いちはら福祉ネット
中核地域生活支援センター
電話でのお問い合わせはTEL.0436-23-5300
〒290-0074 千葉県市原市東国分寺台3丁目10-15
何気ない日常の一瞬を切り取ります。
事務所から歩いて5分の高台に、街を見渡せる場所があります。そこから見た夕暮れ時の市原市です。日没直前なので辺りが暗く、細かいところが見えないのが残念ですが、写真左中央で輝いているのは養老川、左上遠くにうっすら見えるのが富士山、中央上部は京葉工業地帯の煙突群、右側に点在する小さく光る部分は、沈む直前の夕日に照らされ静かに輝く民家なのです。まるでこの街で一生懸命生きている人々にスポットライトが当てられ、その頑張りを祝福しているかのように思えました。夕日に包まれた風景は心に染みます。
市原市の晩秋を彩る色を探している時、ススキコスモスと来たら、次は銀杏しかないと思い、銀杏の木を探しに市原を縦断。本郷の大銀杏、上総久保駅の大銀杏、壮観な黄色祭りだったに違いない、もし葉が落ちていなければ。甘かったです。銀杏の葉が生命力溢れる濃い黄色を帯びる時間は限られているのです。諦めて帰途に着き、勝間の辺りを通過中、ふと目に入ったのが地元の日枝神社の鳥居。葉は落ちていましたが、それで終わる銀杏じゃなかった!参道を覆い尽くす黄色の絨毯となって、日枝神社を優しく彩っていました。
冬が近づくにつれ出会える機会が増える素敵な風景。富士山です。写真は山倉ダムから。富士山が見える条件は、天候だけではありません。西の空の地平線上に雲があるかないか、靄がかかっているかいないか。透き通るよう晴れていても、地平線周辺の環境は別物です。秋以降、徐々に地平線上の雲や靄が減り、富士山が見える気配が高まりますが、思いもよらぬ雲が現れたり霞んだり!でも思ったように姿を現わさないからこそ、現れた時の喜びは格別!裾野に向かってなだらかに傾斜するシルエットの美しさには心を奪われます。
ススキは、その日その時の日の当たり方や風の吹き方で様々な表情を見せます。近くで見ればほわほわでベルベットタッチの肌ざわり、夕日を受ければ黄昏色に染まり、午後の日差しを浴びれば眩いばかりに輝きます。国道128号線を大多喜方面に向かう途中、池和田にある光明寺というお寺の隣に、輝くススキ野原を発見。近くに行ってみると、その脇に小湊鉄道の線路が。さらに遠くに見える上総鶴舞駅には2両編成の列車が待機!偶然が重なり、光輝くススキ野原を静かに通り抜ける小湊鉄道の姿を堪能することとなりました。
晴れた青空を横切る二本の巨大な筒状の雲。14時過ぎ、事務所前の市役所通りから撮った写真です。空の低い所に、これほど長く、これほどはっきりとした筒状の雲を見たのは初めて。オーストラリアで見られるモーニンググローリーという現象かと思いましたが定かではありません。この日は急激に気温が下がり上空の温度差が影響しているのかも。それにしても、よく晴れた晩秋の昼下がり、市役所通りと家並みと並木という典型的な日常の景色に、この雲が重ねられることにより町全体が一瞬にして非現実に!見とれました!
平蔵にある西願寺は、季節によって移り変わる周辺の風景と一体となり、普段とひと味違った表情を見せます。5月の田植えの時期には、水張田にその姿を映し、7月には青々と育った稲が風にたなびくのを眺め、収穫の時期には黄金色の稲と一体となり収穫を祝います。秋にはコスモスの薄紅色の化粧をしたかのよう。コスモスは江戸末期から明治にかけて海外から渡来し、桜の花びらと似ていたことから秋桜(あきざくら)と名づけられたそうです。日本の四季は、風景にささやかな彩りを添え、見る側の心に潤いを与えます。
ススキ野原を探しています。近年単独のススキ野原は減る傾向にあり、代わりにススキとセイタカアワダチソウとの食み合わせが増えてきたように思います。ススキは、その日その時の日の当たり方や風の吹き方で様々な表情を見せます。日本の秋を象徴する風景です。ススキは日本文化の中で重要な植物です。十五夜の飾り、蒔絵や花鳥画の秋草紋様等にも使われ、秋の季語として俳句や短歌にも登場します。かつては屋根を葺く材料としても使われました。写真は市原市勝間で撮影したススキ。一斉に風にたなびく風景は優雅です。
室町時代に建立されたこの観音堂は、当初吉沢城守護のために建立された善福寺にありましたが寺が衰微するのに及び、明治16年、麒麟山鳳来寺に合併されました。観音堂裏手の吉沢城は、北東約12キロメートルにあった平蔵城の支城として築かれ、平蔵城主の一族である土橋忠勝の居城であったと言われています。1590年、本城である平蔵城は、豊臣秀吉の差し向けた軍に攻撃されて落城、吉沢城も運命を共にしたと思われますが、観音堂だけは数奇な経緯をたどって今日に残されました。(市原市教育委員会案内板を要約)
日本の神話「いなばの白うさぎ」の謎A。海を渡ろうとしていた白ウサギは、そこを泳いでいたワニをだまして渡ろうとしますが、嘘がばれて皮を剥がされてしまいます。ワニ?いくら何でもワニは日本にいないだろう。そう思った人は少なくないようで、古くから議論になっています。ワニはサメのことであるという説、王仁(ワニ)族という百済から渡来した民族を指すという説もあります。また外傷に効く漢方薬の成分にガマの粉末が使われていたという記録も。ガマの穂を見ると歴史のロマンを感じないではいられません。
西願寺阿弥陀堂。1495年、市原市平蔵に建立された三間堂です。創建時の阿弥陀堂は、天井は総金箔が施され、下部は朱塗で金色に輝いたことから、平蔵の光堂と呼ばれたという説があります。丁寧に手入れをされた茅葺き屋根は、思わず見とれてしまうほどの美しさ。加えて軒下の扇垂木と三手先詰組も見事な造形美。市原市南部にはこの光堂の他にも、同様の美しい茅葺屋根を持つ鳳来寺観音堂、波の伊八の様々な彫刻を堪能できる真高寺山門等、歴史的に大変価値がある仏教寺院があります。是非訪れてみてください。
市原市金剛地にある熊野神社。彼岸花の名所として知られています。今年は猛暑のせいで幾分開花が遅れましたが、今見頃です。県道21号線と県道132号線が交わる交差点の信号脇に「熊野神社表参道」という古い表示が見えます。その前に広がるこんもりとした山を登り切ったところに熊野神社の鳥居があります。そこから先の参道に沿って本殿までの約200m、彼岸花が咲き乱れます。その幽玄さには言葉を失います。文字通り彼岸の世界に足を踏み入れた感があります。自然に対する畏敬の念を抱かずにはいられません。
10月4日金曜日の朝。家を出る時には晴れていたのですが、しばらくすると東の空に太陽が出たまま、空の北半分があれよあれよという間に黒い雲に覆われ始め、篠突くような土砂降りに。その雨が上がりかかった時、北の空の雲をふと見ると、鮮やかな光の束が浮かんでいました。久しぶりに見た虹でした。調べてみると、虹が出る条件は、@太陽の光があること A雨粒や水滴があること B太陽が観測者の背面にあること C太陽の高度が低いことで、なるほどこの日は、偶然この全ての条件が揃った奇跡的な朝だったのです。
9月25日水曜日、前期最後の授業の日、生浜高校しほたカフェが開催されました。残暑の中の実施を覚悟していましたが、幸運にも気温が25度を下回り、ほっと胸をなでおろしました。全日制から夜間部まで、300人弱の生徒のみなさんに参加いただきました。友だちとゲームをするもよし、大学生と雑談するもよし、楽器を演奏するもよし。町内会のみなさん、子ども食堂のみなさん、大学生、支援機関のスタッフが、様々な形で生徒のみなさんと関わります。回を重ねるごとに繋がりがより密になっていくのを感じます。
お彼岸を迎えるというのに、未だに暑い日が続く今日この頃。秋の気配を探そうと辺りを見渡しても、見つかるのは夏の残像ばかり。しかし、見落としていた方向がありました。頭上です。青空の下に巻雲が漂う風景。巻雲は1万メートル以上の上空に存在し、すじ状の形が特徴です。空や雲を眺めることの効果は他にもあります。遠くのものをぼおっと眺めることで、小さなことが気にならなくなります。また雲の形から様々なことを自由に連想することで、考え方が柔軟になります。旅客機の1000倍の大きさの巨大な鳥、飛翔!
