*第三新東京モナムール〜5*
「カヲル君、ちょっとこれ拭いてくれないか。」
「あ、いーよ。」
あれからちょうど1週間が経つ。殆ど押しかけで碇家に住み着いてしまったカヲルだが、同居生活は拍子抜けするくらい順調だった。あんなにカヲルに対して冷淡だったシンジともすっかり仲良くなっている。きっかけは実に些細なことだった。居間にでんと置かれたターンテーブル型のコントローラー。それを目ざとく見つけた瞬間、カヲルの瞳がにわかに輝いた。
「ねえねえ、シンジ君もビーマニやるの?」
もう、堪えきれないといった感じで、戸棚の整理に勤しんでいるシンジに声をかける。この数日というもの、必要最小限以外カヲルの呼びかけに対応したことがなかったシンジが、初めてまともな反応を示した。作業の手を止めて、カヲルの方を振りかえる。
「・・・・・・・・”も”ってことは君も・・・・・・。」
「ふふふ、自分で言うのも何だけど、ちょっとしたもんだよ。ホントはDDRの方が得意なんだけど、一応こちらもキホンとして押さえておかないとね。」
ちなみにビーマニはビートマニア、DDRはDance Dance Revolutionの略称だ。共に若者中心に大人気のダンス系ゲームである。前者はDJの、後者はダンサーの気分でプレイするのだが、リズム感も反射神経も必要なので、ゲーセンのギャラリーたちの賞賛を浴びるようなCoolなプレイを決めるにはそれなりの鍛錬が必要だ。ゆえにコンシューマーでみっちり練習してからゲーセンデビューというのが、標準コースと言えた。
「ふうん。その口ぶりだとかなり自信があるようだけど、実際プレイを見せてもらわないことにはね。口だけなら何とでも言えるし。」
「いいよ、望むところさ。僕を本気にさせたことを後悔させてあげようじゃないか。」
互いに挑発的なセリフで相手を刺激する二人。いったん話が始まってからの展開は早かった。双方の腕を披露し合うため、カヲルとシンジは連れ立ってゲーセンヘ出かけることになった。本当のところ、ビーマニもDDRも碇家にプレステ版があるのだから、何もわざわざゲーセンまで行く必要はないのだが、カヲルがギャラリーの前じゃないと燃えない、やる気にならないと言い張ったのだ。もちろん二人の行き先を聞いたゲンドウは良い顔をしなかった。しかし、いつも通りオヤジの小言を全く無視して、カヲルとシンジはさっさと家から出て行ってしまった。
(こういうところばかり、気を合わせおって・・・・・・・。)
けれども、たとえどんな形であろうと、彼らが共通の話題を持ったことは決して悪くないとゲンドウは考えていた。
そして、しばらくしてゲーセンから戻ってきた二人は、出会ってからの険悪な雰囲気はどこへやら、すっかり意気投合していた。お互い認めるに足る腕の持ち主だったらしい。楽しげに次期稼動予定の機種の情報交換などをしている。ひとつきっかけが出来れば、そこは同世代。いくらでも語り合えるネタはあった。学校のこと、音楽のこと、最近読んだ本のこと、オススメのゲームのことetc・・・・・・・・・。そんなこんなでカヲルとシンジはいつのまにか友人同士と言っても差し支えないくらいのいい関係になっていた。これはゲンドウにとって嬉しい誤算だった。特別な用事がない限り、1日中在宅している彼にとって、家庭の雰囲気が精神状態に及ぼす影響は限りなく大きい。自分以外の二人がぎくしゃくしているのを見せつけられるよりも、こうしてにこやかに談笑しつつ、家事を片付けている光景を眺めているほうが遥かに心地よいに決まっている。日頃からシンジのゲーセン通いを苦々しく思っていたゲンドウだったが、これはあの世代の者にとってはコミュニケーションの一種でもあるのだな、と改めて気づかされた。
(もう、我々の頃とは何もかもが違ってきているようだ・・・・・・・。)
「シンジ君、こっちにあるのは何だい?もう、夕食も済んだっていうのに。」
脇に置いてある下ごしらえに気づいたカヲルが尋ねる。
