*第三新東京モナムール〜23*



ゲンドウにとっては遠い記憶の彼方に葬り去ってしまいたい、あの伊豆旅行から戻って来て早3日、まだまだ碇家はイベント続きだ。今週はゼーレグループ20周年のパーティーが控えている。しかし、彼の気分はどんよりと澱み切っていた。夏前から結構楽しみだった慰安旅行でさえ、蓋を開けてみれば悲惨な出来事のオンパレードとなってしまったのだ。ましてや端からまるっきり乗り気でないキール・ローレンツのための祝典など、参加するだけ時間のロスと早くも嫌気がさしているのだが、カヲルとシンジが出席する気満々なのでどうしようもない。態度ばかりでかくてもしょせんは居候のカヲルはともかく、碇家の最高権力者シンジの意向に逆らうことなど出来はしない。シンジの機嫌を損ねたら最後、ゲンドウの日常生活は400%成り立たなくなる。それほど家事一切をシンジに頼り切っているのだ。今となってはせめてパーティーのご馳走でシンジが更なる料理開眼をして、それによって碇家の食卓がより一層華やいでくれることを期待するしかなかった。
「パーティーにはどんな服を着ていこうかな〜。こんなことなら前もってオーダーしておけば良かったよ。」
どうにか執筆も一段落し、溜め込んでしまった数日分の新聞や雑誌をまとめ読みしているゲンドウの隣にすかさずカヲルがやって来て、その針金のような腕を太やかな首に絡みつけた。
「暑いぞ。あっちへ行け。」
今年の残暑は思いの外厳しかったが、碇家では省エネ対策ということで冷房の温度は極力抑えられている。
「先生はどうするの?まさかタキシードなんて着ないよね〜。世界一似合いそうにないもん。あ、でも笑える余興代わりにはなるかもね。ふふふふふ。」
「余計なお世話だ。」
ゲンドウだって己のことはよく分かっている。そもそも公式の行事に顔を出したことすら殆どないのだから、そのような場に相応しい装いなど持っているわけがない。恐らく10余年前知人に戴いたきりタンスの肥やしとなっていた高級品の和服に初めて袖を通すことになりそうだ。幸い体型は当時と比べてもそれほど変わっていないので、知人の好意を無駄にすることもないだろう。



「ただいま、父さん。」
食材でぎっちりの専用のお買い物袋を抱えながら、シンジがややよろけ加減で部屋に入ってきた。いったい何をそんなに買い込んだのだろう。もしかしたら今日はシェルガーデン 月に一度の特別バーゲンの日で、このときとばかりに買いだめしてきたのかもしれない。相変わらずの二人の様子を可笑しげに眺めつつ、シンジはさっそく台所に入ると戦利品の収納を始めた。
「シンジ君、気が利かないなあ。もう少し先生と二人っきりにしてくれたっていいじゃないか。」
「ダメダメ。時間がないんだから。パーティーで丸一日潰れることを考えたら、その日の課題は今から片づけておかなくちゃ。」
家事全般に限らず、日常生活でも計画性のあるシンジはパーティーの日の分を取り戻すべく、勉強の計画を練り直しているようだ。自分の息子ながら感心なヤツと我知らず口元が緩んでくるゲンドウ。それに比べて、この2ヶ月弱の間にカヲルが勉強しているところを一度たりとも見たことがなかった。夏休みの宿題はいったいどうしたのだろう。カヲルがこの家にいる限りは一応ゲンドウが保護者代わりなのだから、いつまでもこの状態を見過ごすわけには行かない。第一、中学3年のカヲルは来年受験ではないか。
「カヲル、ちょっとこっちに来い。」
「えっ、何?抱いてくれるの?」
「・・・・・・・・・・・余計な口を叩かずにとっとと来い!!」
最近では珍しくゲンドウが声を荒げて叫んだので、さすがにまずいと思ったのかカヲルは舌をペロリと出しながら、いそいそとゲンドウの前までやって来た。
「お前、勉強している様子が全くないな。こんなことでは来年の受験戦争を勝ち抜いていけんぞ。」
「何かと思えばそんなことかい。」
「そ、そんなこととは何だ!!そもそも学生の本分は学ぶことにあるんだぞ。それをお前と来たら日々ぐうたらと遊んでばかり。どうせ学校でもろくに授業なんか聞いてないんだろう!!」
「ふふ、よくわかったねえ。それどころかノートだって取ってないよ。」
全く悪びれることなくにっこり笑いながら堂々と言い返すカヲルにゲンドウは呆れ果てた。
「試験の時はどうするんだ?」
「別にぃ。どうせ中学は落第なんてないし、いっくら赤点とろうが関係ないさ。」
「高校受験は?」
「行かなくたっていいよ、高校なんて。どうせ退屈なだけだしさ。」
「この不景気に中卒で就職するなんて無理だぞ。」
「就職・・・・・・・っていったい誰がするのさ?僕が働いたりするわけないじゃん。働くの大キライだもん。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)」
「だから勉強なんてするだけ時間の無・駄。まあ、中学までは義務教育だから仕方なく通ってやっているけどね。」
「な、なんてヤツだ。」
うめくようにこれだけ発するのが精一杯のゲンドウに、カヲルはなおも追い打ちをかけるようにこう付け加える。
「僕の面倒を見て贅沢三昧させてくれる相手はいくらでもいるもんね。だから世間の人のようにあくせく働くなんてまっぴらゴメンさ。」
自分の発想の範疇を完全に逸脱したカヲルの思考に、頭が真っ白になって返すべき言葉を失っているゲンドウではあったが、このまま無抵抗で好き放題言わせておくのはシャクだったし、何より若いカヲルにこんな怠惰で安易な生き方を選ばせるわけにはいかない。そこで、ゲンドウは少々アプローチ方法を変えて先を続けてみることにした。