日本の神話「いなばの白うさぎ」で疑問に思うことがありました。大国主命(おおくにぬしのみこと)が皮膚を剥がされ泣いているウサギに、ガマの穂を敷いて横になるように言うのですが、ご覧の通りガマの穂の表面はそれほど柔らかいものではないので、皮膚を剥がされた状態でこの上に横になると、相当チクチクするのでは?その謎が解けました。時期が来るとガマの穂は、爆発してはじけるように、ほわほわの綿のようになるのだそう。それならウサギは熟睡できます。またひとつ、探していた知識のピースが埋まりました。
きゅうり、かぼちゃ、冬瓜、ゴーヤ。これらの野菜の共通点は黄色い花が咲くことです。ところが先日ゴーヤが赤い花を咲かせているという驚くべき情報が!確認すると確かに黄色の花のわきで咲く、薄紅色の小さな花を発見!新種のゴーヤの花か?と期待が高まりましたが、よく見ると蔓の色が微妙に違い、ゴーヤの蔓とは繋がってはいない。そうか。朝顔でした。いつの間にやら朝顔はどこからともなく飛んできて、ゴーヤの隣に根を張って、共に支え合いながら、2階ベランダまで芽を伸ばし、黄色と赤の共演を実現したのです。
国道297号線を南に向かって走行中、市原市池和田付近に、見渡す限り田んぼが広がる風景が現れます。晩夏、稲刈りの時期になると、この広大なエリアが黄金色の平原と化します。田植えの時期の違いにより、田んぼごとに稲穂の生育の段階が異なるので、さながら黄金色と黄緑色のパッチワークのよう。空の青と里山の木々の緑を背景に稲を刈り取りながら、黄金色の平原を進むコンバインの赤い色が映えます。田植えから数か月、幾多の困難を乗り越え、無事稲刈りまでこぎつけたことに対する感謝と喜びが伝わってきます。
8月23日、テレビで「となりのトトロ」が放映されました。1988年公開のこの作品、テレビで再放送されるたびに見て、DVDを買っては見て、いったい何度この作品を見たのか思い出すのは不可能です。昭和30年台、物質的には決して豊かではないけれど、親と子の想いが詰まった幾つものやり取りの中に、心を通わせ合うことの大切さがしみじみと浮かび上がります。その物語を彩る日本の原風景…水田、あぜ道、神社等。とりわけ水田は、人の生活と自然をつなぐ大切な存在です。今、稲穂は黄金色に染まっています。
年々暑くなっている実感はありましたが、今年の夏の暑さは「容赦ない」です。この容赦なさは人間だけでなく植物にも向けられます。典型的な夏野菜で、私達に日陰を提供してくれるゴーヤにとっても、照りつける日差しの強さと水不足は逆境となったはずです。晴れが続けば水不足や日焼けを心配し、台風が近づけば作物そのものの被害を心配する。心配するのは愛情を注いでいるからこそ。植物も人も同じです。無事に作物を収穫できるということは、かくも有難いこと。困難を乗り越え立派に育ってくれたゴーヤに感謝します。
今や事務所の夏の風物詩となっているグリーンカーテン。日々成長するゴーヤの葉と蔓によって生み出される日陰が、事務所を優しく包みます。また緑色がもたらす安らぎは、体感温度を更に下げてくれてます。そして待ちに待ったゴーヤの収穫期の到来です。不思議なことに、いざゴーヤの実を探そうとしても、なかなか見つからない。別角度から見ると、思いもよらぬところで佇むゴーヤの実を発見、あたかも「見つかっちゃった!」と言っているかのよう!ものごとを色々な側面から見ることの大切さを改めて実感した次第です。
野菜は、自分にとってはスーパーの野菜売り場に並べられる食べものなので、それ以外の姿を思い描くことはほとんどありませんでした。しかしいっぽ農園で咲くゴーヤの花の優しい黄色、なすの花の上品な紫色を間近で見て、野菜の花には観賞用の花とは一味違う魅力があることを知りました。そして今咲いているのがオクラの花。オクラの花は1日花で、咲いた花は1日でしぼんでしまいます。生き物には様々な側面があり、それらを丸ごと把握して初めて、その全体像と本質が見えるということを、オクラが教えてくれています。
7月19日金曜日、夏休み前最後の登校日、生浜しほたカフェが開催されました。真夏の太陽が降り注ぐ中の開催となりましたが、受付で生徒全員にうちわを手渡し、大学生が塩分チャージ用のタブレットを配って回りました。幸いなことに食堂の窓を全開すると、心地よい風が会場を通り抜けました。ツイート・タペストリーのコーナーでは、海中を想定し色とりどりの生き物の形をした用紙の上に、生徒達のさりげない心情が書き込まれていきました。お陰様で無事にカフェを終えることが出来ました。ありがとうございました。
ラフガディオ・ハーン(日本名小泉八雲)が初めて日本を訪れた時のことをこう書いています。「まるで何もかも、小さな妖精の国のようだ。青い屋根の小さな家屋、青いのれんのかかった小さな店舗、その前で青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。」(日本の面影から抜粋)。藍色が明治時代の人々の生活にいかに深く結びついていたかが分かります。その藍染めの原料の藍を、今いっぽ農園で栽培しています。藍は染料としてだけでなく、多くの効用を持つ貴重な薬草として、古くから日本の生活や文化を支えてきたのです。
今年度最初の生浜高校しほたカフェ、テーマはミニ七夕祭。篠突く雨が降り注ぐ中の実施となりましたが、今回もスタッフが前日採取したばかりの竹を入り口に立ると雰囲気は一気に七夕!短冊に込められた切実な思いを読むと、誰もが願いを胸に懸命に生きていることがわかります。そしてみんなの願いが叶うよう願わないではいられません。追い立てられるかのように生き、多くが余裕を失っているこの時代、こうしていったん立ち止まり、人々の純粋な想いに触れることで、ふと素の自分に立ち戻れるのだと思います。
