*第三新東京モナムール〜22*



決して爽やかとは言い難い遅い目覚めだったが、それでも昨夜の悪夢のような喧騒を思い出せば、一人きりの落ち着いた環境を得て、ゲンドウは満足していた。窓の外で響き続けるせせらぎの音が清涼感さえ醸し出す朝のひととき。
「ううむ。」
布団の中で手足を目一杯伸ばして、ゲンドウは大きく伸びをする。きっともう皆は出掛けてしまったことだろう。今日はオプションで観光コースが用意されており、希望者は貸し切りバスで名所観光を楽しめるようになっていたが、ゲンドウは敢えて残ることにした。何しろネルフ書院設立の頃から荒井旅館のお世話になっており、この観光バスに乗ったのも一度や二度ではない。さすがにもう飽きた、というのが正直な気持ちだった。それにゲンドウは昔から出無精で旅行というものにそれほど興味が無かった。未知の場所や人に気を使って過ごすより、家でのんびりくつろぐ方が性に合っているのだ。曲がりなりにも作家を名乗る以上、そんな好奇心の薄いことでどうするのかと常々冬月にも意見されているのだが、こればっかりは性格的なものでどうしようもない。執筆のため、どうしても必要のある場所への取材については決して手を抜くことはしないのだが、プライベートでは外へ出て、新たな刺激を求めるという事が殆ど無かった。考えてみればこれといった趣味も持たないし、我ながらつまらない男だと思う。これではもてないのも当たり前だ。
「ふう。」
ため息と共にゲンドウはもう一度、今度はやや控えめに伸びをした。と、その時だ。
「先生、やっと目が覚めたんだね。」
すぐ横からいきなりカヲルがちょこんと顔を出したではないか。ゲンドウは心の底から驚愕した。
「どわあ!!」
いつから布団の中にもぐり込んでいたのであろうか。カヲルが超スリムだったこともあり、今の今までまるっきり気づかなかった。
「お、お前、観光バスに乗らなかったのか。」
「うん。僕の分は綾波さんに譲ってあげたんだ。最初は固辞してたけど、ミサトさんたちの誘いもあってシンジくんと二人して嬉しそうに出かけて行ったよ。いいことをすると気持ちがいいねえ。」
カヲルは屈託の無い笑顔を浮かべながら擦り寄って来ると、ゲンドウの厚い胸板にしっかと抱き付いた。あまりにも唐突な展開に唖然としているうちに、彼はカヲルのタックルをまともに受けてしまった。
「お、おい、止さんか。」
こんなことで止めない相手だというのは400%分かり切っているのだが、ついつい不毛な抵抗をしてしまうゲンドウ。予測通り、カヲルはゲンドウのそばを全く離れようとはせず、その絡み付く腕の強さは増す一方だった。まるで蜘蛛の糸に絡め取られてしまった獲物のように不様にもがき苦しむオヤジをカヲルは楽しそうに眺めている。
「寝込みを襲わなかっただけでもありがたく思うんだね。まあ、僕もあんまり姑息な手段は趣味じゃないし♪」
「も、もうじき仲居さんが朝食の仕度に来るぞ。」
「心配しなくても大丈夫。昨日の宴会で飲みすぎて気分が悪いから、食事は後にしてくれって連絡してあるんだ。」
「(@@;;;;;)!!!!!」
相変わらず抜け目の無いカヲルの立ち回りはゲンドウに更なる恐怖を抱かせるのに十分だった。こういう展開を避けたいがためだけに、息子のシンジまで置き去りにしてやって来たというのに、もはや全くムダに終わろうとしていた。



