*第三新東京モナムール〜17*



「碇先生〜、ちょっとくらいいいじゃん。この店に入ってみようよ〜♪」
ゲンドウの左腕にぶらさがるようにしがみつきながら、ベッタベタの甘え声でカヲルが囁きかける。すれ違う人々はあまりにもミスマッチなこのカップルに気付くやいなや、訝しげに凝視したり、あっけに取られたり、堪え切れずに吹き出したりと千差万別の、だが決して好意的とは言えない反応を示していた。
「僕、あんな服が欲しいなあ。誕生日プレゼントということでひとつヨ・ロ・シ・ク。」
彩りも鮮やかにディスプレイされたショーウィンドーの中の秋物のジャケットとパンツを指差すカヲルだったが、ゲンドウは一言も答えず、且つ一瞥もせずにただただ前へ歩を進めて行く。
「あ〜、待ってよ。先生ったら冷たいなあ。」
「我々の目的を忘れたのか?一刻も早くシンジの行った”T-FRONT”とやらへ行かなくては。」
(ちぇっ、僕はもう自分の目的は達成しちゃったよ。あとは先生と一緒にいろいろなデートスポットを散策して、仕上げにホテル街にでも雪崩れ込めればカンペキなのに。)
カヲルはいかにも不服そうにゲンドウを見上げたものの、息子の初デートのことで頭が一杯のオヤジはそんな視線にまるっきり気付かず、なおも早足で目的地を目指している。
(だいたい”T-FRONT”じゃなくて”Q-FRONT”だよ。全く横文字に弱いんだから。ま、いかにも職業に相応しい間違いだけどさ。)
カヲルからすれば、ゲンドウとツーショで外出した段階で、すでに狙いの99.89%は達成していた。この後、シンジとレイがどうなろうが知ったことではない。だいたいここまでセッティングしただけでも感謝して欲しいものだ。あとは彼らが自力でなんとかすべきだろう。元々己の野心のためだけに練り上げた計画であるから、親切にフォローなどしていられない。そんなヒマがあったら、少しでも自分とゲンドウの仲を深めることに専念したかった。
「そんな野暮なこと言わないでさあ、せっかくふたりっきりでお出かけしたんだからもっと楽しもうよ。ほら、ここのピザ美味しいって評判なんだよ。」
「行く気がないなら置いてくぞ。」
「あっ、先生〜。」
ゲンドウはさらに大股になって、カヲルを引っ張るように歩いて行く。口を真一文字に結んで、額に青筋まで立てており、ちょっと見ヤクザの殴り込みとほとんど変わらない。強面のヒゲオヤジの切羽詰った様子に、通行人は恐れをなして次々と道の端へ飛びのくように避けていくので、日曜の混雑した街中にもかかわらず、ふたりは楽々移動することが出来た。