小学生の時、まるで天から降ってくるかのように心地よい鳥のさえずりが聞こえて、それがどこから聞こえてくるのだろうと空を見上げたことを思い出します。空の高いところで、一点に留まりながらさえずり続ける小さな鳥、それがヒバリでした。そして屋上ヒバリ最新情報!「続報があります。しばらく驚かさないように屋上には最低限しか行っていなかったのですが、本日、ヒナを発見しました!」。この子もいつか成長し、大空の一点に留まり、天から降ってくるかのような優しいさえずりを、世界に届けるのだと思います。
5月21日の記事で、田んぼは里山の風景、空や雲まで映すと書きましたが、こう付け加えようと思います。まれに小湊鐵道も映すと。通常田んぼに映る人工物には、何かしら違和感を覚えるのですが、どういうわけか小湊鐵道は、人工物というよりは花か何かの延長線上にあるようにすら思えるのです。小湊鉄道がどちらに分類されるかはさておいて、自然の中に身を置くことは、ストレスの軽減、気分の改善、免疫の働きを強化する効果があると言われています。遠くの空や雲、里山の風景を見るだけで、心の重荷が解けます。
スズメ目ヒバリ科ヒバリ属。英語名:すかいらーく。この卵を見つけたのは、市内にある高校の理科部の生徒達。場所はなんと高校の校舎の屋上なのです!「私たちの秘密基地である学校の屋上で、ヒバリの巣を見つけました。親鳥を驚かさないように、そっと屋上を後にしました。親鳥が澄んだ空で鳴いていました。かわいいヒナが育つといいな」。この卵を見つけた時、彼らはそっと屋上を後にする、親鳥を驚かさないように。気が付くと「親鳥が済んだ空で鳴いていました」。高校生の温かい心遣い、きっと伝わったはずです。
山倉ダムは、千葉県営として初の工業用水道の水源で、市原市などの京葉臨海コンビナートに立地する企業へ工業用水を供給しています。周囲には散策道が整備され、休日には散歩やジョギングを楽しむ市民で賑わいます。春の桜並木、初夏の新緑等、季節毎に見どころがあります。時間によって映る表情が変わりますが、中でも夕暮れ時は格別。水面の波の様子、周辺の木々の映り方、太陽と雲の重なり方、雲の質感等、その日その瞬間の、一生に一度の「今ここにしかない」風景に出会えた幸せに、感謝せずにはいられません。
ゴーヤ成長記と銘打ってある以上、この写真がゴーヤの葉であることが初めから分かってしまうのがなんとも歯がゆい。本当は「この写真、5月30日の記事の発芽したばかりの芽の5日後の姿だと言ったらあなたは信じますか?!」と得意げに問いかけたいくらい。そんなことをしたくなるほどの、圧巻の成長速度!。変化に気付かない小さな成長でも、時間をかけて長いスパンで見てみれば、それを積み重ねていくことによる大きな前進を感じることが出来ます。やってもやっても進まないと思うかもしれませんが、進んでいます!
事務所南側に緑色のネットが掛けられると、今年もゴーヤの季節が到来したことを感じます。昨年は6月中旬あたりから急激に成長するゴーヤを様子をお伝えしたのですが、今年はそのゴーヤが残した種が発芽するところからのスタート!担当がスポンジを使って苗床を作り丁寧に発芽させた写真がこちら。黄緑色をした綺麗な芽、ちょこんとスポンジの上にのっかっているように見えますが、何と体長の倍以上もある根をスポンジの下に這わせていました。ゴーヤの驚くべき生命力の片鱗が、すでにこの時期から発揮されています。
事務所に飾ってある小さな紫陽花の花瓶。6月の声が聞こえてきた今日この頃、いよいよ紫陽花の登場です。紫陽花の原種は日本のガクアジサイで、これが西洋に渡り品種改良されたものが現在の紫陽花の主流となったという説があります。そして新たに知って驚いたこと。花だと思っていた部分は花ではなかった!この花らしきものは、実は装飾花で、がく片が変化したもの。花ではないので種子も育ちません。本当の花は真花と呼ばれ装飾花をかき分けると、しっかりと奥に存在します。今度じっくり観察してみようと思います。
日没時刻を過ぎると、通常空は少しずつ黒のグラデーションがかかるがごとく、夜のとばりが降りていきますが、この日は少し違いました。日が沈んでから結構な時間が経過したにも関わらず西の空は暗くならず、むしろ明るさが増したかのよう。特質すべきは、黄昏色に染まりつつ、様々な形状をした雲(うろこ雲だったり、まるで乳液の様な質感の雲だったり)が重層的に影響し合って西の空に巨大な芸術空間として映し出されたところ。この後この作品は、時間の経過とともに夜の闇に消えていきました。数分間の出来事でした。
田んぼは季節によって全く違う表情を見せますが、これは時間にも当てはまります。朝日の光を浴びて、穏やかな風に植えたばかりの苗が静かに揺れる風景に清々しさを感じますが、黄昏時はまた一味違います。写真手前と奥の田んぼは、田植えが終わったばかりのもので、苗が黒とオレンジの影絵のよう。中央は田植え前の水張田で、まるで磨き上げられた鏡のよう。夕景は、普段とは異なった色で辺りを彩ります。季節や時間の変化を注意深く観察すると、これまで見落としていた印象的な風景がすぐ目の前にあること気づきます。
田んぼには様々な表情があります。田植えをした時期にもよりますが、この時期田んぼは、たくさんの水が引き込まれ、1年の中で最も水で溢れている状態です。これを水張田(みはりだ)といい俳句の季語になっています。水張田が素敵なのは周りの様々な里山の風景、天気によっては雲や空を映すところ。5月とは、天にも地にも、空がある月。日本の誇るべき原風景。この時期、限られた僅かな期間ですが、この瑞々しい風景を、日本のいたるところで見ることが出来る幸運に感謝です。いちはら水田物語、始まりです。
少し前の写真となりますが、村田川沿いで行われた素敵なイベントの紹介です。市原市瀬又の交差点の北にある新瀬又橋から下流の君見川橋までおよそ400mに渡って飾られた約120匹の鯉のぼり。子ども達が健やかに成長しますようにという願いを込めて、地元の「瀬又清流会」のみなさんが毎年準備してくれます。4月上旬から5月上旬までの1ヶ月間、村田川の上を鯉のぼりが元気に泳ぎ続けます。新緑に囲まれて鯉のぼりのカラフルな色合いが水面に映る時、あたかも本物の鯉が水面下を優雅に泳いでいるかのよう!
