誤解の招き方 6/6



 今の時期、クリスマス商戦に関わる奴らは忙しそうで、山にもあまり姿を見せなくなる。毎年毎年季節に振り回されんのもご苦労なことだ。あれじゃあ行事もまともに楽しめねえだろう。まあ、一緒にケーキを食べる相手もいねえのに暇だけあるよりは、確実に稼げる方が良いのかもしれないが(……ちょっと羨ましくなっちまうな)。
 そんな風にして催事担当の連中が来なくなる分、集まる人数が減っても、峠は寂しくなるどころか、いつも以上にやかましい。年末が近づくほど、うちの連中のテンションは妙に高まってくるからだ。クリスマス反対のシュプレヒコールを上げたり、彼女持ちを吊るし上げたり雪乞いをしたり、山と全然関係ねえことばかりやってろくなもんじゃねえんだが、そういう手に余る奴らがいるから、年の暮れ特有の、何もかもが終わりに近づくような寂しさは紛れちまう。俺は、良い仲間を持ったんだと思う。夜の妙義山に来ればいつだって、熱いバトルを求めて突っ走るばかりの俺を、何でもねえように迎え入れてくれる、最高の男たちに会える。そういう奴らとチームを組めた俺は、相当な幸せ者だろう。
 しかしこいつら、峠に来るくせ走りもしねえで世間話に花を咲かせまくるのは、正直どうかと思っちまう。別に四六時中マニアックに熱弁ふるえとか言うんじゃねえ。一応走り屋なんだから、一割くらいは技術論とかメーカー論とかそういう方向に話を持ってってもいいんじゃねえか、と思うわけだ。今日だって、話題に上ってるのは高橋涼介だ。まあ高橋涼介も走り屋だから(しかし引退したらしいし、元、ってつけた方がいいのか? 今度会った時にでも聞いてみるか)、同じ走り屋として話題にするのはおかしくはないんだが、昨日高橋がここに来た理由で賭けをするなんてのは、明らかにおかしい。絶対におかしい。おかしいったらおかしい。
 気にしちまうと集中力が奪われるし、賭けの中身をなるべく耳に入れないようにしても、テンション上がってる奴らの声はでかいので、どっかこっかは聞こえちまう。高橋涼介は妙義山から群馬県内の峠を支配するつもりだとか(赤城からじゃねえのか?)、須藤京一を煮込みにするつもりだとか(何の煮込みだ)、俺を狙っているだとか(……狙う?)、よく分からねえ話ばかりだ。そんなことで楽しんでどうすんだ、もっと建設的な作業に勤しめ。思うが、騒ぐ奴らを本気で止める気も起きなかったりする。どういう方向にでも、こいつらが楽しんでる姿を見ると、俺も楽しいからだ。甘いんだよな、俺は。トップに立つような器じゃないのかもしれねえ。それでもこいつらが認めてくれる限りは、俺はナイトキッズの頂点を、誰に譲る気もないが。
 まあ、このまま一人でよく分からねえ話を聞いちまってても仕様がない。どうせ今日は慎吾も来ないだろうし、一発下って改めて一服するかとRのボンネットから腰を上げた途端、場がざわついて、俺は身構えた。うちの連中が騒ぐのは、ネタにできるものと出くわした時だ。まさかまた高橋の奴でも来たってのか。それじゃあいつにしては暇すぎるし藪蛇じゃねえか、さっさと人気のないところに誘導するべきか、考えた末に一つも動けなかった俺の前に現れたのは、FCじゃなかった。あれは白いしフォルムが丸みを帯びている。これは黒いしパッと見SUVのようなゴツさがある。三菱のラリーカー、ランエボ。三日前に来たのと同じナンバーで、乗ってる奴も同じだった。須藤だ。
「こんばんは」
 須藤は俺の前に立って、しかつめらしくそう言った。ごつごつした顔とか頭に巻いてるタオルとかポケットの多いジャケットとかは土建屋っぽいんだが、こういう身のこなしや肌の色を見ると、そうじゃないんだろうと思う。うちのメンバーの塗装屋なんかと違って、いつでも照り返しで焼けていてバリバリ真っ黒ってんじゃないし、動きにどこにでも跳ね上がれるようなバネはないし、頭もシンナーで溶けてそうでもない(それは一部の人間か)。須藤は案外サラリーマンだったりするのかもしれない。金髪のサラリーマンってのも想像はしにくいが、まあどのみち須藤が何をやっていようが、俺には関係ねえことだ。