「カヲル、お前だって将来の夢くらいあるだろう。」
「そりゃああるよ。こんなに若くてキュートで頭のいい僕だもの。」
「へえ、それは初耳だね。いったいカヲル君の夢ってどんなことなんだい?」
いきなりカウンターの向こうからシンジの声がした。カヲルと親しくなってからそれなりに突っ込んだ内容の会話はしていたものの、これまで出ることのなかったテーマに心惹かれたのだろう。
「それはね・・・・・・・・・。」
ちょっと焦らすように話を切ったカヲルの大きな口元に注目しながら、固唾を飲んで次の言葉を待つゲンドウとシンジ。しかし、カヲルの答えはふたりの想像を遙かに超える脱力モノだった。
「遊んで暮らす。」
「こんなときに冗談は止せ。」
本物のヤクザも裸足で逃げ出すようなドスの利いた声でカヲルをたしなめるゲンドウだったが、すでにシンジの方はこれはカヲルの嘘偽りのない本音だと悟っていた。
「冗談なんて言ってないよ。一生遊んで楽しく暮らすのが前からの僕の夢なんだもん。」
こんな内容を堂々と胸を張って主張されると、昔の価値観をそのまま引きずっているゲンドウとしては少々不愉快になってくる。
「お前は”働かざるもの食うべからず”という言葉を知らんのか?」
「知ってるよ。」
「だったら一生働きもせず、遊んで暮らすなどという生き方が通用するはずないのも分かるだろうが。」
「そーかなー。玉の輿に乗った女の人なんて全然働かずに贅沢三昧じゃん。あれこそ理想の人生だよねえ。まさに人生の勝利者さ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・(メ-_-)。」
あまりにも腐りきった発言に反論する気力すら沸いてこないゲンドウだったが、それでも良識ある大人としての使命感から限りなくゼロに近いHPを振り絞って、カヲルにビシッと言い放った。
「バカ者が。人間、地道にこつこつやるのが一番なんだ。お前みたいな浮ついた考え方ではこれからの人生、ロクなことがないぞ。」
「・・・・・外見のみならず頭の中も思いっ切り古いんだから。それじゃいつも貧乏くじばかり引かされるわけだよねえ。」
こいつ、ガキの癖してしたり顔で何を・・・・・・とムカツキ始めたゲンドウだったが、悔しいかな、指摘されたことは全部当たっている。シンジはそんなふたりの言い争いを尻目にまた収納の続きに取り組み始めた。もう大抵のことでは動じない。けれども、
(どうせまた父さんがカヲル君に言い負かされて終わるんだろうな。)
と確信していた。



