*第三新東京モナムール〜2*



かつてあれほどオッフェンバッハを軽蔑し、罵ったゲンドウが今、カヲルの後をつけている。
洗いざらしの木綿のシャツに色落ちジーンズ。シンプルな服装が素材の良さを際立たせていた。軽やかな足取りで渋谷の街を闊歩するカヲルに、すれ違う誰もが振り返る。容姿だけではなく、動作の一つ一つが絵になった。
(よもや、ここで会えるとは・・・・・。)
まさに禍福はあざなえる縄の如し。昨日、シンジがリライトを快諾していたら、この偶然はあり得なかった。そう思うと、今は冷たい息子に感謝の気持ちすら湧いて来る。それにしても・・・・・・・・・・・。
(いったいカヲルは何処へ行くのだろう?)
もはや完全にカヲルのスト−カーと化したゲンドウ。よせばいいのに目的地まで着いて行くつもりらしい。
(買い物か?いや、もしかしたら・・・・・デート?)
あれだけの美形だ。彼女に立候補する女のコはいくらでもいるに違いない。それこそ相手は選び放題だろう。もっとも、その人生で一度もモテたことのないゲンドウにその境遇や心境は知るよしもないが。と、その時、クレープ屋の前でカヲルは立ち止まり、いきなり振りかえった。
(うっ!!!)
ゲンドウは慌てて過ぎかけた店のショーウインドーにへばりつき、必死でカモフラージュに勤めた。その甲斐あって確かにカヲルには気づかれなかったかもしれない。しかし・・・・・・・。
「ねえ!見て見て!!何、あのオヤジ、バッカみたーーーい。」
「いい年してあーゆーシュミって情けないよなー。」
どうも、行き交う人々の視線が冷たい。ふと見れば、ショーウィンドーの中はキティちゃんやポムポムプリンで一杯ではないか。そう、この店はサンリオファンシーショップだったのである。
(な、何てことだ・・・・・・・。)
しかも、この状態からゲンドウは動けなくなっていた。なぜならカヲルがクレープ屋でバナナクレープとチョコクレープを買って、そこで食べ始めたからである。
(・・・・・・・・・・・・・最悪だ。)
背後からの嘲笑と侮蔑の眼差し。自業自得とはいえ、それにひたすら耐えるしかないゲンドウ。おまけに日頃からご愛用の和服が、いっそう通行人の目を引きつける。しかし、彼の受難はまだ始まったばかりであった。



カヲルがクレープを食べ終わり、また歩き出したので、ようやくゲンドウも針の筵状態から解放された。
(大恥だったな・・・・・・。)
今、お前のやっている行為の方がよっぽど大恥だ。
(甘いものが好きなのか。)
今日も一つカヲル情報が増えて、ちょっと嬉しいゲンドウであった。思わず口元が緩んでくる。しかし、その時カヲルの鼻の頭とほっぺたに生クリームがついていることに気が付いた。もちろん、本人はまるっきり無自覚で楽しそうに歩道を進んで行く。
(バカ、何やってるんだ!!とっとと気づけ。みっともないだろうが。)
振り返った人たちがクスリと笑っても、カヲルは全然気が付かない。いっそ飛び出していって拭いてやりたい衝動に駆られたゲンドウだったが、もちろんそんなことが出来るはずもない。幸い、横断歩道の前で品の良さそうな老婦人がカヲルにそのことを指摘してくれた。彼女は持っていたガーゼのハンカチでカヲルの顔に付いたクリームを取ってやり、彼に何事か言葉をかけた。カヲルはこぼれんばかりの笑みでそれに応え、彼女の荷物を持って一緒に横断歩道を渡った。別れ際にもカヲルは何度も礼を言い、いつまでも手を振っていた。
(いいコだな。・・・・・・・うむ、やっぱりあの手の顔の持ち主はもれなく心も美しいのだ。まあ、最初から分かっていたことではあったが。)
何の根拠もない手前勝手なことをゲンドウはしみじみ思っていた。




