桜島の風景
肥薩のみち(司馬遼太郎著の街道をゆくシリーズをたずねて)
人吉→大口→曾木の滝→川内→東市来→伊集院→加治木→蒲生

おじゃんせ写真館 その2

人吉城

約800年前・建久9(1198)年鎌倉幕府の源頼朝の名を受け、遠江国相良庄(静岡県牧之原市相良)から地頭としてやってきた相良長頼が築いた山城から近世にかけて歴代相良氏が球磨川沿いの石垣造り城へと改築した。明治4年の廃藩置県まで球磨郡の領主を努めた。

曾木の滝(伊佐市、川内川上流)

高さ12m、滝の幅は210mと広く、「東洋のナイアガラ」と称されている。加久藤火砕流の堆積物によってできたもの。千畳岩などが見られ、川内川流域県立自然公園の指定地区となっている。「曽木の滝公園」として整備されており春はサクラやツツジが、秋はモミジが周辺を彩り、毎年11月下旬には「もみじまつり」が開催されます。

薩摩焼の里(東市来町美山)

薩摩焼は、鹿児島県内で焼かれる陶磁器で、竪野系、龍門司系、苗代川系があります。主な窯場は姶良市の龍門司窯、日置市東市来町の苗代川窯、鹿児島市の長太郎窯など。「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の磁器と「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれる。豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に、捕虜として連行されてきた朝鮮人が、島津義弘の保護の下に発展させた。2002年(平成14年)1月に国の伝統的工芸品に指定されました。
白薩摩(白もん)
日置市東市来町美山地区にある苗代川窯で焼かれていた陶器。藩主向けの御用窯で、金、赤、緑、紫、黄など華美な絵付を行った豪華絢爛な色絵錦手が主である。元々は苗代川焼と呼ばれ、薩摩焼とは名称を異にしていた。
黒薩摩(黒もん)
白薩摩に対して、大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器で、鉄分含有量が多い土を用いるため、黒くなる。特に、黒ヂョカ(茶家)と呼ばれる素朴な土瓶は、焼酎を飲むときに用いられる。
沈壽官窯

司馬遼太郎著『故郷忘じがたく候』のモデルとなった14代沈壽官



美山窯元祭りでのロクロ体験
美山陶遊館で薩摩焼体験できます
    
 
妙円寺詣り(伊集院町徳重神社)
(毎年10月第4日曜日) かつて薩摩藩では妙円寺と共に、島津忠良の菩提寺である日新寺と島津歳久の菩提寺である心岳寺とにおいて、それぞれの命日に参る習慣があった。現在、日新寺と心岳寺の方の習慣は廃れてしまっているが、「妙円寺詣り」は現在も盛んに行われています。現在では島津義弘が奇跡的な生還を遂げた関ヶ原の戦いが旧暦9月15日にあったことを記念して10月末頃に行われます。

   
柁城小学校(加治木町)

創立して130年以上経つ伝統校

島津家17代当主・島津義弘没後、加治木にある柁城小・加治木高校の土地に隠居地とし移り住んだ。
その後、義弘の孫である島津忠朗によって設立された島津77万石の一門家(加治木・重富・垂水・今和泉)の筆頭・加治木島津家1万9千石の館となった。
のちに近衛家(近衛忠房)に嫁いだ『貞姫』は、加治木島津家の出身であり。篤姫とは姉妹関係にあります。

 丸に十字ご紋がある柁城小学校正門

蒲生のクス(姶良市蒲生町)

蒲生町上久徳の蒲生八幡神社境内にあるクスノキの巨木です。国の特別天然記念物。
高さ約30メートル、地上から1.3メートルの高さでの幹周は24.2メートルで、根回り33.5メートル、幹の中には広さ約13平方メートル(畳8畳分)の空洞があり、樹齢は約1500年と推定されています(平成23年(2011年)現在)。昭和63年(1988年)に行われた環境庁による巨樹巨木調査(昭和63年度)において日本最大の巨木と認定されています。

   
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