*第三新東京モナムール〜8*



(すっかりカラダがなまっちゃったかな。)
久々の外の空気を味わいながら、激しい日差しのせいで湯気が立ちそうなアスファルトを踏みしめて歩くカヲル。顔にも腕にもじわっと汗が滲んでくる。今日はいつもにも増して暑くなりそうだ。
(空が高いなあ・・・・・・・・・・・・。)
でも、夏の暑さはキライではない。不自然な冷房の涼しさに逃げ込むよりも、堂々と太陽や熱風と格闘して消耗するほうが遥かに夏を満喫しているような気がする。なぜか疲れさえ心地よく感じられるのだ。汗をかくたび水分を補給しても、結局は再び汗となって流れ出てしまうのだが、そんなことの繰り返しが新陳代謝を向上させていくらしい。事実、胃腸の具合もいつだって夏の方が良かった。
(ちょっと碇先生んち、エアコンが効きすぎだよね。他には言うことないんだけどなあ・・・・・・・・。)
風邪を引いたのも、キツイ冷房が災いしたのだ。もっとも、最大の原因は湯上りのカヲルがまともに服を着ていなかったことにあるのだが、自分の側の非など頭の中から綺麗さっぱり消し去っている。
(先生、今日は取材だって言ってたっけ。ということは僕は失業か。ちぇっ、つまんない。)
寝込んでいた時の作業の遅れは、たちまちのうちに取り返してしまい、ゲンドウが新たに続きを書かない限り、カヲルの出番は無くなっていた。
(取材ってことは当然風俗店へ行くんだよね・・・・・・・・。僕の大切な先生に悪い虫でもついたら困るなあ。いっそのこと同行させてもらおうかな?)
さりげなく、とんでもないことを企むカヲルだったが、無論ゲンドウの許可が得られるはずもなかろう。



別段目的もなく、たらたら歩いているうちに、いきつけのゲーセンが見えてきた。
(リハビリ代わりにちょっと踊ってこうかな。)
もちろん十八番のDDRをプレイするのである。ギャラリーの羨望と憧憬の眼差しも病み上がりの肉体に一層力を与えてくれるに違いない。早速、カヲルは店内に飛び込んだ。いつもDDR筐体の前は、見物人で一杯だ。彼らの反応を見るだけで、プレイヤーの姿を目にしなくともそのレベルは容易に察しがついた。
(あれっ・・・・・・・・・・・・・・。)
いつになく活気に溢れた店内。自分以外のプレイヤーでこんな熱気に包まれている様子を見たのは初めてかもしれない。カヲルは興味を覚えるとともにちょっと口惜しい気分になっていた。
(この僕を差し置いて、勝手に盛りあがってるなんてムカツク〜(`ヘ´)。一体どこのどいつなんだろう。)
聞こえてくるメロディーはPARANOIA。一般的には最難関とされる曲だ。それでもカヲルはDDRマスター(自己申告)の自分より上手いはずがないと確信していた。他の誰かが皆の注目を浴びているなんてめっちゃ不愉快だけど、取りあえず相手のプレイをじっくり見て、そのレベルを見極めてから対策を考えよう。直後にDOUBLEモードで腕の違いを見せつけて凹ませてやるのも悪くないな。ふふふふ。・・・・・・・とまあ、イヤな性格丸出しのモノローグである(^^;;)。
「ちょっとゴメン。」
人だかりをかき分け、プレイヤーの姿が分かるところまでやってきたカヲルだが、全く予想外の事態になった。
(女のコだ・・・・・・・・・・・。)
そう、そこでギャラリーの喝采を受けて踊っていたのはなんと少女だったのだ。短めの白いスカートがテンポ良くひらひらと翻える。
(なんだあ。みんな女の色香に負けて、騒いでたのかあ。)
この店では、カップル以外女性の姿はめったに見かけなかった。来訪者のレベルが高いので、なかなか挑戦しづらいものがあるのだろう。それこそプレステ版もあるのだから、何も衆人環視の中、ぎこちないステップを披露することもないのだ。
(こんな前までやってくることもなかったなあ・・・・・・・。ま、いっか。どーせ次プレイするんだし・・・・・・・。)
すっかり気合をそがれて、ぼんやりと眼前の少女のダンスを眺めていたカヲルだったが、すぐに自分の考えが誤っていたことを悟った。
(やるじゃん。あのコ・・・・・・・・・。)
確かに動きのダイナミックさという点では、男性に遅れをとるかも知れないが、ステップの正確さ、優雅さはいままで見たプレイヤーの中でも群を抜いている。
(女でもあれだけ踊れるコがいるんだな・・・・・・・・・・・。)
カヲルは決して男尊女卑の思想は持っていなかったが、それでもおのおの得意分野不得意分野があるんじゃないかとは思っていた。
(今度、ぜひカップルモードで一緒に踊りたいもんだね。まだはっきりと顔を見ていないけど、あの感じではブスってことはないよな〜。スタイルもちょいスリムすぎるかもしれないけど、結構いい線いってるし。)
カヲルは別に面食いというわけではないが、それでもどうせペアで踊るのだったらカワイイ娘のほうがいいに決まっている。
(・・・・・・・・・・・・変だな・・・・・・・・・・・・どこかで会ったような・・・・・・・・・・・・・?)
ステップの合間にちらつく少女の顔。目まぐるしい動きのため、はっきりとは確認できないのだが、なぜだか見覚えがあるような気がしてならなかった。




