*第三新東京モナムール〜24*



「父さん、意味のないことはやめなよ。」
一般社会で地道に暮らしていたら、死ぬまで目にすることのないであろう豪華な造りの大広間に由緒ありげな調度品や食器。そしてこの空間に相応しく、自分なりの趣向を凝らして華やかに着飾った人々。しかし、一人だけそんな雰囲気にまるっきり馴染めず、楽しげに談笑する彼らの陰に隠れながら、こそこそと移動しているヒゲオヤジがいた。
「だいたいどうしてそんなことしてるのさ?」
女子寮の更衣室に忍び込んだ変質者まがいの怪しい挙動には、カヲルもさっきから不満を抱いていたらしく、畳みかけるようにゲンドウを問いつめる。もっともカヲルがぶーたれているのは他にも理由がある。本当だったら、2ヶ月前にオートクチュールで作ったばかりのシースルーの衣装を着て、意気揚々と会場を歩き回るはずだったのに、中学生の分際で過度のお洒落など以てのほかと、殆ど平服に近い格好しかさせて貰えなかったのだ。
「い、いや、何となく場違いな気がしてな・・・・・・。」
いたずらが見つかるのを恐れる子供のように、おどおどと落ち着きのないゲンドウを一瞥して、カヲルはますます不機嫌になった。
「先生は僕の恋人としてここに来たんだから、もっと堂々としてくれなきゃ。」
「・・・・・・・別にそんな名目じゃないと思うけど・・・・・・・(^^;;)。とにかく父さんはゼーレグループ傘下のネルフ書院の看板作家として正式に招待されたんだから、そんなに小さくなることはないんじゃないかなあ。」
やっぱり多数決には勝てず、ゲンドウはカヲルとシンジに引きずられるようにゼーレグループの30周年記念パーティーへ 連れて来られた。けれども、生来のあがり症に加えて、このような改まった公式の場が大の苦手のゲンドウは、会場へ足を踏み入れるやいなや、極度の緊張に襲われ、前述のような無様な行動に走ってしまったのだ。
「それに、そんなことしてるとかえって目立つよ。」
「えっ?」
精一杯人目に付かないようにしたつもりなのに、まるっきり逆効果だったのを指摘され、ゲンドウは思わずその場で固まった。
「あったり前さ。長身、髭面、しかも和服とただでさえ分かり易い特徴が揃ってるんだもん。でも作家としての碇ゲンドウは、世間では知る人ぞ知る存在だし、どうせ誰も気にも留めてないよ。良かったね、先生。」
「・・・・・そ、そうか・・・・・はは・・・・・。」
決して素直には喜べない表現でフォローされて、ゲンドウは複雑な気持ちで乾いた笑いを漏らした。とはいうものの、先ほどから周囲の悪意に満ちた射るような視線を感じてならない。みっともないと自覚しつつ、人目を避けるようなルートで会場内を転々としていたのも、緊張感のみならず、それから逃れたいという一心だ。が、それを口に出すのはやめておいた。はっきりした確証があるわけでもないし、いい年して自意識過剰だと思われてしまうではないか。
「さ、父さん、まずはネルフ書院の人たちを見つけて挨拶しなきゃ。」
「うむ。」
「シンジ君、無理しちゃって〜。ホントは綾波さんを真っ先に探したいくせに。」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
見え見えの本音をカヲルにあっさり言い当てられて、シンジはついついムキになってしまう。でもそれこそが相手の思うつぼ。なおも悪戯っぽく笑いながら、シンジをからかい続けるカヲル。
「ほ〜ら、赤くなった赤くなった〜。いいねえ、若いって♪」
「もう、カヲル君ってば〜(*><*)。」
他愛ないやり取りをする二人をやや距離を置いて眺めていたゲンドウだったが、その時はっきりと分かった。あの無言の視線の圧力は自分ではなく、カヲルに向けられたものだということを。



