*ふるーつ・おポンチ〜3*



カヲルが潤んだ目でじいっとこちらを見つめている。シンジだけに向けられた一途な眼差し。瞬きもせず見開かれた瞳にそのまま吸い込まれてしまいそうだ。そして、シンジの右手を包みこむように差し延べられた両の手に一段と力が入る。もう、未来永劫離さないという思いを伝えるように強く握り締められて感激だと言いたいところだが、実際はただ痛いだけだった。
「・・・・・・・カヲル君、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないかな・・・・・・。もう卒業生は誰も残っていないよ。僕たちだってそろそろ授業が始まるころだし・・・・・・・悪いけどこの手、離してくれないか。」
ため息まじりでシンジが言う。
「やだ。もしこの手を離してしまったら、シンジ君がなんだか手の届かないところに行ってしまいそうなんだもん。」
ますます指先に力を込めるカヲル。そう、お察しのとおり今日は第三新東京市立第一中学校の卒業式の日なのである。しかし、式典が滞りなく終了し、在校生との最後の交流の時も過ぎ、3年生の皆が母校を去ってしまったあともカヲルだけはまだここにいた。
「どこにも行きやしないよ。そりゃあ平日はもう今までみたいに会うことはできないかもしれないけど、土日はいつだって遊べるじゃないか。」
事実、シンジのシステム手帳のスケジュール欄の土日及び祝祭日は全てカヲルとのおデート(カヲル記)で埋め尽されていた。当然書いたのはカヲルである。シンジのクラスが調理実習室に行ってるのをいいことに、こっそり忍び込んでシンジのシステム手帳を持ち出し、1年間のデート予定を事細かに書き込んでから何事もなかったように返しておいたのである。そんなこととは露ほども知らなかったシンジが友人たちの前でスケジュール欄を開いてしまったときの驚愕は想像に堅くない。
「でも、もう1週間のうちたった2日しか会えないんだね。今までは毎日欠かさず一緒の時間を持っていたのに。」
しょんぼりとうなだれるカヲルの姿を見ると心が痛まないでもなかったが、とにかく今だけはとっとと帰って欲しかった。次の時間は小テストがあるのだ。ムダな抵抗と知りつつも、ちょっとはノートを見返しておきたい。うまくすれば、確認したばかりのところが出題されるかもしれないのだ。事実、この前の英単語テストがそうだった。



「シンジ君、何やってるの?」
いつまでも中庭から動かないシンジを探して、やってきたのはもちろんマナ。だけど、このときばかりは正直シンジはホッとした。これでカヲルを帰宅させる大義名分が出来たというものだ。
「あ、霧島さん。いや、ちょっとカヲルくんが・・・・・・・・・。」
「渚先輩、まだいたんだ。」
マナは相変わらずシンジの右手を握り締めたままのカヲルをのぞき込むように見てから、目一杯明るく微笑んで言った。
「渚先輩、ご卒業おめでとうございまーす(^O^)。」
普通だったら暖かい祝福のコトバだが、今現在の人間関係では単なる皮肉かイヤミにしか聞こえない。
「ふん、おめでたいのは君のほうなんだろう。もう、学校では僕がシンジ君と触れ合う機会はないんだから。」
「ひっどーい。せっかく可愛い後輩がおめでとうって言ったのに。でも、別にいっか。もう、いなくなっちゃう人なんだし。」
あっさりとカヲルの罵りを受け流すマナ。そしてシンジの方に向き直るとその左手を取って囁いた。
「シンジ君、3年になっても同じクラスになれるといいね。サマーキャンプも一緒に行けるし。」
3年の夏には恒例行事としてサマーキャンプが行われるのだ。
「何だよう。いつもながら図々しい女だなあ。その手を離しなよ。」
膨れっ面で訴えるカヲルだったが、マナは全然相手にしない。
「早く教室に戻らなきゃ。もう、先生来てるかもしれないわよ。」
そのままシンジの手を引き、校舎へ向かって歩き出す。そうはさせじとシンジの右手を強引に引っ張り返すカヲル。
「シンジ君、行っちゃだめ。」
「・・・・・・・・そうはいかないよ。テスト、始まっちゃうし。」
「僕とテストとどっちが大切なんだい?」
また、始まったよ・・・・・・・・とシンジは暗澹たる気持ちになった。
比べようのないもの、次元の違うものを持ち出されて、どっちが・・・・・と尋ねられても適切な解答を示せるわけがない。無論、こういう場合には「そんなのカヲル君に決まってるじゃないか。」とひとこと返してやればカヲルを喜ばせてやれるのだが、悲しいかな、その程度の要領すらシンジは持ち合わせていなかった。