「これは明日以降の作り置きだよ。」
「えっ?」
「前に言ったじゃないか、明日から友達とキャンプに行くって。」
「あ、そうだったね。いよいよ明日か・・・・・・ふふふふふ。」
カヲルは含み笑いをするとゲンドウの方を振りかえって、舌なめずりした。
(そ、そうだった・・・・・・・。シンジのキャンプは延期であって中止ではなかったのだ・・・・・・・。)
不覚にも今の今までそのことを忘れ果てていたゲンドウ。
(だからこの1週間、カヲルも大人しかったのか・・・・・・・。)
家に来るまでの経緯を思えば、カヲルの積極的なアプローチがもっとあって然るべきだったが、意外にも殆どそのような行動には出てこなかった。それどころかカヲルは期待以上に真面目に働いてくれた。ブラインドタッチを駆使した入力は抜群に早かったし、ミスも皆無。ただひとつ閉口させられたのは、わざわざ内容を音読しながら入力することであった。元々自分で執筆したのだから、ゲンドウもそこまで気にしなければ済むことなのだが、カヲルに改めて声を出して読まれるとどうも気恥ずかしくてたまらない。しかも、セリフ部分でちゃんと感情込めて朗読するものだから、濡れ場ではいつも居たたまれない心境に追い込まれていた。喘ぎ声の部分がやたら上手いのも実にイヤなものがあった。ますます心が掻き乱されていく。もちろん、そのような真似は止めるようにカヲルには常にキツく言い渡してあるのだが、全然意に介さない。あるいはこれも彼流のアプローチのひとつなのだろうか。また、いつもバスローブ一枚でゲンドウの書斎兼寝室にやってくるというのも一種のアプローチと解釈できなくもなかった。夏とはいえ、家の中では十分エアコンが効いているので、そんな薄着ではむしろ寒いはずなのだが、性懲りもなく毎晩ローブ姿で現われる。もちろんゲンドウの怒声など全く相手にしていない。
「僕、夜はいつもこんなカンジなんだよね。もうこのスタイルに慣れちゃって。」
などと嘯いているのだ。そうかといって迫ってくるようなこともしてこないし、なれなれしく纏わりついてきたりもしない。それでも同じ部屋内にそんな格好でいられるとどうにも落着かなくて困る。シンジが止めてくれるかと思いきや、全然その気配はない。
「父さんには分からないだろうけど、あのローブ最高級品なんだよ。カヲル君ってどこかの御曹司だったりしてね。」
などと余裕さえ示して笑っているばかり。今となっては、シンジはゲンドウとカヲルとの間にそのようなことが起こるはずはないと自信を持っているみたいだった。誰が見ても思いっきりミスマッチな二人。シンジの判断が世間一般の評価と一致していることはまず間違いなかろう。だが、シンジは明日から2日半も家をあけるという。その間、当然ゲンドウはカヲルと二人きり。さっきの表情を見る限り、カヲルがこの機会をてぐすね引いて待っていたのは明らかだった。
無論、ゲンドウにとってカヲルがそのような対象になるわけがない。いくら魅力的でも所詮は男のコだ。しかも自分の息子とほぼ同い歳。我知らず、その表情や仕草に見惚れる場面はあっても、さすがにそれが直接、性的な欲求に結びついてくるようなことはなかった。しかし、この二日半の間にカヲルがどのような行動に出てくるのか予測もつかない。目的のためなら平気でウソもつくし、犯罪すれすれのこともやり兼ねない少年である。すでにゲンドウの胸の中は、巨大な漬け物石をでーんと置かれたかのような息苦しい状態に陥っていた。
(予定外のことでつまらんストレスが溜まりそうだ。全くどうしてこんな羽目になってしまったのか・・・・・・・。)
心の中でぼやくゲンドウだったが、大元は自分の年甲斐もない行動にあると自覚しているだけにこれ以上愚痴をこぼすのは止めた。シンジにキャンプ中止を要請したところで400%すげなく断られるに決まっている。とにかく今はこれからの運命を前向きに受け容れて、然るべき対策を立てるほかなかった。要は自分がカヲルの誘惑に負けなければいいのだ。実にシンプルな結論である。その手の趣味がない限り、負けようがない。ただひとつ恐いのが向こうの出方だった。カヲルは必ずこちらが想像もつかないようなことを仕出かしてくる。予想外の事態になったとき、パニクらないで然るべき対処ができるかどうか。