(・・・・・・・・・結局、ノーミスクリアだったな。たいしたもんだ。)
カヲルから見れば、まだまだ物足りない部分もあったが、それでも一般の女のコとしては最高レベルのプレイではないだろうか。カヲルは素直に感心していた。しかも結構激しい連打もしたのに、たいして息も切らしていないようだ。彼女は筐体から降りて、出口の方を向いた。はじめてその容貌が露わになる。
「あっ!!!!!」
カヲルの頭の中が瞬時に真っ白になった。そこにいたのは、いつもゲンドウの書斎の机上で微笑んでいる女性(ひと)。髪の色とスタイル、さらに瞳の色さえ変えれば、ゲンドウの愛妻ユイそのままだった。
(・・・・・・・・・・・・そ、そんなことって・・・・・・・・・・・・・・・。)
世の中には自分に似ているひとが三人はいるという。けれども、ユイに生き写しの女性の姿を目の当たりにして、カヲルは影を縫いつけられたかのようにその場から一歩も動けなかった。そんなカヲルのことなど気づくはずもなく、わき目も振らずに出口へ直進する少女。その女とは思えぬCOOLなプレイもさることながら、可憐な容姿に心動かされた男たちの中には果敢にアプローチしてくる者もいたが、彼女は全く相手にしなかった。それどころか話しかけられてもにこりともせず、まるで蜘蛛の巣でも払うかのように、鬱陶しげに人の波をかき分けて行く。
(・・・・・・・・・・・・・・・カワイイ顔して随分無愛想なコだなあ。)
顔のパーツこそ似てはいるが、写真の中で優しげに微笑しているユイとはむしろ正反対の印象を受けた。無機質でぎこちない表情には女性らしい柔らかさが全く感じられない。でも、不思議と嫌悪感は抱かなかった。それは鮮やかに光彩をたたえた両の瞳がカヲルと同じ色をしていたからかもしれない。
(・・・・・・・・・・・・・・・アルピノ・・・・・・・・・・?)
アルピノとは生まれつき色素がない体質のことをいう。生まれる確立が極端に低いうえに生来虚弱なので、こうして同胞に会うなんてまさに奇跡といってもよかった。
(このまま逃がす手はないよな。)
しばらく呆然と立ち尽くしていたカヲルだったが、いろいろな意味で少女とこのまま別れるわけにはいかないと思ったのだろう。瞬時に身を翻して、後を追いかける。彼女はさっさと外に出て、すでに遥か前方を早足で進んでいた。
(同じ町内にあんな女のコがいたなんて・・・・・・・・・・。そのうち何かの拍子で碇先生と会わないとも限らないよね。僕のことでさえ、毎日公園で待ち伏せていた先生だもの、あのコを一目見たらどんな無謀な行動に出るかわかったもんじゃないよ。)
それだったら、始めから彼女の素性を明らかにしておいて、そののち然るべき手立てを講じた方がいいに決まっている。
(でも、どうやって声をかけようかなあ?)
普通の女のコであれば、カヲルのスマイルと甘い言葉に一も二もなくガードが緩み、望むような状況に持って行くこともたやすいだろうが、さっきのゲーセンでの取り付くしまもない態度を見る限り、生半可な手は通用しそうにない。
(さ〜て、どうするか・・・・・・・・・・・・・・。)
ここが思案のしどころだ。でも、小細工を弄するのはかえって逆効果のように感じられた。
(よし、ストレートに話しかけてみるか。)
話題は先ほど鑑賞させてもらったステップのことでいいだろう。あんなところで堂々と踊るくらいなのだから、DDRが嫌いなわけがない。とにかく話の糸口さえ見つければ、何とかなるはずだ。一旦決断すれば行動は早い。カヲルは少女のところまで駈け寄ると前を遮るように立ちはだかった。




