誤解の招き方 2/4 


 久しぶりに顔を見ると、久しぶりだと思うのは、相手が誰であっても同じらしい。結局は、覚えているかどうかなんだろう。俺は中里のことを覚えていたから久しぶりだと思ったけど、覚えてなかったらそんなことは思いもしなかっただろうし、赤城でそいつを見たところで、気にもしなかったかもしれない。GT−Rは気に食わないが、それはまた別な話だ。つまりこれは俺の話で、気に食わなかろうが何だろうが、久しぶりに会った相手には、久しぶりだと思うってこと。で、実際、言ったりもする。
「久しぶりだな、中里」
 俺にそう言われた中里はそれで、気に食わなさそうに、ああ、とだけ言う。まあ、そんなもんだ。俺たちの間で井戸端会議みたいのが始まったら、そっちの方が怖いと思うから、ああ、とだけしか言われなくても俺は、別に気にはならなかった。気になることといえば、こいつがここに来た理由くらいなものだった。
「お前のアニキに、頼みたいことがあってな」
 俺がそれを聞く前に、言い訳するみたく中里は言った。俺のアニキを俺のアニキ呼ばわりするのもこいつくらいかもしれねえな、と思いつつ、へえ、アニキに、と俺はすぐ横に立っているアニキを見た。アニキは特に興味もなさそうに、中里を見ている。中里がここに来た理由を言ったのは、一応あいさつをした俺に対してで、アニキに対してじゃないから、直接何かを頼まれたわけじゃないアニキは、中里のその頼みとやらを聞き出そうともしない。わざとらしい、他人事な態度。まあ、わざとだろう。俺のアニキ呼ばわりをされたところで、簡単に機嫌を悪くするアニキではない。中里はそんなわざとらしいアニキを見て、わざとらしさには気付かないみたいに、落ち着かなさそうに目を泳がせてから、またアニキを、今度はきちんとしっかり見た。
「高橋涼介。できれば須藤京一の連絡先を、教えてほしいんだが」
 意外な名前が出て、須藤京一?、と俺は声を出していた。相変わらず気にくわなさそうに、ああ、とだけ中里は言う。俺が中里をちょっと見ても、中里はアニキを見るだけで、須藤京一の連絡先を教えてほしいという、その理由は言わなかった。わざとらしいアニキの態度に、ビビッているのかもしれない。それにしても、須藤京一。アニキに勝とうとして、アニキに負けた、アニキの機嫌を良くすることはなくて、悪くすることはたまにある、栃木の走り屋。中里は、そいつのチームの奴にホームでぐっさり負けてるらしいけど、須藤に直接負けたわけじゃないから、須藤の名前が中里の口から出るってことは、やっぱり意外だった。
「他人の連絡先を、当人の了承も得ずに教えることはしかねるな」
 そしてアニキは意外でもなさそうな感じで、中里にそう、冷たく言った。わざとらしい態度に、ちょっと本気が混じってる。おめでとう、中里。須藤の名前を出したとはいえ、自分の計画を途中で邪魔されたり、俺のアニキ呼ばわりされても簡単には悪くしないアニキの機嫌を、お前は悪くしたぞ。アニキは知り合いの前で、自分の機嫌の変化をいちいち見せたりはしない。そういうところの壁は、ちゃんと作っておきたがる人で、自分が傷つかないようにじゃなく、相手を傷つけないように、配慮というやつをする。それをされなかった中里はだから、アニキにとって知り合いよりも上か、かなり下の人間だと思われてるってこと。まあけど、中里は地元じゃ名の知れた走り屋だし、かなり下ということもなさそうで、一応知り合いよりは上なんだろう。だからおめでとう、中里。アニキはお前を知り合いより上だとは思っているぞ。教えてはやらないけど。めんどいし。
「……まあ、そうだよな。そりゃそうだ。俺もいきなり来て、不躾だった。悪かった。謝る。この通りだ。すまん」
