或る仕事人の独白 2



メインストリートの、石畳の歩道を走る。

「このあたりの監視カメラの死角は」

今の世の中、ある程度の規模の都市なら、そこかしこに監視カメラが設置されている。人口530万人の都市に、176万基の監視カメラ――『治安の為』という名目だが、どこへ行っても監視カメラに、それと知らずに映っているという状況は、まさに“監視”されていることに等しい。――それが、薄気味悪くないのか。
しかも最近は、裏通りにまで設置が進んでいる。表通りより裏通りの方が治安が悪いから、当然かもしれないが、私の職業上、邪魔だ。

『次の角を左に曲がり、3m行った地点が7秒後に死角になる』

次の角まで、20m。
ナビの指示に従うため、私は走るスピードを少し緩めた。このままでは、早すぎる。
7秒後に、不自然ではない動きで、カメラの死角に入るためには。
角を曲がり。
ナビのカウントに歩幅を合わせる。

『3』

そのまま前へ。視線だけで、街頭に設置された監視カメラを確認する。
カメラのレンズは、ゆっくりと設定されたスピードで首を振る。

『2』

時計を確認するふりをして、足を止める。建造物の高さ、路面上の者の配置は、把握した。

『1』

私は地面に膝をついた。靴ひもを直すように、右足を前に出し。
その右足に、重心を置く。
スタート直前の短距離走者のように、体中の筋肉をたわめ――――。

『0』

ナビの声に合わせ、私は自分の筋肉を開放する。
伸びきった筋肉はその瞬発力で直進し、壁を蹴り、入射角と同じ角度で進行方向を変え。
その先には、監視カメラ付きの街灯があり。
そのポールに両手をかけると一回転し、遠心力を利用して体を上空に飛ばす。街灯の、ほぼ真上に。
着地は、街頭のランプシェードの真上だ。
少しバランスを崩しかけたのはご愛嬌だ。デザインは前時代的な街頭のランプシェードは、ほぼ三角錐だったのだ。着地しづらいったらありゃしない。
さて。
さすがの監視カメラも、『真上』は完全に死角だ。ここからなら、『普通』に動ける。
次の街灯まで、6m。助走なしのジャンプで移動する。移動しながら、周囲を見渡し、適当な移動地点を探す。あと50mも進めば、また、大通りにぶつかる。その前に、もっと上へ。
今の高さとしては、せいぜい5m。あいつの部屋に行くには、まだまだ足りない。
それにしても、と私は一人ごちた。
『あいつ』が死ぬとはね。
まあ、外見だけなら、いつくたばってもおかしくはない姿だったが。
私が、『光熱斗』という少年を『観察』する原因。
名は、バレル。アメロッパ軍について、多少なりともデータを漁ったことのある人間なら、知らない者はいない、『アメロッパの英雄』。
『不死身のバレル』――――その通り名の方が、有名かもしれない。


さっきのメールは、そのバレルが死亡したことを告げたものだった。


元々私は、『闇の仕事人』という非合法な依頼を受ける職業だった。が、ある事情で自主廃業し、姿をくらませてから数年後、名前を変えてそれなりに平穏に暮らしていた私の元に、1通の脅迫メールが届いた。
――――普通の場合だったら、無視する。そのまま、逃げる。
けれど、そのメールには、どうしても無視出来ない文言があったので、仕方なく私は従った。
今でも思う。
元とはいえ闇の仕事人を自宅に呼ぶな、と。
おかげで、私は自分を脅迫した人間の素性をすぐに知ることになったのだが――正直、私は驚いた。そして帰りたくなった。
バレルの住居は、あからさまに監視体制が取られていたからだ。
まあ、住所からも、相手が軍関係者、しかも結構なエライさんとは踏んでいた。が、しかし、あの警備態勢――というか、監視態勢は異常だった。
少々古めかしい高層マンションの上部ワンフロアを丸ごと借り切ってやつは住居にしていたが、そこは、警備の人間が常駐し、監視カメラが廊下にもエレベーター前にも設置されていた。
ああ、まさにあれは、警備ではなく、監視だった。
それでも、どうにか現実世界でも、電脳世界でも監視の“目”をごまかして――そのあたりも、私のウデを確認するためだったのだろうが――やつの部屋に忍び込み。