「ある朝、ふと自宅の窓からいつもの生態観測を始めた直後、一羽の野鳥を見つけました。無造作に刺さったポールの上で、左右を忙しなく見渡す小鳥にカメラを向け、シャッターボタンを押しました。その姿は百舌鳥に見えました、若い個体なのか色が淡く幼く思えました。その後百舌鳥は標的を見つけたのか、鋭い目つきで草むらに飛び込んでいき姿を消しました」。市内に住む高校生の言葉です。私たちの日常は、よく見ればフレッシュな出会いと感動に満ちている。それを掴めるかどうか。そのことを教えてもらった気がします。
春のクライマックスは何かと問われれば、多くの人が満開の桜と答えるでしょう。事実、葉桜になった瞬間、これが同じ木に対する態度かと思うほどの、視界に入っても見向きもしない薄情な自分がいます。しかし忘れることなかれ。春が比類なき生命力を爆発させるのはこの先です。今度は花ではありません。新緑です。黄緑色。雑木林で里山で、遠くの山で、黄緑色がまるでその部分だけ浮き上がるがごとく、燦然と輝きます。証明はできませんが、人を後押しするような目に見えない何かが、心に届いている気がするのです。
村田川の源流は市原市金剛地周辺とされています。そこから流をたどっていくと、隣接する千葉市板倉町→大椎町→大木戸町→越知町。越知町で大きく向きを変え、再び市原市に入ります。瀬又→押沼→馬場→潤井戸→草刈→菊間→古市場。ここから千葉市と市原市の境界線に沿って流れ、東京湾へと向かいます。おそよ20キロの市原と千葉を巡る旅路。川沿いには四季折々の風景が。写真は潤井戸・草刈周辺の村田川。偶然見つけた風景ですが、村田川に沿って桜並木が永遠に続いていくかのよう!心が満たされました。
小湊鉄道里見駅から歩いて5分、線路を横切り水を張った田んぼの脇を歩き、急勾配の坂を登ると、地域を見渡すように立つ桜の大木が見えてきます。与市郎桜です。資料によるとこの桜の木は山桜と大島桜の種間雑種で、幹周り2.7メートル樹齢推定100年以上の一本桜。桜並木の壮観さも見事ですが、この一本桜の凛とした佇まいには心を打たれます。100年以上もの間、この木はこうして高台に立ち、幾多の風雨を凌ぎ、地域の人々の日々の喜びや悲しみに寄り添い、時代の変遷を静かに見守ってきたのだと思います。
「草木染めで薄いピンク色を出すのに、何を使うと思いますか?」草木染をやっている方にそう聞かれ、確信を持って桜の花びらと答えました。草木染めとは植物や野菜、果実などを原料とした伝統的な染色方法です。答えは少し違いました。桜は桜なのですが、花びらではなかった。花が咲く前の、桜の樹皮や枝。つまり、桜の木は、花を咲かせる直前、あの薄いピンク色をこの世に生み出すため、根から枝先まで、木全体が薄いピンク色を帯びるのです。あの圧倒的な美を生み出すため毎年この時期、桜は全身全霊を賭けるのです。
桜の開花こそ遅れていますが、咲いている花の種類の多さが春の訪れを教えてくれているかのよう。特に町のあちこちで菜の花を見るたびに、気持ちが明るくなります。写真は米沢の森ひだまり広場の菜の花畑。うぐいすラインからは黄色がちらっと見えるだけなのですが、坂を登ると斜面を埋め尽くすように咲く菜の花が眼前に。美しさに言葉を失いました。米沢の森にはハイキングコースがあり、ひだまり広場を含め、地域の方々がこの森を守っています。一面に咲く菜の花一本一本に、地域の方々の想いが込められています。
3月22日金曜日、生浜高校居場所カフェが開かれました。多くの生徒が今年度最後のカフェを満喫していました。山あり谷ありの1年間だったと思います。1年間、お疲れ様でした。最後にお知らせです。以前みなさんから募集したカフェ名を6つ抽出し、カフェ名の決選投票が行われました。「しほたCafe」と「みんなのカフェ」の一騎打ちとなりましたが、僅差で「しほたCafe」に決定!「しほた」とは、生浜高校がある塩田町の塩田を、歴史的仮名遣いで読んだものです。しほたCafe、今後ともどうぞよろしくお願いします。
先週金曜日の夜のニュース番組で、14日にこのコーナーでもお伝えした、市原市石神にある菜の花畑が紹介されていました。菜の花はいったん咲いてしまえば変わらないと思っていたのですが間違いなく黄色の深さときらびやかさは増しています。小湊鐵道の駅周辺には、地域の方々が育てた多くの菜の花が咲いています。写真は上総久保駅前の菜の花畑。ご覧の通り一面目映いばかりの黄色の絨毯。圧倒されます。この写真右上は大銀杏。秋になると黄色の主役は、菜の花から大銀杏に。自然界の壮大な黄色のバトンリレーです。
市原市石神の菜の花畑を見下ろすところに立つ2本の河津桜。菜の花とともに春色の競演となっているのですが、実はこの河津桜に近づいてみると、もうひとつのの春の使者がそこに。これがその写真。残念ながら鳥には詳しくなく推測するしかないのですが、美しいうぐいす色!それこそウグイスかと思いましたが鳴き声が違います。よく見ると目の周りが白い!文字通り、メジロだと思います。この鳥が木の至る所に現れては消え、消えては現れる!この幸福感をどう表現しよう?桜の蜜を啄みながら飛び回る姿はまさに春爛漫!