「こんばんは」
 俺は慇懃無礼に見えない程度に真面目に返してから、関係ありそうなことを聞いた。
「岩城のことか?」
 須藤が前にここに来たのは、岩城の動向について知るためだ。岩城は須藤のチームのメンバーで、俺をここで負かしたランエボ乗りだった。あのバトルは、今でも思い出すと胃を直接掴まれてるような気分になる。高橋啓介に負けた時と違って、持ってる力を出しきることもできなかった。今年の夏から三回もバトルで負けといてくよくよしてもいられねえから、あれはなるべく思い出さないようにして走り込んで、この前は箱根でリベンジもかませたんだが、岩城に一週間もここに通い詰められちゃあ、思い出さずにはいられない。俺はまだまだ弱い。岩城くらい好きにさせておけば良かったってのに、仲間にも相談しねえで高橋涼介に頼っちまうし、須藤には岩城を迎えに来させたようなもんだ。そして須藤はこの前一人でここに来た。岩城の話を聞くために。
 須藤は岩城のことを心配してたんだと思う。毎日のように会ってた奴に、一週間も連絡なしに姿くらませられちゃあ、そりゃ心配もするだろう。が、高橋の奴は昨日、ややこしいことを言っていた。須藤は、限られた状況だと、自分のためにしか他人の心配をしない、とか何とかだ。話の流れからして、その須藤が岩城を心配したのは、その限られた状況ってことになる。自分のために、須藤は岩城を心配した。それは優しさじゃない、とも高橋は言っていた。ややこしい話だ。全体像がよく分からねえ。
 けど須藤が岩城を心配したのは事実だろうから、今日も須藤は岩城の話を聞きにきたのかと、俺は思った。
「あいつのことは、もうどうでもいいさ」
 目をよそに向けて、呟くように須藤は言った。岩城のこと、じゃないらしい。にしても。
「どうでもいい?」
 この前どこか切羽詰まった感じで岩城の話を聞きたがっていた須藤からは、考えられないなおざりな言い方だ。思わず繰り返しちまった俺を、須藤は見てきた。
「考えなくてもいいことだったんだ。そういう相手はいるだろう」
 同意を求めるような須藤の目だった。考えなくても良い相手。頭を悩ませる必要もなく、一緒にいられる相手。俺は須藤から周りに目を移した。賭けに熱中しながら、携帯ゲーム機で遊び始めた奴らまでいる。相変わらず、自由なもんだ。
「そうかもな」
 それでもそいつらは、頭痛の種にはならない。一緒にいて、何なんだお前らはと思うことはあっても、不安にはならない。須藤にとって岩城がそういう相手だってことだろう。前に来た時は心配そうだったが、何だかんだで吹っ切れたのか。そういえば、岩城も言っていた。須藤が岩城のことを考える必要もないんだと。それは、こういう意味か。もしかして、昨日の時点で岩城も須藤も分かっていたんじゃねえか。だとしたら、俺は岩城に余計な話をしたことになる。
「悪かったな」
 居心地の悪さが急に出てきて、俺は謝っていた。
「何?」
 須藤は俺の声を聞き逃したみたいに、俺を見る。
「あんたの断りもねえのに、勝手なことを言っちまった。あいつに、あんたが心配そうだったってよ」
 俺はせめて、須藤から目を逸らさずに言った。俺の目なんて、岩城と須藤を互いに見る目に比べたら、節穴も同然だが、それを隠すのはみっともないし、何より須藤に悪い。俺は差し出がましい真似をしちまったわけで、須藤の機嫌を悪くしたかと思ったが、須藤は俺を見たまま、堅物っぽい顔を穏やかにした。
「言われたくないことなら、口止めをしている。気にするな」