(・・・・・・・・こんなことを大真面目に考えているとは我ながら情けない・・・・・・・・・・。)
けれども初対面からずっとカヲルのペースに引き摺られっぱなしなのは認めざるを得ない事実だった。なんとかしてこの流れを断ち切らねばならない。そもそもカヲルは自分のどこが“好き”だというのだろう。悲しいかな、外見で惚れられるようなご面相でないことは十分承知している。かといって内面が分かるほど密な付き合いなどしていない。根本のところでゲンドウはすでに疑問を持っていた。シンジの言ったとおり、狙うような財産など最初からありゃしない。それどころかカヲルが持ってきた様々な物品のほうがよっぽど価値のあるレアものばかりだった。もしかしたら本当に良家の子女なのかもしれない。あの物怖じしない小生意気な態度、根拠のない自信にあふれた言動、すれてるのか世間知らずなのかわからない大胆さ、いずれも小市民の家庭で育ったら、まず身につかない特性だと感じられた。そんなことをあれこれ考えるくらいなら、カヲルの氏素性をつきとめてご帰宅願ったほうがよっぽど得策だと言えなくもないが、あえてそれはしなかった。学校名がわかっている以上、カヲルの家庭を探し出すことなど、その気になれば何でもない。けれども、他のことには煩いくらいに饒舌なカヲルが自分の素性のこととなると、とたんに身を翻すように話を逸らしてしまうのだ。
(きっとよほど話したくない理由があるのだろう。)
本人がそこまでして隠そうとすることを、こちらから無理矢理暴き出したり探り当てたりしようとは思わなかった。そのような行為は人間としての品性に欠けるような気がする。
「碇先生は僕について何も聞かないんだね。」
一昨夜、初めてカヲルの方からこう切り出してきた。
「僕のこと興味ないのかな?」
机にかじりついて執筆中のゲンドウの背中に向けて、囁くように言う。
「お前が話す気のないことを私の方から詮索しようとは思わん。」
振り向きもせずに答えるゲンドウ。
「そう。」
カヲルもそっけなく返した。でも、その顔に波紋のように微笑みが広がったのをゲンドウは確かに見た。机上の写真立てのガラスが鏡の役をしてくれたからだ。あたかもユイの姿に被さるようにカヲルの笑顔がくっきりと写っていた。もしかしたら時期がくれば、自分から話してくれるかもしれない。それでいい。仮にずっと話してくれなかったとしても構わないではないか。何もかも知り尽くすのが必ずしもベストではないということを、ゲンドウはいままでの人生で嫌というほど思い知らされていた。ただし、ゲンドウも良識ある大人として最低限のことはしていた。交番へ行き、家出人の捜索願いを確認したのだ。もし、カヲルの家族が心配して、必死で彼を捜しているのであれば、すぐにでも帰宅させねばならない。けれどもそのような届け出は一切出ていなかった。
「近頃の親は子供が家出しても捜索願いなんて出しませんよ。全くどうなっているのやら。」
なじみの巡査も呆れ顔でこう言っていた。あの中学校に自転車で通っているのだったら、それほど遠くに住んでいるはずがないのだ。ゆえに、ここに届けが出ていないということは、カヲルの不在は全く問題にされていないと解釈できた。そんな家族のもとに慌てて返すことが、果たしてカヲルにとっていいことなのか。
(とはいっても夏休みが終わるまでには、本気で考えねばなるまい。)
まさか、このままずっとカヲルをこの家に置いておくわけにもいかなかった。でも、いつもと違う家庭の風景は上等なスパイスのような刺激を塗しつつ、暖かく彼を包み込んだ。まるで息子がもう一人増えたようだった。
