*第三新東京モナムール〜19*



「かんぱ〜い!!」
浮き立つような明るい掛け声と共に、不規則にグラスをつつき合う音が響き渡る。居並ぶ顔は誰もが晴れやかな表情で、ひとつの仕事を成し遂げた達成感に満ち溢れていた。
「おめでとう、父さん。」
「先生、本当におめでとうございます。」
「碇先生、おめでと〜(^o^)。」
シンジがミサトがそしてカヲルが口々にゲンドウを祝福する。次から次へと畳みかけるようなアクシデントに翻弄され、一時は絶筆状態にまで陥ったゲンドウだったが、ついに昨夜原稿を完成させ、ミサトも交えて心ばかりのお祝いをしているというわけだ。けれども、主役たるゲンドウは慣れない状況に明らかに戸惑っており、皆からの祝辞にもどうも居心地が悪そうだった。元々晴れがましい席が大の苦手なのだ。
「いや、結局〆切りを破ってしまったのだからな。」
照れ隠しもあって、こう返すゲンドウだったが、実際、本気でそう思っていた。いくら不測の出来事が重なったとはいえ、原稿を書いて収入を得ている以上、期限までに完成できなければ作家失格だ。一般の会社ならば、製品が納期に間に合わないという事態は、たとえどんな理由があるにせよ、決して許されないであろう。とはいうものの、作業手順が定まっている物品とは違い、小説は個々人の内なる力で創り出すのだから、必ずしも一定の期間で完成するとは限らない。だが、生真面目なゲンドウは周囲の関係者のことも慮って、ついついこんな風に自分を責めてしまうのだった。
「仕方ないよ。愛しい僕のことが気になって、まともにモノが考えられなかったんだもんね。」
「・・・・・・・・・・・・・・よさんか。」
ただでも渋い表情がますます仏頂面になって、もはや知り合い以外には正視に耐えない顔付きになっていく。もちろんカヲルはまるで意に介さない。それどころかゲンドウの反応を面白がっている節さえあった。
「多少遅れたって、その分内容の濃い作品さえ提供すれば、ファンは文句なんて言わないよ。ホントに融通が利かないんだから。」
なおもゲンドウを小馬鹿にするようなセリフを付け加えるカヲル。
「お前は〆切りの意味がわかっとらん。」
「そんなの単なる目安だよ。それに縛られるあまり、不本意な状態で原稿を上げるほうがよっぽど失礼じゃないか。」
「う・・・・・・・・・・・・・・。」
カヲルの言うことにも一理あるので、ゲンドウはこれ以上反論できなくなってしまう。
「カヲル君、もう、いいじゃない。そんなに先生をいじめちゃカワイそうよ。」
ガキの突っ込みに詰まって、目を白黒させているゲンドウの情けない様子を気の毒に思ったのか、ミサトがふたりを取り成した。
「そうだよ、カヲル君。曲がりなりにも父さんの原稿が完成したことのお祝いなんだから、少しは花を持たせてあげなきゃ。」
「シンジ君までそう言うんじゃ仕方ないね。この辺でカンベンしてあげるよ。それにしても先生ったらホント素直じゃないんだから。」
カヲルも一言多いが、それを余裕で受け流すことの出来ないゲンドウもゲンドウだ。どうにか無表情を装いながらも、全身から漂う怒りのオーラは隠せない。
「何だと。」
「ふふ、心の底では僕にメ・ロ・メ・ロなくせに〜♪」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(メ-_-)。」
先程よりさらに迫力を増した悪鬼のような形相のヒゲオヤジがそこにいた。このままでは埒が開かないと思ったのか、シンジは少し過激な作戦に出た。
「いいかげんにしなよ、二人とも。これ以上揉めるようなら、会はお開きってことにするからね。」
碇家の最高権力者シンジの逆鱗に触れては、この先何かと不都合だし、テーブルで多彩な色と香りで存在をアピールしている御馳走にありつけなくなるかもしれない。
「はいはい。まあ、この先は先生と個人的にゆっくり話し合うことにしてと。」
「・・・・・・・・しかしな。」
言いたいことを十分に主張したカヲルと違って、ゲンドウはまだ納まらないようだったが、すかさずミサトがフォローに入る。
「先生、彼がいてくれたからこそワープロと格闘することもなく、書くことに専念できたんじゃないですか。」
「それはそうだが・・・・・・・・・・。」
「そうそう。ミサトさんの言うとおりだよ。それにしても先生の担当編集者にしとくにはもったいない美人だよね。」
「あら、カヲル君って正直(^o^)。先生もいいアシスタントを得て果報者よね〜。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
カヲルとミサトは今日が初対面ということになるが、いろいろと考えた末、彼女にだけは何もかも話すことに決めた。親戚などという苦しい嘘をついたところで加持の存在がある以上、遅かれ早かれ全部分かってしまうのだ。それに真実を知ったからといって、そのことで一同に対する接し方を変えるような女性ではない。事実、ゲンドウがカヲルの素性を説明したあとでさえ、ミサトは
「先生、思わぬ崇拝者が出来て、良かったじゃないですか。」
とゲンドウの背中を思いっきり叩いて豪快に笑っていた。