 声も穏やかだった。ドスが利いているせいか、少し軽くなるだけで、やたらと優しい印象になる。低い声でも人によって違うもんだ。高橋のは音楽的で、たまに変に甘ったるい。須藤のは何というか、重機のような深さがある。俺もこのくらいの凄味が欲しい。どうも重さが足りねえんだよな。まあ、とにもかくにも須藤の機嫌は悪くなっていないらしい。気にしてないと言ってもらえりゃ一安心だが、たった今比較した高橋涼介の声が蘇り、すぐに俺は落ち着かない気分になった。
 須藤の言うことは、額面通り受け取らない方が優しさになる。高橋が言ってたのは、そんなようなことだ。ただ、須藤のどの言葉を額面通りに受け取らない方が良いのか、俺には基準が分からない。須藤と付き合い濃そうな高橋なら分かるんだろうが、俺は高橋じゃねえ。気にするな、って言葉も額面通り受け取らない方がいいのか。岩城のことがどうでもいいってことも、そうなのか。クソ、分からねえ。もったいぶった言い方しやがって、高橋の奴。俺はお前じゃねえんだよ、須藤の考えなんて知るかってんだ。次会ったらケチつけてやる。
「どうした」
 考え込みかけた俺を、須藤がほんの少し首を傾げて、覗き込むように見てくる。待て、須藤には何の罪もない。高橋の言っていたことは、一旦忘れよう。それが健康のためだ。
「いや、じゃあ、あれか。用件は、高橋が来たことか?」
 岩城が須藤に、昨日高橋がここに来たことを話したのは、十分に考えられる。あいつはネチっこい喋り方をする割に、何でもズバズバ言って、それを後悔しないタイプだ(うちのメンバーにはそういうタイプが結構いて、だから岩城はここでもそんなに浮かずにいるのかもしれない)。須藤にもズバズバ話したことだろうし、須藤は高橋にリベンジするために一年かけてドラテク磨いてたらしいから(それにしても、うちの連中は何でそんな話まで仕入れてんだろうな)、こだわりもあるだろう。高橋涼介が目的なら、それはそれで納得だ。だが、須藤は言われて初めて気付いたように、ああ、と言った。
「下の奴らも言ってたな。昨日涼介が来たと」
 ってことは、高橋涼介が目的でもねえのか? ややこしい奴、って表現も間違っちゃいないのか。いや、それよりもだ。
「あいつら、他に何か言ってたか」
 この前須藤がここに来た時、うちの奴らと秋刀魚を食べた。七輪で焼かれた秋刀魚は脂の乗っていて、実にうまかった。食べている間に、須藤はメンバーとも話をしていた。どこの秋刀魚なのかとか、今時期のうまい魚は何なのかとか、他にも須藤の作ったエンペラーってのはどういうチームなのか、何で群馬侵攻をおっぱじめたのか、うちの奴らは須藤に遠慮容赦ない質問をして、須藤はそれに怯まず答え、質問を仕返したりもしていた。
 俺が岩城に負けたってことは、ナイトキッズがエンペラーに負けたってことで、そのエンペラーを率いてる須藤と、俺たちが仲良くする義理はない。それでも俺たちが打ち解けたみたくよく話せたのは、須藤が威圧的でも喧嘩腰でもなかったからだろう。今の須藤もそうだ。なら、下にいた奴らはいつも通りの歯に衣着せぬ物言いで、須藤に色々吹き込んだかもしれねえ。何か変なことになっちゃいねえだろうな、俺は内心ちょっとビクつきながら須藤の答えを待った。須藤は岩城よりも細い眉を細めた目に近づけて、意味深に俺を見た。
「それは、お前が涼介を悩殺した、って話のことか?」
 それでも須藤の顔は実直だった。ストレートでありがたい、ような、聞き返してくんのは遠回しとも言えるような、っつーか問題は、話の中身だ。俺は頭を抱えたくなって、眉間をつまんでいた。
「何だってあいつらはそう、わけの分からねえ方向に話を持っていきやがる……」
 どうやったら、俺が高橋涼介を悩殺できるってのか。じゃなくて、どうやったら悩殺なんて言葉が出てくるんだ。何年も一緒にチームやってる奴もいるが、相変わらず言語回路とか表現方法とかが理解不能だ。頭が痛くなってくる。ってこれ、頭痛の種になってんじゃねえか。参っちまうな。
