「人生は一度きりなのに、過ちは何度でも繰り返せるのね」とイブ・クレッシーは言った。


Chapter 1
「待っている」の背景
Chapter 2
時系列でみる物語の進行
Chapter 3
5+1の”I'll be waiting”
【注意】
この頁ではレイモンド・チャンドラーの短篇『待っている』を考察するにあたり、物語の核心部分に触れています。未読の方はご注意ください。
なお、チャンドラー作品の本国での著作権は消滅しており、『待っている』(原題”I'll be waiting”)の原文はこちらで読むことができます。

チャンドラーの代表的短篇小説
私立探偵フィリップ・マーロウを主人公としたハードボイルド・ミステリーで有名なレイモンド・チャンドラーは、元はパルプマガジンを主媒体に活躍する短篇作家でした。初の長編『大いなる眠り』が発表される1941年までに20作の短編が発表されています。
プロット作りが苦手で、一つ一つのシーンや文体の魅力が身上のチャンドラーにとって、短篇小説は最も「らしさ」が発揮できる表現形態だったのかも知れません。

数あるチャンドラーの短篇小説のなかで、これから取り上げる『待っている』は、日本のファンの間で最も人気のある作品の一つです。
初訳から半世紀の間に5人の翻訳者による翻訳が発表されたことがその証明でもありますが、複数の翻訳が出たことによって図らずも明らかになったことがありました。
それは、この作品が「実はとても難しい話だった」ということです。
後述するとおり、日本の名だたる翻訳者たちによって日本語化された5つの『待っている』は、それぞれ大事な部分の解釈が異なり、話の筋そのものも読後感も異なる「似て非なる話」になっていたのです。

プロット自体はごくシンプルなのに、なぜこんなことになってしまうのか。一筋縄ではいかない、さすがチャンドラーと言いたくなります。

『待っている』はこうして生まれた
1939年、チャンドラーは初の長編小説『大いなる眠り』をクノップフ社から発表しました。そのハードカバー版は1万部以上を売り、高い評価を受けたもののチャンドラーの収入は2千ドルにしかならなかったそうです。そこで当時のエージェントであったシドニー・サンダースはチャンドラーに高級大衆雑誌に書くことを勧めたのが、この作品が書かれた経緯だと言われています。

そして紆余曲折はあったものの、チャンドラーの作品中で最も短い短篇『待っている』(原題”I'll be waiting”)はサタデイ・イブニング・ポストの1939年10月14日号に掲載されました。
ホテル探偵トニー・リゼックを主人公、薄幸の女性イブ・クレッシーをヒロインとする物語は「大人の女の恋と諦念、大人の男の優しさ(大沢在昌)」、「ハードボイルドのエキスを抽出した(稲葉明雄)」というように日本でも高い評価を受け、最も人気のある短篇の一つとなりました。

『待っている』はこんな話
舞台はウイークデイの深夜1時、ロサンジェルスのウィンダミア・ホテル。
ホテル探偵トニーには気になる客がいた。最上階の部屋を借りて数日間まったく外出しないイヴという女だ。
ある夜、トニーはラジオ室でベニー・グッドマンに聞き入るイヴに話しかける。彼女は刑務所から出所してくる男を待っているのだという。
ちょうどその時、トニーはギャングのアルからホテルの外に呼び出され、「女をホテルから出せ」と脅される。イヴの待っている男はギャングの金に手を出し、追われていたのだ。
ホテルに戻ったトニーは、いつの間にか女の語った容貌とそっくりな男がチェックインしたことを知る。トニーは男の部屋へ行き、状況を伝え、地下の駐車場から逃げるよう促がす。男はトニーの言葉に従い、車でホテルを出るが、外ではアルたちが待ち構えており……。

ホテル探偵とは・・・ホテル内のトラブルを未然に防ぎ、問題が起きた場合にはそれに対処する保安警備担当者という役割のようです。コールガールの出入りを見張ったり、無銭宿泊者を出さないように目を光らせるのが主な仕事の要するに用心棒。この物語のトニーには従業員の勤務を監督する役割も与えられているようです。

チャンドラーの自己評価
1954年にアメリカ探偵作家クラブ(MWA)によって編まれたアンソロジー”Butcher,Baker,Murder-Maker”に『待っている』が収録される際、チャンドラーは前書きにこう書いています。

「この短編は、二本のかなり長い中編の間に、恐ろしいスピードで書きとばした。私がわざと通俗雑誌におもねようと書いたのは、これ一本だけである。(中略)この小男で中年のポーランド系ホテル探偵を主人公にした話をもっと書けと、誘われたりせっつかれたりしたが、私はそれっきり書かなかった。書こうと努力したこともない」

どうでしょう、この思い出したくない過去を蒸し返されたと言わんばかりの不機嫌さ。『待っている』がいつにも増してぶっきらぼうで難解な文章になっているのは、チャンドラーがこの作品に取り組む姿勢に問題があったせいかも知れません。

『待っている』翻訳をとりまく状況
”I'll be waiting”は、これまで5度翻訳されました。最も古い訳は1959年、チャンドラーの没年に『マンハント』が追悼特集として掲載された『待っている』。次がその2年後の井上一夫訳『おれは待ってるぜ』、以降、稲葉明雄訳、清水俊二訳が発表されました。そしてチャンドラー没後50年を間近に控えた2007年には田口俊樹訳が発表され、その新しい解釈に多くの読者が驚きました。

 初訳年  翻訳者  邦題  掲載誌・短編集
 1959年  不詳  待っている  あまとりあ社
 マンハント6月号
 1961年  井上一夫  おれは待ってるぜ  東京創元社
 アメリカ探偵作家クラブ傑作選2
 1963年  稲葉明雄  待っている  東京創元社
 チャンドラー短編全集3・待っている
 1979年  清水俊二  待っている  講談社
 チャンドラー・美しい死に顔
 2007年  田口俊樹  待っている  早川書房
 チャンドラー短篇全集4

上記の通り、5訳中4訳の邦題が『待っている』。それだけに井上一夫訳の『おれは待ってるぜ』は異質に感じます。誰がなにを「待っている」のか、すでに解釈が違いが始まっているのかも知れません。

Chapter 2からは5つの訳文を比較しながら、『待っている』の真の姿に迫ってゆきたいと思います。
ご覧の通り、"I'll be waiting"の翻訳者は海外ミステリーファンなら一度は読んだことがあるであろうビッグ・ネームばかり。それだけに『マンハント』に掲載された『待っている』の翻訳者が不明なのが残念です。『マンハント(日本語版)』は1958年に創刊され、のちに『ハードボイルド・ミステリィ・マガジン』と名を変えながら7年以上に渡って海外ハードボイルドやクライムノベルを日本に紹介しました。翻訳者には宇野利泰さん、井上一夫さん、稲葉明雄さん、中田耕治さん、田中小実昌さんといったベテランから、小鷹信光さんら当時の気鋭までが名を連ねたものの、創刊からの約2年間は各作品に翻訳者の名が添えられていません。編集長だった中田雅久さんは生前、その理由を「ちょっとシャレたつもりだった」と語っていますが、ほとんどの関係者が鬼籍に入られた今となっては知る手がかりは無いようです。


Chapter 1
「待っている」の背景
Chapter 2
時系列でみる物語の進行
Chapter 3
5+1の「I'll be waiting」

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