カヲルを見つけてから4時間余り経過している。しかし、未だに彼の目的地は不明のままだった。それどころか当てもなく街をさまよっているだけという気さえしてくる。自ら選択した行動ではあったが、あちこち歩かされてゲンドウはすっかり疲れていた。
(いつまでこれが続くんだ?)
ぼやくくらいならさっさと見切りをつけて、当初の目的であったハローワークに向かえばいいようなものだが、その踏ん切りもつかない。
カヲルは、クレープの後、ソフトクリーム三つと葛切り二人前とたこ焼き三パックと特大かき氷を食べていた。あの細い体のどこにそんな量が入るのだろう。いくら育ち盛りとはいえ、ちょっと異常な食欲だった。
(だから口が進化して大きくなったのか・・・・・。)
こんなまぬけなことを妙に納得してしまえるほど、カヲルの食べっぷりは凄かった。しかも、とびっきりの笑顔で実に美味しそうに食べる。それは毎朝ミルクスタンドで牛乳を飲む時と全く一緒だった。色白で華奢な見かけとは裏腹に、その言動からは明るく健康的な印象を抱かせる少年であった。だが、その明るい表情が曇っていた。立ち止まってため息をつく。今日何度目になるだろう。その憂いを含んだ表情は年よりぐんと大人びて見えた。
(どうしてあんな寂しそうな顔をするのだ?)
ゲンドウには、それが人待ち顔に思えてならなかった。やはり、カヲルは今日誰かと会う事になっていたのではないか。だけど、相手は来なかった。それで仕方なく街をふらついていた。あれだけいろいろ食べたのだって、もしかしたらヤケ食いかもしれない。そう思うとカヲルが不憫でならなかった。そもそもカヲルとの約束をすっぽかすヤツが存在すること自体信じられない。
(いったいどこのどいつがそんな酷いことを・・・・・・・。)
自分のへっぽこな想像の中に入りこんで、ゲンドウはひとり歯噛みしていた。その時だ。カヲルが意を決したように後ろの建物に入っていった。今度は食べ物屋ではなく、インポートの小物中心の店だった。ガラス張りなので中の様子はゲンドウにも見ることができる。カヲルはアクセサリーを選んでいるようだ。
(全く最近の男は軟弱になったものだ。ブランド物とか男性化粧品とかが流行るようでは世も末だな。男が外見を気にしてどうする!!そうだ男は中身で勝負すべきなのだ。)
そんなことをほざいているからモテないのだ。時代が変われば当然いい男の条件も違ってくる。今は外見も中身も共に重要視されるという男性にとってはかなりキビシイ世の中に突入していると言えよう。
(だいたいカヲルには余計な装飾なんて要らん。素材そのままで・・・・・・
・・・・・・えっ!?・・・・・・ま、まさか・・・・・・・・・)
ゲンドウは我が目を疑った。カヲルが手に取っていたシルバーのブレスレットを無造作に自分のポケットに放り込んだからだ。
(あ、あれはもしかして万引きというのではないか?)
もしかしなくても万引きである。しかも表情も変えずにしてのけた。ゲンドウの中のカヲルのイメージにピシッと音を立てて大きな亀裂が入った。
(ありえん。まさか、あのカヲルに限って・・・・・・。)
カヲルを自分の中で好き放題に美化していただけに、ゲンドウのショックは大きかった。そんな彼をあざ笑うようにカヲルはタグペンダントもポケットに入れた。さらに、指輪やチョーカーも。こんなに露骨にやって気づかれないはずがない。店員がカヲルの方に近づいてきた。
(見つかったな。バカなことをしおって・・・・・・・。)
これが潮時とゲンドウはこの場から立ち去ろうとした。カヲルが捕まるところを見たくはなかった。彼の姿を見かけた時はあれだけ心躍ったのに、このような最悪の形で終焉を迎えようとは。だが、ゲンドウはそこから動けなかった。カヲルのあの悲しげな人待ち顔が浮かんだ。老婦人に向けた笑顔が浮かんだ。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。)
店員がカヲルに声をかける。カヲルの顔色が変わった。今度こそゲンドウは踵を反して、ここを離れようと決意した・・・・・・・・・・はずだった。しかし、次の瞬間彼が駆け込んだのは、他でもないカヲルのいる店内であった。