「お前は”アリとキリギリス”という話を知らんのか。」
ついには童話まで持ち出してカヲルの説得に当たろうとするゲンドウだったが、もちろん相手にされるわけがない。
「あんなの似非道徳主義者の嘘っぱちに決まってるよ。それにアリの世界だって女王アリは皆に働かせて何にもしないでぐうたらしてるじゃないか。」
「うっ・・・・・・・・。」
「僕みたいにキュートなコはいるだけで価値があるんだから、労働なんてかったるいことする必要ないんだよ。」
「普通の人間は誰だって皆、自分の能力を活かして一所懸命働いているんだ。」
「じゃあ、フツーより並はずれて魅力的な僕はやっぱり働かなくてもいいんだ。」
我が意を得たりとばかりに頷きながらこう締めくくるカヲルに、ゲンドウはやるせないため息を吐くのがやっとだ。そんなゲンドウの様子を知ってか知らずか、カヲルはなおも自説を滔々と展開させる。
「だいたい頭の良い人間が新たな発明や開発をしたり、運動神経の良い人間がスポーツで優秀な成績を残したりするとすんごくもてはやされるのに、どうして容姿の良い人間がその魅力をフルに活用して金銭や物品をゲットすると、周りの風当たりが異様に強いのか以前から疑問だったんだよねえ。顔が綺麗なのだって頭脳や運動神経と同様に天賦の才の一つなんだから、それを効果的に使って美味しい思いをして何が悪いのさ。」
ゲンドウの感覚とすれば、それは絶対に間違っていると思うのだが、上手い反論の言葉が見つからない。それどころかなんだか筋は通っているような気すらしてくる。
「うむむ・・・・・・・・・(ーー;;)。」
やっぱりカヲルに言いくるめられてしまうのか・・・・・と暗い気持ちになりかけたゲンドウだったが、そこに思わぬ助け船が現れた。
「でもさ、カヲル君、現実問題としてこの家にいる限り、一生遊んで暮らすのは残念ながら無理だと思うよ。父さん、そこまで収入多くないし、作家なんて安定した商売じゃないからいつ落ちぶれるか分からないしね。」
もちろんシンジはオヤジの味方をしようとして言ったわけではないし、明らかに父たるゲンドウを小馬鹿にした発言ではあるのだが、それでも悲しいかなその内容はこれまでのゲンドウのどの発言よりも説得力があった。その証拠に今まで勢いよく放言し放題だったカヲルが初めて黙り込んでしまったではないか。
「う〜〜〜〜〜〜〜ん。」
そんなカヲルの様子を面白そうに眺めながら、シンジはキッチンに戻って手早く料理の下ごしらえを始める。いつも一方的に遣り込められているのだから、たまにはこんなことがあってもいいだろう。とはいっても、もちろんこのまま凹みっぱなしのカヲルではない。ルビーの原石を思わせる目の玉がくりくりっといたずらっぽく動くのを見て、ゲンドウは思わず背中がゾクゾクッとしてくる。
「じゃあさ、こういうのはどうかな。」
「ん?」
「僕、ネルフ書院に入社して先生の担当編集者になるよ。これならいつでも先生と一緒にいられるし、一石二鳥だと思わないかい?」
こう来たか・・・・・・・とゲンドウは渋い表情も露わにゆっくりと腕組みをした。
「でも、ミサトさんはどうするんだい?」
シンジの当然過ぎる突っ込みにもカヲルは全く動じない。
「ふふ、僕が入社する頃にはミサトさんはもっと出世して、すでに現場からは離れているよ。確か大卒が条件だったもんね。あと7年かあ〜。」
「お前のだらけ切った生活態度で大学なんて行けると思うのか。」
「今は学校の数が増えすぎて、希望すれば誰でも入学できる大学だってあるって話だよ。それにいざとなったら裏口入学だってあるしね〜♪」
「あからさまに不正な手段をそんなに堂々と言うヤツがあるか!!」
「そんなに怒るようなことかい?どの世界だってコネがまかり通っているじゃないか。」
けれども、ゲンドウがそんな手段とは全く無縁に、地道に不器用に生きてきたのはカヲルだってよくわかっている。自分のことはまるっきり棚に上げて、そういうゲンドウの生き方に好感を抱いているのも事実だった。
「まあまあ、父さんもそんなにムキになったって仕方ないだろ。とにもかくにもカヲル君が大学まで行く気になったってだけでも大きな進展じゃないか。」
カヲルの一言一言にいちいち反応してしまう大人げないゲンドウに比べて、シンジはもう落ち着き払ったものだ。もっとも今のシンジの最大の関心事は綾波レイのことで、他のことは二の次三の次ということも大きいが。