冬と春のせめぎ合いが続いていますが、もう間もなく決着が付く模様。春は黄色とともにやって来る。そのことを示すかのように、千葉県を代表する花である菜の花がいよいよ本格的に咲き始めました。写真は菜の花の名所のひとつ、市原市石神にある菜の花畑。一面の黄色に河津桜の濃いピンク、そして空の青とのコラボ。この脇を通る小湊鐵道の朱色と肌色の優しさ。漂う菜の花のほのかな香り。飛び回る小鳥たちの鳴き声。優しく肌をなでる春風。五感がほどよく刺激され、自然の包容力に包まれて、身も心も癒やされます。
いっぽ農園で咲くノースポールも、陽がかげる夕方以降や朝から雨が降り続く日は、花が咲き切らずに、花びらを閉じます。自然界では、陽の光が活動のスイッチになっていて、いきものに大きな影響を与えています。人間もそうです。朝の時間帯に陽の光を浴びることで、脳内物質セロトニンの分泌が盛んになります。この物質は心を安定させ、幸せを感じやすくします。睡眠時間を充分とることと、一定時間朝日を浴びることで、気分のいい一日を過ごせる確率が高まります。自然の摂理を上手に使うことで、幸福感を増やせます。
宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」が英国アカデミー賞のアニメ映画賞を受賞しました。日本での評価は賛否両論でしたが、様々な見方が出来る奥行きのある作品だと思います。英語版のタイトルは「The
Boy and the Heron」で、直訳すれば「少年とアオサギ」。Heronとはアオサギのことです。アオサギは主人公の真人を異空間に導く大切な役割を果たしています。そしてそのアオサギを市原市農業センターで撮りました。下の方で丸まって休む2羽もアオサギ。この日出会ったアオサギも、映画同様ミステリアスでした。
春がどの辺までやってきているのかを知る目安になるのが梅です。温かくなるにつれて街のいたるところで梅の花を見るようになりました。桜と違い梅の花は、風景に溶け込むように慎ましく咲くので、桜程目立たないのですが、逆にその慎ましいところが魅力です。今咲いているのはほとんど白梅か紅梅ですが、実はもう一種類あります。ロウバイです。正式には種が違うそうなのですが形が梅そのもの。先日、運良くそのロウバイに出会えました。黄色い花びらの清楚さに加え、近づくと甘く優しい香りが漂い、心が安らぎます。
駐車場から事務所に向かう途中、ふと足元に何かを見た気がしました。立ち止まってよく見ると地面から数センチのところで、1cm四方の一輪の花がこちらを見上げていました。踏みつぶすところでした。良く出会えたなあと思い、カメラを地上5センチ辺りにセットして撮りました。そこで気づいたのですが、地面すれすれの世界は、未知の領域でした。この花の住む世界のことが少しわかった気がします。同じ風景でも視座を変えると見え方が違う!色々な高さから、色々な角度からものごとを眺めると、世界が輝き出します!
雪景色を見て思ったふたつのこと。子どもの頃雪が降るとわくわくしたのは、見慣れた町並みが知らないどこかに変わるから。たった数時間で日常を一気に非日常に染め替える雪空の奇跡を、心を躍らせて見上げました。そして今、能登半島の避難所で、十分に睡眠が取れないまま、お風呂に入れないまま、愛する家族を失った事実を受け止めることが出来ないまま、被災者が見上げる雪空はどうか、寒さと悲しみだけでなく、ほんの僅かでもいいから希望のかけらを映し出してほしい。そう願うばかりです。(写真はイメージ)
いっぽ農園で今花を咲かせている白い花、形からしてマーガレットだと思ったのですが、調べてみるとマーガレットの咲く時期は3月から6月で時期がずれている。とするとこの花は?マーガレットと似ている花として挙げられていたのが「寒白菊」別名「ノースポール」。確認したところやはりノースポールでした。気が付かなければそのまま通り過ぎてしまう、些細な日常の一瞬ですが知ってるつもりって多いですね。こうした小さな気付きに出会う毎、自分が住む世界のパズルのワンピースが埋まっていく感じがします。
輪島塗は、石川県輪島市で作られる漆器(しっき)です。漆器は、うるし(うるしという木の樹液)を木や紙に塗り重ねて作る工芸品です。「輪島地の子」という地元の土をうるしに混ぜて下地塗りに使い、おわんやおぼん、重箱など様々な製品が生み出されます。丈夫で使いやすいうえに品があり美しい。高い日常性と深い芸術性を兼ね備えた伝統文化の逸品です。艶やかな手触りや華やかさは、熟練の技を結集し、120以上の工程を経て初めて完成に至ります。漆器を英語でjapanといいます。文字通り日本の誇りです。
未だに復旧のめどが立たない被災地のニュース映像が毎日のように流れます。今年はこのまま暖冬で終わってくれと願わないではいられません。いや、正確には、春はすでに動き出しています。12月の後半、昼の長さが夜の長さを上回りました。春に咲く花のスイッチはすでに入りました。白梅が咲き始めています。菜の花とミツバチの春の黄金コンビも登場しました。寒い日はこれからも訪れるでしょう。しかし、徐々に輝きを増す日の光が、確実に冬の閉塞感を凌駕していきます。きっと勇気と元気を与えてくれるはずです。
新年最初の生浜居場所カフェ、卒業予定の生徒の皆さんはこれが最後のカフェになります。みんなに一言感想を書いてもらいました。・色々な人と話せて楽しかったです!(4年生)
・ありがとうございました!みなさん温かい人ばかりで楽しかったです!(2年生) ・大学生が名前を覚えてくれていて嬉しかった!(3年生 ) ・いつもすごく楽しいです!また絶対来ます!(1年生
) ・だいぶ学校に慣れたよ!(3年生 ) ・たまにはアナログゲームが楽しいー!(3年生 ) ・生浜最後。そして最後の居場所カフェ。最&高だぜ!!(3年生
) ・お米がありがたい。(2年生)・毎回いつも 楽しい!卒業したくないくらい!卒業してもまた来ます!(4年生)
・大学生と話すことができ、落ち着き安らぎをくれました。とても落ち着く場所でした!ありがとう!(3年生 ) ・お米などたくさん役に立つものをもらってほくほくです。スタッフの人の対応が丁寧でとても楽しかったです。(1年生
) ・いつもありがとうございます。回を重ねる毎に、長くいる子や自由に過ごす子が増えて嬉しく思っています。ここで知り合えた方も多いので、長く続いてくれることを祈っています。(4年生)
・とても良い雰囲気で、温かい空間でした。(2年生) ・配ってくださる方々が楽しくお話をしてくれて、休憩場みたいに思っています。ホットクはおいしくて大好きです!(2年生)・最後のカフェも楽しかったです!ありがとう!(3年生
) *以上抜粋
25日朝、通勤途中、子どもの国から山倉ダムに抜ける道を車で走行中、左前方がいつもと違う眩しさに包まれているのに気づきました。至る所で水面から湯気が立ち上り、それが太陽の光を浴びて輝いていました。それはもう神々しい眩しさでした。ナウシカの「金色の野」がまたここに現る!冷たい空気と温かい水との温度差が大きい時に起きる現象で、蒸気霧と言います。この神々しさをうまく写真に収めることが出来ず残念でしたが、でも、心を瑞々しくしておけば、これからもまだ見ぬ奇跡の風景に出会える気がします。
