*競馬場にて〜2*



(カヲルのヤツはたかだか煮込みを食うのに何時間かかってるんだ?)
場内に投票〆切りのアナウンスが響き渡っても、カヲルはまだ戻ってこない。己が馬券を購入している最中はカヲルのことを忘れ切っているくせに、買い終わった途端、隣にいるべき相手の不在が気にかかるのだから、全くもって自分勝手なゲンドウである。食べ終える時間にしたって、あたかも早食い競争のようにろくろく噛みもしないでかっ込んで行くオヤジ様式を基準にしているのだ。そんなギャンブル場に慣れ切った品も味わいもない食べ方をカヲルがするはずがない。
(ううむ、もう発走時間なのだが・・・・・。)
気持ちだけはとうにスタンドに向かっているものの、さすがにカヲルを見捨てることが出来ず、ゲンドウは未練がましくきょろきょろと辺りを見渡した。
(やっぱりあまりにもそっけなくしたのがまずかったか・・・・・ーー;;;;;。)
勝馬検討に夢中になるあまり、カヲルを邪魔者扱いしたことは否めない。けれども、ゲンドウにも言いたいことはあった。たとえば、ゲンドウが専門紙に見入っている時に横から覗き込んで、
「ねえねえ、どれが強いの〜?」とか、
「店長の狙い馬は何?」
とか切り出してくれれば、ゲンドウにだっていくらでも答えようがある。むしろ、この手のことについては誰かに語りたくて仕方ないのだから。そこまで行かなくても
「結構人が入ってるんだね。」とか、
「このグッズ可愛い〜。こんなもん売ってるんだ。」
とか会話のきっかけを作る一言くらい欲しかった。これまでの行状を振り返れば、ゲンドウとてカヲルがいい顔をしないのは当然だと思っているし、多少は良心の呵責もあるから、なかなか自分から積極的に話題を振れないのだ。
(なのにあいつと来たら・・・・・。)
区民公園にいたときは終始ニコニコと楽しげに振舞っていたカヲルだが、競馬場に近づくにつれ徐々に口数が少なくなり、それに伴って表情もあからさまに不機嫌なものに変わって行った。場内に入ってからは会話どころか、ゲンドウと視線を合わそうとさえしない。日頃はうるさいくらいおしゃべりなカヲルだけに露骨な態度の変化がいっそう際立つ。心の底から忌み嫌っている場所に渋々ついて来てやったという態度が見え見えなのだ。
(私だって区民公園では慣れないサイクリングにまで付き合ってやったのに・・・・・・・。)
取り付く島もないカヲルの冷淡な態度につい腹立たしくなって、ゲンドウも必要以上に馬券検討に没頭するポーズを取り、傍から見るとカヲルを蔑ろにしていると思われても仕方ないような振舞いをしてしまっている。だけど、本当はせっかく二人でいるのだから、カヲルといつものように軽口を叩き合って時間を過ごしたかった。カヲルが競馬ファンになることは期待していないが、ここに来ているときくらいは話し相手になって欲しい。しかし、ゲンドウのこんな気持ちはカヲルにはまるっきり伝わっていなかった。逆にゲンドウはゲンドウで、カヲルが不機嫌になっている本当の理由には気がついていない。彼らの思いは同じ方向を向いているのにもかかわらず、なぜか大きくすれ違っているのだった。