「わけが分からねえってほどでもねえだろ。涼介に笑顔で抱きつかせたんだからよ」
 フォローする気があんのかどうか(高橋涼介についてだし、ねえんだろうな多分)、須藤はぞんざいに言う。俺は痛みかける頭で、反論をひねり出した。
「笑顔かどうかは知らねえし、抱きつかせたってわけじゃねえし、もっとこう……誤解のないようにだな」
「誤解ね」
 須藤の笑いは馬鹿にするような感じだが、岩城のよりはムカつかなかった。岩城もそうだが慎吾にしても、あの堂々としていてヒネてるところもある笑い方は、癇にさわってしょうがねえ。高橋だと、須藤と同じでそんなにカチンともこないんだが。何だろうな。生まれつきの才能の違いか。人をムカつかせる才能。……まあ岩城とか慎吾なら、それも武器にしちまえるんだろう(俺は、欲しくねえ)。
 で、誤解だ。
「ああ、誤解だ。間違いねえ。いや、つまり、誤解してることが間違いないってことだ。うん。俺は、あいつと話をしただけだけなんだよ。それもちょっと、十分もかかってねえだろう」
 それで何が悩殺だ。高橋涼介を悩殺できるなら、他の奴を悩殺してるぜ。……誰をだ?
「涼介は、俺のことを何て言ってた」
 くだらねえことを自問しかけた俺に、須藤はそう聞いてきた。俺との話の中で、高橋涼介が須藤のことを何か言ってて当たり前、ってな口調だ。あいつは実際須藤のことを言ってたから、二人にとってはそういうもんなのかもしれねえ。しかし、あいつが何て言ってた、か。何だったかな。
 誤解をするな。限られた状況だと、自分のためにしか他人を心配しない。それは優しさじゃない。ややこしい奴。言葉は額面通りに受け取らない方が良い。それが優しさだ。
 ……これ、本人に言っていいのか? キツくねえか? でも高橋の言葉だしな。勝手に変えてニュアンスが違っちまってもいけねえ。しかし、どうも言いづれえな。どうすりゃいい。いや、これを須藤に言うなら、高橋に断るべきか? お前がこの前俺に言ってたこと、須藤が聞いてきたんだけど伝えてもいいか、って。……どうやって連絡取るんだよ。俺、高橋の電話番号とか知らねえし(何かあった時のために、教えてもらっといた方がいいかな)、大体こんなことで連絡するのもなあ。大げさじゃねえか。それに、あいつが絡むと余計に言いづらい方向に話が進んじまいそうな気がする。何となく。俺は腕を組んで考え込んだ。が、結論を出す前に、須藤がまた、馬鹿にするように笑った。
「おい、もういいぜ。想像はついた」
 いいのかよ。っつーか想像できたのか。
「あいつが俺をどう見てるかは、嫌というほど思い知らされてるからな。まあ好き放題に言ってくれたんだろう。光栄なことだ」
 本当に光栄だとでも思っていそうな、須藤の歯切れの良さだった。だから、須藤の笑いはそんなにムカつかないんだろうか。感情抑え気味で、落ち着いていて、嫌みっぽくなくて、無駄に敵を作ろうって態度でもない。高橋もそうか。好戦的なところもあるのに、感じ良く振る舞える。チームを取り仕切る力持ってるだけあって、二人とも冷静だ(……俺も見習わねえと)。見かけも身のこなしも全然違うが、結構頭の中身は似ているのかもしれねえな。じゃなけりゃ、考え読めたり想像ついたりもしねえだろう。
「仲良いんだな、あんたら」
 お互いのこと知っていて、キツいこと言えるくらい理解できるんだから、ってな意味合いで俺は言ったんだが、失敗した。須藤の雰囲気は途端に威圧的になって、視線は針のように厳しくなった。まあ、考えてみれば、俺も慎吾との関係をそんな簡単に決めつけられたら、怒っちまうな。……言ってから考えてどうすんだよ、俺は。クソ、とにかく、出したもんは取り戻せねえ。覆水盆に返らずだ。表現を間違ったってことで、謝ろう。俺は覚悟を決めて、息を吸い込んだ。