「シンジ君、どーして黙ってるんだい?こんなの考える余地もないじゃないか、もお。」
自分のほうだと即答してくれないシンジに対し、苛立ちをつのらせるカヲルだが、しっかりとつかんだ手を離す気配は一向に感じられない。
「そう、テストに決まってるもの。でも、シンジ君は心根が優しいから渚先輩の気持ちを慮って答えないだけなのよね。」
意地悪ーくカヲルの感情を逆撫でするようなことをつぶやくマナに、シンジはただハラハラするばかりだ。
「うるさいなあ。君にはカンケーないじゃん。これは僕とシンジ君の問題なんだよ。他人には口出しして欲しくないよ。」
「渚先輩だってシンジ君とは他人じゃないの。」
「違うもん。僕たちもうAの仲だし、春休みになればもっともっと進展するんだよ。・・・・・・・もし、進展しすぎて最後まで行っちゃったらどーしよー(><)。15歳じゃ、ちょっと早いかなあ。いやいやそんなコトないよね。うーん、場所はやっぱりシンジ君の部屋がいいかなあ?あ、なんだかドキドキしてきちゃった(*^^*)。」
頬までほんのり赤く染めて勝手に妄想をエスカレートさせるカヲルに呆れかえるマナと頭を抱えるシンジ。
「大丈夫だよ、シンジ君。僕、もう心の準備は出来てるから。来るべき日のために最近いろいろ研究してるんだ。」
「け、研究?」
「うん。”薔薇族”と”さぶ”って雑誌を購読し始めたんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;)。」
「いい勉強になったよ。あの世界も奥が深いんだねえ。”デブ専”とか”ハッテン場”とか専門用語もバッチリ覚えちゃった♪」
そんなことを覚えるエネルギーを学業の方に回してもらいたいものである。カヲルがろくろくノートも取っていないのをシンジはよく知っている。これでは成績が芳しくないのも当然だ。
「だけど、僕が本を持ってレジへ行くとなぜか店員さんにじろじろ見られるんだよね。どーしてだろ?カンジ悪いなあ。ぷんすか。」
もはやシンジに答える術はない。マナも呆れるのを通り越して、可笑しくなってきたらしい。笑いをこらえる肩先が震えている。こんなやり取りをだらだら続けていれば、始業時間をオーバーするのは当然である。そして、いつまでたっても教室に戻ってこないシンジとマナを先生やクラスメートたちが探しに来るのも至極当たり前のことだった。
「あ!いたいた!!」
「ちょっと、何やってんのよ。バカシンジ!!」
「・・・・・・・・やっぱりカヲルが原因みたいね・・・・・・・・。」
クラス担任の葛城ミサト先生とアスカとレイが3人の姿を確認して駆け寄ってきた。
「ミサト先生、アスカ、綾波も・・・・・・・・。」
さらなる援軍登場で胸を撫で下ろすシンジ。
「碇君、霧島さん、いったいどうしたの?」
「葛城先生・・・・・スイマセン。」
「シンジ君が謝る必要なんてないわよ。元はといえば、渚先輩がいけないんじゃないの。」
「僕、何にも悪いことしてないよ。」
3者それぞれの個性がよく出ている言い草だった。
「渚君、もう卒業生はみんな帰ってしまったわよ。あなたも早く帰らないとご家族の方が心配するんじゃないかしら。」
美人でさっぱりした性格のミサト先生は、男女問わず生徒たちから慕われている。
「心配なんてしやしないよ。だって、伯父さんは昨日から海外出張だし、親戚の人たちもみんな忙しいからって祝電しかくれなかったもん。」
どうやらカヲルはせっかくの卒業式に誰にも来てもらえなかったらしい。
そんなカヲルの心中を考えれば、あっさりとその手を振りほどく気にはなれないシンジだった。



「あなたと碇君はとても仲良しだったから、別れを惜しむ気持ちはわかるけど、もう在校生の授業は始まってしまっているの。このまま渚君がここにいたら碇君だって困るのよ。」
「・・・・・・・・シンジ君、僕がここに残っていては迷惑なのかい?」
はい、その通りとはっきりシンジが言えるくらいだったら、ここまで話がこじれたりはしない。
「じゃあ、僕も一緒にシンジ君の教室へ行って後ろで授業参観してます。それなら授業のジャマもしないし、シンジ君の迷惑にもなりませんよね(^O^)。」
突拍子もない提案を屈託なく笑って言うカヲル。
「あ、あのね、そういうことじゃなくて・・・・・・・・(^^;)。」
何と説明したらわかってもらえるのだろうか。思い悩むミサト先生だったが、そのとき今までさりげなく後ろにいたレイがすたすたと歩みよってきた。
「・・・・・先生、私に任せてください・・・・・・。」
「綾波さん!?」
日頃はおとなしく目立たないレイだけにこういうセリフには重みがある。
レイは一直線にカヲルの前に進み出た。
「・・・・・・・・カヲル、何バカやってるの。」
「レイ・・・・・・・。レイの言うことだって僕聞かないよ。シンジ君と離れ離れになるなんていやだ。」
「・・・・・・・たった1年じゃないの・・・・・・・・。」
「たったじゃないよ。365日もあるんだよ。」
「・・・・・・・・だからバカだっていうのよ。」
全く遠慮のないレイだった。
「ど、どうしてさ?」
「・・・・・・カヲルがいつまでもここにいると碇君の内申書の点が下がるのに・・・・・・。」
「えっ!?」
「・・・・・・・実際に授業妨害しているのはカヲルだけど、なぜか卒業してしまっているから、今更どうしようもないわ。そうなるとその原因たる碇君が妨害してると受け取られて、彼の内申書の点が大幅にマイナスされかねないわね・・・・・・・・・。」
「そ、そんなあ・・・・・・・・。」
「あまりにも内申の点が悪いと、もうカヲルと同じ○○大付属高校はムリ・・・・・・。そうなると○○大でのキャンパスライフやゼーレ商事入社も実現は難しくなるわ・・・・・・・・。ホントにバカね。たった1年ガマンできなくて、これからの長く楽しい年月を棒に振るなんて・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・シンジ君が○○大付属高校に入ってくれなきゃ、僕の人生設計が根幹から崩れちゃう・・・・・・・。」
とても人生設計なんて呼べるシロモノではないカヲルの未来理想図だが、本人は真剣そのもの。ゴンドラのある結婚式場まで今からチェックしているらしい。
「わかったらさっさと帰りなさい。」
とどめの一言。
「・・・・・・・・・・・・・・・うん、僕帰るよ。」
なんと!あんなにごねていたカヲルがあっさりシンジの手を離したではないか。二人のやり取りを固唾を呑んで見守っていた一同から期せずして感嘆の声が上がった。
「じゃあね、シンジ君。あとで電話するから。」
「う、うん。カヲル君、気をつけて。」
名残惜しそうに何度も振りかえりながらカヲルは校門を出ていった。