「これで慰安旅行も大手を振って参加できますね。」
「うむ。」
「慰安旅行?」
瞳をくりくりと動かしながら、カヲルは好奇心一杯でリフレインする。
「今年もいつもの荒井旅館に決定したんですよ。」
「おお、あそこか。海の幸をふんだんに使った食事が美味かったな。」
「先生、そんなこと言っちゃって、真の目当てはコスプレコンパニオンじゃないんですか?前行ったときも異様に盛り上がってましたよね〜。」
いきなり実態をばらされて、ゲンドウは摘みかけた甘エビの刺身をポトリと落としてしまった。シンジのそこはかとなく冷たい視線が、コトの信憑性をかなり確実なものにしていた。
「そ、そうだったか(^^ゞ?」
「またまた、とぼけちゃって〜。」
当然、大人しく聞いているカヲルではない。
「先生、温泉旅館のコンパニオンなんてレベルが低いんだから、そんなのにデレデレしてちゃダメだよ。だいたい先生には世界一カワイイ僕がいるじゃないか。」
「お前は話をややこしくするだけだから黙っとれ。」
「コスプレがいいのなら扮装してあげるけど。」
「黙れといっただろうが。聞こえなかったのか。」
「ううん。聞こえてるけど無視してるだけ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
相変わらずゲンドウはいいようにあしらわれている。そんなオヤジをすっかり置いてきぼりにして、カヲルは次の疑問を解消しに行った。
「ねえねえ、その旅行って家族同伴なんだよねえ。」
「まあね。僕も毎年鄙びた温泉に付き合わされて、もううんざりさ。ミサトさん、もっと今風のリゾートホテルなんかに行く予定はないの?」
「まあ、シンちゃんの気持ちもわかるけど、編集長が温泉好きだし、やっぱ無礼講でじゃんじゃん飲みまくるにはああいった温泉宿が気が置けなくて一番よね〜(^o^)。」
「ミサトさんに聞いたのが間違いだったよ・・・・・・・・・。」
ため息混じりにぼやくシンジを尻目に、カヲルは妙に浮き浮きしていた。そんな仕草を横目で見ながら、ゲンドウは一層気が重くなって行く。
「僕は旅館のほうがいいなあ。ホテルなんてもう飽きちゃった。先生と大浴場で楽しく背中の流しっこをするのもいいし、宴会の後は酒の勢いもあってもう夜具が乱れるほど・・・・・・・・・。」
「あら〜、カヲル君ったら大胆ね。」
職業がらなのか性格なのか、カヲルの過激発言にもミサトは全然動じていない。そして早くも缶ビール3本目に突入の模様だ。
「よさんか!!」
ひとりいきり立つゲンドウだったが、自分でもどうも空回りしているような気がしてならない。
「もう、全く冗談が通じないんだから。」
「本気でいっとるくせに。」
「わかっちゃった〜?」
ハハハハと明るく笑うカヲルの屈託ない横顔を見ると、もはや怒る気さえ失せて来る。ゲンドウがどう叱責したところで間違いなく糠に釘なのだ。
「全くとんだ爆弾を抱え込んだもんだ・・・・・・・・。」
カヲルが戻ってきたときの心が打ち震えるような嬉しい気持ちはどこへやら、ゲンドウは苦虫を噛み潰したような顔でしみじみと呟いた。