「お前こそ」
 で、止めた。須藤の目からは険が取れて、声は優しめだったからだ。
「悩殺したなら、仲良くもなってるだろう」
 で、むせた。咳込んだ俺を見て、須藤がまた笑うが、今度は馬鹿にするというか、何だか楽しそうだ。……堅いイメージ強かったし、ここまで冗談言う奴だとは思わなかったんだがな。まあ、いつも真面目にやってたら、肩も凝っちまうかもしれねえ。けど、悩殺云々ってのを引っ張るこたねえだろう。俺が最初に間違ったから、深くも突っ込めねえが。
「……だから、どうやったら俺があいつを、そんな風にできるんだよ」
 そんなことできるなら、他の奴でやっている。……誰にだ?
「毅さーん」
 ついまたくだらねえことを自問しかけた時、後ろから名前を呼ばれて、俺は声のする方を向いた。茶髪をトサカにしてる澤木が片手を上げながらこっちに歩いてきていて、防寒対策バッチリな峰も一緒だった。
「慎吾来たら、俺あいつと走っていいっすか?」
 歩きながら澤木が言った。そのくらい勝手にすりゃいいんだが、澤木は一々俺の許可を取りに来る。ナンパな格好の割に律儀な奴で、そのせいか、慎吾は澤木をよく鬱陶しがっているが(真面目な奴ほど嫌う傾向がある)、ホンダに乗ってるのは同じだから走りでまで邪険にすることはない(初期も初期のCR−X乗ってる奴なんて、あんま見ねえしな)。しかし慎吾が来たら、か。
「別にいいが、あいつなら今日は来ないと思うぜ」
「え、何かあるんすか」
 澤木は澤木で峰や丸山とつるんでいて、慎吾と個人的な付き合いはないらしいし、行動も知らねえんだろう、随分驚いている。昨日、もう少し喜んでやれと言っても、遠くの親戚だと面倒臭さを隠さず返してきた慎吾を思い出しながら、俺は言った。
「親戚の結婚式出たり何だりで、泊まりで東京行くって言ってたからな」
 へえ、と峰が口まで上げたマフラー越しに感心する。
「あいつにも祝儀出すほどの甲斐性あったんですね」
 それでも式には出るんだし、俺も同じことを思ったもんだが。
「どうもその親戚に、貸しがあるとかって話だけどよ。祝いに行くんだか脅しに行くんだか」
 その話になったら俄然やる気を出した慎吾を見て、やっぱりこいつはケチだ、と思い直した。取られた煙草の本数と取った相手を克明に覚えているだけはある。つくづくシビアな野郎だ。俺が結婚しても、慎吾を式に呼ぶかどうかは分からねえ。結婚相手が見つかるかどうかも分からねえが(……考えたくねえな)。
「そっかー、んじゃ土産だけ期待しとくか」
「期待するだけ無駄なんじゃねえの、それは」
「まあそうだろうけど」
 澤木と峰が苦笑し合う。慎吾は仲間にも容赦なく、セコい。あれで接客業をそつなくこなしてるあたり、猫っかぶりというか何というか、世渡り上手なんだよな。その愛想っけを少しは山でも出せってのに。今更そうされても気持ち悪いか。そういやあいつ、結局昨日水戸に会えたんだろうか。俺が下りた時にはもう二人ともいなかったから、すっかり忘れてた。
「慎吾ってのは、この前俺に会わせた奴か」
 須藤のことは忘れていなかったが、忘れかけていたせいで、俺はものすごく驚いた。何せ、耳に直接声を入れられたような感じだったからだ。右肩に須藤の腕、左肩に須藤の顔、背中に体、耳に口。近い。猛烈に近い。匂いがする。体臭じゃない。スッキリしているような甘いような、合成された匂いだ。高橋はもっとこう、エタノールっぽかったな。いや、そうじゃねえよ、何で須藤が俺の肩を抱いてんだ。
「そ、そうだ、ってお前」
「ケチ臭い奴みてえだな」
 下手に顔を動かすと、変に須藤に触りそうで、俺はとりあえず澤木と峰を見た。二人とも、苦笑をやめて、ごく普通の顔をしてやがる。何だ、普通のことか、これは。いやいや違うだろ。……違うよな?
