*ろくでなし*



音もなく襖が滑り、隙間からひょいと足先が差し入れられる。部屋の中に人の気配がないのをしっかり確認してから、まだ寝癖の残る頭を覗かせ、最後に引き気味の腰を素早く中に移動させた。お世辞にも人相が良いとは言えない五十がらみの髭面の男。
(確か、タンスの上から二番目だったな・・・・・・・・・・。)
誰もいないと分かったとたん、男の動きは俄然大胆になった。古ぼけた桐のタンスにずかずかと歩み寄り、目標の引き出しを豪快に開ける。
(あった。これだな。)
パンパンに膨らんだ封筒を発見して、口元を緩ませるその表情には品性のかけらも感じられない。どうやら、しまってあるのは一万円札のようだ。この厚さなら、五十万はあるだろうか。彼は慣れた手付きで封筒から札束を摘み上げ、懐にしまおうとした。が、世の中そうそううまくは行かないものだ。カギをさし込む音さえなく、バンと勢いよく玄関のドアが開かれて、彼の同居人が帰ってきてしまった。
(な、店に行ったんじゃなかったのか!?)
全く予期せぬ展開に焦りまくる男。抜き取ったお札を慌てて封筒に戻そうとするが、ぎゅうぎゅうに詰め込んであったものを再び元に戻すのは容易ではない。ただでも器用な性質ではないのだ。
(ま、まずい。)
狭いニ間のアパート、足音はどんどん近づいてくる。すっかり心理的に追い詰められた彼は手元を狂わせ、握りしめていたお札をばら撒いてしまった。薄汚れて、すり切れた畳のここかしこで澄まし込んでいる福沢諭吉のモノクロのポートレート。無情にもその時襖が開け放たれた。




「店長、何やってんのさ。」
年の頃は十四・五だろうか。意志の強さを感じさせるやや上がり気味の紅の瞳に、言いたいことも食べたいものも我慢しそうもない大きな口。その柔らかな髪が朝の陽を浴びて、プラチナの光彩を控えめに発している。どこから見ても、到底男と同じ遺伝子を有しているとは思えなかった。事実、このふたりには全く血の繋がりはない。店長と呼ばれた中年男の名は六分儀ゲンドウ、今は独り身の四十八歳。大手コンビニ、ファミリアマートのチェーン店の経営者だ。そして、少年の名は渚カヲル、ちょっと背伸びしたいお年頃の十五歳。彼らがこの築25年の風呂無し2Kで同居し始めてから、そろそろ半年が経とうとしていた。
「カ、カヲル。先に店へ行ったんじゃなかったのか・・・・・・・・・。」
「ゴミを出してきただけだよ。たまには店長もゴミくらい出したら。」
なるほど、今日は燃えないゴミの日だったなと、ようやくゲンドウも思い当たる。その足元に散らばったお札をそそくさと拾い集めるカヲル。無言のまま、淡々と作業を終わらせると、乱暴にゲンドウを突き飛ばして、封筒に元通りにお金をしまう。そして、それを色褪せた辛子色のスタジャンの内ポケットに無造作に突っ込んだ。
「悪用される前に銀行へ入れとこっと。」
「あ、悪用とは何だ。人聞きが悪い。」
バツの悪さを開き直った態度でごまかそうとするゲンドウだったが、カヲルは全く相手にしていない。
「売上に手を出そうとした泥棒の言うことなんて聞く耳もたないよ。どうせまた新大井競馬場でムダ使いしようとしてたくせに。」
「ムダ使いではないぞ。いままで預けてたお金を引き出しに行くだけだ。」
よせばいいのにあくまでも抵抗を続けようとするゲンドウに、目一杯侮蔑の視線を向けるカヲル。
「よく言うよ。ずう〜っと預け放しのくせに。しかも、預金額は膨らむ一方で未来永劫引き出せる当てなんてないんだろ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
「全くちょっと目を放すと油断もスキもありゃしない。これから売上はその日の内に預けるようにしなきゃね。先月、駅前に24時間使える機械も出来たことだし。」
そう言い残すと、カヲルはゲンドウを一瞥もせずに部屋を立ち去ろうとした。
(ま、まずい。なんとしてもあの中から資金を調達しなければ。せっかく絶好の狙い馬を見つけたのに。)
カヲルの叱責にもまるっきり反省の色もなく、頭の中でこんな算段をするゲンドウは、やむを得ず非常手段に出る途を選んだ。



