*第三新東京モナムール〜13*



「キール会長は、今朝お立ちになりました。」
極めて事務的で愛想のかけらもない執事の返答を聞いたとき、加持は我が耳を疑った。
(なんてこった。緊急の呼び出しがあったからこそ、わざわざ予定を変更してこのクソ暑い中、屋敷にはせ参じたっていうのに、全くのムダ足とは。)
もちろん、加持はキール・ローレンツのお抱えライターというわけではない。それどころか、ゼーレグループにとって、苦い内容の告発記事を書くことすらあった。しかし、時には痛い目に遭わされようと、キールは加持の諸々の手腕を高く評価しており、ここぞという時の仕事には必ず彼を起用した。世評通りワンマンで強引なところがあるキールだが、優秀な人材は立場を超えて積極的に登用したし、またその才能を見極める目は厳しく鋭かった。加持の方も正当な報酬さえ得られれば、プロとして全力で仕事をこなし、その成果は常にキールを十二分に満足させるものだった。
(俺の勘違い・・・・・・・・・じゃないよな。)
汗でよれよれのワイシャツの胸ポケットから、シルバーグレーのポケベルを取り出して、着信記録を確認する加持。間違いなく呼出しはあった。盗聴の危険を避けるため、極秘事項の連絡に限っては、ポケベルのみで行なわれている。この番号を知っているのはキール会長ただひとりのはずだ。なのに、呼び出した本人は、すでに香港行きの飛行機に乗ってしまったという。今日、日本を立つことは聞かされていたが、まさかこんなに早いとは思ってもいなかったし、何よりベルが鳴ったのは、ほんの小1時間ほど前のことなのだ。
(いったい、どうなってるんだ?)
合点が行かないまま、加持は蝉の声がうるさく響くローレンツ家のだだっ広い敷地を、出口へと向かって進んでいった。ぎらつく日差しと熱風が容赦なく彼の全身を苛む。が、左右に広がる庭園では、骨折り損の加持を労い、励ますかのように色とりどりの花が一面に咲き乱れていた。
(おっ・・・・・・・・あれは。)
その中でもひときわ目を惹くひまわり畑に佇む、つばの広いストローハットをかぶった少年。
(カヲル君・・・・・・・・・。今回も同行しなかったのか。)
半分以上帽子の影におおわれた顔で、紅の瞳だけが鮮やかに光を放っている。カヲルは加持の姿を目に留めると、意味深な含み笑いと共に軽く手招きをした。
「ふふ、加持さん、残念だったね。でも、このまま返すんじゃあまりにも気の毒だから、美味しいお茶でもごちそうしてあ・げ・る(^o^)。」



