Moon bow-4


延期になっていたナイトキッズとレッドサンズのダウンヒル戦が行われた。
勝負は啓介の勝ちだった。
慎吾が本気で悔しがっているのが分かったから、毅は純粋に啓介の勝利を喜べなくてその日は慎吾の側にいた。
毅は何をしたらいいのか分からなかったので本当に側にいるだけだったが、ベッドで横になっていた慎吾が手を伸ばして端に座っている毅の髪を撫で始めたのでちょっと回復したらしいと安心する。
朝になろうとしているのを感じながら毅は慎吾の隣にのそのそと移動して横になる。
慎吾が毅の頭を抱えるようにして髪を撫でる。
毅は大人しく慎吾の腕の中に納まっていた。
少しだけうとうとして再び来た夜に目が冴えてくる頃には慎吾は気持ちを切り替えていた。
最後に毅の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜて力一杯抱きしめてパッと毅を放した。
「今日も行かないとな。心配される。人間に心配されるなんてオレのプライドに関るからな。」
いつも通りの慎吾に毅は笑ってさらに髪をぐしゃぐしゃにされた。
「明日は満月だ。分かってるだろうが今日は早く帰ってこいよ。」
「覚えてるって。」
髪をまとめながら毅は答える。
明日は成体になった毅の親族に対するお披露目会だ。
面倒だがやらねばならない。
ほぼ満月の月を見上げて毅は今日はどこに行こうかと考えた。
昨日見てないから拓海に会いたいけどまだ走ってないし…高橋に会いに行くか。
赤城山に行くことに決めて毅は溶けるように姿を消す。
一瞬で毅の意識は赤城山にまでやってくる。
啓介はいるだろうかと探れば直ぐに啓介は見つかる。
上っている途中のようだから下りて来るのを待つか、と毅は誰もいない場所に姿を現す。
赤城は秋名より人が多くて中々楽しい。
何台もの車が走っていくのを見ていると毅の目的の車がやってきた。
コーナーの先から現れた車は毅を照らすとスピードを落として毅の前で止まった。
「何してんだ、こんなところで。」
「高橋に会いに来た。」
「やっとだな。乗れよ、ここだと邪魔になる。」
「うん。」
毅が乗り込むと車は走り出した。
二人きりの空間で毅はふと、お腹が空いたなと思った。
そういえば一月近く飲んでないんだなと思い出して、腹が減るのも当然だと思った。
しかしまだ美味しそうな女の子は見つけていないからしばらく腹減りのまんまだなーしょうがない、と毅は自分を納得させながら隣で運転している啓介を見る。
「昨日勝ったな。おめでとう。」
本当は昨日言いたかったのだが慎吾から離れられなくて言えなかったことだ。
「見てたのか?」
「見てた。凄かった。」
笑った毅の目が不思議な色に光っている気がして啓介は毅を見れずに「当然」とだけ答えた。
啓介の答えに毅がくすくす笑う。
いつも毅は楽しそうに笑っているが、その笑い声には少し耳に残る甘さがあって啓介はおかしな気分になる。
「毅は、今日も藤原見に行くのか?」
「行くぞ。昨日は見にいけなかったしな。」
「お前さ、ここまでどうやって来たんだ?秋名にいた時もだけど、車じゃないだろ。」
「ああ、知り合いに送ってもらってるんだ。」
二度目の質問だったから毅は直ぐに答えられた。
「ここにもか?」
「そうだ。」
「ここから秋名までも送ってもらうのか?」
「そうだ。」
「そいつは今どうしてるんだ?」
「その辺走ってるんじゃないか、な…」
突っ込まれると弱い。
「今日はこのまま秋名に行くのか?」
「ああ、そうなるだろ。」
「じゃあ、オレが送っていってやるよ。オレも久し振りに秋名走りたい。」
「良いのか?」
「良いぜ。お前を送って来たやつにちゃんと言っとけよ。」
「大丈夫だ。」
「んじゃ、このまま行っちまおうぜ。」
「おー」
楽しそうにしている毅を見て上手くいった、と啓介は安心する。
このまま毅が赤城で見学を続ければあの兄を見ることになる。
それは避けたかった。
今の自分では兄に勝てる気などしない。
たぶんあの藤原にだって兄は勝って、毅の興味は全て兄にいってしまいそうだった。
他愛のない話をして、何故か毅が度々返答に困るのを不思議に思いながら会話を繋げて秋名に着いた。
「オレはその辺で適当に降ろしてくれるか。」
「降りるのか?」
「ああ。高橋は走るんだろ。オレは高橋が走ってるの見てるから。」
「暇だろ?」
「全然。」
本当に走るのを見るだけで満足らしい毅に変なやつだなと改めて啓介は思いながら派手な見所になるだろうコーナーに毅を降ろす。
「じゃあ、上まで行って下りて来るけど」
「楽しみだな。」
「まあ、見てろ。」
啓介は不敵に笑って車を走らせる。
何度か啓介が往復して、たまに止まって毅と話したりしているうちに拓海が配達にやってきた。
拓海の気配を感じて毅は今上がって行った啓介から意識を拓海に移す。
拓海の方は少し陰鬱な気分で車を運転していた。
昨日、毅がいなかった。
ただそれだけのことが気になって仕方がなかった。
豆腐の配達は朝早い。
寝てたのなら寝坊だとか起きてたなら用事があったとかもう眠くて仕方がなかったとか、仕事でもない限りあんな時間に毎日来れる方が不思議だと思う。
だから毅がいなくても当然のことなのに、酷くショックを受けている自分が良くわからなかった。
今日はいるだろうかとどこかで期待している自分に嫌になりながら上って行く。
すると毅が見えた。
いつものようにガードレールにもたれて拓海を見ていた。
暗い気持ちが綺麗に拭い去られいく。
毅の前を通り過ぎて嬉しい気持ちになっていたがしばらくして前からやってきた車によってその気持ちも霧散する。
どういうことだよ…
高橋啓介が秋名を走りに来ているのもおかしなことではないのだから、拓海は啓介を見て受けたショックの意味が分からない。
前に毅と啓介が一緒にいるのを見たときも似たような気持ちになった。
まるで裏切られたような気持ちだった。
啓介も拓海とすれ違った後、毅の前を通り過ぎてショックを受けていた。
毅は目の前を通る啓介を目で追ったが直ぐに視線は上に向かった。
自分よりも拓海を見ているのだと直ぐに分かった。
悔しかった。
絶対に毅の視線を自分に固定してみせると思った。