「時間通りだな」

窓際の席に座り待っていたやつは、そう言った。
年齢は、どう見ても70を越えていた。広い肩幅や、体つきが、若い時の鍛錬された肉体をたやすく彷彿とさせるとはいえ、老人だった。
だが、私は知っていた。書類上、彼はまだ、40代もそこそこだということを。
しかし顔の皮膚のツヤも、肉のたるみも、何もかもが、この男の肉体自体は、70を越えていることを教えていた。
その中で、瞳だけが年齢相応の強さを――いや、並大抵の人間が持ち得ないほどの“意志の力”を――湛えていた。

「元・闇の仕事人、ハイバラ。君に、たっての依頼があるのだが」

そうしてやつが口にしたが、『光熱斗の観察』という奇妙な依頼だった。
光熱斗の日々の生活を、つぶさに観察し、その様子を指定の期日にバレルに報告する――その内容に、私は内心首をかしげた。光祐一郎ではなく、その子供の光熱斗を重要視するその内容に。
光祐一郎博士なら、わかる。当代一のネットナビ関連の研究者だ。何といっても、ネットナビに人格を与えたのは、彼だ。彼もまた、重要人物ゆえに、ニホンの警備対象になっているはずだ。何か――光博士に関する情報を手にするために、搦め手で光熱斗に注目したのかとも思ったが、すぐにその考えを振り落とす。
そんなことに、意味はない。多忙な光博士のこと、子供から仕入れられる情報など、たかが知れている。ローリスクかもしれないが、ローリターンだ。
とすると――――――。
闇の仕事人として染みついた思考から、問う。

「光熱斗を誘拐する算段か」

博士本人に手が出せないのなら、子供を攫い、こちらの欲求を突きつける――昔からよくあるテだ。よく、ある。

「……いや、それも違う、な」

もしそうだとしたら、『私』に依頼する理由がない。
一応、バレルはまだ軍役だ。ならば、使える兵隊が、少なくないはずだ。これが、アメロッパの国益にかなうことならば。特殊部隊の人間が2人もいれば、ニホンの子供の一人ぐらい、簡単に拉致できるだろう。調査も、そうだ。バレルは、その道のプロにツテがあるのだ。そちらを使わないテはないだろう。
元、とはいえ、闇の仕事人を使うまでもない。
―――――まさかなあ、小児性愛者ペドフィリア、じゃあ、ないよなあ……
ある意味、一番イヤな理由に、そんな答えを浮かべた自分自身にゲンナリする。

「君の頭の回転の速さには感嘆するが、理由がいるのかね?」

可笑しそうに、バレルは小さく笑っていた。
彼の言うことは、正しい。闇の仕事人なら、金さえ貰えれば、仕事の内容も、理由も問わない。そう、それが正しい『闇の仕事人』の姿だ。だが私は、闇の仕事人は辞めたのだ――自主廃業だが。だから、あえて、問う。

「あんたの依頼は、その子に危害を加えるためのものか」

正直に相手が答えるとは思えないが、問わずにはいられない。
収集する情報は、大枠としては『光熱斗に関わる情報は、文字情報・映像、問わず』。
それほど詳細に、光熱斗に関する情報を集めるのは……。
それだけでも、下手をしなくても、ストーカーだ。
ついでに、かなり個人的趣味だが、性愛の対象としての収集(あれだ、恋人のことは何でも知りたい、ような、あの一連の欲求だ)として、でも、御免こうむるが。
というか、そんな理由なら、今すぐ殺す。
けれどバレルは、ゆっくりと首を左右に振った。

「……傷つけるつもりは、ない」

それから、それまで一度もそらさなかった私から、視線が外れた。

「ただ、彼が日々どんな風に――健やかに、毎日を過ごしているのか、それを知りたいだけだ」

どこか遠い瞳で、年齢不詳の英雄が呟く。何かを、思い出すように、ここではない、どこかを見る瞳は、ひどく、優しげで。
「…なんだその遠方に住む孫の様子を気にする爺さんのような依頼は」という正直な印象は、喉に上がる前に、私の胸の中で消えた。

「しかし」

再び戻ってきた黒瞳には、一瞬前に浮かんでいた切ない輝きは消え、冷厳なものがとってかわる。

「私の立場上、不用意に彼と接触できないし、また、私が彼に興味を持っていることが知られれば、彼に危害が及ぶ危険性がある。
―――――そう、ハイバラ、君も気付いているだろう。これは、私の『個人的な』依頼だ」