*第三新東京モナムール〜3*



「碇先生、大丈夫?」
みっともなく床に尻餅をついているゲンドウを見やりながら、席を立つカヲル。先ほどの信じがたいセリフの余韻に浸っているゲンドウが、緩慢な動作で体勢を立て直そうとするのを待たずに、彼の右手をギュッと握り締めた。
「!?(*@@*)」
「今、僕が起こしてあげるからね。」
ますます混乱度を深めたゲンドウの反応を楽しむように、カヲルがその手を引っ張る。外見からは想像しがたい力がゲンドウの体を引き上げた。でも、カヲルはいつまでも手を離さない。そのままじっと熱い視線でゲンドウを見つめている。
「碇先生の手って大きいんだね。」
事ここに至って、ゲンドウの動揺は頂点に達していた。しかし、これ以上醜態を晒すわけにはいかない。この時ばかりは生来の無愛想に感謝したい気分だった。まだ平静を保っているように見せかけることができたから。しかし、せっかくの努力を水の泡にするカヲルの一撃がすぐに炸裂した。
「僕はあなたともっと話がしたいな。これから家へ行ってもいいかな?」
「!!!!!」
それでもゲンドウは堪えぬいた。だいたい(一応)初対面の相手の家にいきなり押しかけるようとするなんて失礼極まりないではないか。ちょっと、いや、かなり名残惜しかったが、カヲルの手を振り解いてゲンドウは言った。
「いい加減にしろ!!そんなことを許すわけがないだろう!!!」
「えー、どうしてさ。」
「常識で考えろ。誰が会ったばかりの他人を自宅に招いたりするものか。」
「・・・・・会ったばかりじゃないよ。もう1ヶ月以上毎日逢瀬を重ねてたじゃないか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
こう返されると、自分の方にも後ろ暗い部分があるだけにゲンドウも言い返す術がない。だが、カヲルの態度に心乱されつつ、その一方で不愉快なものを感じてたのも事実だった。「好き」という二文字にはさすがに焦らされたが、冷静に考えてみるとコトバだけなら何とでも言えるのだ。
いつも取材に行くキャバクラやソープの女のコたちだってそれくらいのお愛想は囁いてくれる。ゲンドウの怒りをそらす目的でそのような行動に出たと思えないこともない。なにしろ自分に声をかけさせるためだけに万引きまでやらかすような少年である。
(そうだ。あの店でだって・・・・・・。)
ゲンドウはさっきの小物店での様子をリフレインしてみた。あれだけの金額の商品を盗みながら、結局おとがめなしとなったのは、もちろんゲンドウが代金を支払ったことも大きい。しかし、決定的だったのはカヲルのいまにも泣きそうなしおらしい仕草だった。これを見て、店員もほだされてしまったらしい。あの美貌で目を潤ませて「ごめんなさい」と言われたら、たいていのことは許されてしまうだろう。それが不愉快だった。カヲルは絶対に分かってやっている。自分自身の魅力も価値も全部承知の上でそれをフルに活用して世の中渡って行こうとしている。子供のくせに世間をなめ切ったその態度がゲンドウを苛立たせた。




作家という職業柄なのかどうか、ゲンドウは人間観察に長けていた。言葉や行動で自らを表現することは大の苦手だったが、その分相手の真意を鋭く見抜く能力には卓越したものがあった。だから、さっきの店でのカヲルの演技など何もかもお見通しだった。そんな部分を見せつけられてしまうと、カヲルのあの愛らしい笑顔も寂しげな憂い顔も全てが色褪せた虚構の世界の産物にしか思えなくなっていた。もはや、ゲンドウが抱いていたカヲルのイメージは単なる幻想に過ぎなかったことを自覚せざるを得ない。そこまで悟ってしまうと手前勝手な話だが、これ以上カヲルと関わり合いたくなかった。あの一月余りの日々は綺麗な想い出として、心の中に封印しておきたかったのだ。「好き」の一言で何もかも忘れて舞い上がってしまえるほど、もう若くはない。いや、確かに一瞬は舞い上がったかもしれないが。
「とにかくお前を家に来させる気など毛頭ない。わかったらもう帰れ。」
予想外のそっけない答えにカヲルの表情から笑みが消えた。
「ふーん、そう。散々僕のこと追いかけてたくせして冷たいんだね。」
そこまで言って、ふふんと鼻で笑った。子供とは思えないふてぶてしい様子にゲンドウは内心横っ面を引っ叩いてやりたくなった。自分の息子だったら間違いなくそうしているだろう。
「僕、雑誌記者やフリーライターの知り合いがたくさんいるんだよ。そういう人たちに言っちゃおうかな、この1ヶ月あまりのこと。いいネタだよねえ。性豪でならした官能小説家の碇ゲンドウ先生が、ついに男色の道へ・・・・・とか美少年のストーカーに・・・・・とか。ふふふ・・・・・今週の写真週刊誌が楽しみだなあ。」
「お前は人を脅すつもりか!?」
どんどん本性を現わすカヲルにゲンドウは厳しく一喝した。しかし、カヲルは全く動じない。
「脅しだなんて人聞き悪いなあ。ただ、僕はあなたの家へ行きたいだけなのに。」
「断る。」
「じゃあ、連絡しちゃうよ。あーあ、先生は自業自得でしょうがないとしても息子さんが気の毒だなあ。学校でいじめられたりしなきゃいいけど。」
一番痛いところを突かれてしまった。といっても、シンジが学友にいじめられるとは思っていない。だが、ゲンドウがシンジの厳しい追及を受けることは火を見るより明らかだった。最高権力者のシンジの怒りに触れてしまったら、どんな報復が待っているか考えただけでも恐ろしい。まず、小遣いカットは間違いないだろう。三度の食事も危うい。それどころか家事を一切放棄されてしまうかもしれない。 

