*第三新東京モナムール〜26*




「さ、さ、もう一杯どうぞ(^o^)。」
「おお、そうかね。じゃ、遠慮なくいただくとしようか。」
婉然と微笑んで酌をするミサトの豊満な胸元に目をやりながら、先ほどの居丈高な態度が嘘のように男はだらしなく格好を崩す。ゲンドウの強烈なパンチで吹き出した顔の血は綺麗にふき取られ、どこから調達してきたのかスーツも新しく替わっている。ただし、それはさっき着用していたものに輪を掛けて悪趣味な毒々しい紫色で、品のないことこの上ない。
(やれやれ・・・・・ま、もうちょいの辛抱よね。これもお仕事のうちだし、仕方ないか。)
一旦は緊張に包まれたパーティー会場も、今は何事もなかったかのように和やかな酒宴が続けられている。けれども、ネルフ書院関係者にとってはまだ後始末が必要だった。このバカ取締役は親の威光を笠に着て、会社内外で傍若無人な振る舞いをして来たし、強気を助け、弱気をくじく典型的な権力志向の人間で、その所属を問わず彼に反感を抱いている者は多い。そんなこともあり、ゲンドウが怒りを爆発させて、男にパンチをお見舞いしたとき、会場にいた大部分の人々は快哉を叫んだに違いない。しかし、これじゃ済まないのが大人の世界だ。男が取締役に名を連ねる”お気楽市場”はネルフ書院の殆どの出版物をオンラインで販売しており、過激な官能系ということで直接書店で買うのを躊躇っていたユーザーの心をがっちり捕らえて、売り上げを順調に伸ばしている。いかにこの男個人が最低の人間であろうと、会社の将来を考えたら、ここで取引関係を不意にするわけにはいかない。というわけで、不本意ながらミサトが人身御供になって、フォローの接待をしているのだ。幸い、男が彼女にべた惚れだったのが功を奏し、ゲンドウに対する怒りもなんとか沈静化され、今は完全にご機嫌だった。ただし、男がお調子に乗ってミサトを強引に口説くという暴挙に出ないよう、この場で酔い潰してしまう計画である。一刻も早く酔いが回るように、男に勧めている酒は全て強アルコールのブツばかりで、しかも悉くちゃんぽんにしてある。二人が並んで座っているテーブルの反対側で、シンジとレイが次々とブレンドしているのだ。もっとも、普通に勝負したところで恐らく男はミサトの相手にはなるまい。
「名付けて”擬似ぼったくりバー作戦”・・・・・って、ミサトさんもよくやるよな〜。」
ほろ酔い気分で男が何度も差し出す札束をミサトはちゃっかり全額懐に収めている。チップというには多すぎるほどの額で、すでにミサトの一ヶ月分の給料を超えそうな勢いだ。
「・・・・・碇君、早く次をこしらえましょう・・・・・。」
ミサトの無茶苦茶な作戦に何の疑問も抱かずに、レイは黙々と各銘柄をブレンドする。マドラーで掻き混ぜるたび、微妙に色合いを変えていくグラスの中のお酒。
「・・・・・・・綺麗な色・・・・・・・(^.^)。」
「あ、綾波〜(^^;;)。」
冷静なのか無邪気なのかはたまた単なるボケなのか。綾波レイがある意味ますます謎の女のコに思えてくる。けれども、ゲンドウの激情に駆られた行動に決して悪い感情を抱いてないことははっきりと見て取れ、それがシンジにとっては何よりも嬉しかった。



