2010年3月7日
3月7日(日)朝小雨 後 曇り やや寒さあり
今日は午後13:30から「こころの歌玉手箱」の定例会。喫茶の材料は、昨夜準備した。最高18人と予想して、Mさんが日ごろから折ってくれているたくさんの折り紙小皿に、チョコやらせんべいやら飴やら詰め込んで、みんなに配れるように、インスタントコーヒーや砂糖、コーヒーフレッシュ,スプン紙コップ等といっしょに段ボール箱に詰め込んだ。
今年から、この会の代表になった木村さんが、うまくサークル作りを進めて行けるようにサポートするのが、当面の私の役割だ。この会は、とても夢があり、大きく育つサークルだと思う。この日は子供4人と大人19人、未来の形が、透けて見えた。
2009年8月2日
じーつと,地鳴りのようにわきあがってくる、セミの声、八月の日々は、なぜか物悲しい.八階の部屋にいて。窓という窓を開け放ち、それでも入ってこないそよかぜを待ちわびながら、それを聴く。日曜の朝のひととき。
今日は、午後から「こころのうた玉手箱」に、でかける。
昨年の12月から、毎月第一日曜日に行なっている、サークル活動だ。童謡、唱歌、叙情歌をみんなで歌い、いつか多くの子供たちと一緒に歌っている自分達の姿をこころに描いている。
夢チューの仲間たちは、歌が好きな人がけっこう多くて、今では、毎週ほぼ1回のペースで「みんなで歌う」つどいが行なわれている。
第1日曜 13:30〜15:30 こころのうた玉手箱 霞公民館
第2土曜 19:00〜21:00 ドレミの会 リンゴや
第3土曜 14:30〜16:30歌声喫茶ゆめちゅう ボンボン
第4土曜 14:30〜16:30歌声喫茶ゆめちゅう ボンボン
朧 月 夜 2009年4月
2つ目のNPO法人へ・・・2008.9.5
NPO法人「てごう」の家
設立総会・8月30日開催
夢チューの会の古いメンバーで、蔵王の家の職員も経験したことがある清水さんを中心に、NPO法人「てごうの家」の設立総会が行なわれ、グループホームなどの運営をめざして、第一歩をふみだしました。この日までに加わったメンバーは13名、法人申請の期間行なっていく学習会を通じて、より多くのメンバーにしていく方針です。名前の示すように地域やボランティアの仲間が大勢集まって助け合う、地域密着型のNPO施設をめざします。NPO法人「グループ凛」とともに、夢チューの各サークルとのコラボレーションによって、よりよい活動が生れるものと期待します。
RCCから取材の申込と顛末
〇「ゆめちゅう」はサークルを大切に育てることに力を注いでいる自由な団体です。イベントを企画して一般市民に呼びかけ、イベントを成功させることを目的にした多くの団体とは少し趣が違います。イベント中心の団体ではありません
〇サークル活動は、こつこつと活動そのものに工夫を重ねメンバーを大切にする、新しい仲間はメンバーが連れてくる、そうすれば、ちょうどいい規模のサークルになる。そんなサークルが次々に出来て、誰もがいくつものサークル活動を経験しながら成長する。もちろんサークル自体も成長する。サークルでは意見の対立やお互いの競争はあっても、どちらが勝つかではなく誰もが感動出来る一段高い何かを手に入れようと、みんなで協力しあうことが大切なポイントなのです。話し合う力、行動する力、一段高いレベルの答えを導き出す力が知らず知らずのうちに養なわれていくのだと思います。このように、サークルが持っている素晴らしい機能を私は信じるからこそサークル作りを大切にしてきました。
〇RCCのYさんからの取材申込に、当初私がしぶったのは、うたごえ音楽祭という中高年のイベントがある。いま流行りの歌声喫茶が福山にもあるなどと紹介してもらうことは、前に述べたサークルづくりにとってけっしてプラスにならないのではと懸念したからです。
そうはいってもイベント好きのメンバーも多く、今の世の中ではテレビはけっこう魅力的な存在のようで、私がかってに断るわけにもいかず、とりあえず4月の歌声喫茶を下見してもらうことになりました。
〇RCCのYさんはおとなしそうな人でした。下見の後、「いつもこのくらい集まられるのですか」と聞かれるので「はい、こんなものです」と答えると、ちょっと笑顔がみえました。(その日は35名の平均的な日でした。)私は、「取材されるのなら、サークル活動は、はなばなしい場面は少なく、けっこうよれよれになってそれでも、なんとか続けようとしている場面が多いのです。ゆめちゅうはいくつものサークルが生れてそれぞれ頑張っているので、そのあたりがわかるようにしてほしいのですが・・・」と注文をつけました。
〇Yさんは結局、歌声音楽祭の模様、歌声喫茶ゆめちゅうの5月例会、夢チューの5月定例会、「宅老所・蔵王の家」の4つのサークルの活動をそれぞれ取材し8分の番組にまとめて6月10日のイブニング広島で発表してくれました。かっこいい場面が中心になりました。それでも、歌声喫茶を強調することもなく、サークルを生み出すサークルとして紹介していただけたとおもいます。Yさんに感謝しています。
〇その後、私達の活動は、つづいています。少し変化がみられます。イベントを独自に企画実行するサークルが、台頭しています。新しいサークルも芽を吹いています。全てがいい方向に向っているとおもいます。その中で私の役割はもちろん、サークルを作りサークルを育てること。目線をそこに置いてもう少しの間がんばります。9年目に入る夢チューの活動は少し充実してきたようにおもいます。
