5〜6月ヨーロッパ旅行の思い出(2014年)
7日目


6月1日。

午前中は
ローテンブルク観光。
午前8時。
前夜散歩した
城壁の中の街まで歩く。

ロマンティック街道の
ハイライトで、
「中世の宝石箱」と称される。
ドイツ観光人気ナンバーワンの町。
中世の市壁に囲まれ、
完璧に中世の面影を残している。

市壁にはいくつかの門があり、
それらは二重になっていて、
内側には高い塔がある。

昨夜くぐった
レーダー門も同様で、
その塔には
階段で上がることが出来、
さらにそこから
市壁の上を
歩くことが出来るらしい。

街の散策時間は約2時間。
十分あるので、
街並みの観光も
ウィンドウショッピングも
リアルショッピングも
出来ると思っていたが、
ほとんどのお店の開店は10時。

「マルクト広場」、
「プレーンライン」、
「聖ヤコブ教会」など
お勧めスポットを見た後、
ブラブラ散策。


「マルクス塔」と
「レーダーアーチ」。
レーダー門から
街の中心部へ向かう
「レーダーガッセ通り」の
途中にある門。
くぐると
まもなくマルクト広場。


街の北側に位置する
「クリンゲン門」に向かう
「クリンゲンガッセ通り」。
繁華街から少しはずれて、
一般の人の家々が
並んでいるようだ。
犬の散歩をしている人もいて、
のどかだった。


プレーンライン。
ラテン語で「小さな場所」という意味。
ローテンブルクで
最も美しいスポットと
言われている。
南からの乗り入れ口
「ジーバー塔」と
「タウバー渓谷」に直接通じる道
「コーボルツェラー門」の
2つの重要な乗り入れ道により、
小さな三角形の広場が出来ている。
ここからマルクト広場向かう
道路の両側には
かわいいお店が続く。


「ヴァイサー塔(白い塔)」。
「ガルゲン門」から
街の中心部に向かう
「ガルゲンガッセ通り」の
途中にある塔。


30年戦争の際に
街を占領した将軍が、
市の議員たちの
首をはねようとした。
フランケンワインを勧められて
気分をよくした将軍は
「ジョッキに入ったワインを
一気飲み出来たら許してやる」と言い、
老市長が見事に飲み干し、
議員たちは助かったという。
(「マイスタートゥルンク物語」)。

昨日行った
ディンケルスビュールと
似たようなお話し。
やはり、この故事にちなんだ
「マイスタートゥルンク祭り」という
お祭りが毎年行われている。

マルクト広場の近くにある
「聖ヤコブ教会」を見学。
日曜日の礼拝のためか、
外の道路では
教会の音楽隊が
練習(?)をしていた。

さらにその近くでは
市民マラソンの
イベントが。

中世の街並みを
大切に保存しながらも、
人々が生活している様子が
垣間見られて良かった。


聖ヤコブ教会。
1311年から170年かけて建造。
ゴシック様式の
ローテンブルクの中央教会で、
現在はプロテスタント。


聖ヤコブ教会内部。
ドイツの著名な彫刻家による
「聖血の祭壇」の他、
有名な画家の絵、
ステンドグラス。
5500本のパイプを持つ
パイプオルガンなどが見どころ、


「市議会員宴会館」。
壁面に時計が2種類あり、
上に日時計
下にからくりの主時計。
主時計の両側に窓があり、
10〜22時の正時に
両方の窓に人形が現れ、
マイスタートゥルンク物語にちなんで、
左側の将軍が合図をし、
右側の市長が大ジョッキを飲み干す。
添乗員さんによると、
つい先日まで修復中で、
実物大の絵が貼ってあったそうな。
私達はラッキーだった。
でも、
正時に居合わせなかったので、
肝心のからくりは
見ることが出来ず。


メインストリートから
横道も散策。
レストランだろうか?
酒場だろうか?
緑がいっぱい、
お花もいっぱい。
屋根の上にまでプランターが。
酒樽の使い方といい、
とても味のある
お洒落なお店。


かわいいお店が
いっぱい並んでいた。
ショーウィンドウが
どれもこれも
とにかくすばらしい。

開店時間前だったので
中に入ることは出来なかったが、
ショーウィンドウを
ひとつひとつ見て歩くだけでも
楽しかった。

事前に調べたお店で、
テディベア専門の
「テディランド」と、
一年中クリスマスの
「ケーテ・ウォルファルト」には
入ってみたかったのだが・・・。

それと
雪玉のようなお菓子
「シュネーバル」を
買いたかったなあ。

街中の免税店で
買い物が出来たのが
せめてもの救い。

心残りは数々あれど、
ホテルへ戻り、
10時45分バスに乗る。


ローテンブルクから
「古城街道」に入る。
ドイツの「マンハイム」から
チェコの「プラハ」まで延びる街道で、
ドイツの7つの街道の中で最長。
名前のとおり
街道沿いには
70以上もの城壁やお城が
建っているそうだ。