「あっ!!」
いきなり後からがばっとゲンドウに抱き付かれて、カヲルの身体から一瞬力が抜ける。その隙を見逃すゲンドウではない。か細い肢体をぐいっと自分の方に引き寄せて、そのままくるんと裏返す。
「ちょっ・・・・・放せよ。」
必死で抵抗を試みるカヲルだが、体格も力も差がありすぎる。いくら身を捩り、ゲンドウの両の腕を振りほどこうともがいても、自分を締め付ける手械はびくともしない。そんなカヲルの様子を満足げに見下ろしながら、ゲンドウはすかさず次の行動に出る。
「や・・・・・・・・・・!!止めてよ。」
左腕でカヲルを抱いたまま、ジャンパーごと白い綿のTシャツをたくし上げて、右手をその中に滑らせた。カヲルの肩先が瞬時にビクッと反応する。
「何も全額欲しいわけではない。ほんの五万くらい資金として使わせてくれたらいいんだ。これが数時間後には何倍ものお金になって戻ってくるんだぞ。」
「ダ、ダメだよ・・・・・・・・・売上だけは。」
なおも拒否の姿勢を貫くカヲルではあったが、息はやや乱れ加減で、声のトーンも大分落ちてきている。もう一押しだとほくそえみながら、ゲンドウは巧みにカヲルの胸元への愛撫を続けた。
「そんな野暮なことを言うな。さ、いい子だから、これを渡すんだ。」
唇で耳朶から首筋へねっとりとラインをつけていく。カヲルの頬が見る見るうちに赤く染まってきた。元々色素が少ないので、些細な刺激でも鮮やかに色付いてしまう。
「い、嫌だ・・・・・・・。」
「強情な奴だな。これでも拒むか。」
ついには右手をカヲルのズボンの中に滑り込ませようとするゲンドウだったが、その瞬間側頭部を激烈な衝撃が襲った。
ごん!!!!!
決して誇張ではなく、目から星が飛び出たように感じた。数秒間は身動ぎも出来ない状態だったが、ようやく意識がはっきりしてきた彼の目に移ったのは、カヲルの骨ばった手にしっかと握られている第三新東京タワーみやげの置物だった。
「イタタタタ・・・・・・・・・な、な、なんて奴だ。」
いつの間にタンスの上のそれを手に取ったのか。とにかくその銅製のオブジェをカヲルはゲンドウの頭に勢い良く叩き付けたらしい。
「よりによって頭を殴るとは。私に万が一のことがあったらどうするつもりなんだ!!」
自分のいかがわしい行動を棚にあげ、カヲルをどなりつけるゲンドウだったが、むろんカヲルからの厳しい反発が待っている。
「ふん。殴られても仕方ないようなことをしたから悪いんだろ。」
「何を言うか。お前だってまんざらでもなかったくせに。」
そう返して、下卑た薄笑いを浮かべたゲンドウを、カヲルは冷ややかな眼で見詰めると、たった一言だけ呟いた。
「サ・イ・ア・ク。」
もちろん、このまま沈黙を守るゲンドウではない。
「・・・・・・・・・・・・・その最悪な相手に抱かれるたび、泣いて悦んでるのはどこのどいつだ、えっ?」
どごん!!!!!
先ほどとは逆方向の側頭部に、先ほどとは比べものにならないほどのダメージが駆け抜ける。堪え切れずにうずくまるゲンドウの背中を駄目押しとばかりに蹴飛ばすカヲル。
「開店前で忙しいんだから、バカばっかり言ってないでとっとと仕度してよ。」
完全に凶器と化した置物をようやく元の場所に戻しかけながら、カヲルは苦痛に身悶えるゲンドウを睨み付けている。
「つう・・・・・・・・カワイイ顔してどこまで乱暴な奴だ。」
きちんとした服装をして黙って立ってれば、しかるべき良家の子女と紹介されても、何の違和感もない容姿の持ち主なのだが、一言口を聞かすともういけない。いや、それ以前に口より手のほうが先に出るタイプなのだ。
「今更何ほざいてるんだい。そんなの初めて会ったときから、わかりきってたことじゃないか。」
確かにふたりの出会いは、この上もなく殺伐とした雰囲気の中でのものだった。