「店長、遅くなってゴメン。」
そんな心持ちでいたゲンドウだったので、いつもだったら何でもないようなこんな一言が妙に嬉しく感じた。だが、カヲルの右手にはフライドチキンの紙包みがしっかと握られている。どうしてもオヤジフーズを受け入れることが出来ずにわざわざ正面スタンドの店まで買いに行ったらしい。それではなかなか戻ってこないはずだ。
「なんだ、煮込みにしなかったのか?」
「当たり前だろ。あんなのは人間の食べるものじゃないよ。」
容赦ない罵りの言葉でも無言よりは遥かにマシだ。ゲンドウはなんとなくホッとしていた。このまま重苦しい沈黙の時間が流れるという最悪の事態だけは避けられそうだ。
「ほら、もう発走だぞ。」
カヲルの空いている左手を引きながら、ゲンドウは生温かい風が吹きすさぶスタンドを通り抜けコース前へと出た。一見予想に集中しているようで、案外上の空なのが功を奏し、今日のゲンドウは珍しく調子が良い。しかし、カヲルに決められている予算以上の金額はもちろん使わせてもらえない。一レース500円ポッキリ。せっかく好配当を的中しても、購入金額が小さいので儲けもたいしたことはなかった。
(何てこった。千載一遇のチャンスだというのに・・・・・・・・・・。)
我ながら博才がある方とは思えないだけに、この機会を逃したら次のチャンスはいつやってくるか分からない。ここで大きく資金を増やせば、風呂付きアパートの夢もぐっと近づくし、カヲルにいいところを見せることも出来る。形になる成果をあげさえすれば、競馬に熱中する自分への態度ももう少し緩やかになるに違いない。ゲンドウは愚かにもこんな風に考えていた。カヲルはゲンドウがあぶく銭を稼いでくれることなどこれっぽちも望んでいない。むしろ、もっと地道に本業、すなわちコンビニの経営に本腰を入れてもらいたいだけなのに、オヤジにはそれがちっとも伝わっていなかった。隣でフライドチキンにパクつくカヲルの横顔を眺めながら、どうにか上手く言いくるめる方法はないものかと思いを巡らすゲンドウ。カヲルがちょっとでも軟化した様子を見せるとすぐこれだから全く始末が悪い。
(カヲルだってたくさんお金が儲かった方がいいに決まってる。よし・・・・・・・・・。)
生ファンファーレの流れる中、ゲンドウは無謀にもカヲルに投資金額の増資を申し出てみたが、カヲルがいい顔をするはずがない。
「ダメに決まってるだろ。全く往生際が悪いんだから。今日の予算は一レース500円まで。それが守れるって言うから僕も一緒についてきてやったんだよ。」
「お前はそう言うがな。今日の私はここまで4戦3勝!今日は間違いなく勝利の女神が着いている日なんだ。こういう日こそドカ〜ンと大勝負をして賢く資金を増やすべきだとは思わんか。」
説得が苦手なゲンドウとしては精一杯カヲルに自己の考えを主張したつもりだったが、カヲルの反応は冷淡そのものだった。
「店長、本気でそんなこと考えてるの。いい年してホントに見通しが甘いんだから。日頃1度たりとも的中したことがない店長が3勝もしただなんて、もう今日の運は使い果たしたね。それどころか今年一杯はなんにも当たらないんじゃないの?」
「お、お、お前はなんちゅうことを!!」
自分でも内心恐れていたことをカヲルにズバリ指摘されて、ゲンドウは目を白黒させ、なおかつ声まで少し裏返しながら反論しようとしたが、カヲルはその機先を制するようににっこりと微笑んだではないか。
(おお!!)
この場所に到着してから、カヲルがこんな風に愛らしい表情を見せてくれたのは初めてだ。だけどそれが逆に恐ろしくもあった。カワイイ顔で油断させておいて、ガツンときつい一発をお見舞いするつもりなのかもしれない。薄々は気付いていながらついつい引っ掛かって、これまで数知れず煮え湯を飲まされてきたゲンドウなのだ。
(うむむ・・・・・・・・・・・。)
緩みかけた口元を慌てて引き締め、カヲルの一手に備えるゲンドウだったが、彼の口を突いて出た言葉はゲンドウの予想もしない内容だった。




「ねえねえ、ワンダータブリスってどんな馬?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
オヤジは我が耳を疑った。これまでゲンドウがどんなに手を尽くしても、競馬に興味を抱くどころか露骨に嫌悪感さえ示していたカヲルが、大レースの朝、遠慮がちに競馬の話題を振ってみても振り向いてすらくれなかったカヲルが、今、ゲンドウに特定の競走馬について尋ねている。いかなる心境の変化が・・・・・・・などという月並みな表現では到底片付けられないような異常事態だった。
「ど、どうしたんだ、お前。」
嬉しさより驚愕の方がはるかに強い。
「別に。ただちょっとね。」
カヲルとしては軽い気持ちで尋ねたに過ぎない。自分のことを息子に似ていると言ってくれた人の愛馬は果たしてどんな馬なのか。戻る道すがら、徐々に興味が涌いて来たのだ。けれども、ゲンドウの方からすれば、太陽が西から昇るような現象の理由をこんな曖昧な言い草で納得できるわけがなかった。
「とにかく訳を聞かせろ。でなければ、教えてやらん。」
「ちぇっ。うるさいなあ、クソオヤジ。どーでもいいだろ、そんなこと。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ーー;;;;;)。」
年上への敬いも(一応)恋人への気遣いも微塵も感じられない返答に切れる寸前のゲンドウだったが、ここで冷たい対応をしたら最後、せっかくの会話の糸口を逃してしまう。反対に、ここでカヲルの関心を惹くような上手い返答をすれば、競馬に対するカヲルの見方を180度変えることも可能だ。そうすればこれまでのように肩身の狭い思いをすることもなく、毎回大手を振って出陣できるようになるに違いない。
(よし。)
ゲンドウは力強く拳を握り締めた。けれども、オヤジは根本的に勘違いをしている。カヲルがそこまで競馬を鬼ッ子のように扱うのは、何も競馬そのものがキライなのではなくて、それに取り組むゲンドウの態度に問題があり過ぎるからだ。ゲンドウが仕事をさぼって出掛けたり、店の金に手をつけたりせず、遊びの範囲で楽しむ分にはカヲルだってうるさいことは言わないだろう。つまり競馬の評価をどん底まで落としているのは他ならぬ自分自身なのだが、悲しいかなゲンドウはそのことに全く気が付いていなかった。