「・・・・・・・・・・・・・・いくらなんでもこれからというわけにはいかんぞ。」
とうとうゲンドウは敢え無く陥落した。それでもシンジ在宅中にカヲルを呼ぶわけにはいかない。
(確か明後日からだったな。シンジが友人とキャンプに行くのは。)
今まで不承不承やらされていた原稿のリライトから解放され、シンジは夏休みを100%満喫するつもりらしい。キャンプは2泊3日だと言っていた。
「明後日の午後なら時間を取れない事もない。」
投げやりに答えるゲンドウ。それを聞いてカヲルの態度が180度変わった。
「わーい!!行っていいんだね。碇先生優しいー。」
可愛らしい甘え声で言い、ゲンドウの腕に手を回してくる。数時間前だったら天にも登る気持ちになっていたであろう。だが、カヲルの手練手管を知り尽くした今では、その絡められた細い腕が自分を縛る重い鎖のように感じられてならなかった。





 あの日から瞬く間に2日たってしまった。今日はカヲルが家に来る日だ。しかし、キャンプに行くはずのシンジが一向に出かけようとしない。
(いったい何をやっておるのだ。)
全く自分だけの都合でイラつくゲンドウ。そのうちシンジが居間でゲームなどをやりだしたので、さすがに堪りかねて声をかけてみることにした。
「シンジ。」
「何だい、父さん。」
「今日からキャンプに行くのではなかったのか?」
「ああ、あれ延期になったよ。」
「な、何だって!?」
その場で石になるゲンドウ。
「トウジが夏カゼひいちゃってさ。仕方ないから来週に延ばしたんだ。」
シンジのセリフが終わらないうちに、ゲンドウは軽いめまいに襲われた。
(・・・・・・お、終わりだ・・・・・・・。)
予定変更をしたくともカヲルの連絡先など知らない。あとはカヲルが何かしらの都合で来ないことを期待するしかなかった。だが、脅迫まがいのことをしてまでゲンドウに強引に約束を取りつけさせたカヲルがみすみすこの機会を逃すとは思えない。必ずやって来るだろう。そしてシンジと鉢合せ・・・・・・・・。その先はもう想像したくなかった。
(いや、でもまだあきらめるのは早いぞ。)
要するにシンジが外出してくれさえすればいいのだ。泊りがけでなくてもかまわない。今日1日を乗り切ることができれば十分である。さっそく、ゲンドウはムダな抵抗を試みることにした。
「・・・・・シンジ、キャンプに行かないのだったら映画にでも行ってきたらどうだ。確か見たい作品があるとか言ってたではないか。」
「あ、あれ来週封切りなんだ。もうやってたら絶対見に行くのになあ。」
「そ、それなら洋服でも買いに行って来い。」
どことなくそわそわした態度の父をシンジが訝しく思わないはずがない。
「・・・・・・・父さん、僕をそんなに家から追い払いたいの?」
いきなりこう切り出されて、ゲンドウは答えに窮した。
「な、な、何を言うんだ、シンジ。私はただせっかくのお前の夏休みをだな・・・・・・。」
声まで裏返っている。シンジは横目で冷ややかにゲンドウを見つめた。
「何かあるね、父さん。」
「お前は自分の親を信用できんのか?」
とりあえずこうは言ってみたものの、どう考えても悪いのは自分の方である。職安にも行かず、カヲルを追いかけまわしたあげくに招いた事態なのだから。その時だ。ピンポーン!!呼び鈴が鳴った。ゲンドウにとって、それは死刑執行の合図にも等しかった。もはや、頭の中は真っ白。力なく立ち尽くすしかない。
「はい、どなたですか?」
インターホンでテキパキと応対するシンジ。
「すいませーん。○○引越しセンターです。」
カヲルではなかった。心の底から安堵のため息を漏らすゲンドウだったが・・・・・・・・。
「引越しセンター?何かの間違いじゃないですか。」
「でも、ここ白金台○丁目○番地○号の碇ゲンドウさんのお宅ですよね?」
「・・・・・・はあ、そうですけど。」
「じゃあ、やっぱり間違いないですよ。」
そう言われてもシンジには納得がいかない。奥にいる父に声を掛けてみる。
「父さん、ヘンだよね。ウチに引越しセンターから荷物が届くなんて。」
「・・・・・・うむ。」
仮に知り合いやファンから何か届くとしても宅急便だろう。全く心あたりがないだけに怪しさと不安が膨らんでくる。
「どうする?ドア開けてみる?」
さすがにこういう場面ではシンジも父をアテにしているらしい。何を隠そうゲンドウはオヤジ狩りの若者5人をあっさり返り討ちにしたこともある強者なのだ。日頃はへっぽこでもいざという時には頼りになる・・・・・・そんな父の底力をシンジも内心ではよく分かっていた。
「よし、私が出てみよう。」
力強く答え、つかつかと玄関へ歩き出す。久々に父の威厳を見せられるはずだった。ところが・・・・・・・・。