「遅いな、カヲル君。」
イラつく気持ちを静めるように、再び腕時計に刻まれた時刻をしっかりと確認してみるシンジ。だが何度覗きこもうと、約束の時間は大幅に過ぎ去っている。
「あんまり時間に正確なタイプではないと思ってたけど、案の定遅刻か。全く自分から誘っておいてこれだからなあ。まあ、ここなら退屈しないで待てそうだし、あと少し待ってみよう。」
カヲルがシンジとの待ち合わせ場所に選んだのは、先日渋谷の駅前に出来たばかりの”Q-FRONT”である。全国規模のレンタルセルストア”CHITAYA”やネットでライブ中継も出来るイベントスペース、さらに全席指定の前売制シアターなど魅力的なテナントがひしめき合っている。シンジがいる4階は”CHITAYA”のゲーム・アニメ関連のフロアだった。
「全くとんだ休日になっちゃったなあ。」
そう、今日は日曜日。カヲル言うところの”シンジとレイがデートに出かける日”である。けれども、もちろんそんな予定は存在しないのだから、本来なら家でのんびり寛ぐことも十分可能だったはずである。なのにカヲルに強引に誘い出されてしまったのだ。
「取りあえず日曜に君が出かけてくれないと僕、碇先生を騙したことになっちゃうよ。帰宅早々、いきなりのポイントダウンは避けたいもん。ねっ、適当に何時間か付き合ってくれればいいんだよ。」
「事実、騙したんだからしょうがないだろう。どうしてカヲル君のウソを取り繕うために、僕まで付き合わなきゃいけないんだよ。」
「そんなこと言わないでさあ。もちろん費用は僕持ちだし、こないだ君が欲しがってたゲームやエミュレーターのソフトも全部インストールさせてあげるから。」
この時点でシンジはおかしいと気付くべきだった。己のためですら自分では一銭も金を使わないカヲルが、シンジの分まで払うなんて何か魂胆があるとしか思えないではないか。でも、カヲルがようやく戻って来たことに対する嬉しさが、日頃は鋭いシンジの眼力を曇らせてしまった。もちろんタダでソフトを入手できるという美味しい条件も、家計を預かる立場としては十分惹かれるものであったが。
「それにしても遅過ぎるなあ。」
最新ラインナップが人目を引くように平積みされているゲームソフト売り場の棚を眺めながら、シンジはかなり腹が立ってきた。そもそもカヲルだけの勝手な都合で出掛けることになったのだから、カヲルの方が先に来て、待っているのが筋ではないか。もっとも、カヲルにそんな常識があるくらいなら、始めから何の根拠もない出任せを言ったりはしないであろう。
(いつになったら来るのかな・・・・・・・・・。)
すっかり待ちくたびれて昇りエスカレーターを虚ろな眼差しで眺めているシンジの目に突如飛び込んできた紅い瞳の人物。けれども、それはカヲルではなかった。
「あ、あ、あ、綾波。」
まさに嘘から出た真。なんと綾波レイが現われたではないか。日中はまだ残暑が厳しいので、ノースリーブの淡いベージュのワンピースという出で立ちだ。多分市販では最少のサイズなのだろうが、それでもスリムなレイにはややゆったりめに見えた。
「碇君だけなの・・・・・・・・・・。」
「えっ。」
「他の人たちは・・・・・・・・・・・・・?」
「えっ、えっ。」
レイが何を言っているのかわからないシンジはただオロオロするばかりだ。
「皆で博物館に行くって・・・・・・・・・・。」
「な、何だって?」
「・・・・・昨日、電話があったの。私はいなかったけど、叔母が用件を聞いてくれていて・・・・・・・・・・。」
詳しい事情は窺い知れないが、レイは現在親戚の家で暮らしている。彼女の言葉の中に出てきた叔母さんという人物を、シンジはかつて進路相談会の時に一度だけ見かけたことがあった。
「・・・・・・・・・碇君も参加するって聞いたから・・・・・・・・・。」
「いったいいつの間にそんな話が!?」
と叫びながらも、シンジは心の中でさっさと犯人に目星をつけていた。こんなことをしでかす該当者はひとりしかいない。
(・・・・・・・・・・・カヲル君、そこまでやるか・・・・・・・・・・・ーー;;;;;。)