「いただきまーす。」
ストロベリーパフェを前に嬉しさをこらえ切れないカヲル。対するゲンドウは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「ここのパフェ大好きなんだ。」
何もなかったようにもくもくと食べるカヲルを前にして、彼は一言いわずにはいられなかった。
「いつもあんな事をしてるのか?」
「えっ?」
「え、じゃない。もし、私が通りかからなかったらどうなってたと思うんだ!!」
通りかかったんじゃないくせに。
「いつもはしてないよ。」
カヲルは苺を噛みながら悪びれずに答える。罪の意識などかけらもない。ゲンドウの苛立ちはつのる一方だった。
「・・・・・だったら何故・・・・・!?」
「・・・・・・・・・あなたが声をかけてくれなかったからだよ。」
(うっ!?)
絶句するゲンドウ。不吉な予感がビッグウェーブとなって彼の頭上から押し寄せてきた。
「いつも僕のこと白金台公園で見てたよね。」
(!!!!!・・・・・・・・・・き、気づいてたのか・・・・・・・・・・。)
一気に大波に呑まれた気分だった。カヲルは全てお見通しだったのだ。動揺するゲンドウに、さらに次のセリフが追い討ちをかけた。
「碇ゲンドウ先生・・・・・だよね、官能小説家の。僕、ファンなんだ。先生の作品全部読んだよ。」
なんと!!正体まで知られているではないか!!!どうして、中学生のカヲルが18禁のゲンドウの作品を愛読しているのかという疑問が浮かばないでもなかったが、そんなことは今の彼にとって些細なことだった。重要なのはただひとつ。そう、何もかもがバレバレだったという事実だ。表向きは何とか平静を装うゲンドウだが、内心ではもうこの世から消えて無くなりたいくらいに恥じ入っていた。
「僕も毎朝あなたを見てたよ。」
カヲルが話を続ける。
「僕がベンチの方に視線を向けるとオタオタしちゃって、必ず新聞で顔を隠すんだよね。ふふふふ・・・・・・・・。」
自分の方がカヲルを見ているとばかり思っていたが、実際にはカヲルにしっかり観察されていたらしい。これではただのまぬけだ。ゲンドウは居たたまれない気持ちで一杯になった。
「今日はゆっくりお話できると思ったのに、いつまでたっても声をかけてくれないんだもの。」
つまり、ゲンドウの尾行も始めから分かっていたということだ。
「ふふふ・・・・・・。でも、サンリオショップの前では笑っちゃったな。」
悲しい事にあの醜態も余すとこなく見られていた。 



カヲルの一言一言を身も細る心地で聞いていたゲンドウだったがふと思った。
(・・・・・・・カヲルは私から声をかけられるのを待っていたのか。ということは、あの寂しげな人待ち顔はもしかして・・・・・・・・・・・・・。)
年甲斐もなく、ちょっとときめくものがあった。しかし、彼はすぐにその甘い考えを打ち消した。なにしろ今までの半生、疎まれることは数々あれど、愛されることには縁遠かったのだ。ましてや、カヲルほどの美少年が自分ごときを相手にするはずがない。
「これ、ありがとう。あなたからの最初のプレゼントだもの。大切にするね。」
喜び一杯にカヲルが差し出したアクセサリー類が目に入った瞬間、ゲンドウは現実に引き戻された。例の店で払わされた代金378,500円。もちろんカード引き落としである。さすがブランド品、ブレスレット一つだけで180,000円だった。今月の原稿料が殆ど消えてしまった。こんな事は口が裂けてもシンジには言えない。
「あ、でもどーせ買ってもらうんだったら、プラチナの方も取っておけば良かったかなあ。」
「・・・・・・・・・・・・・・言っておくが、プレゼントしたわけではないぞ。」
「えっ・・・・・・ち、違うのかい?」
「当たり前だ!お前の親からきっちり代金はいただく。」
「僕、両親なんていないよ。」
(そ、そうなのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。)
軽はずみなことを言ってしまったと悔やむゲンドウにカヲルが明るく続けた。
「でも、パパならいるけどね。ふふふ・・・・・・。」
(なんだ、ちゃんと父親がいるんじゃないか。)
本気でそう思ってるのか?オヤジ。
「あそこで私がそのまま帰ってしまったら、どうするつもりだったんだ?」
事実、始めはそのつもりでいたのだ。しかし、ゲンドウの厳しい口調にもカヲルは全然動じる様子がない。
「考えてなかったよ。だって、そんなことありえないもの。」
(なっ・・・・・・・・・!!)
なんだか自分がバカにされたような気がした。そこまでカヲルにのぼせ上がっていると思われていたのか。そういえば、映画の美少年タジオも自らの美の威力を熟知しているイヤな子供だった。
(やっぱり、ただ遠くから眺めていれば良かったのかもしれんな。我ながら無様なことをしたものだ・・・・・・・。)
気持ちを静めるようにカフェオレをかき混ぜるゲンドウであったが、次の瞬間信じられないセリフを耳にしてしまった。
「僕の好きになった人が冷たく帰ってしまうわけないよ。」
(す、す、す、好きだってえ!?)
動揺のあまり彼は椅子から転げ落ちた。長らく聞いたことのない言葉がまるで呪文のようにゲンドウの心の中で響き渡っていた。


TO BE CONTINUED


 

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