*偽神田川*



六分儀ファミリアマートの書入れ時は一日に三度ある。まずは朝の登校時、そして昼休み、さらに放課後。近辺の学生をお得意様にしてるだけのことはあって、非常に分かりやすい集客状況だ。日が暮れてしまうと、駅前商店街まで行くのが億劫な周辺の住人か、スーパーの閉店時間に間に合わなかった勤め帰りのサラリーマンやOLがぽつぽつと訪れる程度。ピーク時の頭と身体がばらばらになるようなてんてこ舞いの忙しさはない。だからこそカヲルも安心して夜間中学に行けるのだ。
(店長一人をあの戦場に置いていったら、パニクってとんでもない失敗をしでかすに決まってる。元々機転も利かないし、要領も悪いんだから。おつりを間違えるくらいならまだしも、万が一、盗難や器物の破損があったりしたら店の信用に関わるもんね。)
悲しいかな、経営者にもかかわらず、ゲンドウに対する評価はここまで低かった。しかも、この危惧はカヲルのみならず、少しでもゲンドウを知っている人間だったら誰もが懸念せずにはいられないものだった。
「ありがとうございました。」
ブリキの人形のようにぎこちなく言うと、ゲンドウはにこりともせず若いカップル客につり銭を渡す。まあ、この男の場合、下手に笑わないことこそ最大のサービスかもしれない。
(・・・・・・・・・・どうしてもこのセリフに慣れんな。)
いや、これだけではない。”いらっしゃいませ”にも”○○円お預かりいたします”にも”お箸とスプーンお付けいたしますか?”にもこれっぽちも馴染んでいなかった。つくづく自分は客商売には向いていないと思う。その点、カヲルは自然に笑顔が滲み出るし、客に対する気配りも申し分ない。今更ながら、カヲルあっての六分儀ファミリアマートだと痛感する。帳簿付けも丁寧で正確だし、客の注意を引きつけるディスプレイや手作りPOPもセンスにあふれており、体育祭・文化祭などの学校行事に対する対応も抜け目ない。新製品の仕入でもカヲルは決して外すことなく、一番売れセンに成り得るものを鋭く見ぬいて、それをきっちりと注文していた。といっても、これについてはカヲル一人の判断ではなく、仲の良い駅前商店街の子女達の協力が大きかったのだが。



午後10時40分。そろそろ閉店の準備をする頃、そして、カヲルが帰ってくる時刻だ。毎日、ちょうど客足が一段落したあたりにカヲルは学校へ出かけて行き、もうすぐ閉店という時に戻ってくる。校舎は目と鼻の先にあるので、多少帰りが遅くなっても危険度は少ないし、仮に不逞の輩が出現したところで、大抵の相手は返り討ちだろう。たおやかな外見とは裏腹に、口より先に手が出るタイプなのだ。だから、冬月の依頼でカヲルをこの店に引き取ることに決まった時、ゲンドウは心底気が重かった。自分のせいでパクられたようなものなのだから、カヲルの方ではヒゲオヤジを深〜く恨んでいるに違いない。なのに、同居などしたら、いつ寝首を掻かれるかわからないではないか。今では完全に笑い話なのだが、当時ゲンドウはこんな危機感さえ抱いて、カヲルを迎えたのだ。
「ただいま。」
バック片手にカヲルが元気に駆け込んできた。途中から走ってきたのか軽く息を弾ませている。
「おう、帰ったか。」
「店長、そんな恐そうな顔してたら客が店の前でUターンしちゃうよ。もっと笑って笑って。」
「笑わないとダメなのか。」
「スマイルは接客業の基本だよ。」
「そ、そうか。」
躊躇いながらも口元をにやりとほころばしてみるゲンドウ。
「・・・・・・・・・・いいや、やっぱり余計なことしなくても。」
冷たい口調であっさり却下されたのみならず、露骨にそっぽまで向かれて、ゲンドウは面白くない。
「何だ、お前が笑えというからせっかく・・・・・・・・・・。」
「かえって不気味なだけだもん。僕が一般の客ならこの店には間違っても入らないね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;)。」
ゲンドウとしては精一杯の努力をして微笑んで見せたのだが、予想以上の不評に返す言葉も失っていた。
「さ〜て、くだらないことしてないで片付け始めなきゃ。店長は棚の品物を補充してから、店内のモップがけとゴミ拾いをしてよ。その間に僕は売上の計算をするから。」
ゲンドウの方が完全に下っ端扱いである。
「普通部はそろそろ修学旅行みたいだね。掲示板に日程やら持ち物やらいろいろ貼ってあったよ。その間は若干売上落ちちゃうかもね。」
「うむ、仕方あるまい。」
何気なく答えたゲンドウだが、内心ではカヲルを不憫に思っていた。修学旅行ならば、親しくしている商店街の友人達も皆参加するはずだ。本当はカヲルも共に行きたかろう。夜間部の生徒でも費用さえ払えば、参加できるのだ。出来ることなら仲間と一緒の楽しい旅行をプレゼントしてやりたい。けれども、もはやこの店はカヲルなしでは全く回転しなくなっていた。3日もの間、カヲルに店を空けさせるわけにはいかない。とどのつまり、カヲルが修学旅行に参加できないのも、全て店長たるゲンドウに甲斐性がないからなのであった。