それからわずか30分足らずの間にバカ取締役はすでに意識を失うほど酔い潰れていた。シンジとレイ特製の必殺ブレンドカクテルは相当効いたようである。
「うっふっふ、上手くいったわね。取りあえず、今日はこれで切り抜けられそうだし、仮に後日、碇先生のことで文句を言ってきたとしても、現行犯でさえなければ、どうとでも取り繕えるというものよ。」
目論んだとおりの展開になって、豊かなバストを誇示するかの如く胸を張って艶っぽく笑うミサト。一連の手際の良さから推測するに、この手のトラブルの場数は相当多く踏んでいそうだ。本当にミサトがいてくれて助かった。揉め事の事後処理などゲンドウがもっとも苦手とする分野だし、冬月編集長も生真面目なだけに、臨機応変に誤魔化すとか受け流すとかは出来そうにない。その点、ミサトは恋人である加持の影響もあるのだろうが、女性ながら清濁併せ呑むところがあり、裏技の使用も辞さず状況に応じた解決方法を取れる要領の良さを持っていた。
「ミサトさん、ありがとうございます。本当に助かりました。」
「・・・・・・・・見事だわ・・・・・・・・。」
「いいの、いいの、お礼なんか。それにシンちゃんたちの作ってくれたカクテルの効き目も抜群だったわよん。」
「でも、どうするんですか、この人。」
「当然、関係者を呼んで、お引き取り願うわ。ゴミが消えて、これで安心してパーティーが楽しめるってモノよ。にしても思わぬ収穫だったわね〜♪」
男から差し出されたお札の枚数を改めて数え直すミサト。シンジがざっと見ただけでも30枚以上ありそうだ。
「これ貰っちゃうつもりなんですか?」
「あったり前じゃない。こっちが頼んでもないのに勝手にくれたんだから。まあ、迷惑料の代わりってとこね。今度このお金でみんなでパーっとやりましょう(^o^)。」
「・・・・・ミ、ミサトさぁん・・・・・(^^;;)。」
「これだけ正体無くしているんだから、もう5万円くらい抜き取っても分からないわよね〜。シンちゃんたちも小遣い代わりに貰っとく??」
ミサトはいたずらっぽく笑うと、大胆にも男の内ポケットに手を伸ばそうとしたではないか。もちろんシンジは大慌てで制止する。
「や、やめて下さいよ、ミサトさんってば〜(><)。」
これではたいしてカヲルと変わりない。ただし、このお金を独り占めせずに皆に還元しようとするところが彼女らしいと言えるが。




「ふう・・・・・・・。」
カヲルへの聞くに堪えない発言についカッとなって、鉄拳を振るってしまったものの、こうして我に返ってみれば、愚かしいことこの上ない。ゲンドウは激しい自己嫌悪の渦に飲み込まれそうになっていた。たとえ知る人ぞ知る程度であっても、作家を名乗る以上、一般人よりは遙かに世間の注目を集める存在には違いない。なのに己一人の感情に任せた行動を考えなしに取ってしまったのだ。自分の行動が何もかも自分だけに跳ね返ってくるならまだしも、それは波紋を呼び、ネルフ書院をはじめとする関係各社に確実に影響を及ぼす。そんなことが分からない年齢ではなかろう。キール会長がカヲルを迎えに来たとき、泣く泣く彼を手放さざるを得なかったのだって、全てはその理由に集約されていたはずではないか。
(私は何故あんなことを・・・・・・。)
ますますどんよりと落ち込むゲンドウ。もっと切羽詰まっていた場合ですら、周囲の状況に思いを至らすことができたのに、こんな些細なことで他人に手を上げてしまうなんて。暴言の類は無視すれば済むことだ。いや、それがゲンドウ自身に対するものであれば、たとえどんな失礼かつ容赦のない悪口雑言をほざかれようと難なく受け流すことが出来ただろう。なのに、カヲルに対する侮辱はどうしても我慢ならなかったのだ。ふと視線を上げれば、遠目に見えるのはキール会長と隣ではしゃぐカヲルの姿。
(・・・・・カヲル・・・・・。)
カヲルは何事もなかったように大口をあけてオマール海老やケーキをパクついていた。そりゃあ何も感謝してもらったり、良く思われようとして、あそこで庇ったわけではない。しかし、カヲルはゲンドウに礼のひとつもないまま、騒ぎのどさくさに紛れて姿を消し、いつのまにかしっかりキール会長の傍らで甘ったれている。それが彼の気持ちをさらに深く沈ませた。リスクを犯してまで取った自分の行動は一体なんだったのか。
(・・・・・・・こんなことではいかん。気持ちを切り替えなくては・・・・・。)
こう言い聞かせてみたものの、心の整理などまるっきりついていなかった。とにかく遠目でちらちらするカヲルとキールのツーショがいけない。見ずに済まそうとしてもいつのまにかゲンドウの瞳のみならず、心の中にまで飛び込んでくる。
(場所を変えるか・・・・・・・。)
やむを得ず、ゲンドウは一旦宴会場を後にして、ホテルの中庭に移動することにした。月明かりに照らされる季節の花々を目にすれば、少しは気持ちも落ち着くかもしれない。シンジはミサトやレイと楽しげに談笑しているし、ネルフ書院の面々も各取引先との話に忙しいみたいだし、ここで自分が姿を消してもまず気付かれることはあるまい。