「ふふふふ、浴衣だと何事にも都合がいいよね。」
言い終わらないうちにオヤジの浴衣の帯に手をかけようとするカヲルだったが、もちろんそれを阻止すべくゲンドウは死に物狂いで暴れた。心安らぐ慰安旅行のはずがすっかり地獄行脚と化している。それに比べて息子のシンジは今頃想い人のレイと共に美しい風景に囲まれて天にも上る心地でいるに違いない。同じ父子でこの運命の差はいったいどうしたことだろう。自分だってここまで真面目に一生懸命生きてきたはずなのに、どうして神は自分だけに冷淡なのであろうか。
「よ、止せ!!」
「止められて止めるくらいなら最初からやらないさ。先生も観念して僕といい仲になりなよ。冴えない40男には過ぎた恋人だと思うけどなあ。」
まるで日常の水撒きや犬の散歩でも片付けるようにあっけらかんと返すカヲルに、ゲンドウは言うべきセリフを失って、ただただ行動だけで抵抗を続けた。体格の違いもあり、ゲンドウが本気でのたうち回ればカヲルもおいそれとは実力行使に出れない。
「全く往生際が悪いねえ。僕のどこが不満なのさ。若くて魅力的で頭も良くて何一つ非の打ちどころなどないじゃないか。」
強いて言えばその性格だな、とゲンドウは心の中でこっそりと呟いた。けれども真実を口に出してしまったら最後、カヲルの攻撃が更に過激になり、自らの首を締めることは必至なのでそのまま飲み込んだ。
「初めて出会ってからさんざん遠回りをしてきたけど、やっと僕たちも結ばれる日が来たんだね。」
そんな表現は数年間の紆余曲折を経て来た恋人同士が使うものだ。ゲンドウとカヲルは直接会ってからまだ2ヶ月あまりしか経っていない。しかし、心とは裏腹にゲンドウはカヲルの猛攻にだんだんと逃げ場を失いつつあった。危機感は限りなくあるのだが、どうしてもカヲルを跳ね除ける手に加減が入ってしまう。実のところ、ゲンドウが本気で暴れたところで修行を積んだカヲルに勝てるかどうかは怪しいものなのだが、それでもなまじ自分の腕に覚えがあるだけに手荒な真似はできないと慮ってしまうのだ。そしてその心遣いが結局は自らを窮地に陥れていた。
「さ、もう逃げられないよ♪」
いつのまにか出入り口とは逆方向の部屋の隅に追い詰められてしまったゲンドウ。まさに絶体絶命の危機である。
「れ、冷静になれ!」
「僕はいつも冷静そのものだよ。オタオタしてるのは先生のほうじゃないか。」
実際その通りだった。落ち着き払ったカヲルに対して焦りまくるゲンドウの姿は不様の一言だ。
「とにかく話し合おう。」
「僕たちに言葉なんて要らないよ。」
彼の提案をまるっきり無視して、強引ににじり寄るカヲルを裁く術をすでにゲンドウは持ち合せていなかった。妻亡き後、これまで守り抜いてきたオヤジの貞操(笑)もここまでなのか?しかし、いつも実直に生きてきたゲンドウを天は見放さなかった。再びカヲルがゲンドウに思いっきりしがみつこうとしたときだ。ガラッ!!勢いよく障子が開かれたではないか。
(神の助けだ!!)
今だったら胡散臭い新興宗教に誘われてもうっかり入信してしまうかもしれない。それほどゲンドウは安堵し、救われた気持ちになっている。逆にカヲルの落胆と怒りは大きかった。
(ちっ、余計なことを。あれほど食事は後でいいって言ったのに・・・・・・・・・。)
が、唇をぎゅっと噛みつつ、部屋の入り口を忌々しそうに見上げた彼の視界に飛び込んできたのは昨日見た小太りの仲居ではなかった。