「よし!お金ピッタリ。良かったあ(^o^)。」
無事、売上高の計算も合って、今日1日の戦いも終わった。店のシャッターこそとっくに締まっていたが、これが終わるまでは真の意味での閉店ではない。
「あとはどこかの誰かさんがムダ使いを目論む前に、早いとこ入金して来なきゃね。」
「をい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(メ-_-)。」
どこまでも信用のないゲンドウ。それも無理からぬことだ。先週、またもやこっそり店の金を持ち出して、自分はカヲルの監視が厳しいため競馬場に行けないので、知り合いの競馬記者加持リョウジに馬券を頼んだのだ。結果はもちろん大ハズレ。加持の同棲相手で、花屋を経営している葛城ミサトからそのことを知らされたカヲルの怒りは凄まじく、ゲンドウはモップの柄で滅多打ちにされた上、容赦ない蹴りを何発も入れられ、さらに例の第三新東京タワーの置物まで脳天に投げつけられた。ゲンドウもこうなることがわかっているのだから、ちょっとは控えれば良いのに、”わかっちゃいるけどやめられない”とはよく言ったものだ。もっとも、カヲルの方もその場はどんなに激昂していても、閨で寝技に持ち込まれると、オヤジの熟練のテクの前に一溜まりもなく陥落してしまうのだった。
「さ、これで全部終わったよ。はやく行こ。」
ゲンドウの手を引き、嬉しげに笑いかけるカヲル。ただし、ふたりはこのまま真っ直ぐ帰宅するわけではない。何しろ、彼らの部屋はいまどき風呂無しという年代モノ。アパートまでの道すがらそんなふたりのための施設が聳え立っている。銭湯”月の湯”。ここが彼らの1日の垢を落とす場所だった。”月の湯”の営業時間は午後3時から深夜0時まで。ふたりが11時に店を閉めて、レジの金額合わせや明日の準備に勤しんでいるうちに、3、40分くらいはいとも簡単に過ぎ去ってしまう。だから、ゲンドウとカヲルがこの建物に足を踏み入れるのはいつも閉店ギリギリの時刻だった。
「こんばんわ〜。」
大きな藍色の暖簾をくぐりながら、深夜とは思えない元気な声でカヲルは挨拶する。
「あ、カヲル君、こんばんわ。六分儀さんも、毎晩遅くまで大変ですね。」
大きな黒のフレームの眼鏡をかけ直しながら、番台で彼らを出迎えてくれたのはここの一人息子の日向マコトだ。実直そうな見かけ通り、真面目で人のいい青年で、ふたりが閉店時間を過ぎて飛び込んできても、いつもいやな顔ひとつせず中に入れてくれる。
「いや、我々こそいつも閉店間際に邪魔してすまんな。」
「ホントは家風呂欲しいんだけど、このオヤジがしょっちゅうムダ金ばかり使うから、ちっともお金が堪らないんだよ。」
「な、何を言うか。私は少しでも効率よく資金を増やそうと・・・・・。」
誰の前でも容赦なくゲンドウを罵るカヲル。元々ゲンドウのギャンブル好きは町内に知れわたっているだけに、カヲルが今更言いふらさなくても、皆、六分儀家の家計状態についてはあらかた察しがついていた。