 ちょっと機嫌を悪くしたアニキに、実にすまなそうに頭を下げる中里を、アニキはすごく冷たい目で見る。これも、わざとらしい。わざとだろう。もとからアニキは、中里がアニキに何を頼みに来たのかってこと、つまり、どうして須藤京一の連絡先を知りたいのかってことに、興味を持っているはずだ。興味がないなら中里が頼みがあると言った時点で、時間がないから話を聞けないとか何とか、愛想よく断ればいいのに、断らなかったんだから、アニキには最初から、中里の話を聞く気があったんだろう。それで、ちょっと機嫌を悪くしただけじゃありえないくらい、わざとらしく冷たくするのは、まあ、趣味かな。俺もただの興味ならあるから、中里に直接、何で須藤京一の連絡先を知りたいのか、お前を負かした奴とバトルでもしたいのか、ならいろは坂に行けばいいじゃねえか、とか言ってやってもいいんだけど、ちょっと機嫌を悪くしたアニキの趣味を邪魔するのも何なので、なるべく黙っていることにした。中里は頭を上げて、アニキのわざとらしい冷たい目を食らって、また落ち着かない感じで目を泳がせて、咳払いをしてから、だらだらと言った。
「……ただ、こっちとしても何というか、ずっとどうしたもんかと思ってたんだけどよ、やっぱこう知ってる人間に連絡してみて、問題あるなら向こうで処理してもらった方が気楽だし、問題ねえならそれはそれですっきりするし、しかし連絡するったって俺はエンペラーの人間なんざそいつ以外よく知らねえし、そいつが帰ろうとしねえ以上は何やったってお世話焼きで、かと言ってこのまま来られても何つーか、こっちのリズムも崩れるっつーか……」
「エンペラーのどいつが妙義に来てるんだ?」
 何が言いたいのかよく分からない中里の話を、一応理解したらしいアニキが、きっと正確な情報を得るためだろう、質問する。一人でべらべら喋っていた中里は、自分で話をしていたくせに、アニキが話をきちんと聞いていたことに驚いたらしく、しばらく馬鹿面をさらしてから、思い出したみたいに、アニキの質問に答えた。
「ああ、あー、岩城だ。エボ4の」
「お前に妙義で勝ってるドライバーか」
「……ああ」
 アニキから目を逸らし、小さい声で中里が言う。まだその負けを、吹っ切れていないらしい。まあ、あのエボ4には俺に負けた時よりとんでもなくぐっさり負けたらしいし、そんなもんか。そういう相手に地元に来られたら、リズムも崩れるかもしれない。
「って、そいつが妙義に行ってんのか?」
 中里の口から須藤の名前が出ることと同じくらい、意外なことだったので、俺はまた声に出していた。中里がまた気にくわなさそうに俺を見て、渋々といった感じで言う。
「一週間前から来てんだよ。毎日」
「毎日?」
 俺はまたまた、つい言った。地元以外の峠に、一週間毎日行くのは、ありえない話じゃないけど、ありふれた話でもないだろう。つまり、変な話だ。中里はまだ、気に食わなさそうな顔をしている。けど、それは俺を気に食わなく思ってるというよりは、今してる話を気に食わなく思っているという方が、正しそうだった。
「毎晩。どうもいろは坂にも行ってねえのか、もよく分かんねえんだが、向こうは何も言ってきやがらねえし、そこを敢えてどうなってんのかまで、そいつに俺が聞くのも、違うような気がしてな。しかし、もう一週間だ。いい加減、よそのことはよそで、片づけてほしいじゃねえか」
 だから須藤京一か、納得して、俺は言っていた。ああ、と言った中里は、もう気に食わなさそうじゃなかった。
「エンペラーの人間ったら、俺は岩城以外よく知らねえけど、名前だけなら高橋涼介とバトルしてるから、須藤京一ってのは聞いたことがあるからよ。それで、高橋涼介ならそいつの連絡先も知ってるかと思って、教えてもらえねえもんか、頼みに来たんだ」
 それを言い終えた中里は、改まった感じで、アニキを見た。アニキはそんな中里を、まだわざとらしいくらい冷たい顔で、見下ろす。もうアニキの興味ございませんって態度はわざとらしすぎるから、中里もそれがわざとだと分かってもよさそうなものだと思うんだけど、それを分からないのが中里なんだろう。また目を泳がせて、気まずそうに体をもぞもぞ動かして、これからどうしようか、迷って悩んでるみたいだ。この焦る中里を見るのは、なかなか楽しいかもしれない。実際、中里を見下ろしているアニキは、冷たい顔をしてるのに、満足そうだ。アニキも趣味が悪い。ケータイを出すアニキを見て、もう少し遅くてもいいんじゃないかと思った俺の方が、そうか。
「そういうことなら、俺があいつに連絡してやるよ」