「さっきのダンス凄かったね(^o^)。女のコであれだけ踊れるコは初めて見たよ。」
少しでも相手の警戒心を和らげようと、精一杯親しみを込めた笑みを浮かべたつもりだったが、少女の頑なな表情は全く変わらない。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これは思った以上だなあ・・・・・・・・。)
これに比べれば、ゲンドウの仏頂面なんてカワイイものだ。いや、なまじ顔立ちが整っている分、少女の拒絶の姿勢はなおさら冷たく感じられた。
「・・・・・・・・・・あなた誰?」
初めて彼女の声を聞いた。だが、年頃の娘らしさが全く感じられないボソボソッとした口調にカヲルは内心閉口した。未だかつてこんな女のコに会ったことはなかった。
「僕は渚カヲルっていうんだけど。君は?」
相手の反応を確かめつつ、極めてノーマルに切り出してみる。彼女の行動パターンが読めないだけにさすがのカヲルも大胆な行動には出れなかったのだ。
「そこ、どいて。」
カヲルの質問を無視してたった一言。これにはかなりプライドを傷つけられた。我ながら容姿にも人当たりの良さにも自信があったし、実際、今までどんな相手にも拒否反応を取られたことなどなかったのだ。それでも普段だったら、たまにはこんなこともあるさ、と苦笑しつつ受け流すことも十分可能だっただろう。けれども相手がゲンドウの亡き妻ユイに生き写しだという事実が、カヲルの心を平静でいさせてはくれなかった。何だかユイ自身に自分のことを否定されたような気がしてきたのだ。
(何だよ、このコ。)
段々と顔が険しくなっていくのがわかる。こんなことくらいで腹を立てるなんてみっともないと諭すもう一人の自分がいるのだが、どうにも気持ちが抑えきれない。しかし、少女はそんなカヲルの様子に気づいても、お構いなしに素早く彼の脇をすり抜けようとした。
「ちょっと待てよ。」
カヲルは彼女の肩先に手をかけようとしたのだが、あまりに力を込め過ぎたために指先が肩から外れて、まともに胸をつかむ形となってしまった。右手の平にむにゅっと柔らかな感触が伝わってくる。
「あっ(@@;;)!!・・・・・・・・・・・・ゴ、ゴメン。」
慌てて手を引っ込めるカヲル。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
しかし、彼女は悲鳴一つあげなかった。カヲルのことなど一瞥もせず、何事もなかったかのように再び歩き出すと、さっさと交差点を渡ってしまった。少なからぬ驚愕と動揺がカヲルの行動のリズムを狂わせた。すでに信号は赤に変わっている。もちろんここで強引に横断歩道を駈け抜けても良かったのだが、いくらなんでもそこまでする気にはなれなかった。何しろ一面識もない上に、今のアクシデント。これ以上追いかけたら、ただの怪しいストーカーである。カヲルにできるのは見る見るうちに小さくなる彼女のか細い後姿を見送ることだけだった。
(今日のところは仕方ないか・・・・・・・・・・・。)
むしろ、これ以上対峙していたら冷静さを失いそうな自分を自覚していただけにこれで良かったのかもしれない。しかし、これであきらめるつもりはさらさらなかった。あのラフな服装から彼女は間違いなくこの近辺に住んでいるはずだ。決して一度限りの出会いにはなるまいとカヲルは確信していた。
(あれだけ踊れるコなんだから、きっとまたゲーセンにもやってくるはずだ。・・・・・でもなんだかあのコちっとも楽しそうじゃなかったな。何のためにテクニックを磨いているんだろう?)
カヲルの胸に素朴な疑問が湧きあがる。そもそもゲーセンで遊ぶようなキャラクターには程遠いのだ。その辺りの答えも、いずれ再開したときに明らかにしたかった。
(・・・・・・しかしなあ・・・・・・あんなにそっくりなコがいるなんて・・・・・・・。)
赤い瞳の少女の姿はまだくっきりとカヲルの脳裏に焼き付いている。