外界とは別天地のような爽やかな空気が流れる室内。南向きの大きな窓を通して、風にたゆとう白百合の花が見える。カヲルは最後の仕上げとばかり、大きなピッチャーの中に数枚のレモンの輪切りを放り込み、あらかじめ冷やしておいたグラスに、そこから琥珀色の液体をゆっくりと注ぎこむ。この猛暑に耐えかねて、汗を流しているかのように、グラスのここかしこには水滴が付着していた。
「はい、どーぞ。」
加持は無言でグラスを握り締めると、勢い良くアイスティーを飲み干した。とにかく喉の渇きが潤いさえすれば、なんでも良かった。無理もない。35℃はあろうかという真夏日に、全速力でバイクを飛ばして屋敷まで駆けつけたのだ。
「ふう〜、ようやく人心地ついたよ。」
「ちぇっ、僕がせっかく手ずから入れてあげたお茶を一気飲みするなんて。本場の朝摘みの葉を使った最高級品なんだから、もっとじっくり味わって飲んでくれなきゃ。キールにだって、こんなサービスめったにしてあげないのにさ。」
丹精込めた作品を、無造作に胃袋に流し込まれて、カヲルはすっかりおかんむりだ。確かに、カヲルがこんなことをしてくれたのは初めてかもしれない。加持がまだ駆け出しライターだった頃に、決してメジャーとは言えない雑誌の片隅にひっそりと掲載された財界ルポ。それがきっかけとなってキール会長との縁が繋がったのだが、その時点で、すでにキールの側にはカヲルの姿があった。強大な後ろ盾の機嫌を損ねまいと、常にちやほやされて、腫れ物に触るがごとく扱われた幼い子供に、奉仕の精神が殆ど芽生えなかったのは、当然の結果だろう。
「ははは、すまんすまん。水分を出し尽くして干物のような状態になっていたんでね。今度はちゃんと味と香りを堪能させてもらうよ。」
「もう遅いよ。おかわりはセルフサービスだからね。」
テーブルの左端に陣取るピッチャーを、カヲルは投げやりに指差す。
「はいはい、わかってるよ。」
加持は苦笑しつつ、中腰になってピッチャーを手に取ると、空のグラスに紅茶をなみなみと注ぎながら、唐突にこう切り出した。
「・・・・・・・・・・で、一体俺に何の用だ?」
「気付いてたんだ。」
けれども、カヲルの表情には驚きの色はなく、むしろ気取られて納得といった風だ。
「そりゃあ、俺が来ることを知っていたかのように、ご丁寧にグラスまで冷やしてあってはね。君が無償で誰かにこんなもてなしをするとも思えないし。」
さすがに、政財界の魑魅魍魎と互角に渡り合って仕事をしているだけのことはある。加持はただのこのことお茶に呼ばれたように見せかけて、その実、周囲の状況やカヲルの様子を抜け目なく観察していたようだ。
「ふふ。そうだよ。僕の部屋にわざわざ招いてあげたんだから、ちゃんとお願い聞いてくれなきゃ許さないよ。」
カヲルの自室はその身分や日頃の言動に似つかわしくないこぢんまりとしたものだった。といっても、その素材や配色はよく考えられた品のいいものが揃っていたし、小さいながら専用のキッチンも付いており、こしらえる気さえあれば、ここで大抵のものを賄うことができた。家具も電化製品も最低限しか配置されていない、シンプルな空間で、美麗な流線型のフォルムのパソコンと、ラックにまとめて収納してある何種類ものゲーム機だけがやたらと目立っていた。
「その前に俺の質問に答えて欲しいものだな。」
「え?」
「どうして俺のポケベルの番号を知ってるんだ?」
加持の顔つきがやや険しくなっているが、カヲルは全く動じていない。余裕たっぷりにちょっと小首をかしげて、可愛くとぼけて見せる。
「何のことかなあ。」
「君が俺を呼び出したんだろ?違うか。」
「・・・・・・・・・・ふうん、さすがキールが極秘で僕の捜索を頼むだけのことはあるねえ。」
他人事みたいにあっけらかんと言葉を発するカヲルだが、加持に指摘された内容を否定はしない。
「やっぱりそうなのか。」
「そもそも加持さんが僕の居場所を即座に報告しちゃうから、今、こんな退屈な思いをさせられているんだよ。今度は僕に協力してくれたっていいじゃないか。」
反省や謝罪をするどころか、責任転嫁とも受け取れるような発言を堂々とするカヲル。でも、加持ももう慣れたものだ。淡々と受け流して、話を先に進めて行く。
「俺は依頼人の指示通りに仕事をこなしただけだ。それよりあの番号をどうやって・・・・・・・・・。」
「そりゃあ、知ってるさ。だって、キールに加持さんとの連絡はポケベルにした方がいいって、アドバイスしたのは僕だもの。」
「それは本当か。」
あっけにとられている加持を尻目に、くすくす忍び笑いを漏らしながら、カヲルはさらにこう続けた。
「ついでに二人のポケベルをカスタマイズしたのも僕。」




「キールは機械に疎すぎていけないね。あれだけの規模の事業を展開していながら、コンピューターや通信機器が、まともに使いこなせないなんて通らないよ。何とか世間の笑い者にならないように、僕がいろいろと教え込んでいるんだけど、ちっとも覚えなくていやんなっちゃう。」
加持はあれっと思った。確かにキール会長はバリバリにマルチメディア関係に詳しいわけではないが、だからといって、カヲルに手取り足取り習わないことにはどうにもならないほどの機械オンチだなんて、噂にすら上ったことがなかった。しかし、元来鋭い彼は、今のカヲルとの短い会話から、大方の事実を悟ってしまった。
「なるほどな。君の尽力で、キール会長は恥をかかない程度の知識は有しているというレベルを保ってきたわけか。」
「まさかあ。キールの側近にはいくらでもコンピューターの知識に長けている人物はいるよ。僕なんて、とてもとても・・・・・・・・・・。」
言葉でこそ否認していたが、その表情が”まあ、そんなとこかな”と語っている。どうやら、加持が考えている以上にカヲルはキールの、ひいてはゼーレグループのあれこれに関与しているらしい。キールが時おり冗談混じりに漏らす、カヲルをグループの後継者にという発言も俄然信憑性を帯びてくるというものだ。
「他の人間では君以上の知識があったとしても、そこまで会長の身辺に近づくことは出来まい。」
「最低限のことだけだよ。だって、あんまり詳しくなられると、かえって困るもん。」
そこまで言うと、カヲルはぺろりと舌を出して、上目使いで加持の方を一瞥した。
「・・・・・・・・・・カヲル君、君、何か悪戯をしているな。」
「人聞きが悪いこと言わないでよ。そりゃあ、暇つぶしにハッキングくらいはしてるけどさあ。」
とんでもない行状を告白しつつ、カヲルはにこにこと無邪気に微笑む。良心の呵責など露ほどもない。いつだってそうなのだ。
「なんていけない子だ。」
加持はわざと大げさに頭を抱えるポーズをして見せる。もちろん、カヲルはただ面白がっているだけだ。
「そーかなー。たかだか僕程度にパスワード解かれて、侵入されるほどセキュリティの甘いゼーレグループのメインシステムの方に問題があると思うけど。今のスタッフは全員クビだね。ふふふ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;;;;)。」
「加持さん、心配しなくても大丈夫。僕、別にゼーレグループの極秘事項を世間に公表しようなんて、これっぽちも思ってないから。だって、僕の贅沢三昧の美味しい生活もキールの財産あってこそだもんね♪」
あまりにもしたたかで計算高いカヲルのセリフに、今度は本当に頭を抱え込みたくなる加持だった。