今から8ヶ月ほど前のことになる。ゲンドウの無二の親友、冬月コウゾウがオヤジ狩りの犠牲になって、肋骨などを折る重傷を負った。冬月は郊外の大学で教鞭を取っており、温厚ではあるが気骨ある男で、町内の誰もに信頼されており、その誠実さを買われて保護司の役も務めていた。とある事情から、しばらく冬月と顔を合わせていなかったゲンドウだが、その知らせが耳にはいるやいなや、全てのわだかまりを捨てて、友人を見舞いにはせ参じた。痛みも無念も堪え、笑みさえ浮かべて、自分を出迎えてくれた親友の傷ましい包帯姿を見せられたとき、ゲンドウは迷わず犯人を一網打尽にしてやろうと決意した。相手が少年であることを理由にイマイチ煮え切らない態度の警察なんかに任せていられない。思い立ったが吉日とばかり、さっそく彼はその晩から自らを囮にして冬月が襲われたという公園で張り込みを始めた。それなりの金品を有しているように見せるため、全然似合わない一張羅のブランドもののスーツを身にまとい、深夜、決まった時間に犯行現場の公園をぶらつく。目論みは見事に当たり、3日後、連中はゲンドウにその魔手を伸ばしてきた。そこで初めてカヲルを見たのだ。カヲルはこの辺りでもっとも悪名高いカラーギャング”タブリス”のリーダーだった。
「僕たち遊ぶ金が欲しいんだ。オジさん、お小遣いくれないかな。」
これから力づくで事に及ぶとは、これっぽちも考えられないようなキュートな微笑。しかし、ゲンドウはこいつがボスだと直感した。多勢に無勢、まともにいっては勝てっこない。こういうときの鉄則は頭をつぶすことだ。ザコはどうでもいい。齢五十を前にしていても、ゲンドウはまだまだ体力には自信があったし、学生時代から数え切れないほど荒事の場数を踏んできて、すっかり実戦慣れしていた。段取りさえ外さなければ、よもやこんなガキどもに負けることはないだろう。
「ねえ、十万くらいでいいんだけど。」
そのカヲルの言葉が終わらないうちに、ゲンドウの先制ビンタがカヲルの左頬に炸裂した。
「ふざけるな。」
「・・・・・・・・・・優しく言ってれば・・・・・・・・・やってくれたね。」
先ほどまでの無邪気な笑顔が嘘のように、カヲルの表情は凄みさえ帯びて険しくなり、お返しのハイキックが繰り出される。が、ゲンドウは少しも怯むことなく、それをあっさり両の手で受けとめると同時に、足払いでカヲルの体勢を大きく崩した。
「え?!」
ゲンドウは決死の覚悟で臨んでいた。カヲルはオヤジをナメていた。この時点ですでに勝負あったと言えよう。相手をとことん痛め付けるつもりならば、この後すかさずボディーブローでも決めるのがセオリーだが、あくまでも罪を償わせることが目的だ。力任せのアッパーカットを顔に一発。これだけでカヲルはあっさりと昏倒してしまった。カヲルの処遇については、家裁でも揉めに揉めた。彼は天涯孤独というわけではないが、後ろ盾になる身内が誰一人いない寄る辺ない境遇らしい。意見も出尽くして、もう少しで少年院送りという場面で助け船を出したのは、他でもない冬月だった。ゲンドウは親友の人の良さに呆れたが、それが冬月の一番の美点でもあるし、また、こんな男だからこそ地域の住民の信頼も厚いのだろう。結局、カヲルは保護観察処分になった。そして、更正のためにゲンドウの経営するコンビニで働きながら、夜間中学に通うことに決まったのだ。けれども、ゲンドウは客観的に見て、とても他人の更正に関われるような男ではない。酒・女・ギャンブル、全てに弱い俗物で、職も転々としてきており、歳相応の落ち着きもステータスも、まるっきり持ち合わせていなかった。こんな自分を見込んでくれた冬月の申し出にも、せっかく気楽な一人暮しを満喫しているのに、縁もゆかりもない小生意気なガキを引き取るのなんかまっぴらご免という自己中丸出しの情けない理由で、固辞してきた。しかし、この外柔内剛な友人は決して首を縦に振らず、ゲンドウもとうとう冬月の説得に根負けした。といえば聞こえはいいが、実のところ、いつもいつもゲンドウの不祥事の尻拭いをしてくれる冬月の意向に逆らえるはずはなかった。コンビニの開店資金も大半が冬月からの借金なのだ。そんなこんなで、最初はどうなることかと思った共同生活だったが、カヲルが思いの他熱心に働いてくれたこともあって、どうにか上手く回転している。でも、たったひとつだけ誰にも言えない不測の事態が生じていた。なんと、ゲンドウがカヲルに手を付けてしまったのだ。昔から女グセの悪かったゲンドウだが、それでも十五の少年にまで手を出すとは、冬月も夢にも思っていないに違いない。ゲンドウ自身ですら予想だにしなかったのだから。