「碇先生!!僕来たよ!!!」
インターホンからカヲルの明るい声が響き渡った瞬間、ゲンドウはその場で硬直した。
「早く開けてよー!!」
固まっているゲンドウの後ろにいつのまにかシンジが来ている。
「・・・・・・・・・父さんの名前を呼んでるね・・・・・・・・・・(ーー;)。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・そのようだな・・・・・・・・・・・・・・。」
二人の間に何ともいえない乾いた空気が流れる。
「碇先生ったらあー!!」
カヲルがドンドンと扉を叩いている。こうなっては無視するわけにもいかない。たとえどんな末路が待ちうけていようとも。カチャリ。開いたドアからカヲルがぴょこんと顔を出した。この間のブレスレットを付けている。
「こんにちは、碇先生。これからヨロシクね。」
こぼれるような笑顔でこう言った。あんなにこの前カヲルの本性を思い知らされたにもかかわらず、やっぱりちょっと口元がほころんでしまうゲンドウ。
しかし、開いたドアから引越し屋が次々と荷物を運び入れるのを見て、現在のただならぬ状況を受け止めざるを得なくなった。無造作に置かれるダンボールの山。そしてカヲルがかかえているノートパソコン。考えられることはたった一つだ。けれども、それをどうしても認めたくなかったゲンドウはしらじらしくカヲルに尋ねてみた。
「この荷物は何だ?」
「僕の服とか雑貨類だよ。最低限必要なものに絞ったつもりなんだけど、けっこう大荷物になっちゃったね。」
「・・・・・・・・・・・どうしてこんなことをする?」
「もちろんこれから先生と一緒に暮らすためだよ。」
(や、やっぱり・・・・・・・・・それにしても何てヤツだ・・・・・・・・。図々しいにもほどがある。)
あまりのことに体中の力が抜けて行くのを感じるゲンドウだったが、もちろんこんな傍若無人な行動を許すわけにはいかない。
「いつお前と一緒に暮らすなんて言った?」
心中の衝撃を悟られないようにことさらそっけなく切り返す。
「先生が来てもいいって言ったから来たのに・・・・・・。ヒドイや。」
恨みがましくゲンドウを上目使いでにらむカヲル。
「確かに来てもいいとは言った。だがそれはあくまでも訪問レベルのことであって・・・・・・・。」
こんな二人のやりとりをシンジが聞き逃すはずがなかった。
「父さん、誰このコ?一緒に暮らすって何?」
静かな口調ではあったが、ゲンドウに向けられた眼差しはまるでゴキブリでも見るかのように冷たい。
「あ、君、碇先生の息子さんだね。始めまして。僕は渚カヲルっていうんだ。仲良くしようね。」
シンジに気づいたカヲルが人懐っこい笑みと共に言葉をかける。でも、シンジは憮然としたままだ。
「いったい君、父さんとどういう関係なんだい。」
「えー、僕?僕はね、碇先生の愛人だよ♪」
(!!!!!あ、あのバカが・・・・・・・・・・・いきなりこう答えるか?)
予想を遥かに越える最悪の展開になだれ込もうとしている。ゲンドウには足元がにわかに崩れて、どこまでも転落していく自分の姿がはっきりと見えたような気がした。 



TO BE CONTINUED


 

back