「ケチっすね。っつーか、何でも白黒ついてないと嫌なんかね」
「かもな。借り作ったら全部返すまでずーっと言われ続けますから、気を付けた方がいいですよ」
 二人の目は、俺より左の方に向いている。そこには須藤がいるから、澤木と峰は須藤に話してるってことだ。
「なるほど、気を付けておこう」
 須藤も二人に言ってるんだろうが、やっぱ近い。俺に。息が当たる。低い声が骨に響いて、むずむずする。中の神経が痒くなるような感じだ。振り払っちまいたいが、暴力的になってもいけねえし、うまく動けねえ。俺が固まってる間に、澤木と峰は満足したみてえに行っちまうし(何なんだお前らのノーリアクションは)、俺はいっそ叫んじまおうかと思った。その前に須藤があっさり離れたから、叫ばずには済んだが(驚いて声を上げたのは仕方ねえだろう、急なことだ)。
「……何だ、今のは」
 元通りに向かい合ってから、俺は須藤に聞いた。一体何なのか、見当もつかなかった。須藤は真顔で、重い声で言う。
「忘れられてるかと思ってな」
「忘れてねえよ、忘れるわけねえだろ」
 須藤が言い終わる前に、俺は声を出していた。忘れかけていたが、忘れきってはいない。これは大きな違いだ。傍にいる奴をうっかり忘れちまうような人間だとは思われたくねえ。俺がちょっと睨む感じで見ると、須藤は鼻で笑った。
「そんなに動揺するな。涼介ほどくっついちゃいねえはずだ」
 まあ、あれに比べりゃ確かに接触面積は小さかった、ってそこかよ。そんなに高橋涼介が気になるのか。あいつが俺に抱きついたから、肩でも抱いとくかってことか。……よく分からねえ対抗意識だな。まったくややこしい奴らだぜ。おかげで怒る気も失せていく。心臓止まりそうなくらい驚きはしたが、肩抱かれたくらいでトガるのも大人気ねえから(別に殴られたわけでもないんだ)、この件はもういいか。俺は睨みを引っ込めて、話を振り出しに戻した。
「まあいいけどよ。それで、お前は何の用なんだ?」
 今度は高橋の話を聞きに来た、ってほどがっついた感じもねえし、昨日ならともかく今日は岩城もいねえしで、目的は謎だった。須藤は馬鹿にしたような笑いを引っ込めて、真顔になる。
「清次が世話になってるんだ。ネタの一つでも提供してやるのが、筋ってもんじゃねえか」
 ネタ。嫌な言葉だ。高橋涼介が来たってだけで何日も騒げるうちのメンバーが、飛びつく言葉だ。それで須藤が来たとなりゃあ、何をしてなくても、一週間は盛り上がれるだろう。岩城のことなんてうちの奴らは気まぐれに構ってるだけだってのに、筋を通しにかかるとは、気が利く奴だ。と素直に思えたらいいんだが、事はそう単純じゃねえ。
「そのネタには、俺も入っている気がしてならねえんだが……」
 このまま一生ここに来ないかもしれない須藤と違って、地元の俺は、今年もまだまだうちの奴らと顔を合わせる。その度ネタにされるのは、想像できすぎて、したくもない。顔を引きつらせちまった俺の肩に、須藤は妙に優しく手を置いてきた。
「人間、ネタにされるうちが花だぜ」
 真顔で言い切っておいて、堪えるの失敗したみてえに笑うんじゃねえよ、この野郎。俺は笑えねえんだよ。ああ、人間こういう時には、こんな言葉しか出てこねえ。
「てめえが言うな」
 肩に置かれた手を最大限優しく払いながら、優しさを入れずに言うと、いよいよ須藤は完全に噴き出した。息をするのも苦しそうで、声が散乱しかけてる。
「その通り、だ」