配達を終わらせた拓海が下っていると黄色い車をバックに毅と啓介が並んで立っていた。
通り過ぎてしまいたかったけど、毅が自分を見ているのを感じて無視できずに二人の前で止まる。
降りるのにも一瞬ためらったがやはり毅が見ていると感じれば降りて二人に近づいてしまう。
毅は近づいてきた拓海に少しだけ興奮してきた。
なんだなんだ?昨日見れなかったから嬉しいのかな?と自問しながら気持ちを落ち着かせようと努力する。
「どうしたんですか?」
「別に、オレは走りに来ただけだ。毅はいつも来てんだろ。」
「昨日は見に来れなかったけどな。」
「少し、心配しました。」
「そうなのか?ごめんな。昨日はちょっと来れなくて。」
「いえ…」
毅が謝ることではないし、拓海が責めることでもない。
力なく黙ってしまった拓海に毅は首を傾けながら話しかける。
「今日は初めて赤城に高橋を見に行ってみたんだ。沢山走ってたけど、藤原みたいに凄いやつっていないな。」
「オレは?」
「あ、もちろん高橋は別で。」
「良し。」
「今日初めて行ったんですか?」
啓介のことを気に入ってたようだから拓海はてっきり何度か見に行っているだろうと思っていた。
「うん。なんとなく行きそびれてたんだよな。それで今日は月を見てて、そうだ高橋に会いに行こうと思って。」
いつもなら美味しそうな女の子を求めてあちこちをふらふらしている時間だったが月を見ていたら拓海に会いたくなった。そして啓介に会いたかった。
「まだ藤原が走ってる時間じゃなかったし。」
そう笑って僅かに細まる毅の瞳の中でゆらりと揺れる光を拓海は見つける。
どこかの光を反射しているのだと思った目の光はゆらゆらと色を変える。
不思議で綺麗で目が離せなくなる。
「なあ、」
啓介もその光を見つけて思わず手を伸ばす。
啓介の手が救い上げるように毅の顔を自分に向けさせる。
「お前の目ってさ…」
自分を見上げる毅と目を合わせて啓介は頭の中から言葉が消えた。
毅は啓介の体温を直に感じてごくりと思わず喉が鳴った。
直ぐ近くにある啓介の熱と香りに牙が疼く。
あれっもしかして!?そんな馬鹿な!と毅が自分の反応を否定したい気持ちで一杯になっていると、拓海が啓介から毅を引き離す。
「何してるんですか。」
腕を引っ張って毅を少しだけ自分の後ろに隠すようにしながら拓海は啓介を睨む。
まるで二人がキスをするような体勢だったことに自分でも驚く程の怒りを感じた。
「いや、だから、…あれ?」
啓介は拓海の声に、はっと意識がはっきりしたが何をしようとしていたのかはぼんやりとしている。
「なんですか?」
「えーと…」
拓海の後ろで俯いている毅を見ながら啓介はおかしいなと首をひねる。
毅は拓海の後ろでより激しくなる欲求と戦っていた。
側に感じる拓海が美味しそうで堪らない。
目の前にある首筋に噛み付きたくてしかたがない。
拓海が視界に入らないように俯いて欲求に耐える。
どうしようどうしようと毅は耐えながら混乱していた。
初めて人間を美味しそうだと思ったのにそれが男だったことにショックを受けた。
そんな筈はないと否定したくても、拓海と啓介はとても美味しそうで毅の体は正直に二人の血を飲みたいと訴えている。
「さっきおかしくなかったか?」
「何がですか?」
「なんか」
毅に近寄ろうと啓介が一歩足を踏み出し、その分遠ざかろうと拓海が後ろに下がったので拓海の背中が毅に触れる。