これまでどんなに勧められても、公式の催しには一切足を運ぼうとしなかったゲンドウが、家族+居候の要望とはいえ、今回のパーティーに出席するという知らせは、親友の冬月始め、ネルフ書院一同を少なからず驚かせた。来社時ですら平常心を失っているように見えるゲンドウが、これだけ大規模な行事で果たしてどんな顔をしてやって来るのか、皆、興味津々だったらしく、50メートルも先のテーブルから拍手喝采で出迎えてくれた。だが、そんな目立つことをされてゲンドウは正直困り果てた。とにかくこの数時間はいつも以上に目立たずひっそりと過ごしたいのだ。
「おお、碇、よく来たな。」
「碇先生、こんばんは。」
「さ、先生、こちらへどうぞ。料理はバイキング形式ですから、お好きなのを取ってくださいね。」
せっかくの編集部員たちの歓迎にもろくろく答えず、いかにも居心地悪そうに額の汗を拭き拭き軽く会釈しながら、ゲンドウは用意されていた席に座った。
「父さん、挨拶くらい出来ないのかい。」
基本的な礼儀すらなっていない父に息子の目は厳しい。ゲンドウと付き合いが長い者は、その愛想のない仕草はただただ照れから来ており、深く付き合えば案外情の深い人間だということが分かっているが、初対面、あるいはそれに近い関係ではそんな言い訳は通用しない。
「シンちゃん、いいのよ。今更そんな間柄でもないし。」
ゲンドウの度を越した緊張を十分察して、こう返すミサトだったが、シンジは身内だからといって全く容赦しない。
「いえ、親しき仲にも礼儀ありですから。」
「おやおや、相変わらず碇家は息子の方がしっかり者だな。」
冬月編集長が苦笑しながら父子二人を見比べる。ふと後ろに佇んでいるカヲルと目が合った。
「こんばんは、冬月編集長。この前は驚かせてゴメンね〜。」
震いつきたくなるくらい愛らしい笑みを浮かべて、カヲルが小首をかしげながら挨拶する。実は伊豆から戻った翌日、ゲンドウは冬月に呼び出され、そこで洗いざらい真実を白状させられてしまったのだ。ゼーレグループの催しの殆どに顔を出している冬月が、カヲルのことを知らないはずがない。宴会場にいきなりカヲルが乱入してきたときは、大げさでなく心臓が口から飛び出るほど驚愕したのだが、皆の手前もあって、日程終了までなんとか堪えていたらしい。
「全く厄介ごとばかり背負い込みおって・・・・・・・。」
呆れ顔でぼやく冬月だったが、さすがに親友の欠点も長所も知り尽くしており、ゲンドウが弁解せずとも、彼とカヲルとの間に疚しいことは一つも無いと確信していた。ただし、あくまで現時点に置いてであるが。
「カヲル君も来たのか。」
「当たり前だよ。今夜、碇先生を僕の恋人としてお披露目するんだもん。」
「お前はまたそんな戯言を・・・・・・・。」
大げさに手を振り上げてみたゲンドウだったが、叱責の怒声にもどことなく迫力が欠けている。ゲンドウとカヲルの年齢及び容姿のあまりのギャップに、事情を知る者以外、誰一人本気にしていないことが不幸中の幸いだった。
「そうそう!将来はネルフ書院に入って先生の担当編集者になることに決めたんだ。ねっ、いいでしょ?冬月編集長。」
「・・・・・カヲル君がネルフ書院に?」
「うん。だから、僕が大学を卒業する年には採用枠を一人分空けておいてよ(^o^)。その前にバイトとして働けば、仕事はある程度覚えられるしね。」
今から堂々とコネ入社を狙っているカヲルの図々しい物言いには、ゲンドウはもちろんそこにいた全員が脱力させられた。そして、外見とは裏腹に案外押しに弱いゲンドウが、この先カヲルの猛攻にどこまで耐えられるかと思うと、冬月は親友として心底同情を禁じ得なかった。