突然目の前に現れた巨大なクリスマスツリーとサンタに、思わずスマホでカシャ!カフェ入口の風景です。大学生8名、町内会7名、地域・子ども食堂ネットワーク10名を筆頭に、関連機関やNPO、県庁、千葉市社協等参加した全スタッフが全身サンタだったり、トナカイのカチューシャだったり、サンタのエプロンを身につけて、お米やお菓子やホットクを配ったり、一緒にゲームをしたり、話したり、楽器を演奏したり。そしてBGMは生徒さんが弾く「戦場のメリークリスマス」!Xmasの多幸感がみなさんに届きますように。
12月の声が聞こえるこの時期としては珍しい穏やかな日差しが差し込む中、生浜高校居場所カフェ、午後2時半開店です。参加生徒数300名に迫る、今年一番の賑わいとなりました。大学生や町内会、地域の子ども食堂、関連機関から集まった大勢のスタッフが生徒のみなさんを迎えました。今回の一押しは、厨房で焼き上げたばかりの韓国屋台スイーツ「ホットク」。熱々の状態での提供です。焼きあがったばかりのホットクを、おいしそうに食べる生徒さんの顔を見るだけで、こちらも幸せな気持ちになりました。
つい先日まで半そでのシャツを着ていたのが嘘のように、肌寒い日が続く11月中旬となりました。日本には四季があり、その季節ごとに旬を迎える果物があります。最近はハウス栽培の技術が進歩し季節を問わず好みの果物が手に入りますがその季節の旬の食べ物には、旬ならではのパワーがあります。冬が旬の果物といえば、りんご、みかん、いちご等が頭に浮かびます。いっぽ農園にも、目立たない場所で、こんなに小さないちごが少しずつですがしっかりと育っていました。寒さの中だからこそ輝く、生命の躍動を感じます。
関係機関の写真に詳しい方からいちはら福祉ネットから歩いて数分の所に市原市の全てが含まれている風景が見えるスポットがあることを教えていただきました。中央付近で大きくカーブする養老川の優雅さ、ススキ野原の中を進む小湊鉄道の趣き、立ち並ぶ工業地帯の煙突の迫力。市原の自然と文化と産業を一度に見ることが出来る場所がここです。そして透き通るような秋晴れのこの日、この風景を祝福するかのように、遥か遠方の富士山が姿を現しました。
日本の秋の風物詩、柿。そう、このオレンジ色の妙。秋空の青にまあ映えること!市内を走るとこのオレンジ色のスポットが現れては消え、消えては現れる。いいなあ日本の秋!小さな幸せがぎゅっと詰まってる。たわわに実るという言い方はこの様子を描くためにあるのかも。柿は奈良時代から愛されてきた果物で、栄養価が高く発ガンを防ぐ効果があるβカロチンやビタミンCが豊富。風邪の予防や二日酔いにもとてもよいのです。どうやらこの先、ようやく秋らしくなり気温が下がる模様。柿の力を借りて、風邪に負けずに。
いっぽ農園の一角に、小さな黄色い花が咲いているので、他のスタッフにその花の名前を聞いたところ「そんな花あったっけ?」と、心当たりがない模様。ということは…雑草?そう、誰が植えたわけでもない雑草でした。しかしそれにしてもこの黄色い小さな花びらの可憐なこと!人の手を借りずに、自力でどこからともなく飛んできて、育つ場所を見つけ根付いて、小さいけれどこんな可憐な花を咲かせる逞しさといったら!雑草ならではの自由奔放さと明るさを纏い、無心で咲く花の姿に、元気をもらった気がします。
ハロウィーンの起源はヨーロッパのケルト民族の収穫祭。豊かな収穫に対して感謝の意を伝えます。いっぽ農園のゴーヤも、お陰様で無事収穫終了。優しい黄色の花で私達の心を和ませ、蔓の成長の驚異的なスピード感で私達を驚かせ、夏はカーテンとなって猛暑を防ぎ、最後においしい実を提供。感謝しかありません。と思いきや、秋空広がる10月後半、ここにきて新たにゴーヤの実が見つかりました。ゴーヤはまだ終わっていなかった!葉や蔓は枯れかかっているけれど、最後の最後まで命の輝きを放ち続けるのだと思います。
「その者青き衣をまとい金色の野に降り立つべし 失われた大地との絆を結びついに人々を清浄の地にみちびかん」。宮崎駿の初期の傑作「風の谷のナウシカ」のクライマックスで、大ババ様がこの言葉を発する時、もう10回以上見ているはずなのになぜか号泣してしまうのですが、ここで言う金色の野に近い風景を、秋の夕暮れ時に見ることができます。太陽が地平線に沈みかかった時、地表のある部分が一斉に輝き始めます。ススキ野原です。秋の斜光に、唯一ススキだけが光を受け、光の帯となって浮き上がるがごとく輝きます。
秋桜という名称が示すとおり、秋の花の代名詞のひとつであるコスモス。意外にも外来種で、明治10年頃にメキシコから渡来、名前の由来はギリシャ語のkosmosで「調和」「秩序」等を意味します。宇宙を意味する英語のcosmosと同じ語源ですね。ピンクを基調にしたかわいらしい花びら、線のように細い葉とすっくと伸びる細長い茎は一見ひ弱そうですが、吹き荒れる台風の風雨をかわしていく強さも兼ね備えています。細いがゆえによくしなる、柔らかさとしなやかさこそ、コスモス流の強さなのでしょう。
これはできる。これはできない。行動をするとき、私たちの脳はこれまでの経験や知識を結びつけ、実現可能かどうかを判断します。そしてその判断によって可能性が可能性のまま日の目を見ないで終わることも少なくありません。しかしここで注目すべきは、私たちの経験と知識は思ったより限られているので、本当にできるかできないかは実際にやってみないと分からないということ。知恵を最大限に活用し諦めずに進めば、この花のように、アスファルトのわずかな隙間から芽を出し花を咲かせることができるのです。
ここ数年夏と冬が長くなり、夏が終わったらいつの間にか冬の入口に立っている。え?まだ早くない?って思う。残念です。しんみりと深まっていく秋の情緒は何ものにも替え難い。うっかりすると見落としてしまいそう。だからこそ感性を研ぎ澄ませて季節の気配を体中で感じ取れたらと思います。例えばこのうろこ雲、大空の30%を埋めつくすがごとく風に流れて広がっていく。背景の空も青というよりは藍に近づく透明感。このスケール感は身の回りの世界とは桁違いだなあ、そう思うだけで視野が広がり、気が晴れます。
9月下旬だというのに連日気温が気温が30度を越え、季節を気温の変化でとらえ開花する花はさぞかし混乱しているだろうと思いきや、金剛地にある熊野神社の参道に咲く彼岸花に、迷いはありませんでした。彼岸花は別名曼珠沙華(まんじゅしゃげ)といい「天上に咲く花」を意味するサンスクリット語の音写です。鳥居から本社までの約200m、およそこの世のものとは思えない幽玄な世界を進みます。この時、何故だか、これまで送ってきた自分の人生を辿り直しているような自分を見つめる静かで深い時間となりました。
9月20日水曜日、千葉県立生浜高校で居場所カフェが開かれました。9月後半にもかかわらず食堂は気温が30度を超え、しかも無風状態、不快指数が非常に高かったにもかかわらず、大勢の生徒が参加してくれました。今回のテーマは「お月見」。カフェギャラリーでは、生徒の撮影した月の写真が展示され、ツイート&タペストリーのコーナーでは、月の形のカードにつぶやきを書き込みました。生楽器の演奏がBGMとして流れる中、今回は食品が充実!フローズンゼリーに加え無洗米、シャトレーゼのお菓子も勢揃い!