まだ御休みでしたのね。」
「あ・・・・・・・・・・・・・。」
理知的な容姿と肉感的な身体を併せ持った金髪の美女、赤木リツコの艶やかな姿が目に入る。
「・・・・・・・・こ、これは・・・・・・・・誠にみっともない姿をお見せしてしまって・・・・・・・・・・(////)。」
頭を掻き掻き照れまくるゲンドウにカヲルは心中穏やかではない。昨夜、カヲルたちの衝撃の到着後、しばらく経ってからリツコとナオコも挨拶に現われたのだが、宴会の真っ最中ということもあり、顔見せ程度の最低限の会話をしただけだった。しかし、ゲンドウはしっかりとリツコのことを覚えていた。単に貴重なと言葉だけでは片付けられぬ、作家生活20余年、初めて出会った女性ファン(しかも美人)の顔を見忘れるはずがない。いつも不特定多数の美女に囲まれている立場ならともかく、唯一無二の存在(;;)のインパクトは限りなく強いものだ。
(ちぇっ。碇先生ったら真面目そうな顔をしてても、やっぱりキレイな人のことはしっかりチェックしているんだね。)
昨日のだらしなく緩んだゲンドウの顔を思い浮かべると不愉快でたまらなかったが、行きずりの相手ならともかく、レイの姉代わりの女性にそこまで邪険な態度を取るわけにも行かない。カヲルは未練たっぷりにゲンドウの身体から離れると、精一杯の笑顔を作ってリツコに挨拶をした。
「おはようございます。」
こういうあたりの変わり身の早さは天下一品だ。かといって、このまま彼女をゲンドウと一緒にしておこうとはこれっぽちも考えていない。そういう点でも抜かりはなかった。
「あら、カヲル君は市内観光に行かなかったの?」
「ええ。もう何度も行ったことあるし。」
せっかく先生と二人っきりになれるチャンスだし、と胸の内で付け足してみる。
「じゃあ、レイはカヲル君の代わりに参加させてもらったようなものなのね。本当にありがとう。」
こうやって素直に礼を述べられると、さすがのカヲルでも多少は戸惑いがあった。むしろ今の状態こそ自分の待ち望んでいた通りの世界なのだが、まさかそのことをリツコに説明するわけにもいかない。
「いや、私の方こそ出来の悪い息子と親しくしてもらって感謝の言葉もありません。」
はだけかけた浴衣の胸元を慌てて合わせつつ、なんとか気を取り直して、ゲンドウも会話に加わった。
「まあ、それはこちらのセリフですわ。今まで引っ込み思案だったレイが最近少しずつとはいえ、積極的になって来たのは皆シンジ君のおかげですもの。夏休みのキャンプだってシンジ君が熱心に誘ってくれたから、思い切って参加する気になったみたいだし・・・・・・・・・。」
あいつ、家ではキャンプなんてかったるいとか言ってたくせに、こっそりそんなアプローチをしてたのかとゲンドウは呆れかえったが、家族に感謝されている以上、ここでシンジを咎めることは出来ない。
「あんな奴ですが今後とも頼みます。」
「こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。・・・・・・・・ところで、先生、今お時間ございます?」
「えっ?」
「もし、お暇でしたらこれからここの旅館名物の庭園を見にまいりません?」
いきなりこう来たか、とカヲルはそっと舌打ちした。元々ゲンドウのファンであるリツコが旅先で開放的な気分になってこのような行動に出てもおかしくはない。サイン会の件を考えてもかなり行動的な女性のようだ。でも、ここでみすみすふたりの仲を深めるきっかけを作らせるカヲルではない。ゲンドウが口も開かないうちにカヲルはこう返した。
「悪いけどこれから僕たち大浴場へ行くんだ。昨日はゆっくり温泉を楽しむ時間がなかったから。」
「い、いつの間にそんなことに・・・・・・・・・!!。」
何やら意見しようとしたゲンドウだったが、その鳩尾にカヲルから思いっ切り肘打ちを食らわされて苦痛のあまり声が出ない。
「・・・・・・・・・あら、そうでしたの。じゃあ、残念ですけど私はこれで失礼いたしますわ。」
目論み通り巧妙に邪魔者を追い払ってほくそえむカヲル。一方、最後の頼みの綱をぶっつり切られたゲンドウは気の毒なほど萎れていた。
「先生、何しょげ返ってるんだよ。せっかく温泉に来たんだから大浴場に入らないでどうするのさ。」
大欲情という字を当てたくなるようなカヲルの妖しい笑みがゲンドウの背筋をひんやりと凍らせて行く。何よりも恐れていたシチュエーションにとうとうどっぷりと嵌まり込んでしまいそうだ。無論カヲルがいかなる行動に出ようとゲンドウさえしっかりと己を保っていれば何の問題もないのだが、外見とは裏腹に押しの弱いところがあるオヤジには、強引グ・マイ・ウェイなカヲルの行動を阻止するだけの意志と度胸の持ち合わせはなかった。