ごくりと喉が鳴る。
この温かな体に流れる熱い血を飲みたいと欲求に負けてしまいそうな意識を毅は何とか保つ。
早くこの二人から離れようと毅は考える。
しかし二人の前で力を使って消えるわけにはいかない。
力を使って移動してもおかしなことはなかったと、二人の記憶を操作すれば良いのだがそれはなんだか嫌で、そうなると徒歩でしか移動手段のない毅はどんな理由を付けたってここから一人で帰れるとは思えなかった。
くらくらと今にも負けてしまいそうな欲求に耐えながら毅は悩む。
その所為で拓海と啓介が険悪な雰囲気になっていくのに気付かず、二人もお互いに睨み合って毅の状態に気付いていなかった。
そこに新しいエンジンの音が響いて三人はそっちを見る。
毅だけは音に気付いたと同時に誰だかにも気付いて安心した。
見知った赤い車の登場に拓海も啓介も警戒する。
三人のところで止まった車から降りた慎吾は警戒する二人など見向きもせずにただ毅だけを見て舌打ちした。
「今日は早く帰って来いって言っただろうが。」
自分がかけていたサングラスを取って淡く光る毅の目を隠す。
毅は突然サングラスをかけられて驚いたが、一瞬慎吾が目を光らせたのを見て自分の目が無自覚に光っていたことを悟りありがたくそのままかけておくことにした。
「然が怒ってるぞ。」
「うあっマジで!?」
「マジで。」
「ヤバい…早く帰ろう。」
姿を消して一瞬で屋敷に帰ろうとする毅を慎吾は慌てて阻止する。
「だから迎えにきてやったんだろうが!」
「ああぁそっかそっか。サンキュー」
「まったく…」
慌てている毅に慎吾は溜息を吐く。
「もう幾ら早く帰っても然の怒りは治まらないと思うけどな。」
「別に怒ったりしてないけど、心配はしてるよ。」
突然車の陰から出てきた男に拓海も啓介も驚いた。
「たけちゃん、帰ろうか。」
「ああ。」
余計なことを言わない然に毅は少し怖いものを感じたが早く二人から離れたくて素直に頷いた。
「じゃあな!」
不自然なくらい明るく毅は拓海と啓介に手を振ると慎吾の車に乗り込む。
そんな毅に慎吾は溜息を吐きながら運転席に戻る。
「すいません、今日は大切な用事があるので兄を連れて帰ります。また遊んでやってください。」
展開についていけていなかった二人は突然現れた男に丁寧に挨拶されて更に戸惑うが、何か返す前に男も車に乗り込んで慎吾の車は直ぐに見えなくなってしまった。
「どういうことだ?」
「わかりません。」
とりあえず、突然現れた知らない男が毅の弟であることは理解したがそれ以外はさっぱりだ。
今度会ったら慎吾とどういう関係なのか聞かなければ、と二人は思った。
慎吾の車の中では毅が然に謝っていた。
「ごめんな、藤原を見たら直ぐに帰るつもりだったんだ。」
「怒ってないよ。」
然は優しく笑って毅がかけているサングラスを取った。
「ただ少し、心配だったけど。成体になってから初めての満月でしょう?吸血欲求が大きくなるのにたけちゃんまだ飲みたい人間見つけてないみたいだったから、ふらふらお腹空かせてないかなって。」
「大丈夫だ。」
いつもこの弟には心配をかけてるなあと毅は少し情けない。
「そうみたいだね。あの二人、気に入ったんでしょ?」
「ええ!?」
「なんで飲まなかったの?」
「飲まないよ!最初は美味しくて可愛い女の子の血って決めてるんだ!」
「性別なんか気にしてるの?」