「カヲル君、どうしたんだい?ぼんやりして君らしくもないなあ。」
いきなり目の前にシンジの顔があった。
「あれっ!?シンジ君、いつの間に・・・・・・・・・・・・・・。」
「何言ってるんだよ。声をかけてもちっとも反応がないからここまで来たんじゃないか。」
物思いに耽るあまり、シンジの呼びかけを無視していたらしい。
「ゴメン、ちょっとね・・・・・・・・・・・・(^^;;)。シンジ君は買い物帰り?」
「そうだよ。そろそろ父さんが出かけるから、それまでに必要なものを買っとこうと思って。」
「こんなに早くから取材にいくのかい?まだ開店してないんじゃ・・・・・・・・。」
「直に店に行くわけじゃないからね。まずネルフ書院へ行って、編集の人たちといろいろ打ち合わせをしてから向かうみたいだよ。」
「ふうん。結構めんどくさいんだね。」
すっかり気勢をそがれたカヲルはシンジと一緒に家路につくことにした。考えもしなかった状況に遭遇して何だかどっと疲れてしまったのだ。
「今日のお昼は何だい?」
「こんな気候だし、冷やし中華にしようかと思って。」
シンジの持つスーパーの袋から、きゅうりやハムや卵が賑やかに顔を覗かせている。美味しいものをたくさん食べれば、きっと元気も回復するさとカヲルは心の中で自分に言い聞かせた。
「そうだ、カヲル君。君の学校、夏休みの宿題とかないの?父さんが心配してたよ。」
ゲンドウもシンジもカヲルが勉強している姿を1度たりとも見たことがない。原稿のリライトをしていない時のカヲルは、寝てるか食べてるかゲームしてるかのいずれかだ。普通の中学生なら宿題のひとつやふたつは抱えているだろうに。
「平気だよ。まだ夏休みは半分も終わってないじゃないか。あんなもの最後の1週間で慌てふためいてやるものさ。ふふふふふ。」
もちろん努力型のシンジはこの考えに真っ向から反対した。
「カヲル君、宿題はちゃんと計画を立てて、毎日、着実に進めていくものだよ。そうすれば、夏休みの終わり近くになってオタオタすることもないじゃないか。」
しかし、カヲルは自説を曲げない。
「全然わかってないなあ、シンジ君。8月30日頃焦りまくって宿題を片付けるのも夏休みの醍醐味さ。そういうスリルとサスペンスがあってこそ面白いんじゃないか。」
堂々とこんな主張をするカヲルにシンジは呆れかえった。アリとキリギリスの典型のような二人の間には深くて長い河があるようだ。




そうこうしているうちに見慣れた門扉が目に飛び込んできた。ドアを半開きにして、ゲンドウが誰かと話しているようだ。
「あれ?碇先生が外に出てるけど・・・・・・・・・・。」
「ホントだ。加持さん、もう来てるみたいだ。」
シンジは思った通りのことを何気なく口にしただけだったのだが、その名前を聞いた瞬間、カヲルの表情が凍りついた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ・・・・・・・・・・・・・・・・(@@;;)!!」
即座に踵を反そうとしたカヲルだったが、その前に加持が二人に気づいてしまった。
「よお、シンジ君!!今帰りか?」
「加持さん、こんにちは。こんな父ですけど、今日もヨロシクお願いします。」
まるでゲンドウの保護者のような口をきいて、ぺこりと頭を下げるシンジ。駆け去るタイミングを逸したカヲルは、それでもどうにかしてシンジの影に隠れようとしたのだが、所詮、こんな姑息な手段が通用する相手ではなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・カヲル君?どうして君がここに?!」
加持がさも信じられないといった口調で声をかける。だが、カヲルはゲンドウにすら一声もかけずに彼と加持の間を割るように突き抜け、脱兎のごとく家の中に入ってしまった。心なしか顔が青ざめていたようだ。ゲンドウもシンジも驚きのあまり言葉を失っていた。何故、加持がカヲルのことを知っているのか。このことである。
「・・・・・・・・・・・・・・・・加持君、あの少年と知り合いなのか?」
できる限り平静を装って、ゲンドウはやっとこれだけ言辞を振り絞った。
「碇先生こそあのコをご存知ないんですか?あ・・・・・・・・そうか。先生はゼーレグループの催しには一切参加されていなかったんですよね。それじゃあ知らなくても無理はないか・・・・それにしても・・・・・・。」
そこまで言いさすと、いつも雄弁なこの男にしては珍しく、加持が押し黙ってしまったので、ゲンドウは敢えてこれ以上追求するのをやめた。仮にここで加持を問い詰めたとしても、納得のいく答えは貰えそうにない。いつも軽そうにしているが、肝心なところでは口が堅い男だ。だからこそ一流のライターとして政財界で活躍できるのだ。それに、もうゲンドウは分かってしまった。たとえこの場ではっきりさせなくても、そう遠くない日に何もかもが明らかになるということを。そして、その時がカヲルとの長の別れになるかもしれないということも。
「カヲル君!!」
カヲルのただごとではない様子を心配して追いかけてきたシンジだったが、居間のソファに寄りかかったカヲルは意外なほど落ちついていた。というより、もうこれから起こるべき事態を覚悟しているかのような悟りきった表情をしていた。妙に大人びて見える横顔のラインの口元が微かに乱れる。
「・・・・・・・・やれやれ・・・・・・・・僕の自由もここまでかな・・・・・・・・・・・・・・。」
そう呟いて、目を伏せたカヲルだったが、綻んだ口元にはなぜかまだ余裕を感じさせるものがあった。


TO BE CONTINUED


 

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