「白毛?」
ゲンドウの説明を聞いたカヲルが小首をかしげながらこうリピートする。
「それって白馬ってことだよねえ。だけど白い馬は確か芦毛って言うんじゃなかったっけ?」
「芦毛は年を取るにつれて徐々に白くなっていくんだが、白毛っていうのは色素がないからうまれたときから真っ白なんだ。まあ、人でいうアルビノみたいなもんだな。」
「えっ!芦毛って最初から白いんじゃないの?」
「なんだ、お前そんなことも知らんのか( ̄^ ̄)。」
鼻を膨らませながら嬉しげにゲンドウは返す。店では毎日のようにカヲルにこの手のセリフを言われ続けているのだ。
「店長、いい年してこんなことも知らないの?」
「こんなの一般常識だよ。誰だって知ってるよ。」
「この程度のことも知らないでよくもまあ恥ずかしくもなく生きてるねえ。」
・・・・・・・・・・etc。もっとも、ゲンドウがカヲルに指摘される事柄はわかっていないと相当みっともない内容だが、芦毛について知らないからといって別にどうってことはない。
「ふうん、アルビノなのかあ。僕みたいだね。」
白金の髪、色素のない肌、赤い瞳。こんなカヲルに似ているというあの老人の息子ももしかしたらアルビノだったのかもしれない。してみると、彼がこの馬の馬主になったのもやはり息子の面影を追い求めてのことなのだろうか。
「突然変異のようなものだから、まだ10件も例がないんだ。それに虚弱体質のヤツが多くて、なかなか競走馬にはなれんらしい。」
「でも、こいつ強いじゃん。」
ゲンドウの言葉にやや不安になり、新聞を奪い取って、ワンダータブリスの成績欄を探したカヲルの目に飛び込んできたのは1・1・1がずらっと並ぶ馬柱だった。競馬新聞の見方など全然分からないカヲルでもこれが着順だということくらいは見て取れる。
「まだ下級条件だからだ。これだけ休みがちだと大成は望めまい。今日も一部では人気になってるが、買い目はないな。」
確かに今日のレースも半年ぶりのようだ。だが、競馬についての知識がまるっきりないカヲルからしてみれば、一着ばかり並んでいる成績欄を見ただけで、これは強い馬に違いないと確信しても無理はなかった。ただでもいろいろな経緯があって感情移入をしているのだ。
「ホントに強ければ休んだってなんだって関係ないね。」
「シロウトのくせに何を言うか。」
「加持さんだって本命にしているよ、ほら。」
「・・・・・・・・・・とにかく競馬人生25年の勘がこいつは消しだと告げているんだ。」
「オケラ人生25年の間違いだろ。」
「何をいっとるか。今日の成果が目に入らんのか。」
「そんなの3・4年に1度あるかないかの珍事のくせに。」
最初はカヲルが競馬の話題に乗ってきてくれて嬉しかったゲンドウだが、いつものように好き放題言われて、徐々に不愉快になってきた。これでは店での力関係と同じではないか。
「いや!あんな休んでばっかりいる馬が来るものか!!絶対に来ん!!」
大人気なく声を荒げて断言するゲンドウに対し、いつもだったらそんなオヤジを鼻で笑って受け流すカヲルもなぜか本気になって言い返してしまった。
「そんなことないね。絶対に勝つよ!!」
「来るはずがない!」
「楽勝するよ、きっと。」
「大差で惨敗だ。」
ますますエスカレートするふたりの不毛な言い争い。これ以上続けても埒が開かないと考えたのか、カヲルがこんな風に切り出した。
「じゃあ、もしワンダータブリスが勝ったら、競馬人生25年はムダだったってことで、店長はすっぱりと競馬から足を洗うんだね。」
「よかろう。その代わり、あの白毛馬が負けたら、この先私の競馬場通いに文句は言わせんぞ。予算も無制限だ。わかったな。」
「どーぞど−ぞ。でもそんな約束して困るのは店長の方なんじゃないの?」
「それはこっちのセリフだ。あとで泣きついても知らんぞ。」




ひょんなことからゲンドウと大勝負(?)をする羽目に陥ったカヲルだが、なまじ競馬について何一つ分かっていないだけに根拠のない自信を持っていて、その表情はあくまでも明るい。どうせ勝つに決まってる(カヲル談)勝負なんかより、今は一刻も早くワンダータブリスの実物を見たかった。
「馬のアルビノかあ・・・・・・・。いったいどんな感じなのかな?」



TO BE CONTINUED


 

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