「ああ〜、極楽極楽♪」
中学生とは思えない妙に年寄臭い言い回しで湯船の中でくつろぐカヲル。反対に隣のゲンドウはややうなだれ加減でじっと耐えるように湯に浸かっている。だけど、大浴場に人がいたのは不幸中の幸いだった。こんなところで二人っきりにされたら最後、カヲルが力づくでコトに及ぼうとするのは火を見るより明らかだ。でも、さすがに衆人環視の中ではカヲルも過激な行動には出れず、ゲンドウの背中を流すのが精一杯といったところである。もっともその間も不自然に体を密着させて来て、ゲンドウは非常に心乱されたのだが。
「ふふふふ。」
怪しげな含み笑いを漏らしながら、カヲルはゲンドウの右手をぎゅっと握り締める。人の存在に安心し切っていたゲンドウはまともにフェイントを食らってしまった。ちょっと油断しているとすぐこれだ。
「な、何だ。」
「ここなら多少のことはわかりゃしないよねえ。」
なんと!カヲルはまだ諦めていなかったのだ。確かにお湯の中では他人の目も届かない。手を握った勢いで、カヲルはゲンドウに急接近して、ぴったりと寄り添おうとする。なぜかゲンドウの体全体が一気に沸騰して来た。
「お、おい!」
焦るあまりに声が掠れている。なんとかカヲルの手を振りほどいたが、カヲルはまだまだ余裕綽綽だった。
「先生、相変わらずカワイイね。平気、平気。怖いのは最初だけだから。」
満面に笑みを湛えながら、カヲルは処女に対する決まり文句のようなセリフを優しく囁く。ずいっと近づくカヲルを腰を引いてどうにかかわすゲンドウ。彼らは湯船の中を螺旋階段のようにぐるぐるとさまよっていた。
「・・・・・・・・・いい加減にしなよ、先生・・・・・・・・・・・・。」
湯が相当熱めの上にひとしきり回転し続けたため、カヲルはちょっとふらついて来ている。アルビノということもあって、常人に比べて刺激には弱い体質なのかもしれない。これは逃げ切れる。あと一息の辛抱だ、とゲンドウは改めて自分に気合を入れた。だが、その一瞬の隙をカヲルは見逃さなかった。もう一度手を握ろうと鋭く右手を突き出す。ゲンドウは大慌てで身を捩ったが、そこに予期せぬ落とし穴が待ち受けていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぐおっ(@@;;;;;)!!!!!」
「やったぁ。結果オーライとはよく言ったものだねえ。」
カヲルの右手が握り締めたのはゲンドウの手ではなくて、なんと彼の分身そのものだった。あまりの衝撃にゲンドウの頭の中は真っ白になってその場で硬直している。
「結構大きいね♪さ、このまましごいちゃおうかな〜(#^.^#)。」
浮かれ調子の言葉が終わらないうちに、抵抗空しく、ついにゲンドウの中で何かがプツンと切れてしまったようだ。
「あ、ち、ちょっと!先生!?」
カヲルの次の一手を待たずして、ゲンドウの全身は湯船に沈没し始めた。どうやら熱めの湯に長時間浸かっていたのに加えて、焦りと照れとの相乗作用で完全に頭に血が登って意識を失ってしまったらしい。カヲルの叫び声を遠くで聞きながら、ゲンドウの目の前にはぼんやり光の十字架が見えたと言う。
「先生!!先生ったらあ〜!!」




「ただいま、父さん!どう?ゆっくり出来た?」
「先生、欲しがっていたイカの塩辛買って来ましたよ。」
伊豆観光を十分堪能して戻ってきたシンジとミサトが部屋の中で見た光景は、彼らの笑いを誘わずにはいられなかった。そこには茹でだこみたいに真っ赤になったまま、額に濡れ手ぬぐいを、下腹部にバスタオルを置かれて、カヲルにうちわで仰がれている情けないオヤジの姿があった。
「せ、先生いったいどうしたんですか?」
「まさか・・・・・・・・・・僕たちが出かけている間に・・・・・・・・・・。」
レイに自分の分の観光券を譲ったカヲルの目論みは分かり切っていたものの、いくらカヲルでも公共の施設内でゲンドウを押し倒す暴挙には出なかろうと、シンジはたかをくくって出かけて行ったのだが、この様子を見てさすがに不安になって来た。しかし、彼の問いかけにカヲルは憮然とした表情でこう言い捨てただけだった。
「それどころじゃなかったよ。コトに及ぶ前に先生、ぶっ倒れちゃったんだから。」
「ええっ?」
「大変だったんだよ。旅館の人を呼んで先生を湯船から出してもらったり、部屋まで運んでもらったり・・・・・・・・。もう、かかなくてもいい恥かいちゃったよ。」
大げさな身振り手振りを交えたカヲルの話と眼前のゲンドウの醜態は、シンジたちにその場の大騒ぎの様相をリアルタイムでイメージさせるのに十分だった。
「ぷっ・・・・・・・・・まだ昨日の酔いが抜けてらっしゃらなかったのかしら?」
「父さんも年ってことかな・・・・・・くくく・・・・・・・・。」
シンジとミサトが笑いを噛み殺しながら漏らすのをカヲルは口を尖らせながら聞いている。こんなはずじゃなかった。今ごろは思いを遂げて、名実ともにゲンドウの恋人になっていたはずだったのに。
(ちぇっ、こんなんだったら皆と一緒に観光に行ってた方がよっぽど良かったよ。)
けれども、最大の被害者はもちろんゲンドウである。のぼせて完全に意識を失っている彼が夢の中でもカヲルに迫られ、顔面蒼白になってそこらじゅうを逃げ回っているとは3人には知る由もなかった。


TO BE CONTINUED


 

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