「碇先生、やっぱりここにいらっしゃったの。」
出口の見えない無限ループにどっぷり漬かっていたゲンドウだったが、思いがけない救世主が現れた。
「あ、君は・・・・・・・。」
「赤木リツコです。そろそろ名前くらいは覚えていただきたいものですわね。」
張りつめた糸がちょっと緩んでひと息ついているゲンドウの傍らで、カヲルは口を真一文字に結ぶと、わざとらしくその太やかな左腕にぎゅっとしがみついた。婉然と微笑むリツコの後ろにはナオコと並んで清楚な桜色のワンピース姿のレイが佇んでいる。とたんに目を輝かすシンジ。
「・・・・・こんばんは、碇君。」
しかも、はにかみながらもレイの方から挨拶してくれて、シンジはもう有頂天である。旅行の時、リツコも言っていた通り、確かにレイの性格に少しずつ変化が現れているようだ。
「編集部の皆さん、この前はレイがいろいろお世話になりました。」
「そんなあ。全然気にしないで下さいよ。」
「どうせ無礼講の気楽な旅行だったんですから。」
「美人の参加はいつでも大歓迎ですよ。」
口々に返す編集部員たちの和やかな表情を見ると、言っていることに嘘偽りはなさそうだ。いくら美人でも酒乱の上にヒモ付きのミサトだけでは、宴会も今ひとつ潤いに欠けるというものだ。ちなみにネルフ書院にはもうひとり経理担当の伊吹マヤという美人社員がいるのだが、彼女はずぼらなミサトとは正反対の超潔癖性。その性質は会社の業務では美点として生きてくるものの、アフター5では強力な壁と化し、そのガードの堅さに泣かされた男性陣は数知れずという。そんな彼女が宴会の席で喜んでお酌をしてくれるはずがなかった。
「そう言っていただけるとほっとしますわ。ねっ、リッちゃん。」
安堵したように顔を見合せ、ナオコとリツコは互いに微笑み合う。
「ほらほら、皆何やってるの?早くナオコさん達に適当な料理をお出しして!編集長もボケッとしてないで、こっちの席を空けてくださいよ。」
自分がこしらえたわけでもないのに、編集部員達に次々と指示を出すミサト。仮にも上司たる冬月を差し置いて、すっかり場を仕切っている。
「綾波、よく来たね。」
「・・・・・すごい人・・・・・。」
「そりゃあ、世界でも有数の巨大コンツェルンの30周年パーティーだからね。各界からもいろいろなゲストが招かれているみたいだし。」
わざわざ探さなくても、テレビ・雑誌等で見慣れた芸能人やスポーツ選手、さらに政治家・実業家の姿が面白いように目に入ってくるので、特にミーハーではないシンジでもついつい注目させられてしまう。でも、今のシンジにとってはどんな人気アイドルよりレイの方が魅力的だった。
「あ、あのさ・・・・・・。」
「・・・・え・・・・・?」
「・・・・・よく似合ってるね・・・・・。」
「・・・・・・・本当に・・・・・・・?」
「・・・・・か、可愛いよ、とても・・・・・・・(////)。」
「・・・・・ありがとう・・・・・(////)。」
もし、カヲルがそばでこの会話を聞いていたら、あまりのじれったさに転がってしまうくらいの途切れ途切れのやり取りではあったが、それでもシンジとしては精一杯の勇気を出したのだ。本人は不満だろうが、こういう辺りは父ゲンドウの性質をしっかり受けついでいるらしい。もっともゲンドウだったら、この一言でさえ、到底相手に伝えられそうにないが。
「ほ、ほら、これなんか美味しいよ。」
「・・・・・うん・・・・・。」
照れ隠しもあって、シンジは手早くオードブルやフルーツを小皿に盛りつけると、レイに差し出した。躊躇いながら受け取るレイの表情は心底嬉しそうだ。そんな微笑ましい二人の様子を見遣りながら、ゲンドウはゆっくりとうなずいた。
(あの娘だったらまあいいだろう・・・・・・・。)
ただ大人しいだけでなく、芯はしっかりしたものを持っている。それでいて控えめな態度には好感が持てた。家庭もしっかりしていそうだし、むしろシンジには勿体ないほどの女のコかもしれない。ご馳走を口に運ぶのも忘れて、仲睦まじく談笑する彼らを眺めつつ、自分の青春時代にこんな美味しいことが一度でもあったら、人生変わっていたかも・・・・・などと詮無いことを考えてしまうゲンドウであった。



「碇先生がパーティーに出席されるなんて、思ってもみませんでしたわ。」
再びリツコに話しかけられて、ゲンドウは我知らずゴクンと息を飲み込んでいた。手の平が汗でネットリしているのが分かる。必要以上に緊張しているのは、胸元が大胆にカットされている彼女のドレスのせいばかりではあるまい。何しろ日頃とは違って、相手が明らかに自分に好意を抱いているのだ。このような未知の状況下で、生来の口下手がますますエスカレートするのは言うを待たない。
「・・・・・・家族に連れて来られまして・・・・・。」
我ながら締まらない返答だと思うのだが、真実なのだからやむを得ない。けれども、リツコはゲンドウのピント外れのセリフをこれっぽちも馬鹿にする様子はなく、むしろ暖かい眼で見守っているかに見える。もちろんカヲルは瞬時にそのことに気が付いた。
(どうやらこの女性は碇先生の真の価値を十分理解しているようだね。肩書きやお金目当ての相手と違って、これは案外強敵かもね。まあ、若くてピチピチの僕がちょっと気合いを入れれば、こんなオバさんに負けるなんてありえないけど。)
それでも、危険の芽は早いうちに摘むに限るとばかり、カヲルはタイミング良く妨害工作に出る。いきなりふらふらとゲンドウの腕の中にくずおれたカヲルに、周囲の殆どの人間は心配顔で、輪を狭めるようにゆっくりと近づいてきた。
「・・・・・僕、気分が悪くなっちゃった・・・・・。先生、ちょっと外に出ようよ。ねっ。」
「それはいけないわ。碇先生、一緒に行ってさしあげたら?」
「む、でも・・・・・。」
「お話ならまた別の機会に出来ますもの。」
しかし、ゲンドウはもちろん、シンジもミサトも冬月もこれがカヲルの作戦だというのは分かりきっているだけに何とも答えようがない。かといって、リツコに真実を教えるわけにもいかず、対象物ははっきりと思い浮かんでいるのに、その具体的な名前がどうしても出てこないときのようなじれったい気分に襲われていた。
「さ、行こう。先生。」
作戦的中、我が意を得たりとばかりに口元を緩めながら、一歩踏み出そうとしたカヲルだったが、そこに最後の関門が待ち受けていた。




