或る仕事人の独白 3
―――――結局、その依頼を受けて、私は光熱斗の日常をバレルに報告することになった。
ただただ、彼の日常を。
彼に、気付かれることなく。
あらゆるところで腑に落ちない依頼だったが、その中でも最たるものは、光熱斗の身を守る必要はなかったことだ。どころか、厳命されたのは、『たとえ、光熱斗に危機が迫ったとしても、手は出さないこと』だった。
そして、今日、バレルが死んだ。
私は、あいつのマンションを目指し、走る。
ビルの壁を駆け上り、屋上から屋上へと跳び移り――――
バレルの、マンションを目指す。
去年になって、新たに加えられた依頼――『バレルが死亡した時は、速やかに光熱斗の資料を媒体を問わず廃棄すること』。
自分と、光熱斗の関わりを、他者に悟られないために。
実際、この5年ほどで、バレルが本気で光熱斗を大切にしていることは、信用できた。
正直、イヤな実感というか、推理と共に、だが。
実は、バレルからの依頼を受ける少し前から、光博士にまつわる、ある噂があった。裏の世界でまことしやかに流れる噂は、
『光博士は、秘密の守護者に護られている』
というものだった。
光博士には、電脳世界からの攻撃は無効であり、現実世界からの攻撃もまた、不可能だというその噂は、それだけを聞けば、ただの与太話だ。
何度も言うが、光祐一郎博士は、ネットナビの第一人者、加えて、現在のネットワーク社会を作り上げた一人、光正博士の息子だ。その知識、発想力、技術を、喉から手が出るほど欲しがる連中は、それこそ世界中に星の数ほどいる。
けれど。
そいつらは、ことごとく失敗した。
だからこその『噂』だが、それが、完全な与太話ではない証拠が、ある。
光博士の研究を盗もうとした、ある組織のトップが、何者かに半殺しにされ、発狂しているのだ。司法の手を逃れるために、入院した病院内で。
もちろん、病院とはいえ、セキュリティはしっかりしている。…まあ、そういう御用達の病院なんだから、当然だが。しかし病院内の、すべての防犯ビデオに、襲撃者の姿はなく。
なのに、そいつは自分の病室で重傷を負い――何を見たのか、何があったのか、完全に狂った。今でも訳の分からないうわ言と、悲鳴をあげながら怯えているそうだ。
――――仮にも、裏社会の組織のトップにいた男が、だ。ちなみにそいつの組織は、入院とほぼ同時に壊滅している。
そのため、裏の世界では――というか、裏の世界であっても、『光博士には手を出すな』が不文律になっていた。
だから、バレルからの依頼を受けた時、私もその『守護者』の洗礼を受けるものだとばかり、思っていた。もし、本当に正体不明の守護者がいるのなら、光博士の子供の周りをウロチョロしている存在を許すとは思えないからだ。
しかし、何ヶ月経っても――年単位の『観察期間』が過ぎても――私にはその兆候はなく。
内心首を捻っていた。
で、だ。
話は変わるが、私は自分用のカスタマイズナビを使用していない。
私が使用するのは、ウラインターネットで暇を持て余しているナビだ。ウラにいる連中は、理由は様々だが、いわば現在のネット社会においてはイレギュラーというか、ぶっちゃけ、ハンパものばかりだ。
闇の仕事人は廃業したとはいえ、さりとてまっとうな仕事ともいえず、限りなくグレーに近いことばかりしている私にとり、そいつらの方が、仕事を頼みやすいからだ。
企業で売られるノーマルナビには、一種のセキュリティがかかっており、犯罪行為には加担できないようになっている。コンピューターにナビを忍ばせ、システムを狂わることは、人や社会に害を与えるから。だったら、とっととそんな機能は外してしまうに限る。
それが、ノーマルナビだ。
ちなみに私がカスタマイズナビを持たないのは、イヤだからだ。その感覚が今の社会では異端であることも自覚しているが、私は、カスタマイズナビなんていらない。どんなに便利だろうが。
だから私は、ウラインターネットのナビと契約を結ぶ。
ところが、だ。
バレルの依頼を受ける頃に組んでいたナビは、ある意味、バカだった。
裏の世界で長生きする秘ケツは、嗅覚が鋭いか否か、だ。
『危険』に関しての。
『知ったら』危ない情報、『口にしたら』危ない情報、『命が』危ない状況――そういったものに対するアンテナを始終張り巡らせ、すり抜けるようでなければ、すぐに死ぬ。ナビなら、デリートだ。
よりによってそいつは、光熱斗とバレルの関係を探ろうとしやがった。
私にも秘密で。
結果、奴はデリートされることになった。
元々色々と怪しい『依頼』だ。下手に探れば『危ない』ことは判っていた筈だ。
私もあいつがそれを匂わせた時に、ちゃんと釘を刺した。『余計なことはするな』と。
それでも奴はバレルと光熱斗の接点を探し続け――消された。
カーネル――バレルの、ナビの、あの軍用に。
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