 こいつの笑いのツボが、俺にはサッパリ分からねえ。だから止め方も分からねえ。けどまあ、落ち着いてる感じの奴にここまでとことん笑われると、もう好きにしてくれって気分になっちまう。高橋涼介、須藤京一。走り屋として名を馳せるには、ややこしくねえとダメなのか。うちの奴らは分からねえところがあっても、ややこしいってわけじゃねえしな。けど慎吾の奴は、機嫌良さそうだと思ったら、いきなりへそ曲げたりするし、ややこしいと言えばそうだろう。俺はどうだ。……考えるのはやめとくか。そんなこと考えてる暇があるなら、走った方がよっぽどいい。丁度須藤も笑い終えたようだった。須藤、と俺は声をかけた。
「俺は一回下りるからよ。まあ、また上がってくるが」
「ならついでだ、俺も行こう」
 須藤の返事は、今の今まで呼吸困難になりかけてたとは思えねえほど早かった。おかげで俺は言おうとしていたことを声にできず、ぼんやり須藤を見ちまった。ついでに行く、って、帰るのか? 須藤は俺をしばらく見返して、ちょっと首を傾げる感じで斜めに視線を上げた。何かを考えている風だった。何を考えているかは分からない。高橋涼介じゃねえ俺には、須藤がその場その場で考えていることなんて、きっと一生分かりっこねえだろう。俺は俺だ。それを分からねえのが、俺なんだ。そう思えば、気分も悪くはなかった。さて、今のうちに、言いそびれたこと言っとくか。俺が口を開いたら、須藤が俺に視線を戻して、俺より先に声を出した。
「走り屋らしいとこ、一応見せとかねえとな」
 相変わらず真顔で、言った後にニヤリとする。そんなにムカつかねえが、ムカつかないってわけでもない。どうしてもバトルをしてえわけじゃねえが、したくないわけでもない、そんな微妙なラインだ。俺は須藤に似たような笑いをくれてやって、軽く指を突きつけた。
「そりゃ、こっちのセリフだぜ」
 須藤は俺の手を珍しそうに見下ろして、興醒めしたように背を向けた。だが、すぐに首をねじって俺を見た。
「ま、頑張ることだ」
 須藤は言い、笑って、首を戻し、前に歩いて行った。ご丁寧に、言われるまでもねえ。俺は須藤を見るのをやめて、Rに向き直った。言いそびれたことを思い出す。
「好きにしてくれ」
 それとは意味は違うが、こいつには、似合いの言葉だろう。好きにしてくれりゃあそれでいい。後は俺が、全部やってやる。走り屋らしい、誰にも負けねえ走りを見せてやる。他の奴らにも慎吾にも、一緒にいること後悔させねえくらい、速い走りを。



(終)



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素敵な続編をっっ(≧∇≦)//ありがとうございましたああああ!!
アニキの逆襲がっ!もう毅さんの反応にドキドキしまくりですっ
どうにもアニキ視点だと、毅さんのエロ可愛度が増す気がします。
身長差的な視覚的なとこも関係してくるんでしょぅかっ
そして、もう毅さんの考えてることは、何もかも可愛くて
どうにも眩暈がしそうなほど愛しいのですがどうしたら…ハアハア
この妙義の空気をずっとずっと堪能したいですっ
また是非同軸のお話書いていただけると嬉しいですっ
他の新作もサイトの方で楽しませていただいてますー(〃∇〃)
素敵ワールドをありがとうございます!


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