「じゃあ、これが今日の分、それでこっちが明日、下の段のが明後日のだからね。もし残ったら、ちゃんと冷凍しておいてよ。」
いよいよ出発も間近に迫り、留守番の二人に最後の指示をするシンジ。
「あと、戸締まりと火の元にはくれぐれも気をつけて。ウチを出火元にするのだけはやめてよね。」
「わかってるって。安心してキャンプ楽しんでおいでよ。」
相変わらず調子のいい受け答えのカヲル。対してゲンドウは早くも緊張の色を隠せないようだ。そんな父の落ち着かない様子をあっさり見抜いてシンジが一言。
「父さん、間違いは起こさないようにね。」
「シ、シンジ、何言ってるんだ。そんなことがあるわけはなかろう。」
厳しい口調で咎めるゲンドウだったが、シンジには全く相手にされていない。茶化すようにシンジが続けた。
「どうだか。まあ、つまらないことをしたら家を出てもらうだけの話だけどね。」
これではどちらが世帯主かわからない。この夏の始めだけでゲンドウの父としての権威は底無しに失墜してしまっていた。
「それじゃ、行ってくるから。」
「ちょっと待て。」
「なんだよ。」
いかにも鬱陶しそうに振り替えるシンジにゲンドウはメモを取り出して言った。
「お前の行くキャンプ場の電話番号を聞いていなかった。」
「出掛けにそんなこと言わないでよ、もう。」
「キャンプ場では携帯も通じんだろう。万が一のためにここに書いておけ。」
「めんどくさいなあ。」
しぶしぶキャンプ場の電話番号を記すシンジ。
「で、誰と一緒に行くんだ?」
なおもこんなことを尋ねるゲンドウにシンジはすっかりウンザリ顔だ。
「どーでもいいだろ、そんなこと。父さんには関係ないじゃないか。」
「シンジ君、碇先生は君のことが心配なんだよ。いいお父さんじゃないか。ちょっとうらやましいよ、僕は。」
思わぬカヲルの助け船が出てしまったために、仕方ないなあという表情を露骨に出しながらもシンジはしぶしぶ口を開いた。
「トウジとケンスケと惣流と委員長とそれから・・・・・綾波だよ。」
「何!?女の子も一緒なのか?」
にわかに顔色が変わるゲンドウ。他の女生徒はともかく、シンジのクラスの学級委員長が女性ということだけは知っていた。
「シンジ、私は許さんぞ。女性と一緒に泊りがけの旅行にいくなんて。お前はまだ14だろうが。」
やれやれという顔で父を見つめるシンジ。
「いったいいつの時代の話なんだよ。だいたい二人きりでいくわけじゃないんだよ。もちろんバンガローも別々だしさ。」
「そんなのは当たり前だ。でも年頃の男と女、万が一ということがあったら・・・・・・・・・。」
「乱交パーティーなんてするのは父さんの小説の中だけさ。みんなさっぱりしたもんだよ。」
ゲンドウの叱責を全く意に介さず、刺激的なセリフをあっさり言い放つシンジ。
「父さんこそ年頃の少年に手を出さないようにね。」
やっぱり口ではシンジにとても敵わない。そんな二人の様子を悪戯っぽい目をして、楽しそうに眺めていたカヲルだったが、思わぬ形で会話に乱入してきた。
「ねえ、シンジくん。綾波さんってどんな女のコ?」
その言葉を聞いた瞬間、シンジの身体が幽かにビクッと反応したのをカヲルは見逃さなかった。
「何でそんなこと聞くんだい。」
「ふふふ・・・・・・さっき彼女の名前を言うときに君がかなり意識してたように思えてね。それでちょっと興味が沸いたのさ。」
「なんだ、まだ女のコがいるのか?」
「父さん、一人きりの方がよっぽど危ないじゃないか。僕たちのキャンプは男3人、女3人。もう、集合時間に遅れるから行くよ。」
言い終わらないうちにスニーカーを履いて、そそくさと逃げるようにシンジは家を出て行った。とうとう、この家にカヲルと二人きりで取り残されてしまったゲンドウ。今の彼にとって、たとえようもなく長く感じられるに違いない2日半がついに幕を開けようとしていた。
TO BE CONTINUED
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