「ほら、もう開店時間まで10分しかないよ。」
「・・・・・・・・・・そ、そうか。」
さすがにゲンドウもまずいと思ったのだろう。競馬資金を泣く泣く諦め、身支度を整える。彼の店の営業時間は朝7時から夜11時まで。第一・第三日曜が休日だ。学区内の店なので、深夜の営業は必要ないし、二人だけで切り盛りしている現状ではこれが精一杯の体制だった。
「そろそろ新製品の見本が来る頃だね。」
この半年でカヲルは仕入業務のコツも帳簿のつけ方もほとんど覚えたし、品揃えやディスプレイにも常に細かく気を配っており、店長とは名ばかりのちゃらんぽらんなゲンドウとは比べ物にならないほどの優良店員だった。実際、カヲルが来てからというもの、売上は上昇の一途をたどっている。もちろん、それにはカヲル自身の魅力も大きく寄与していることは疑う余地がない。客だって、髭面の強面のオヤジより涼しい瞳の美少年に出迎えてもらった方がいいに決まっている。
「店長、大丈夫?」
「えっ?」
「頭。」
ゲンドウが邪な考えを放棄したのを確認して、ようやくカヲルの機嫌も直ったと見える。さっきとは打って変わって、穏やかな愛らしい表情になっている。
「さっきはごめんね。」
こぼれるような笑みを浮かべて、こう言われると大抵のことは許せてしまう。元はといえば非は自分の方にあるのだ。
「・・・・・・・・・・もう、なんともないぞ。気にするな。」
「ホント!!ああ、良かった。店長にもしものことがあったら、僕、どうしていいかわかんないよ。」
ちょこんとゲンドウの側に寄り添って、肩に頭を持たせかかるカヲルの眼差しがじっと自分の方に向けられている。あまりにも極端な豹変ぶりだが、こんな気まぐれなところさえ愛しいと感じてしまう。そう、きっかけはどうあれ、今は決していい加減な気持ちでカヲルを抱いてはいない・・・・・・・・・・と思う。
「ねえねえ、店長。」
「ん?何だ。」
「帰ってきたらさっきの続き、いっぱいしようね(#^.^#)。」
ほんのり頬を染めながら、嬉しげに囁くカヲルの肩を無言で優しく抱くゲンドウ。口元を綻ばせて、微笑し合うふたり。ゲンドウはカヲルの血管の浮き出た手をそっと握った。
「・・・・・カヲル・・・・・。」
「何?」
「帰ってきたらと言わず、今一発やらんか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
そのまま、そのたおやかな手をいつのまにかしっかりと自己主張をしている自分の股間に導こうとするゲンドウだったが・・・・・・・・・。
どごぉおおん!!!!!!!!!!
ゲンドウの後頭部に第三新東京タワーの形がくっきり残るほど、思いっ切り件のオブジェが叩きつけられたのは言うまでもなかった。


TO BE CONTINUED


 

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