そんな話しを
添乗員さんがしていたら、
「自分はプラハ出身だ」と
ドライバーさん。
さすがヨーロッパ大陸。

バスはプラハを背にして
古城街道を西に向かう。
次の目的地は
「ハイデルベルク」。

14時到着。
まず小さなレストランで
「マウルタッシェン
(ドイツ風ラビオリ)」のランチ。
考えてみると
全員で食事するのはこれが最後。
心を込めて乾杯。
こわもてだがひょうきんな
オーナーのおじさんが、
日の丸を振って
花を添えてくれた。

このレストランで
ハイデルベルク在住の
日本人ガイドさんと合流。
まあ、楽しい人だった。
本当か冗談か、
ハイデルベルクの歌劇団の
歌手(?)だったという。
吉本の芸人だったと聞いた方が
納得できるような人。

ハイデルベルクは
ドイツ最古の歴史を誇る
大学都市。
「ネッカー川」沿いに
街は広がり、
学生の街としての活気と、
旧市街の趣きある街並みが
マッチしている印象的なところ。

ドイツで最も暖かい地方にあり、
アーモンドやオリーブの木が
育っている。


「ハイデルベルク城」の
「フリードリヒ館」のテラス
より眺めた旧市街。
川と緑と屋根の色が美しい。
ヨーロッパの古い街は
どこも屋根が美しいということを
この旅行で知った。
ネッカー川にかかる美しい橋
「カール・テオドール橋」が
右端に見える。


左の写真より
右手の方角の写真。
ネッカー川の対岸は
緑の山の斜面に
間隔を置いて建てられた
建物がどれも美しく、
時間があれば行ってみたかった。
京都の「哲学の道」の
オリジナルといわれる
「哲学者の道」という
ところがあるそうで、
「ゲーテ」も
その場所を愛したとか。


カール・テオドール橋。
正式名称は
「アルテ・ブリュッケ
(古い橋という意味)」。
全長198.5m
9つの連続した石造りアーチ橋。
橋の幅は約8メートルの大きな橋で、
高欄、歩道部、車道部に分かれ、
橋脚部にはテラスがあり、
選帝候「カール・デオドール」の
像が立っている。


カール・テオドール橋の
旧市街側にある
橋門と橋塔。
かつて街の城壁であった
一部が残ったもの。
橋門の左右の
橋塔(ブリュッケン・トーア)は、
見張りに使っていたものが
そのまま残っている


最初の観光は
もちろん
ハイデルベルク城。

ドイツの
たくさんの古城の中で、
最も有名なお城のひとつ。
ハイデルベルクの
象徴的建造物。

14世紀に
「ブファルツ選帝侯」の
居城として建造された。

17世紀の2度の戦争
(30年戦争と
「ブファルツ継承戦争」)で
破壊され、
その後、1部だけ修復されたが、
廃墟の状態のままで
保存がされるようになったそうだ。

大規模な居館の複合体で、
人名の付いた建物や、
機能によって名付けられた
建物がある。

フリードリヒ館のテラスからは
旧市街やネッカー川を
一望できる。

ユニークな展示物としては、
大樽棟にある
ワインの大樽。
直径7m、長さ8.5m、
容量22万リットルという
木製の樽としては
世界一の大きさだそうだ。

その樽のそばにある
「ペルケオ」の像。
選帝侯に使えた
酒豪の道化師だったそうだが、
なんで像まで作ってもらって
観光案内にも載っているの?
それは、
ある種のブラックユーモア。
大酒飲みが原因で
亡くなったという。
アルコール中毒だったら
本望だっただろう。
お医者さんから注意され、
ワインを我慢して
水を飲んだところ、
体に合わなかったのか
死んでしまったのだそうだ。


カール・テオドール橋から眺めた
ハイデルベルク城。
旧市街地を見下ろす
高台にあり、
旧市街の風景を
決定付けている。


代々の選帝侯による
増改築で、
中庭を囲むように、
様々な様式
(ロマネスク建築、
ゴシック建築、
ルネサンス建築、
バロック建築)の
古い城館が建ち並んでいる。
写真正面の
「フリードリヒ館」には、
歴代の選帝侯の像16体が
立ち並んでいる。
この館は最も保存状態が良く、
チャペルでは
結婚式もあげられるそうだ。