「カヲル、何だかふたりはしっくりいってないように見えるのだが・・・・・。」
「ふふふふふ、先生、わかってないねえ。ケンカするほど仲がいいって昔から言うじゃないか。」
「・・・・・・・・・・そうなのか。」
フロアに幾列にも並んだレンタル用ビデオの巨大な棚の陰からひょこっと顔を出しながら、ゲンドウとカヲルはシンジたちのやり取りを固唾を飲んで(これはゲンドウのみ)見守っている。本当は先に到着して、ふたりを待ち構えるはずだったのだが、カヲルが寄り道ばかりするので、すっかり遅くなってしまった。なんとかゲンドウの足止めをしようと、いろいろなスポットに差しかかるたび、媚態の限りを尽くして二人きりのめくるめくひとときに誘ったカヲルだったが、あえなく玉砕。そして今ゲンドウとともにここにいる。
(ちぇっ、まさか碇先生がここまでシンジ君のデートにこだわるとはね。ちょっと計算違いだったなあ。)
一旦出掛けてしまいさえすれば、行く先はどうにでも変更可能だと目論んでいたカヲルにとって、これは予想外の事態だった。しかも、待ち合わせ場所をうっかり4階にしてしまったばっかりに、和服のヒゲオヤジを引き連れて、ゲーム・アニメのフロアに足を踏み入れる羽目に陥り、目立つことこの上ない。この際、1階でなければどこでも良かったのだ。カヲルが必要としていたのは自分たちの隠れ蓑になるこの大掛かりな棚だけだったのだから。
「でも、あれはカップルの諍いには思えんぞ。」
「先生たちの時代とは違うんだよ。とにかく、黙って見てなよ。」
と返しつつも、ここからはどう転ぶか分からないとカヲルは踏んでいる。どうにか上手く収束して、嬉し恥ずかし連れ立ってのお出掛けとなるか、それともレイを完全に怒らせてしまって、ひとり寂しくご帰宅となるか。もし後者になった場合にはこれから先の展開もかなり厳しいものが待ちうけていそうだ。とは言ってもしょせんは他人事。カヲルからすれば、自分さえゲンドウと充実した時間が過ごせて、楽しければいいのだ。だが、当然ゲンドウはそうではない。シンジの父親として、息子が健全な男女交際をしているか見守る義務があると、頼まれもしないのに勝手に思い込んでいる。
(しょーがないなあ、先生。自分が不健全極まりない小説を書いてるくせして、どうして息子にだけPTAのオバさんのようなことを要求するかね。だいたい男女交際の果てはもれなくえっちなんだから、健全な交際なんて存在するわけないじゃん。)
真剣な面持ちでシンジとレイの様子をじっと見つめているゲンドウの横顔からカヲルはわざと目を逸らしている。どさくさに紛れて、少しづつ近寄っているのだが、ゲンドウは全然気付かない。
(あ〜あ、ひとつのことに夢中になると他のことが目に入らなくなるタイプだね。)
と、その時、ゲンドウがいきなりカヲルの方に向き直って、ぐぐっと顔を接近させてきたので、カヲルの方がちょっと戸惑ってしまった。
「見たか。」
「な、何だよ。先生。」
「シンジの奴、あのコの肩に手をかけたぞ。ああ!!あんなに近づいて!!私はこんな教育をした覚えはない!!」
「ちょっ、そんな大きな声を出さないでよ。ただでさえ地声が大きいんだからさあ。バレちゃうじゃないか。」
「これが黙っていられるか!!本当に私の目が届かないところでは何をしているか分かったものではないな。」
「先生、落ちついてよ。いい年してみっともないなあ。」
「年は関係ない!!いや年長者だからこそ若い者に意見せねばならんことがあるのだ!!!!!」
すっかり感情が昂ぶっているゲンドウがあたりかまわず大声で怒鳴り散らすのを、カヲルは耳を押さえながらしれっと眺めていた。
(やれやれ、全く子供より始末が悪いよ。ま、こういうところがカワイイんだけどね。)
苦笑しつつ、なおもゲンドウの取り乱し様を見物しているカヲル。でも、場違いなオヤジの怒号は軽やかなBGMが流れている店内でさえ掻き消されることはなかった。ちょっと敏感な人間なら誰でも気付く程度の不協和音。
(なんだろ?)
シンジはふと後ろが気になって、振り向きかけた。が、先にレイの方が雑音の出所に視線を奪われたようだ。シンジと違って、彼女の位置だとわざわざ体勢を変えずとも、容易に正体を確認することが出来た。
「・・・・・・・・・あの人たちはいったい何・・・・・・・・・・?」
レイがぴしっと指差す先に注目したシンジの背筋が凍り付く。そこには見覚えのあり過ぎるむさ苦しいヒゲダルマとそいつに誘拐されてきたとしか思えない不釣合いな銀髪の美少年のツーショ。腰から膝からガクンと力が抜けて行くのをシンジは妙に冷静に自覚していた。
「・・・・・・・・・・カヲル君・・・・・・・父さんまで・・・・・・・・・・。」
今までの疑問が余すとこなく氷解するような気がした。それと同時に”嵌められた”という悔しさが改めて沸き起こってきた。その上まさかゲンドウまで一枚噛んでいたとは。
「シンジ、こ、これはな、あの、その・・・・・・・・・。」
上手く隠れていたつもりだったのに、あっけなく、しかもあろうことかレイの方に指摘されてしまい、ゲンドウは見苦しくあたふたと弁解に走ろうとした。しかし、ただでも口下手なオヤジに、こんな状況でシンジたちを納得させる的確な申し開きが出来るはずもない。一方、カヲルはこれっぽちも悪びれることなく、口元をほころばせながら、しらじらしくこう語りかけるではないか。