 「ねえねえ、キールからはいくら貰ったの?」
興味津々といった様子で目を輝かせながら尋ねるカヲルだったが、加持はそっけなくかわすだけだ。
「そんなこと部外者に言えるはずがないだろう。」
「だって、加持さんへの報酬の目安になるものがないと、僕も頼みようがないよ。」
「何を企んでるんだ。」
「あ〜っ、人聞き悪いなあ。その言い方。」
これまでの数々の悪事をなにもかも棚に上げて、カヲルはいかにも心外といった風に口元を尖らせる。
「言われて当然のことをしてきただろう。」
「ふふ、加持さんに頼むのが申し訳ないくらい簡単なことだよ。」
カヲルは席を離れると、部屋の隅のライティングデスクの一番上の引き出しの鍵をあけ、スケルトンブルーのMOディスクを取り出した。
「これを預かってて欲しいんだ。」
あまりにあっさりした頼みごとに、加持は内心拍子抜けした。これがわざわざ自分を呼び出してまで依頼することなのか。そう思うと、カヲルに対して微かに腹立たしささえ沸き起こってきた。
「で、来週の土曜日までに僕が碇家に戻れなかったら、僕が指定する住所に送っちゃって。」
キールの帰宅は確か1週間後のはずだ。その翌日ではないか。しかも、いきなり碇家の話まで持ち出されているのはどういうことなのだろう。
「あ、そのときはいっしょにプロテクト解除のパスワードも教えるから、加持さんがこれ開いて、記事にしてもOKだよ。」
「いったい何が入っているんだ?」
率直に核心をつく質問をぶつける加持だったが、カヲルは、まるっきり取り合わない。
「だ〜め。今教えるわけにはいかないね。」
「中身も分からないものを預かることはできないな。」
「・・・・・・・・・とにかくどうしても内容は言えないんだ。でも、加持さんには絶対損はさせない。」
カヲルが頑なに拒むところをみると、ディスクにはゼーレグループの機密事項の一端でも入っているのではなかろうか。
(おそらく、これもメインコンピューターから手に入れたに違いあるまい。しかし、この子がこんな手段を使ってまで、碇先生のところに戻ろうとするとはな。)
加持の知ってるカヲルは、奔放で気まぐれで、何事にも執着を持たない猫のような少年だった。そのとき自分が面白いと認めたことしか手を出さない、典型的な今さえよければいいタイプ。そんな彼がこれほどこだわりを見せるのは極めて珍しいことだった。だが、カヲルはこれぞと思ったものは、あらゆる手練手管を駆使して手中に収めるのだが、手に入れた瞬間、憑き物が落ちたように興味を失い、すぐにまた別の楽しみの追求に移ってしまうという極めて冷淡な面も持っていた。
「損はさせないだと?」
「だけどお金は払えないよ。」
いつもキールの口座やクレジットカードを勝手気侭に使い放題のカヲルだったが、さすがに今回ばかりはそこから加持への報酬を払うわけにもいくまい。
「だろうな。」
「ホントは僕自身が報酬でも良かったんだけどさあ。」
ちらちらと加持の方を覗い見る瞳が、そこはかとなく艶めかしい。とても15前の少年が醸し出す雰囲気ではなかった。
「すごい自信だな。」
「加持さんは僕の周りのオジさんたちの中でも、ダントツにイカしててステキだと思うよ。」
「おいおい、俺はもうオジさんなのか。」
不服そうに切り返す加持に、カヲルの反応は冷たかった。
「当たり前だよ。30過ぎたら立派なオジさんさ。・・・・・・・・・・でも、ノンケだからダメだね。」
「君さえその気なら、試してみるのも悪くはないが。」
どこまで本気だかわからないセリフとともに、カヲルを熱っぽく見詰めながら、加持はその白壁の顔に手を伸ばそうとしたが、カヲルは身動ぎもせず、ただ口元をほころばせているだけだ。さらに差し出された手のひらがその頬に触れようとした瞬間、カヲルの力任せの平手が加持の手の甲に炸裂した。びたん。かなり大きな音が室内に響き渡る。
「いてて。おい、ひどいな。」
「加持さん、恋人いるんでしょ。ヒモつきの人はダメ。あとあと面倒くさいもん。」
「よく知ってるな。」
「碇先生の担当編集者なんだってね。すぐ連れ戻されちゃったから、僕、会えなかったよ。あ〜あ、残念。」
「そんなことまで知ってるのか。」
「そうさ。僕は何でも知ってるよ。子供だからって、甘く見てもらっては困るね。」
これもパソコンを操ってネットなどから得た情報なのだろうか。むろんそれだけではあるまい。キールに連れられて、あらゆる国を巡り、世代や身分を超えて様々な人々と交流があるカヲルの情報網は、まさに全世界に張り巡らされているのだ。
「あ、報酬の話だったね。えーと、万能IDカードでいいかな。これさえあれば、ゼーレグループの全ての施設や極秘の研究所もフリーパス。やばいネタの取材には欠かせない一品だよねえ。」
「万能IDって、君、まさか。」
「ふふふ、キールのをこっそりコピーしちゃった。ダメだねえ、ゼーレグループの会長ともあろうものが、愛人に気を許し過ぎてるよねえ。あ、平気だよ、違法コピーだって絶対分からないように処理してあるから。」
相手が加持だからいいようなものの、一歩間違えれば、ゼーレグループの命取りになりかねないような行為をしでかしているという自覚がカヲルにあるのかどうか。もっとも、依頼相手を厳選しているところを見ると、多少なりとも考えているのかもしれないが。