「あれえ、もしかして碇先生?」
せっかく一人になろうとここまでやって来たのに、もっとも顔を合わせたくなかった人物に声を掛けられて、すっかり出鼻を挫かれてしまった。振り向けば目に飛び込んでくるカヲルのキュートな笑顔。その愛らしさこそが曲者だとさんざん思い知らされているにもかかわらず、ついついつられて口元が綻ぶ。
「どうしたの?ネルフ書院の人たちが心配するよ。」
「・・・・・・・お前こそ、キールの傍にいなくていいのか。」
露骨にとげとげしい口調になっている。カヲルの蠱惑的な表情を見ているだけで、ゲンドウの身体はかっと熱くなり、鼓動も早鐘のように激しくなる一方だ。
「平気平気。キールだって僕の相手ばかりしてるわけにはいかないしね。なんたってゼーレグループ20周年記念パーティーなんだもん。」
あんな騒ぎのあとなのにカヲルは他人事のようにケロッとしている。激情に駆られた行動を猛省して、あれこれ思い悩んでいる自分が単なる間抜けみたいだ。
「とっとと戻れ。」
ゲンドウは殊更に冷淡な口調でカヲルを撃退しようとしたが、内心ではこんな命令くらいでこいつが引き下がるんだったら誰も苦労せん、とすでに諦めの境地に入っていた。
「イヤだ。僕が戻りたいと思ったら戻る。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
案の定、予想通りの答えが返ってきてしまい、ゲンドウは大きくため息をつく。これでは気分転換どころではない。テーブルで悶々と考えを巡らしていた方がまだましだった。そんなゲンドウの葛藤に気付いているのかいないのか、カヲルはあっけらかんと次を続ける。
「先生、馬鹿だねえ。あんなヤツ相手にしちゃダメだよ。」
「な、なんだと・・・・・・(-_-メ)!?」
さすがに腹が立った。誰のために馬鹿な行動をとる羽目に陥ったんだと文句の一つも訴えたくなったが、別にカヲルに頼まれたわけじゃない。ゲンドウが勝手に不愉快になって、勝手に怒りが頂点に達して、勝手にあんな暴挙に出たと言われてしまえばそれまでだし、事実そうなのだ。客観的に振り返ってみれば、おそらくあのまま放っておいても、カヲル自身があの男を撃退したに違いない。カヲルが碇家に来た当初のいざこざで、この子の見かけに寄らぬ腕っ節の強さは体感していたし、大人げなくいきり立つ男とは逆に、カヲルはあくまでも冷静そのものだったではないか。