「おや、シンジ君と綾波さんじゃないか。こんなところで会うなんて奇遇だね。」
「奇遇って・・・・・・・・・・自分でお膳立てしておいてよく言うよ!!」
「君の望む世界を実現させる手助けをしてあげたんじゃないか。感謝してもらいたいくらいだね。だいたい君がちっともアクションを起こそうとしないから悪いんだよ。」
シンジやレイのみならず、ゲンドウまで騙しておきながら、カヲルは反省の色もなく、シンジを非難するような言い回しまでして来る。残念ながら帰還してその自己中振りには一層磨きがかかったようだ。
「君にそんな言い方される覚えはないよ。元はといえば、カヲル君がその場の勢いであんな嘘をつくから・・・・・・。」
さすがに顔つきが険しくなっているシンジだったが、さらに凶悪な面持ちになっている人物がいた。
「じゃあ、最初からお前の言ったことは全部ウソっぱちだったのか?私は書きかけの原稿を放り投げてまでここに来たんだぞ。」
今更ながら真実を悟ったゲンドウが、怒気をはらんだ口調でカヲルに詰め寄る。
「だから、あんなにそんな事実はないって言ったのに。息子を信用しないからこんな目に会うんだよ。」
「う、ううむ。」
そう叱責されると一言もない。あの40日足らずの短い期間でカヲルのキャラクターなどすっかり分かっていたはずだったのに。それでも、まさかレイまで呼び出して来るとは考えなかった。甘かった。
「・・・・・・・・・・結局、諸悪の根源はこの人なのね。」
吸い込まれそうな深い光を湛えた紅い瞳がカヲルを冷たく見据える。
「そうなんだよ、綾波にまで迷惑かけてホントにゴメン。」
「済まんな、こいつのせいで君にも貴重な時間を使わせてしまった。」
心の底から謝罪する碇父子。でも、彼らとて犠牲者、真に謝るべきなのはカヲルただ一人だ。なのに、当の本人は3人の咎めるような視線にも涼しい顔で、愛らしい笑みさえ浮かべている。
「ねえねえ、せっかくだからこれから皆で映画でも見に行かない?綾波さんもこのまま帰るんじゃムダ足でつまんないだろ。」
何事もなかったように目一杯明るく提案されて、ゲンドウもシンジも脱力した。
「な、何だと。」
「カヲル君、この後に及んで何言ってるんだよ。」
「当然映画代もそのあとの食事代もぜ〜んぶ碇先生がおごってくれるってさ。ねっ、先生。」
「お、お前という奴はどこまで・・・・・・・・・(メ-_-)。」
怒りの持って行きどころがなく、上げかけた握り拳をワナワナと震わせながら、ゲンドウはうめくようにこう漏らした。だが、確かにカヲルに騙されたばかりに、せっかくの日曜の午前中を不意にしてしまったレイに何のフォローもないというのはあまりにも心苦しい。
「・・・・・・・・・・どうだね、別にこいつの口車に乗るわけではないが、もし良ければお詫び代わりに・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・でも・・・・・・・・・。」
「そ、そうしようよ、綾波・・・・・・・・・・・。」
意外にもレイがはっきりと拒絶しなかったので、シンジは慌ててもうひと押ししてみる。この際、余計なおまけがついていてもかまわない。いや、むしろ一対一よりその方が気楽かもしれない。
「・・・・・別にいいのに・・・・・・・・・・。」
「いや、良くないよ。このままじゃ僕の気が済まないんだ。」
「ムリには進めんが・・・・・・・・。」
口説くなどという行為にもっとも縁のなさそうな碇父子が必死にレイを誘っているのを見て、自分の提案ながらカヲルは不愉快になって来た。
(なんだよ、碇先生。さっき僕が誘ったときには取り付く島もない態度だったくせに。)
けれども、レイが帰宅してしまえば、このままここで日曜デートも終焉を迎えてしまうだろう。極度の出不精のゲンドウだけに、果たして次回いつこんな機会が訪れるかわかったものではない。この際、グループ交際でも贅沢は言っていられなかった。
「・・・・・・・・・・そうね、そうするわ・・・・・・・・・。」
それぞれの理由から思わずほっと胸を撫で下ろす3人。元々シンジに心惹かれているということに加えて、父たるゲンドウの存在もレイの態度を軟化させる一因となったようだ。




「さあ〜、行こう行こう!!どの映画がいいかな〜。」
「お、おい、ちょっと離れんか。歩きづらいだろうが。」
「ダメダメ。せっかくのデートなんだから。先生も遠慮なく僕の肩とか抱き寄せてもいいんだよ♪」
人目もはばからず、すがりつかんばかりにベタベタされたあげく、大声でこんなことまで言われて、ゲンドウはすっかり困り果てている。表情こそ辛うじて厳しさを保っているが、朱に染まった顔色は隠せない。ゲンドウの反応を楽しむように、カヲルはなおもぐいぐいと身体を密着させる。こんなふたりの5メートルくらい後ろからまるっきり他人の振りをしてシンジとレイが付いて来ていた。こちらはごく普通の微笑ましいカップルといった風で、つかず離れずの距離を保ちながら、ぽつぽつと、しかし実のある会話を繋げている。
(まあ、結果オーライって感じだけどいいか。)
まんざらでもない気持ちで、心中こんなことを呟くシンジ。結局、カヲルの悪事はうやむやにされ、またもや碇父子は彼の思惑通りに動かされてしまった。照れまくるゲンドウを全く意に介さず、ますます接近度をあげて行くカヲルにシンジたちはもちろん、道行く人々もあっけに取られるばかりだ。
(真っ暗な映画館か。これは一気に進展が期待できそうだぞ〜♪)
さっきとは裏腹に足取りも重いゲンドウを引き摺るように繁華街を生き生きと闊歩するカヲルであった。


TO BE CONTINUED


 

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