「あ、そうそう。これを忘れてたわ。あっぶない。編集長に怒られちゃう。」
素っ頓狂な声と共に、ミサトはバッグから慌てて封書を出して、ゲンドウに手渡した。
「何だね、これは。」
ゼーレグループのマークが大きく印刷された真っ白い封筒を、ゲンドウは訝しげに眺めている。
「毎年恒例のゼーレグループのパーティの招待状ですわ。」
「・・・・・・・・・・冬月め、私が参加したことがないのを知っているくせに、余計なことをしおって。」
憮然とした面持ちを隠そうともせずに、うめくゲンドウの真後ろからカヲルが勢いよく手を上げた。
「ハーイ、ハイ、ハイ!僕参加する!!」
「何だと。」
「だって僕はパーティの華だもん。僕がいなけりゃ、どんなゴージャスな会場も彩りに欠けちゃうよ。」
「彩らんでもいい。」
あんな男のパーティを、という続き文句をゲンドウはぐっと飲み込んで、手巻き寿司をポイッと口に放りこんだ。
「今回はゼーレグループ成立20周年ということで特に大々的に催されるんですよ。家族や友人同伴もOKですって。」
「ふうん。それを聞いてますます行きたくなっちゃったな。」
「お前はもうキールとは無関係なんだぞ。」
「そんなことないもん。ちゃ〜んとクレジットカードも預かってきたしさ。」
「クレジットカードだと。」
怒りよりショックのほうが先に立った。こんなものを所持している以上、カヲルは未だにキールの保護下にあるということではないか。
「だって碇先生、僕の欲しいものなんにも買ってくれないじゃないか。」
カヲル自身がまるっきり無自覚なのも、ゲンドウをさらに重苦しい気分にした。
「当たり前だ!!」
苛立ち混じりの怒声が部屋に響き渡る。カヲルもさすがにまずいと思ったのか、ゲンドウからちょっと視線を外して肩をすくめる。ところがここで予期せぬ援軍が現われた。



「家族同伴だったら僕も行ってみたいな。」
「シ、シンジ、お前まで何を言い出すんだ。」
「そんな大規模な記念パーティだったら、食事も最高の材料を用いて、目一杯趣向を凝らしたものが出されるに決まってるからね。」
当然、シンジの目当てはそれをただ平らげることではなく、その一流の味を盗むことで、碇家の食卓を一層充実したものにすることである。
「ほ〜ら、先生。もう2対1だよ。」
「馬鹿馬鹿しい。私は多数決には屈しないぞ。ゼーレグループのパーティなど参加してたまるものか。」
「じゃあ、いいよ。僕たち二人で行くから。」
「お、おい・・・・・・・・・・!!」
息子にあっさりと見捨てられて、もはや立つ瀬がないゲンドウ。
「ミサトさんは参加するんでしょう?」
「もちろん。編集部は全員出席よ。高級酒も飲み放題なのよね〜、ふふ♪」
来るべきパラダイスを夢見て、ミサトは我知らず顔が緩んでいる。
「じゃ、僕たちを連れてってよ。」
「別にかまわないけど、碇先生は?」
「いいよ、もう。あんな物分りの悪いオヤジのことは。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
ゲンドウのこめかみにくっきりと血管が浮きあがっている。
「キールに会うのも久々だから、う〜んと甘えちゃおっと。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;;;;;;)。」
水を通したホースのように青筋がピクンピクンと動き始めた。
「勝手にしろ!私はあくまでも出席せんぞ。」
「どーぞどーぞ。」
「何、ムキになってるんだよ、父さん。」
「先生、まさかヤキモチ・・・・・・・・・。」
小生意気なガキどもの間髪を入れない口撃に圧倒されっぱなしのゲンドウは、唯一有効な最終手段を取らざるを得なかった。つまり無言だ。
(・・・・・・・・・・シンジまであんなことを言うとは。私が派手な席が一番苦手なことをよく知っているくせに、全く・・・・・・・・・・。)