 (・・・・・・・それでも・・・・・・・・。)
どうしても迸る感情を抑えることが出来なかったのだ。そろそろ五十の声を聞こうという自分に、未だにこんな激しい気持ちが残っていたなんて、今となっては気恥ずかしくさえ思えてくる。二十年前なら血気にはやった失敗も、若気の至りという一言で済ませられたが、この年になって同じことをやらかせば、大人げないと失笑を買うだけだ。しかも、結局は自分のひとり相撲だったらしい。薄々こうなることが分かってはいても、ゲンドウは一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
「先生が怒る事なんてないさ。僕はなんとも思ってないんだもん。ま、あいつの言ったことも当たらずと言えども遠からずだしね〜。」
「・・・・・・・そ、そうなのか・・・・・・・(@@;;)。」
「欲しいモノがあったら、カラダを張ってゲットするのが僕の主義だから。」
「・・・・・それでは援交とたいして変わらんだろが・・・・・・(ーー;;)。」
「そーかなー。でも、僕、ディスカウントはしないよ。援交程度の相場じゃやらせてあげないもんねー。」
「馬鹿もん!そんな退廃的な考え方を改めないといつか痛い目に遭うぞ!!今日だって一歩間違えればどうなるか分からなかったくせに。」
「平気平気。僕、強いしね。だけど、本当に先生は堅いんだなあ。小説の中ではあれだけ不健全の極みの世界を繰り広げているのにねえ。それとも滾る欲望を書くことで発散してるのかな?」
「・・・・・・・ちょっとは人の話を真剣に聞かんか。」
「聞いてるよぉ。だいたい大金を叩いても僕と遊びたいってオジさんがたくさんいるんだから仕方ないじゃん。僕は皆のニーズに応えてるだけだよ。オジさん満足、僕も目当てのモノが手に入ってニッコニコ。誰もが幸せ、目出度し目出度しさ(^o^)。」
「・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
「やばい橋を渡っていろいろ言われるのは端っから承知の上。批判されてうじうじするくらいなら、最初からやらなきゃいいんだよ。」
なんとも堂々とした且つ妙に潔いカヲルの態度に、内心ゲンドウは圧倒されそうだった。けれども、古いと言われようが石頭と言われようが、やっぱりゲンドウにはどうしても納得できない。カヲルには平凡ながらもきちんと地に足をつけた幸せを掴んで欲しいのだ。
「そんな状態が本当に目出度いもんか。人間、地道が一番だ。いつまでもそんな生き方では世の中通用せんぞ!!」
「将来はネルフ書院に就職して先生の担当になるからいいんだもん。その前にせいぜい搾り取れるものは搾り取っておかないとね〜♪」
やはり口ではどうにも勝ち目がない。返すべき言葉を失って、敗北感にがっくりと肩を落とすゲンドウだったが、その時だ。
「う!?」
カヲルがそのしなやかな肢体をいきなりゲンドウに預けてきたではないか。突然のことで抵抗する間もなく、彼は丸ごとカヲルを受け止めてしまった。カヲルの甘酸っぱい髪の香りが快く鼻腔を擽るが、ゲンドウの頭の中はひっくり返したおもちゃ箱よりもぐちゃぐちゃに混乱しており、その香しさに酔いしれるどころではなかった。
「お、おいっ・・・・・。」
オロオロと目を白黒させるゲンドウ。そんなオヤジの様子に軽く含み笑いを漏らした後、カヲルは一瞬うつむき加減になると軽くため息をついた。
「なんだか今日はちょっと疲れちゃったみたい。」
「・・・・・・・・・・・(////)。」
本音なのか手管なのか分からない上目遣いの絡み付くような視線。カヲルの数多いパトロンたちも皆こうやって彼の術中に嵌まり込み、虜になっていったのであろうか。ゲンドウの広い胸にゆっくりと顔を埋めながら、カヲルはなおも小声で優しく囁く。
「もう少しこうしててもいい?」
「・・・・・・・う、うむ・・・・・・・・(////)。」
置き所をなくしたゲンドウの両手がうろうろと虚空を彷徨う。が、やがてそれは躊躇いながらもカヲルの肩先に優しく添えられ、そのまま動かなくなった。


TO BE CONTINUED


 

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