 言いながら、アニキはもうボタンを押したケータイを耳に当てていた。目をアニキの顔以外の色んなところに向けていた中里が、アニキの顔を見て、アニキのケータイを見て、変な顔をした時にはもう、アニキは須藤との通話を成立させていた。
「俺だ。岩城清次の件でお前に話をしたいという奴がいるから、今代わる」
 素早く言って、アニキがケータイを中里に差し出す。
「は?」
 また馬鹿面さらした中里に、アニキは無言でケータイを差し出し続ける。五秒くらい経ってから、慌てた感じで中里が、アニキのケータイを手に取って、もしもし、と耳に当てた。俺が須藤だったらアニキの嫌がらせだと思って、電話を切っていたかもしれない。けど須藤は俺じゃないから、電話を切ってはいなかったみたいで、俺たちに背を向けた中里は、堅苦しい声で、ケータイに話し出した。
「ああ、どうも、こんばんは。俺は、中里だ。妙義山で走ってる、GT−Rで……」
 俺は、誰もいない方に軽く頭を下げている中里から、アニキに目をやった。アニキはまだちょっと機嫌悪そうに、けどだいぶ満足そうに、ケータイに話す中里を見ていたけど、俺が見ているのに気付いて、俺を見て、優しい顔になった。
「何だ?」
「いや。優しいよな、アニキ」
 俺だったら、もう少し中里を放置してやったかもしれない。そんな俺の考えを読んだみたいに、手段の差だ、と言って、アニキは口の端っこだけ、小さく上げた。どんな手段だ、と思った時、中里の慌てた声が聞こえたので、俺は中里を見た。
「あ? …………はあ? おい、ちょっと…………」
 ケータイに向かって呼びかけた中里は、この世にはないものを見るみたいにケータイを見て、それからアニキにそれを差し出した。アニキはもう、口をもとに戻していた。
「切れちまった」
「それは何よりだ」
 言いながらアニキはケータイを受け取って、中里はやっぱりこの世にはないものを見るみたいに、アニキを見たけど、アニキが顔色を変えなかったからか、気を取り直した感じで、けどぎこちなく、笑った。
「悪かったな、ありがとよ、高橋。助かったぜ」
「構わねえよ、このくらい。困った時はお互い様だ」
 アニキはそこで、中里が来てから初めて、中里に対して笑った。親切な笑い方だった。多分、中里がここに来た時から、アニキは裏でこんな風に笑っていたんだろうけど、まあそんなこと、中里には一生分からないだろう。アニキはもちろん、俺も教えないし。めんどいし。
「お互い様か。……そうだな、邪魔しちまったな。俺はもう行くぜ」
 アニキにそう言って、中里は俺を見て、ぎこちない笑いを消した。何か言ってくるかなと思ったけど、中里はただ俺の顔をじっと見ただけで、帰って行った。俺も中里に、何も言わなかった。見た感じ普通のあいつが何も言わないなら、普通だということだろうから、俺もそれで、何かを言う気はしなかった。まあ、気に食わなくても久しぶりだとは思うし、普通ならそれでいいとも思うものだ。あいつのGT−Rが峠からいなくなって、よく分かんねえ話だったな、と俺はアニキを見た。アニキは、さっきまであいつに見せてた親切な笑いをもうどこかにやっていて、わざとらしくない、わざとじゃない、がっつり機嫌の悪い顔になっていた。
「アニキ、ひでえ顔になってるぜ」
 俺の言葉に、アニキが思いもよらない、みたいな風に、目を細める。
「そうか?」
「この辺が、キューっとな」
 この辺、と言いながら、アニキの眉間をつついてやると、アニキは外人がやるみたいに肩をすくめて、小さく息を吐いて、俺を見た。
「初めて分かった」
「ん?」
「あいつの口から京一の名前が出ると、俺の機嫌は自動的に悪くなるらしい」
 真面目に、アニキは言った。真面目に、俺は受け取ってみた。
「新発見だな」
「あまり、知りたくもないことだったけどな」
 言って、アニキは俺にだけよく見せる、意地の悪い笑い方をした。俺もつられて、そんな笑い方をした。アニキについては、弟の俺でも分からないことが、まだあるみたいだ。





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