 「そうそう、買い物途中にリツコさんに会ったよ。」
これ以上話がこじれないようにタイミング良く、シンジは別の話題を振ってみた。
「おお、そうか。」
ゲンドウの顔が心なしか明るくなったことにカヲルは目ざとく気付いて、わざとらしくふくれっ面などしてみるが、無論ゲンドウはまるっきり相手にしていない。
「リツコさんも今週のパーティに来るんだって。なんでもキール会長直属の開発研究所に務めてるとか。そうそう名刺ももらったよ。」
シンジは作業を中断してポケットから預かったものを出すとカウンターの上にそっと置いた。
”ローレンツ総合研究所 開発部食品課課長赤木リツコ”
いかにも女性用の名刺に相応しい流麗なフォントでこう書いてある。
「課長かあ。バリバリのキャリアウ−マンだね。格好いいなあ。」
「女性の身で大したものだ。」
身を乗り出して、感嘆するゲンドウの向こう脛をカヲルは力任せに蹴飛ばした。
「イテテ!乱暴はよさんか。」
「フンだ。」
冷たくそっぽを向くカヲルに閉口するゲンドウだったが、それにはかまわずさらにシンジは先を続けた。
「それだけじゃないよ。ナオコさんも同じ研究所に勤めていて、なんと先月部長に昇進したんだって。」
そこまで耳にして、カヲルはようやく彼女たちのことをキール会長から聞かされたことがあるのを思い出した。
(総合研究所でもっとも優秀な女性科学者二人・・・・・・・・それが綾波さんの叔母さん達のことだったとはね。世の中広いようで狭いなあ。)
己の関心のない話題はすぐに忘れてしまうカヲルなのだが、いつもは超ワンマンのキールが優秀な人材であれば、男女を問わず登用していることが印象的だったので記憶の片隅に引っかかっていたらしい。
「ほう、まさに才色兼備だな。」
「同じ人間でもしがないエロ小説書きのヒゲオヤジとは偉い違いだよねえ。」
シンジが皮肉たっぷりに横目でゲンドウを睨みながら呟く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(;-_-メ)。」
言いたいことは山ほどあるのだが、それを形に出来ないゲンドウ。考えてみれば結構ストレスのたまる性質かもしれない。
「ああ、分かった。それでシンジ君はなんとなくご機嫌だったんだね。」
「えっ?」
「だってナオコさんやリツコさんがパーティー参加有資格者なら間違いなく綾波さんも来るってことだもんね。」
「ち、ちょっと、カヲル君ってば・・・・・・。僕は何もそんなこと・・・・・・。」
しかし図星だった。帰り道からそのことで頭が一杯だったので、カヲルの将来を巡る議論なんて真剣に参加するはずもない。そしてカヲルもシンジの話を聞いてから、すでに遠い将来のことどころではなくなっていた。
(冗談じゃないよ。どうして僕と先生の仲をいちいちあのオバさんに邪魔されなきゃいけないんだ。)
ゲンドウが亡きユイ一筋なのはわかっている。だからこそ自分もこれだけ手こずっているのだ。だけど、あれだけの美女に好意的にアプローチされるという初めての目眩く経験にゲンドウがまんざらでもなさそうなのもまた確かだった。今はともかく、これからリツコがもっと積極的に迫って来ないとも限らない。なにしろ彼女は一介のファンから、シンジの限りなくGFに近いクラスメート綾波レイの姉代わりに昇格していた。もう単なる行きずりの間柄ではない。これからいくらでも接する機会を作れるのだ。
(ふん。まあいいや。パーティーに行きさえすれば、僕にだっていくらでも隠し球があるんだから。)
ふてぶてしくあごをしゃくりながら、カヲルはカウンターの上の名刺を勢い良く弾き飛ばした。


TO BE CONTINUED


 

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