いちはらの水田物語、最終回は、はざ架けと呼ばれる刈り取った稲を天日干しにする作業の風景です。稲を天日干しにし、1〜2週間かけて乾燥させていきます。ゆっくりと乾燥が進むので、ひび割れや痛みのないお米ができあがります。コンバインが使えないこと、乾燥機の性能が上がってきたこと等により、この昔ながらの風景を見る機会は残念ながら減少しましたが、最近そのよさが見直されつつあります。そしてこの風景こそ、いちはら水田物語の最後を閉めくくる、懐かしさ溢れる、日本の代表的な原風景なのだと思います。
季節によって色とりどりに変化する水田の魅力をお伝えしてきた「いちはら水田物語」、終章に入りました。収穫の風景にはしみじみとした幸福感が漂います。おそらく何千年もの間、黄金色に輝く稲穂の大地を前に、人は心からの感謝の気持ちを込めて収穫に向かったのでしょう。この感謝の気持ちが日常生活へと染みこんでいくのだと思います。そしてこの幸福な風景に、どうして小湊鐵道はこうも馴染むのか。この肌色と朱色という暖色の組合せ、小湊鐵道はいちはらの何気ない風景に、ほどよい彩りと味わいを与えてくれます。
季節によって色とりどりに変化する水田の魅力をお伝えしてきた「いちはら水田物語」、終章に入りました。収穫の風景にはしみじみとした幸福感が漂います。おそらく何千年もの間、黄金色に輝く稲穂の大地を前に、人は心からの感謝の気持ちを込めて収穫に向かったのでしょう。この感謝の気持ちが日常生活へと染みこんでいくのだと思います。そしてこの幸福な風景に、どうして小湊鐵道はこうも馴染むのか。この肌色と朱色という暖色の組合せ、小湊鐵道はいちはらの何気ない風景に、ほどよい彩りと味わいを与えてくれます。
この鮮やかなオレンジ色のゴーヤを見たとき、緑、白以外にも、こんなに美しい色のゴーヤがあるんだと驚きました。さらにこれが熟したゴーヤであるとを聞いて、再度びっくりしました。おまけに種が赤い果肉におおわれていて、中にたくさん詰まっている。これまで野菜売り場に並ぶゴーヤを買っていましたが、その先のゴーヤがどうなるかを考えたことがありませんでした。全身オレンジ色を纏い、たくさんの種を抱き、次の世代に命をバトンタッチしていく。このゴーヤの物語を最終回まできちんと見届けようと思います。
「史跡上総国分寺跡の北東約700mにある、今から1250年ほど 前に建立された寺院です。寺域は約12.3万uにおよび、全国につくられた尼寺跡の中でも最大規模を誇ります。」いちはら文化財ガイド「歴史の旅人」より。現在は、寺院の一部が復元され、一角にある展示館では、当時の姿を再現したジオラマや映像、発掘資料等が無料で閲覧できます。希望者には、ミュージアムコンダクターが丁寧に史跡について説明してくれます。この場にしばし佇むと、この青空が、1250年前の青空に繋がっているように思えてきました。
「国分寺は天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国60余国に建立された国立寺院で、各地方における仏教や文化の中心となりました。上総国分寺の寺域はおよそ13.9万uに及び、全国でも最大級の規模を誇ります。」いちはら文化財ガイド「歴史の旅人」より。市原市が上総国の政治・文化の中心地であったことを示す歴史的遺産です。現在は医王山清浄院国分寺がその法燈を伝えており、写真は境内奥にある薬師堂附厨子。市原市指定文化財になっています。この藁葺き屋根の美しさは、否が応でも歴史のロマンを喚起させます。
水を張ってまだ稲の苗を植えていない田んぼのことを水張田(みはりだ)といいます。水張田から始まって数ヶ月、稲の生長の物語はついに大団円を迎えます。早い時期に田植えが行われたところは黄金色、そうでないところは黄緑色。この時期の田んぼを高いところからやや逆光気味で撮ると、まるで命の色で輝くパッチワークのよう!ひとつ心配なのは、台風7号の接近。育ってきた稲のためにも、育ててきた人達のためにも、そしてこの風景に心を癒やされている人達のためにも、台風が逸れていくことを願って止みません。
最近赤と白に塗られた新しい鉄塔を見かけることが多くなりました。辿ってみると工業地帯から五井緑道の上を通り、ゼットエー武道場脇、能満霊園脇を通過し荻作にある変電所に向かいます。送電線には線路のように「〜線」という名前がついていて、各鉄塔には番号が振られています。ここに得も言われぬロマンを感じ、無性に辿ってみたくなる。そう思った少年達を描いた作品が「鉄塔武蔵野線」。小学生2人が、深刻な家族の問題と向き合いながら、第1号鉄塔を目指す中で、多くのことを学んでいきます。考えさせられます。
初代武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)は江戸時代後期に活躍した長狭打墨(鴨川市)の彫師で、別名「波の伊八」と呼ばれ、波を彫ったら関東一とうたわれた人物です。(市原市教育委員会の資料より)。市原市飯給にある曹洞宗の古刹、真高寺の山門は市原市の指定文化財になっており、自然に囲まれた静寂の中で凜と佇む姿は圧巻。その山門に、波の伊八の作品が彫られています。写真は山門背面中央にある「黄案仙人○」。ほかにも、力士、一角獣等を描いた作品も多数。自然と歴史と文化の総合芸術のよう!
