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渋谷と鹿児島の歴史のかかわり

  南国の鹿児島に伝わる「おはら節」や「はんや節」は、踊ってみると素朴ながら誰でも愉しく踊れて、なお力が湧いて来るような「大衆の踊り」である。
  新天地を求めて黒潮を漕いで来た太古人の明るく、希望に満ちた生命の鼓動さえ響いてきます。
  新しい時代に、昔ながらの躍動感に弾むこの「おはら踊り」の祭りを日本の中心の「渋谷」に繰り出し、人々に世代を越えて生き生きと、明るく、豊かに愉しんでもらうのが「渋谷・鹿児島おはら祭」の主旨です。

渋谷駅前ハチ公

  舞台は、東京の中心地「渋谷」で最高の場所です。渋谷の街も賑わい、情緒ある一面も醸して「渋谷」に新たな活力に満ちた色彩を添えて行くことを期待しており、何よりも地元「渋谷」の方々と一緒に取り組んで「渋谷の繁栄」と「鹿児島の発展」のために、更に銀座、浅草、高円寺等の祭りを超える「東京の一大祭り」になることを願っております。
  鹿児島の出身者にとっては、生まれ育った鹿児島の心情を、お囃子や踊りの中で再び故郷の躍動を、そして薩摩と昔からの「ゆかり」多い渋谷は、この上もない絶好の舞台であります。

  その「ゆかり」とは、鹿児島出身の帝展彫刻審査員の安藤照が渋谷駅前の待ち合わせ場所として有名な「ハチ公」銅像を造ったのである。渋谷住人で大の犬好きであった氏は昭和9年に忠犬ハチ公像を造り、又 鹿児島市城山下に建つ軍服姿の西郷隆盛像も彫刻した。
  現在のハチ公像は照氏の息子でやはり彫刻家の安藤武士氏が造ったもので、いわば2代目ハチ公銅像である。

  原宿には東郷神社がある。祀られているのは、アドミラル・トウゴウとして世界中に知られる鹿児島生まれの東郷平八郎元帥である。実は渋谷は東郷元帥の祖先の地であった。12世紀、今の渋谷一帯は相模国豪族・渋谷氏が所領しており「渋谷」と呼ばれたという。この渋谷氏は源頼朝が鎌倉幕府を開いた後、源平合戦の功のより薩摩の地に新たな領地を得て、一族を挙げて移住し現在の川内市あたりに落着いたという。
  薩摩で渋谷氏は5つの家に分かれ、土地の名をとって、高城氏、東郷氏、入来氏、祁答院氏、鶴田氏を名乗った。このうち東郷氏から700年後出たのが東郷平八郎で、没後先祖の地に神社が建てられた。また、東郷元帥と並んで知られている陸軍の大山巌元帥も穏田(神宮前5丁目)に邸を構え、今でも子孫が住んでいる。

西郷山公園

  渋谷には「鶯谷町」「猿楽町」という古い町名が残っている。鶯谷町には西郷隆盛の弟で明治の功臣、西郷従道の館があり、兄・隆盛や大山巌もしばしば逗留し、ここから馬車で中央官庁まで通ったという。当時この道は「西郷さんの馬車道」と言われたという。(現在は西郷山公園で、館は愛知県犬山市明治村に移し保存公開されている)

  猿楽町には「天狗タバコ」で知られた明治のタバコ王岩谷松平が住んでいた。(川内市出身)岩谷は工場から人力車、洋服まですべて赤色にし宣伝広告で伝説の人となった。彼とライバル関係にあった村井兄弟商会の工場の門柱の一部が「たばこと塩の博物館」の前に展示されている。
  タバコが専売制となった後、岩谷は猿楽町の広大な土地で養豚場を営み、肉食による日本人の体格、体力の向上をPRしたという。


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