「気にしてるわけじゃないけど、然も慎吾も女の子の血の方が美味いって言ってるじゃないか。」
「それは美味しそうに感じたことあるのが今のところ女だってだけで、自分にとって美味しい血は性別なんか関係ないよ。」
「でもな…」
「あの二人を美味しそうって感じたなら、たけちゃんにとって絶対美味しいよ。」
「う〜でもな〜」
然の言っていることは正しいと分かっているが、毅にだって可愛い女の子の血を吸うのはずっと憧れていたことで諦めきれない。
「慎吾さんはあの二人知ってるんですか?」
「知ってる。」
「教えてください。」
「詳しいことまではしらねえぞ。」
「良いですよ。たけちゃんよりは知ってるでしょう。」
「まあな。」
慎吾は頷いてミラー越しに然と目を合わせる。
言葉より正確で雑多な情報が慎吾から然に伝わった。
「へー慎吾さんのお仲間か。しかもかなり才能があると。たけちゃんはアスリート系を美味しいと感じるタイプかな。でもスポーツというよりなんか命がかかってるものっぽいなあ。」
可愛い女の子への未練を断ち切れずにいる毅に然は「そうなると見つけるの大変だよ。」と言ってやる。
「ここで二人も見つかっただけでもラッキーかもよ。女性じゃないけど二人とも可愛い顔してたじゃん。良かったね。」
「えー!?違う!顔じゃなくて性別だ!今問題になってんのは!なあ、速くて可愛い女の子知らないか?」
「はあ?そんな都合良くいるわけないだろうが。」
毅の質問に慎吾は呆れる。
「一人もいないのか?」
「いねーよ。そもそも女が少ないのに可愛いとか無茶だろって、一人だけというか二人だけ思い当たるのはいる。」
「ホントか!?」
「二人で一緒に走ってんだけど結構速い。顔も片方は可愛い。」
「どこにいるんだ?」
「碓氷峠。可愛くない方とは知り合いだから今度紹介してやるよ。」
「頼む!」
「良かったね、たけちゃん。」
「たぶんあいつらの方がお前にとっては美味いと思うけどなー。腹減ってんだから我慢せずに飲めよ。」
「そのへんはその女の子たちに会ってからだ!」
「あっそ。まあ頑張れ。あーあー完全に朝だよ。」
朝焼けを通り越して既に空は青い。
太陽光を浴びたところで死にはしないが、月光のように良い気持ちにはなれない。
「たけちゃん帰ろうか。」
「ああ。じゃあな、慎吾。」
「また後で。」
「いいよな、お前らはよ。」
後部座席から姿を消した二人に慎吾は聞こえない文句を言う。
慎吾はこれからこの車を妙義の駐車場に止めて誰にも見えないように力を使って隠して、それから帰らなければいけない。
大した苦労ではないが、ああも簡単に帰られると文句の一つも言いたい。
今日のお披露目会に遅刻していってやろうかな、と一瞬慎吾は考えたがきっと慎吾がいなくて毅は不安になるしそうなると然が怖いんだよなと諦めた。

【End?】


ちょっとだけ説明…
毅の目はブラックオパールをイメージしていただくと分かり易いかと。
慎吾の目は真っ赤に燃焼している炭のような内側から光る赤、然は炭が混じったような艶消しの固体ではなく液体のとろりとした金色のイメージ。
三人とも何もしてなければ普通に黒目ですけど。

あと交流戦の時に慎吾が怪我をしていないのは人間じゃないからです。

本編にあまりにも何にもないのでちょっとしたおまけです。
翌日の話⇒/






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