「全く可愛い顔してとんでもない子だな。」
ため息混じりに加持は呟くが、カヲルにとってはあくまでも正義は自分の方にあるらしい。
「キールが無理矢理僕を連れ戻したから悪いんだよ。もう一押しで、碇先生も僕の魅力のとりこになるところだったのに。」
「ホントにそう思っているのか?」
「もちろんさ。今まで先生以上の堅物だっていたけど、僕が本気になって落ちなかった相手は一人もいなかったよ。」
(そういうのは本気とは言わないんだよ。)
こう教えてやりたかったが、おそらく今のカヲルに説明したところでわかるまい。これまで、散々この手のお遊びを繰り返してきたカヲルだったが、ようやく彼に夢中になったところで、いきなり相手に興味を無くし、ボロきれのようにあっさりと捨ててしまうというのが、お決まりの結末だった。キール会長という後ろ盾があるからこそ事無きを得ているが、カヲルを恨んでいる者も少なくはない。
「・・・・・・・・・・わかった。君の話に乗ろうじゃないか。」
「やったあ♪さすが加持さん、話がわかるね。」
それは違う、と加持は思う。むしろ自分はカヲルにとって残酷なことをしようとしているのだ。カヲルがこんな心構えでいる限り、ゲンドウは断じて彼を本気で愛することはなかろう。ゲンドウがカヲルのアタックにたじたじになっているのは、単に彼がそういう状況に慣れておらず、上手な身の処し方がわからないだけだ。今でも亡き愛妻ユイを心から慕いつづけているゲンドウが、こんなゲーム感覚の誘惑に陥落するはずがない。カヲルは間違いなく挫折するだろう。
(荒療治かもしれないが、これが君のためだ。)
ゲンドウに全く相手にされなければ、これに懲りてカヲルもこんなバカな遊びはやめるかもしれない。特殊な境遇に置かれてきたため、常識をわきまえないところはあるが、決して悪い子ではないのだ。キールの屋敷や外遊先で、カヲルに幾度となく接するうちに、加持にはだんだんそのことがわかってきた。相手に妻帯者を絶対に選ばないところも、あの子なりの気遣いなのだろう。カヲルだったら、この先いくらでも彼に相応しい同年代の彼女が現われるだろうし、それが自然の節理というものだ。
「ふふふふふ、これでお膳立ては整ったね。あとはキールが戻ってくるのを待つだけ。碇先生、もう少しだからね。早く先生に”おかえり”って言ってもらいたいな♪」
傍らで見守る加持の真意も知らず、カヲルは早くも来るべき再会の時に思いを馳せていた。


TO BE CONTINUED


 

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