「助かったわ、綾波さん。あー、生徒一人説得できないなんて私もまだまだダメね。」
苦笑するミサト先生。しかし、何も彼女だけがダメなのではない。カヲルを説得できる人間などこの校内の、いやこの世界のどこを探してもいやしないのだ。ただひとり、綾波レイを除いては。
「あの渚先輩を言い負かすなんてスゴイじゃない。」
「綾波さん・・・・・だてに渚先輩の従兄妹やってないわね。」
「ホントに綾波はたいしたものだよ。」
皆、それぞれにレイに対する賞賛のコトバを告げずにはいられなかったが、当の本人はいつもと変わらず至ってクールなものだ。
「・・・・・・・・いくら抽象論で説き伏せようとしてもカヲルは納得しないわ。おぽんちだから言われたことの意味が理解できないのよ・・・・・・・・・。」
「な、なるほど。」
思わずうなずいてしまうシンジたち。
「だから、説得するには具体的に何が起こるのかをわかり易く話してやりさえすればいいの。単純だから、すぐに考えを改めるわ・・・・・・・。」
さすがカヲルの従兄妹。彼のことを知り尽くしていればこその的確なアドバイスにシンジはただただ感心するばかり。
「やっぱりカヲル君のことは綾波が1番理解しているんだね。僕なんてまだまだだよ。」
「そう・・・・・・・・。早く1番になってね。私、もうカヲルの面倒を見るのはうんざりだから・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;)。」
従兄妹とは思えない突き放したこのセリフにも別の意味で感心させられるシンジであった。
(1番かあ・・・・・・・・・・。要するにこれはカヲル君の世話は僕がしろと言ってるのと同じだよなあ。)
そういえば・・・・・・・とシンジは先ほどのカヲルとレイの会話を思い返してみた。確かレイもシンジの進学先を○○大付属高校と決めつけていたような・・・・・・・・・・。
「あ、綾波。」
「・・・・・・・何?碇君・・・・・・・。」
「さ、さっきのカヲル君との話の内容だけどさ、あれは単に便宜上そう言ったに過ぎないんだろ?」
「・・・・・・・・何のこと?」
「だ、だから僕の進学先とか、就職先とかさ・・・・・・・。」
「・・・・・・・ゴンドラに乗るのはお勧めできないけど、カヲルがどうしてもっていうのなら仕方ないわね・・・・・・・・・。」
「あ、綾波ぃー(@@)!?」
「・・・・・結婚式には呼んでね・・・・・・・。」
全く無表情で最後にこう言うと、レイはくるりと背を向けて早足で校舎に向かって歩き出した。
(ち、ちょっと待ってくれよ。じゃあ、あのカヲル君の決めた僕の将来っていうのは単なる本人の思い込みじゃなくて・・・・・・・・・・・。)
ひょっとしてカヲルサイドでは既に周知の事実として扱われているのではなかろうか。
(いや、いくら何でもそんな非常識なこと・・・・・・・・。)
けれども、あのカヲルと同じ血が流れている人たちだと思うとどうも安心できない。
(とりあえず今週カヲル君の家へお邪魔したときに、それとなくほのめかして伯父さんの様子を見てみよう。・・・・・・・全てはそれからだよなあ。)
せっかくカヲルを家に帰らせることには成功したものの、新たな悩みを抱え込んでしまったシンジ。そんな彼の小テストの出来映えは推して知るべしであろう。


TO BE CONTINUED


 

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