「・・・・・気分が悪いんだったら、外なんかより医療室に行った方がいいのに・・・・・。」
「うっ(@@;;;;;)!!」
その通りである。レイにしてみれば、特にカヲルに気を使う義理もないし、ましてやこの状況では姉代わりのリツコが好意を持っているゲンドウとの仲を邪魔する存在でしかない。
「考えてみれば、レイの言うとおりだわ。」
もちろん純粋な好意で賛同しているリツコだが、カヲルからしてみれば、赤木姉妹でタッグを組んで、自分の妨害をしているようにしか思えない。
(ちぇっ、この間、市内観光チケットを譲ってあげた恩も忘れて、ひどいもんだね。)
自分の都合だけでレイに押しつけたくせして何を言ってるか。しかも初対面の時、事故とはいえバストタッチまでやらかしているのだ。
「カヲル君、早く医療室に行ったら。」
ただでも苛ついていた気持ちが、シンジの言葉で一気に”ムカつき”に転じてしまった。編集部員から勧められるならまだしも、身内から裏切り者が出たようなものではないか。カヲルは薄い下唇をきつく噛みながら、湧き起こる怒りをなんとか抑えていた。
(綾波さんはともかくとして、シンジ君は許せないね。誰のおかげで彼女といい雰囲気になったと思ってるんだい。)
偉そうにほざくカヲルではあるが、実のところ、カヲルの行動はたまたま結果として、二人の仲を大きく進展させるのに役立っただけで、元々の動機は全部が全部、己とゲンドウの関係を好転させんがためである。それで恩着せがましく恨み言を言われても、シンジだっていい迷惑だ。だが、カヲルの逆恨みはもう止まらない。
(ふん、この程度で僕を阻止できると思ったら大間違いだよ。シンジ君には罰として犠牲になって貰うからね。)
カヲルは皆の方を一瞥して、わかるかわからないかの程度、口元を軽くほころばすと、右手をテーブル上に一閃させた。あまりの早さに誰一人何が起こったのか理解できなかった。そして、次の瞬間・・・・・。
「ああっ!!」
手前のカクテルグラスとロールキャベツの皿がまとめてシンジの胸元に襲いかかってきた。避ける間もなく落下物の洗礼を受けてしまい、せっかくの一張羅のブレザーも色とりどりのスプレーを吹き付けたようだ。
「・・・・・碇君!!」
慌てて自分のハンカチを出して、シンジの服を拭こうとするレイだったが、そんな小さな布ではどうしようもない惨状だ。
「シンちゃん、大丈夫!?」
「すいません、ミサトさん。こっちのナプキンを取ってください。」
「私、係員の人を呼んでくるわ。」
もうてんやわんやの大騒ぎだ。忙しく右往左往する一同の眼前で、為す術もなく呆然としているゲンドウの手をぎゅっと握りしめると、カヲルは声を立てて笑った。
「アハハハ、上手くいった、上手くいった。行こ、先生。これから皆に先生のことを紹介して回らなきゃ♪」
その瞬間、ゲンドウは初めてカヲルと渋谷を歩いた時のことをありありと思い出した。自分に声を掛けさせるためだけに万引きまでしたカヲル。
(そうだ・・・・・こいつは目的のためには手段を選ばないヤツだったんだ・・・・・・ーー;;。)
浮かれるカヲルとは対照的に、オヤジの瞳はこれから市中引き回しの上、磔、獄門になる罪人のように暗く沈んでいた。


TO BE CONTINUED


 

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