「オットー・ハインリヒ館」。
ドイツで初めての
ルネサンス建築。
窓と窓の間の壁面には
16体の立像が飾られている。
1階の像は、
政治力と軍事力を象徴する
神話の英雄とローマ皇帝。
2階の像は、
キリスト教の支配者としての
美徳を擬人化した像。
3階の像は、
5つの惑星と、
太陽と月を擬人化した像。


お城の入り口近くにある
城門塔(時計塔)。
正面には「門の巨人」と
盾を掲げた獅子のレリーフが。
盾はなくなっているが、
銀製だったために
略奪されたという説も。


ハイデルベルク城から
急な坂道を下り、
街の中心に下りる。

お天気は晴天。
絶好の観光日和。
もともと暖かいといわれる
ハイデルベルク。
この日は汗ばむほどだった。

日曜日だからか、
街は人でいっぱい。
観光客と、地元の人と、学生かな?

本当に賑やかで
活気のある街で、
商店街の細い道路など、
「竹下通り」のようだった。

「SUSHI」と書いてある
レストランの前で
海苔巻き風のものを食べていた
若者達が
「ニッポン!ニッポン!」と
コールしてくれた。

市街地の中心となる
マルクト広場には、
真ん中に
「ヘラクレス」の像と井戸があり、
それを囲むように
「精霊教会」や市庁舎がある。

この広場は
過去においては
裁判、処刑の場だったそうだ。
真ん中に
大きな鳥かごのような
簡易牢獄があり、
犯罪者をクルクル回して
見せしめにしたとか。

今では市民の憩いの場、
お祭りが開かれる場、
観光の拠点。
ドイツの古い街は、
広場を中心に発展し、
広場は数々の
歴史の舞台となったところといえる。

ハイデルベルクと聞けば、
すぐに「アルト・ハイデルベルク」を
思い出す私。
他の人に聞いても
皆知らないと言う。
学生時代に読んだ小説が、
頭から離れない私。
旅行の最後に
その舞台を見ることが出来て、
幸せな気分になった。

16時45分、
ハイデルベルクを後にし、
1時間弱のバスのドライブで、
「フランクフルト空港」到着。


マルクト広場に建つ
精霊教会。
1544年完成のゴシック建築。
代々の選帝侯の墓所だったが、
30年戦争と
ブファルツ継承戦争の際に
被害を受け、
「ルプレヒト3世」の墓のみが残る。
現在では、
教会行事のほか、
大学の式典なども行われるようだ。
内部にある
「物理学の窓」というステンドグラスを
一度見てみたかった。
燃えるような赤色で、
聖書の引用と、
広島に原爆投下された日付が
刻まれているという。
赤色は暴力を表しているという。


精霊教会のすぐそばに建つ
「ツム・リッター」
ハイデルベルクに現存する
最も古い建物。
1592年に建てられ、
戦争にも耐えて残った建物。
現在はホテルとして使われている。
正面はルネッサンス様式で、
様々な彫刻がほどこされている。
切り妻屋根の頂上に
守護神として
「ザンクト・ゲオルグ」の
騎士の胸像があることから、
この建物を
「騎士の家」と呼ぶ。


「ロベルト・シューマン」の住居跡。
真ん中のボードに、
「ロベルト・シューマンが
ここに住んでいた。」と
書いてある。
シューマンは
法学を勉強するために
ハイデルベルク大学に入学したらしい。
しかし、
音楽家への夢を捨てきれず、
「ヴィーク(クララの父)」の元で
ピアノの勉強に励み、
作曲家、音楽評論家として
後世に名を残すことになった。


「クネーゼル」。
1863年創業の
老舗カフェ&ショップ。
街を代表するお菓子があるそうだ。
「学生のキス」といい、
ワッフルに
ヌガーチョコ・プラリーネを乗せ、
セミスイートチョコレートで包んだ
オリジナルのお菓子。
男子学生達と
自由に言葉も交わせなかった
女学生達の秘められた願望を
店主のクネーゼル氏が
お菓子にしたのだとか。


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1日目 成田から出発。フランス着。
2日目 モン・サン・ミシェル。
3日目 パリ市内、ベルサイユ。
4日目 スイスへ。ベルン、グリンデルワルト。
5日目 ユングフラウ、ザンクトガレン。ドイツへ。
6日目 ホーエンシュバンガウ、ヴィース、ロマンチック街道、ディンケルスビュール。
7日目 ローテンブルク、ハイデルベルク。フランクフルト空港。
8日目 フランクフルト出発。羽田着。