く肝心な時に役に立たないんだから。こんなことなら僕が話をしてたほうがよっぽど良かったよ。」
露骨に怒気を含んだ口調で、冷たく言い捨てるシンジ。ここで見苦しい言い訳をしないことが、ゲンドウに出来うる唯一の手立てとなってしまった。
「シンジ君、碇先生を責めてはいけないよ。先生にもいろいろ大人の事情ってものがあるんだから。」
いきり立つシンジをなだめるように優しく言うカヲルは口元に笑みさえ浮かべている。
「でも、カヲル君は本当にそれでいいのかい?」
「まあ、ちょっと実家へ帰ってきますってとこかな。そんなに深刻にならないでよ。」
あくまでも平静を保ち続けるカヲルに、ゲンドウの胸の奥がきりきりと絞られる。
「シンジ君は僕の境遇がわかっても、いままで通りに接してくれたね。嬉しかったよ(^.^)。」
「・・・・・・そりゃあ、今でも驚いてるけど・・・・・・経緯を知らない僕があれこれ言う資格はないし・・・・・・・たとえ、どんな立場にいたってカヲル君はカヲル君だし・・・・・・・。」
まだ心の中で整理のつかない部分は多々あれど、だからといって短絡的にカヲルのことを罵ったり、避けたりする気にはなれないシンジだった。共に暮らしたのは短い期間ではあったが、カヲルとの間にはそれを越えるかけがえのない感情が育まれつつある。もちろん、友情と呼ぶにはまだあまりにも不確かで発展途上のものだったが、その気持ちを大事にしたかったのだ。
「ふふ、ありがとう。」
カヲルはうれしげに答えると、ちょっと悪戯っぽい表情で続ける。
「綾波さんと上手くいくといいね(^o^)。」
「カ、カヲル君、よしてよ、こんな時に(///)。」
照れ隠しで頬を膨らませるシンジを茶化すかのように、カヲルはもう一度声を立てて笑った。




手際良く準備を終え、カヲルはすでに玄関へ向かって歩き出している。
「じゃ、短い間だったけど、いろいろお世話になりました。」
柄にもない神妙な顔つきで、ぺこりとお辞儀をする。が、即座に顔を上げると、こう続けた。
「でも、必ず帰ってくるから心配しないでよ。」
残されるふたりを気遣った発言なのか、はたまた言葉通りにキールにぐうの音も出させない隠し玉があるのか、それはわからない。しかし、いずれにしろ、ゲンドウにとっては苦い別れとなってしまった。まさかこんな形でカヲルが碇家を去ることになるなんて考えても見なかった。まがりなりにも“好き”というセリフを聞かせてくれたこの少年に対して、自分は結局、何もしてやれなかった。果てしない挫折感がゲンドウの心を駆け巡る。でも、この胸苦しさは決してそれだけのためではない。カヲルにもう会えないかも・・・・・・・。そう思っただけで、激しい喪失感がゲンドウの身体をずぶずぶと貫いていく。
(・・・・・・・・私は・・・・いったい・・・・・・・・。)
こんな心持ちになるなんて全く思いもよらなかった。戸惑うゲンドウの思考を遮るようにカヲルの言葉が投げかけられる。
「リライト、まだ途中だけど、絶対僕が完成させるから新しい人を雇っちゃダメだよ。」
事ここに至ってもカヲルはまだまだ戻る意欲旺盛で、その前向きな態度だけが碇父子にとってささやかな癒しとなっていた。
「カヲル君、絶対に戻ってきてよ。」
口惜しさと名残惜しさがない交ぜになった表情で呼びかけるシンジ。カヲルは口元を綻ばせながら、うなずいた。そしてドアのノブに手をかける。
「・・・・・・・カヲル・・・・・・・・・。」
ずっと無言で少年たちのやり取りを見詰めていたゲンドウが初めて一言発した。それを聞いた瞬間、これまで覚めたように穏やかだったカヲルの表情が一変した。頬を紅潮させ、唇を震わせる。瞳の揺らぎがここからでもはっきりと分かった。
「・・・・・・・・・・・初めて名前で呼んでくれたね。」
感極まったようにそう言うと、コマ送りのフィルムみたいにぎこちなくはにかんで笑った。
「さよなら。」
思いがけない反応に胸を打たれ、我知らず手を伸ばしかけたゲンドウだったが、間髪を入れずにカヲルがするりと身を翻したので、その細い身体は一瞬のうちに扉の向こうへと消え失せてしまった。音も立てずに閉ざされたドアをゲンドウは身動ぎもせずにいつまでも見つめていた。


TO BE CONTINUED


 

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