無理に食べさせられた記憶のせいかもしれませんが、野菜売り場に並ぶあらゆる野菜の中で、ピーマンほど、圧倒的な緑色の圧力をかけてくる野菜はないと思います。しかしそんなピーマンも、幼少期はこんなにかわいい小僧ピーマンだった!そこからもう一度捉え直すと、印象が変わってきます。白い小さな花から始まり、小僧ピーマンを経由し堂々とした大人に成長するストーリー。点ではなく線で、今見えているものではなく時間や歴史の流れの中で捉えると、違った面が見えてきます。そしてそれは大概いい方向に作用します。
野菜売り場に並ぶ野菜を見て、大概の野菜はそれが何であるか分かります。しかしこれらの野菜が普段畑でどんな花を咲かせているのか、全く分かっていなかったことに、この花は気づかせてくれました。ゴーヤや茄子の花の美しさも格別ですが、今朝いっぽ農園で撮ったこの花の優雅な佇まい、さらにその裏に見えるのがどう考えてもオクラであるという事実に、驚きを隠せません。生き物には様々な側面があり、それらを丸ごと把握して初めて、その生き物の全体像と本質が分かるのだということを、オクラから教わりました。
今日のいっぽ農園の収穫はミニトマト、ピーマン、茄子、そしてゴーヤ。この採れたての野菜を見ていたら、となりのトトロで、畑で野菜を食べながら交わされる、サツキとおばあちゃんの会話を思い出しました。「おいしい!」「そうかい?おてんとうさま、いっぱい浴びてっから、体にもいいんだぁ!」「お母さんの病気にも?」「もちろんさ。ばあちゃんの畑のもの食べりゃ、すぐ元気になっちゃう」。人が人に対して抱く純粋な想いに溢れるこの映画、愛情を込めて作られた野菜は、込められた分の愛情を食べる人に届けます。
7月20日木曜日、千葉県立生浜高校で居場所カフェが開かれました。今回のカフェには千葉大学生が10数名参加、生徒と一緒にゲームをしたり、雑談をしたり、進路について話したり。ツイートタペストリーのコーナーでは生徒の生のつぶやきを丁寧に拾い、ストリートピアノコーナーでは若い芸術家の演奏が絶え間なく続き、フードパントリーのコーナーでは、好みのお菓子やジュースを手にした生徒のみなさんの嬉しそうな顔が!17時ゆずの夏色をみんなで歌うという、まるでサマーフェスのような開放感で幕を閉じました。
その昔、初めて外国に行った時、「こんな美しい風景見たことない!」と伝えると、現地の人が「何を言うんだ。日本には美しい水田があるじゃないか!」と一言。「そうだっけ?」と思い日本に帰ってよく見ると、なんてことだ、驚くほど美しい!それ以来季節毎に変化する田んぼの風景を追うようになりました。5月、まだ苗を植えて間もない水田は、五月晴れの空と雲を映します。7月、青々とした緑の絨毯が風にたなびきます。この時期の田んぼを少し高いところから見ると、あたかも柔らかいビロードのような質感!
ゴーヤ、トマト、ピーマン、唐辛子、ナス、トウモロコシ等…。いっぽ農園の野菜の収穫が始まりました。この日の収穫は青々としたピーマンに赤と黄色のプチトマト。改めて思うのですが、採れたての野菜は、観賞用の花の美しさとはひと味違った、はっと息をのむような、生命感溢れる彩りを帯びます。この生命感は人の心に力を与えます。丹精込めて育てた野菜が、幾多の風雨をしのぎ、すくすくと育ち、やがて実がなる。それを感謝の気持ちを込めていただく。この時感じる気持ちを「幸せ」と言うのでしょう。
ゴーヤの成長速度の速さは世に知られるところですが、さすがにその場で見た目の変化に気付くことはありません。そう思いながら、あわただしく日々は過ぎ去っていきましたが、ふと気付くといつの間にか、何やら事務所の窓の外にこんもりした緑の影が。すでにあと少しで屋根に届きそうな勢いの、ゴーヤの爆発的成長ぶりを垣間見ることとなりました。変化に気付かないほどの小さな一歩でも、焦らにず丁寧に、回数を積み重ねることにより、驚くほどの距離を進むことができる。ゴーヤがそのことを教えてくれました。
科学技術が進歩して、季節を問わずおいしいものが手に入り、きれいな花を見ることが出来る時代になりました。しかしこれはさみしくもあります。その季節でしか味わえないからこそ、1年待ってようやく出会えた時、待った分だけ喜びが増すのです。6月の花菖蒲。3枚の花びらの組み合わせによる構築感、色の配置等、自然界が作り出す芸術作品の完成度の高さには驚かされます。中央付近の、まるで小筆でさっと描いたような黄色の模様の小粋さに言葉を失います。市原市柿木台、クオードの森にて撮影。
中核の「相談に来るものは誰も拒まない」というポリシーが世に浸透しているからなのか、いろいろな方がお見えになります。今日のお客様は甲羅の重さや質感で車に乗っている感じだったのでしょう、いったん駐車場に来てから、こちらに向かっていました。写真を近くで取りすぎて怪獣のように見えてしまって申し訳ないのですが、とても愛嬌のある表情をされています。うまく話は聞けなかったのですが、もしかしたら、こう言っていたのかもしれません。「大丈夫。なんとかなる。一歩一歩、歩いていけばいい。」
中核の事務所の窓から、成長するゴーヤが見えます。植物を眺めているとき、心と体が自然界と同期します。人は、社会の一員であると同時に、自然の一部でもあります。自然の一部であるという感覚が、社会的な関係性で傷つき疲れた心や体を癒やします。梅雨や台風が来ればその雨粒を体中で吸収し、つかの間の日差しが差し込めばそれを浴びて光合成を行う。ゴーヤはそうして上へ上へとつるを伸ばします。ゴーヤの成長をこのコーナーで随時お伝えします。ゴーヤの花の黄色、濃すぎず薄すぎず、見ているだけでほっとします。
6月に入り、梅雨の気配が漂う今日この頃。ゴールデンウィークも終わり、同じような日常が続いて面白くないと思うかもしれません。しかし今日、昨日と同じものは何ひとつありません。意識して見てみると、日常生活のいたるところで大小さまざまな、はっとするような変化に気付きます。変化に気付くだけで、日常は驚きと感動に満ちた未知の世界に早変わり。写真は近くにある山倉ダムの夕景。天気と時間の組み合わせで、見たことのないような静寂と神秘に包まれた風景が目前に。一瞬ここがどこか分からなくなりました。
雨が終日降り続く一日となりました。朝から雨が降ると気分が沈みますが、実は雨の日も捨てたもんじゃない。まず、雨が降ると副交感神経が優位に立つので気持ちが落ち着きます。雨音を聞くと傷をそっと包んでもらっているような気になります。何より体の約60%は水分で、それが私達の命を支えています。生物にとって雨は天からの恵みです。私達はそのことを忘れがちですが、植物は覚えています。雨が降ることがどのくらい嬉しいことなのか。雨の中で深呼吸しているかのような、いっぽ農園の茄子の花を撮りました。
事務所の右側に、色とりどりの花が咲き、小さな野菜が実り始めた一角があります。「いっぽファーム」と呼ばれるミニ農園です。2階「いちはら生活相談サポートセンター」のスタッフと就労準備支援事業の利用者さんを中心に、「いちはら福祉ネット」のスタッフも協力して営まれています。毎日多くの方が訪れる事務所ですが、この日、春らしいオレンジの衣を纏った小さな来訪者が予約なしで農園を訪れ、花から花へと優しくタッチして、蜜を受け取り花粉を運び、命のバトンを繋いでいきました。
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