「どうしてお前は余計なことを言うんだ。」
「文句は自分の行動を改めてからほざきなよ。あ〜あ、せめて風呂付きのアパートに住めたらいいのになあ。これじゃあ夏なんて家でえっちする気がおきないよ〜。」
「そんなこと大きな声で叫ぶんじゃない。」
「ふふん、どうせ誰も聞いてやしないよ。いつも貸し切り状態じゃないか。」
そう、こうやって毎晩終い湯につかりに来るのはゲンドウとカヲルの二人だけだ。ただし、時には思わぬ闖入者が現れることもあるので油断は禁物。ゲンドウが二人きりの気安さでカヲルを抱き寄せた瞬間に、いきなり近所のご隠居が入ってきて泡を食ったこともあった。幸い老眼のため、眼前で繰り広げられている妖しい光景に気付くことはなかったが。
「くだらんおしゃべりはやめて急がんか。」
いつものように並んでカランの前に陣取ると、まず全身に2.3度お湯を掛けてから、ふたりはそれぞれ身体を洗い始める。何しろ閉店間際ということでせっかくの憩いのひとときものんびりしてはいられない。
「店長、背中流してあげるよ。」
「そうか。」
いつも時間短縮のために互いに背中の流しっこをするふたりだったが、今日のカヲルの動きは違った。先にボディシャンプーで身体を泡まみれにすると、後ろからゆっくりとしなやかな腕をまわしてゲンドウに覆い被さるようにしがみついて来た。
「おい、何をする気だ。」
「えへへ、こうして洗ってあげる♪」
これは俗にいう泡踊りというものではなかろうか。その手の店にさんざん通い詰めているゲンドウはすぐに閃いた。こんなしょーもないことでなく、もっと別のことで勘を発揮してもらいたいものだ。店でのカヲルの指示に対してはいつもピント外れの動きばかりして、ちっとも役に立たないくせに。
「よ、よせ。何を考えているんだ。」
「僕、これ一度やってみたかったんだ〜。」
ゲンドウの背でゆらゆらと上下に動くカヲル。しかし、胸はもちろん、肉もない貧相な身体が擦りつけられても骨のごつごつした感触が伝わってくるだけだ。本来、巨乳好きのゲンドウにとっては、面白くもなんともない・・・・・・・・・・はずなのだが、それでもそそられてしまうのはやっぱりカヲルに対して只ならぬ感情を抱いている証拠なのだろうか。時々カワユイものが軽く背に当たるのもたまらなかった。
(しかし、最近のガキはませてるというか羞恥心がないというか・・・・・。それともこいつが特別なのか?)
特別なのはガキを押し倒してしまったお前の方だ。という突っ込みはともかくとして、カヲルは当初こそ多少の戸惑いと恥じらいを示していたものの、一ヶ月も経つとそんな素振りはまるっきり消え失せ、幼児が遠足にでも行くように明るく溌剌とベッドインするようになっていた。このような天真爛漫な様子が中学生に手を出しているというゲンドウの罪悪感を、著しく減少させることに一役買っているのは確かなのだが、あまりにも開けっぴろげに振る舞われると、さすがのゲンドウも調子が狂う。
(やっぱり、こう初々しくはにかむ仕草とかがな・・・・・・・・・・・。)
胸の中でこんなことをぼやくゲンドウだったが、かといって、慣れてるとか擦れてるとかいうのとも違うのだ。
「どう?感じてこない?」
後ろから楽しげなカヲルの声。曲がりなりにも他所様の家でやるようなことではないのだが、カヲルは全然意に介していない。
「ダメなのかい?」
肩越しにカヲルはゲンドウの股間を除き込んだ。心なしか反応しはじめている気もする。
「じゃあ、もちょっと刺激してみるかな。」
カヲルはゲンドウの背から身体を離して回り込み、その前に立ちはだかった。身体にまとった泡も少しずつ消えかかっている。
「特別サービスだからね、お客さん。」
言うやいなやカヲルは軽くウインクするとちょこんと跪いて屈みこんだ。ゲンドウにはすぐカヲルの意図がわかってしまった。
「お、おい、止さないか。こんなところで。」
「いいじゃん、いいじゃん。店長だってこういうのキライじゃないくせに(^o^)。」
思いっ切り無邪気に微笑まれて、困惑するゲンドウだったが、イメクラ系に弱い彼がカヲルの仕掛けにときめかないはずはなかった。しかも、自分の仕込みの甲斐あって、最近カヲルはめきめきと腕(ではないが^^;;)を上げている。
(ううむ、止むをえん。ここはカヲルの言うとおりに・・・・・・・・・。)
つくづく自分に甘い男である。この間にもカヲルの顔がゲンドウの下腹部に急接近していた。悩ましく開かれる唇の間からちろちろと見え隠れする赤い舌。あとほんの数秒後には己の分身はその中に優しく含まれて熱膨張して行くのだろう。甘〜い期待にゲンドウの口元が見る見るうちにだらしなく緩んで来る。




ガラリ。と、その時、浴場内にガラス戸の開く大きな音が響き渡った。慌てて二人がその方角に視線をやると、そこにはデッキブラシを手にしたマコトの姿。閉店と同時に掃除でも始めるつもりだったのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
そのままの格好で凍り付く3人。カヲルの影に隠れているため、マコトからは見えないが、ゲンドウの分身も微妙な角度を保ったまま硬直していた。内心の落胆をぐっと堪えて、カヲルはオヤジの股間に限りなく顔を接近させた体勢から、緩やかに面を上げていく。ゲンドウもやや顔を引きつらせながら、徐々にカヲルから身体を離していった。もちろんどさくさに紛れてタオルで股間を蔽うことも忘れない。せめてくわえる前で良かった。マコトは訝しく思ってはいるだろうが、眼鏡も掛けていないし、決定的な事実に気付くことはあるまい。これが遊び人の加持だったら、今ごろふたりの不適切な関係はすっかり明るみに出てしまっていたに違いない。
(ちぇっ、せっかくいい雰囲気だったのに。やっぱ家風呂がなきゃダメだね。たくさんお金稼いで今年中には絶対風呂付きのアパートに移ってみせるから。)
無念の思いに唇を噛み締めつつ、固く心に誓うカヲルであった。


TO BE CONTINUED


 

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