ささやかなパーティーもお開きになり、後のことはシンジたちに任せて、ゲンドウは一足先に自室に戻った。愛用のペンや書き損じの原稿用紙を丸めたものが机のあちこちに無造作に転がっており、ここしばらくの修羅場の名残を留めている。けれども、原稿に追われていた時は自分を急かせる重荷にしか見えなかったその光景も、今では自分が頑張った証に思えてくるから不思議なものだ。
「今日は久々に早く眠れそうだな。」
ゆっくりと大きく伸びをするゲンドウの耳に、唐突に扉が開け放たれる音が聞こえた。
「ねえねえ、先生。」
振り向く前に声をかけられて、ちょっと戸惑うゲンドウだったが、声の主はすぐにわかったので、おもむろに向き直った。
「カヲル、片付けは終わったのか。」
「ううん。でも、シンジくんひとりで十分さ。」
カヲルが余計なちょっかいを出したばっかりに、かえって二度手間三度手間になってしまったという悲惨な状況はゲンドウも頻繁に目撃している。案外シンジの方からカヲルの手伝いの申し出を辞退したのかもしれない。
「あ〜あ、僕、失業しちゃった。」
カヲルが大げさに肩を落としてみせる。客観的に見ても、カヲルは本当に頑張ってくれた。最後の3日間など殆ど睡眠もとらずに、ひたすら文字を打ち込んでくれたのだ。
「・・・・・・・・・・お前はよくやってくれた。」
自分でも驚くほど素直にゲンドウはカヲルに対する感謝の意を述べた。だが、それに殊勝に感激するようなタマではない。
「でしょ。僕ほど優秀でその上魅力的な人材はどこを探してもいやしないよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
柄でもないことを言うんじゃなかったとマリワナ海溝より深い後悔に襲われるゲンドウ。そんなオヤジにいつにない暖かい眼差しを向けながら、カヲルは後を続けた。
「だからこれからずうっとここにいてもいいよね。」
「勝手にしろ。」
若干の間隔のあと、ゲンドウは一言だけぶっきらぼうに発した。
「ふふふふふ、僕は最初からわかってたよ。こうして先生は加速度的に僕の虜になっていくんだよね。」
「自惚れるな。然るべき場所にお前が落ち着くまで暫定的に預かるだけだ。」
「ここは違うの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?」
「ここは僕のいるべき場所ではないの?」
「・・・・・・・・・・・そ、それは・・・・・・・・・・・・。」
日頃に似合わぬ寂しげな面持ちで見詰められると、ゲンドウもあっさりと突き放すような表現は使えなかった。カヲルの紅い瞳がゆらゆら揺れるたび、それに共鳴して自分の心の振り子も大きく動くように感じる。だからといって、のちのちかえってカヲルを傷つけるような気休めを言うわけにはいかない。ゲンドウは答えあぐねて、俯き加減のまま押し黙ってしまった。
「やだなあ、先生ったら本気で困っちゃってさ〜。ホントカワイイんだから。」
重苦しい沈黙を破るように、カヲルはくすくすと笑いながらこう返す。これはこの子なりの気遣いなのだろうか。はたまた自分自身でもゲンドウの本音と向き合うことを避けているのであろうか。
「お前はまた大人をからかうような事を・・・・・・・・。」
「ま、いいや。一緒に温泉旅行にも行けるしね。」
「誰がお前を連れて行くと言った。」
「だって家族同伴なんでしょ。シンジくんだけ参加させて、いたいけな僕ひとりを留守番させるなんていう鬼のような事、先生はしないよねえ。」
「・・・・・・・・・・む・・・・・・・・・・。」
カヲルをひとりにするのが可哀想などというまともな理由ではなく、家の中をしっちゃかめっちゃかにされてはたまらないので、それだけは御免蒙りたかった。多分ゲンドウ以上にシンジはそう主張することだろう。
「ふたりの記念すべき婚前旅行だね。イマイチ煮え切らなかった僕たちの関係も、これで一気に火が付くこと間違いなし。先生、もう逃げられないよ。」
軽くウィンクしながら婀娜っぽく笑うカヲルの姿を見て、ゲンドウは胸がときめくどころか軽い恐怖さえ覚えていた。
(これは貞操の危機かもしれん・・・・・・・・・・・・・ーー;;;;;。)
作家の名が泣くピント外れの表現をしつつ、ゲンドウは必死で善後策を考える。ようやく肩の荷を下ろしたと思ったのに、ひと息着くヒマもなく、新たなる難題に頭を悩ますオヤジであった。


TO BE CONTINUED


 

back