三吉町東町内会の夏祭りに
7月26日、歌声喫茶ゆめちゅうの例会が行なわれた日の夕方、「すみれ工房」の仲間の要請で、三吉町東町内会の夏祭りに、みんなで歌おう・コーナーに出演した。PAGEUを含めて12名が集まり、すみれ工房の高山さん、原田さん,竹田さんやなおみさん達を加えると、20名くらいになって、まつりに集まったみなさんと、おおきな歌声がうまれた。
「素晴らしかった、ありがとうございました。私はみんなで、このように歌が歌える町内会がつくりたかったのです。どうしたらこんなにたくさんのメンバーを集めることができるのですか?」・・町内会長さんがよろこんでくださった。根気よくやれば出来ますよ、きっと。・・私はそう答えた
RCCテレビで紹介されたゆめちゅう
「 ひとことで語ってください・」とテレビがインタビューしている。いっぱしの評論家も必死で言葉をさがしていてみじめなほど・・。ひとことで・・ひとことで・・
わたしの思いは伝わらない。それどころか、違った意味でつたえたれ、テレビの用意した答えのひとつに集約され、まあそれでもいいかとあきらめる。・・それが時代、効率化されたハイテンポの時代。私の思いは伝わらない。だから私はハガキを書く。書きつづける。
それが「さわやかな時」と名づけた私のメッセージ・・感動の記憶やさわやかな思い出を書き綴る。人はそういった記憶に導かれ、もう一度出会いたい、いつか自分も感動を生み出したいと思い続けることだろう。だから私は書き続ける。それでもハガキの短い文ではほんの一面だけ、だから幾度も幾度も繰り返す。1999年9月に書き始めた。だいたいひと月置きに、42号になった。すぐにねた切れになると思っていた。今では、いつまでも書き続けるような気がする。
北木島の天の川
北木島の天野家では、気さくな若主人が、ひさしぶりに訪れた先輩に話すような口調で、島の今を語ってくれた。「50年前と変わってないですよ。もっとも今は次男の私が継いでいますが、この旅館は昔のままだし、3階の大広間の鴨居には小学生らしい落書きがいくつも残っています。浜には夜光虫の群が来ますよ。どの浜かは決まっていませんが、そりゃあきれいです。それになんといっても夏の天の川、これこそ最高です。悠久の時、銀河の流れの中で、この地球の上に生きている自分自身の今を、とても幸せに感じていただけるのではないでしょうか・・」都会で学び、しばらく暮らし、今では北木島に帰って自然と共に生きる若主人夫婦。島に残る最高のきらめきは二人の人生なのかもしれない。
夢チューでは、よこちょう音楽祭
音楽を通じて、福祉を大切に思う心をもった人の輪をひろげよう・・!
それぞれの人生 それぞれの幸せ・・・一人ひとりの自立としあわせをたいせつにする世の中・・・・
それは、おたがいを思いやる心なくして成り立つ事ではありません。
「おたがいさまボランティア」の溜まり場「おたがいさま横丁」を基点として共に歌い、共に演奏をたのしみながら、
歌声喫茶夢ちゅうは、歌の町・福山をめざしているようにみえます。町にも村にも、ここかしこに、たくさんの歌声喫茶、数え切れないほどのコーラスサークル、いつでもどこでもバラ祭りの日などは、みどり町公園の野外ステージの周りに1万人以上も集まって、あたたかい心の歌をうたいます。それにこの町にはせっせと花を植える人たちがいます。街中が、バラや色とりどりの花に埋もれてしまうほどの勢いです。芦田川の土手に植え続けているグループもあります。・・・みんなで歌うハーモニーの感動、5月の花の咲き乱れ
咲き乱れた時の感動、そのしびれるような時を体験した人は、いつか自分も感動を創り出したいと思うでしょう。いつか再び体験したいと思うでしょう。そんな人々の輪がいつのまにかひろがって福山の街は、花と歌声の街になっていくに違いありません。
その道は、老若男女ハンデの有無にかかわらず、心さわやかに生きてゆける時代に向かって続いているように思います。
千の風になって♪
千の風になって♪・・がヒットしています。我が家のヨシコさんは、おとうさんが死んだら、お葬式のとき、みんなで歌ってあげるね・・といって笑います。この歌を歌っていると死ぬことがちっとも怖くなくなるね、ともいいます。生死の自覚を越えて、ゆうゆうと大自然のなかを吹き抜ける、風のような心になることができるのかもしれません。 。
さらにヨシコさんはいいます。「死んでからもけっこう忙しそうだね!秋には光になって畑に降り注いでくれるし、冬はダイヤのようにきらめく雪になるんでしょー?、朝は鳥になって朝寝坊の私を目覚めさせ、夜は星になって家族の皆んなをを見守ってくれるんだね・・・」
昨年末の紅白歌合戦の「千の風」をビデオにとって20回くらい歌ってみました。すると死んでからも、光になったり鳥になったり雪になったりして、ヨシコさんのまわりをストーカーしている「おとうさん」の姿が、ちょっとこっけいに(ほほえましいと言ってほしいところだけど・・)想像できました。
で、二人して車に乗ったときなど大きな口をあけてこの歌をうたいまくるのが,今日このごろの光景なのです。アハハ・・・
2007年3月10日